新手法により明らかになるアルタイ地域でのデニソワ人とネアンデルタール人の間の一般的だった交雑

 南シベリアのアルタイ地域における、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑に関する研究(Peter., 2020)が公表されました。本論文はまだ査読中なので、あるいは今後かなり修正されるかもしれませんが、ひじょうに興味深い内容なので取り上げます。デニソワ人は、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)と、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖カルスト洞窟(Baishiya Karst Cave)でのみ遺骸が確認されている、現生人類(Homo sapiens)ともネアンデルタール人とも異なる後期ホモ属の分類群で、種区分は未定です(関連記事)。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。

 デニソワ人に関する遺伝学的情報はほとんど、デニソワ洞窟で発見されて高品質なゲノムデータが得られているデニソワ3(Denisova 3)個体(関連記事)に基づいています。デニソワ人は現代人の一部の地域集団の祖先と交雑した、と推測されており、デニソワ3は、オセアニア集団の祖先と交雑したデニソワ人系統よりも、アジア東部集団の祖先と交雑したデニソワ人系統の方と遺伝的には近い、との見解も提示されています(関連記事)。低網羅のため高品質なゲノムデータが得られていないデニソワ人3個体(デニソワ2・4・8)については、あまり知られていません。ミトコンドリアDNA(mtDNA)解析により、デニソワ4はデニソワ3と2ヶ所のみ異なると明らかになっていますが、デニソワ3・4よりも古い年代のデニソワ2・8はもっと異なります。つまり、mtDNA解析では、より古いデニソワ2・8と、より新しいデニソワ3・4が、それぞれ分類群を形成することになります。

 アルタイ地域においては遺伝学および考古学でネアンデルタール人の存在も確認されています(関連記事)。デニソワ人とネアンデルタール人の間の遺伝子流動も検出されており(関連記事)、高品質なゲノムデータが得られているデニソワ洞窟のネアンデルタール人個体デニソワ5と、デニソワ人個体デニソワ3との比較から、デニソワ人においてわずか(0.5%)なネアンデルタール人由来のゲノム領域が推定されています。より直接的な証拠として、デニソワ洞窟で発見された個体デニソワ11は、母がネアンデルタール人で父がデニソワ人と明らかになりました(関連記事)。さらに、デニソワ11の父親のデニソワ人は、数百世代前にネアンデルタール人の祖先がいる、と明らかになりました。

 古代DNAから遺伝子流動を検出する初期の手法ではゲノム規模の要約統計が用いられていた一方で、参照配列では、個体が異なる集団から有する系統のゲノム領域を直接的に検出することに基づいています。これらの「混合領域」を用いる手法は、遺伝子流動の全体的水準がひじょうに低い場合にはより感度が高く、いつどこで古代型と現代型のヒトの間の遺伝子流動が起きたのか、ということと、その遺伝子流動の機能的および表現型への影響について、ほとんどの証拠を提供します。しかし、交雑領域を推測するほとんどの現在の手法は高品質な遺伝子型を想定しており、低網羅率で現代人のDNAに汚染されていることの多い古代ゲノムデータセットの大半には適用できません。

 より近い祖先世代で遺伝子移入された領域は、情報の得られる何千もの一塩基多型にまたがるかもしれないので、マーカー間の情報の組み合わせは、低網羅率ゲノムからの推論を可能とします。admixfrogと呼ばれるモデルでは、局所的な系統推定に関して、不確定な時系列のデータをモデル化するために有効とされる「隠れマルコフモデル」が、現代人の汚染の明白なモデルと組み合わされます。このモデルでは、分析された対象個体は、潜在的に混合する集団を表す、2つもしくはそれ以上の系統を有す、と仮定されます。ソースは高品質なゲノムにより表されます。本論文では全ての場合で、高網羅率のネアンデルタール人2個体とデニソワ人1個体が用いられます。

 admixfrogは、各ソースに由来する対象個体のゲノムの領域を推定します。admixfrogは、ほとんどの以前の手法とは対照的に、柔軟な経験的ベイズモデルを使用し、データから直接的に全パラメータを推定します。これにより、過度のバイアスを発生させるかもしれない、交雑年代もしくは過去の集団規模についてのシミュレーションもしくは強いモデリング過程への依存を緩和します。この局所的な系統モデルは、汚染率が、配列の長さ、末端脱アミノ化、またはライブラリー間の違いなどの技術的な共変量の影響を受けることを考慮に入れて、現代人の汚染を組み込む遺伝子型尤度モデルと組み合わされます。

 本論文は、ネアンデルタール人からデニソワ人と現生人類への遺伝子流動のシナリオに関するシミュレーションを用いて、admixfrogを検証します。混合(交雑)がない場合、0.1 cM(センチモルガン)より長い領域は、0.03倍の網羅率のゲノムでさえ、標本年代に比較的依存せず、96%の精度で推定されます。現代人による汚染は性能を低下させますが、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)間の遺伝子流動のシナリオではとくに、0.2 cMより長い断片は正確に推定されます。ほとんどの検証事例で、admixfrogは高網羅率のデータから得られた結果と匹敵する結果を生成し、長い遺伝子移入領域はひじょうに低い網羅率のゲノムでさえ検出できました。これは、admixfrogが現代および古代型ホモ属両方からの古代遺伝データの分析に適していることを示唆します。

 デニソワ人のうち古い2個体(デニソワ2・8)のゲノムはともにひじょうに汚染されており、網羅率はそれぞれ0.03倍と0.087倍です。しかし、admixfrogはデニソワ2において212.6 cM (1億7300万塩基対)、デニソワ8において258 cM (2億1千万塩基対)のネアンデルタール人系統を特定しました。デニソワ2の最長の推定領域は11番染色体に位置し、その長さは25.7 cMです。この検出を確認するため、現代人の汚染に影響されない検証分析が実施されました。データは、デニソワ2が現代人には見られないアレル(対立遺伝子)を有し、デニソワ人もしくはネアンデルタール人の一方のみがデニソワ2に見られる古代型ホモ属アレルと合致する、一塩基多型に制限されます。これら81ヶ所のうち45ヶ所においてデニソワ2はネアンデルタール人のアレルを有しており、ヘテロ接合性のネアンデルタール人・デニソワ人系統で期待される50%とおおむね一致します。

 デニソワ2のネアンデルタール人系統領域の平均的長さからは、ほとんどのネアンデルタール人系統はデニソワ2の1500年前頃(50±10世代前)の遺伝子移入となるものの、最長のネアンデルタール人系統領域はおそらく14.1±14世代前と新しく、より最近のネアンデルタール人からの遺伝子流動が起きた、と示唆されます。デニソワ8の結果はデニソワ2と類似していますが、網羅率がより高いので、より正確な推定が可能です。全体的に、デニソワ8のネアンデルタール人系統は22±6世代前とずっと新しく、それは1番染色体の22.5 cM (2370万塩基対)と、X染色体半数体を含む他の10 cM より長い領域で証明されます。

 デニソワ2および8ではネアンデルタール人系統の量と領域長が類似しており、年代がデニソワ人の中では比較的近いため、同じ遺伝子流動事象の結果という可能性を提起します。この仮説の検証のため、ゲノム間のネアンデルタール人系統領域の位置が比較されました。デニソワ2および8における、ネアンデルタール人系統の領域が同じ遺伝子移入事象にたどれるなら、その空間的位置は相関するはずです。しかし、分析の結果はそうではなく、異なるネアンデルタール人遺伝子移入事象を有する異なる集団に属していた、と示唆されます。遺伝子移入された領域の位置が相関しないという知見もまた、参照配列のデニソワ3への遺伝子流動がより早期のデニソワ人への遺伝子流動と混同されるかもしれない、という潜在的問題を除外します。そうしたバイアスは両方のゲノムに存在するはずで、したがって遺伝子移入領域の位置の間の相関を引き起こすはずだからです。

 こうしたネアンデルタール人からデニソワ人への遺伝子流動は、上述のように以前の研究でも指摘されていましたが、アルタイ山脈のネアンデルタール人2個体における比較的近い祖先世代での遺伝子流動によるデニソワ人系統も特定されました。デニソワ5で推定されたデニソワ人系統の全体的な割合は0.15%と小さいものの、15ヶ所の特定された領域のうち6ヶ所の長さは1 cM超で、最長はX染色体上の2.18cM(200万塩基対)です。これらの断片の長さから、デニソワ5の4500±2100年前に遺伝子流動が起きた、と示唆されます。一方、以前よりネアンデルタール人からの遺伝子流動が指摘されていたデニソワ人個体のデニソワ3では、合計58ヶ所のネアンデルタール人の遺伝子移入された断片的領域が発見され、それはゲノムの0.4%に相当し、デニソワ5よりも異なる系統の遺伝的影響が2倍以上多くなります。

 デニソワ洞窟の西方約100kmに位置するチャグルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟で発見されたネアンデルタール人個体のチャグルスカヤ8(Chagyrskaya 8)からは、高品質のゲノムデータが得られています。チャグルスカヤ8におけるデニソワ人の遺伝子移入された領域の長さは合計で3.8 cM(480万塩基対)と少なく、最長の領域でも0.83 cMです。これは、チャグルスカヤ8の祖先におけるネアンデルタール人からの遺伝子流動が数万年前に起きたことを示唆します。

 対照的に、12万~4万年前頃となるユーラシア西部のネアンデルタール人8個体のゲノムでは、デニソワ人系統は殆ど或いは全く検出されません。これら8個体のうち3個体(Goyet Q56-1、Spy 1、Les Cottes)では、古代型ホモ属と現生人類との間の遺伝子流動が示唆されている10番染色体で、デニソワ人からの遺伝子移入領域が特定されました。デニソワ人のアレルはアルタイ山脈のネアンデルタール人集団では何千年も生き残った一方で、ヨーロッパのもっと後のネアンデルタール人集団へは殆ど或いは全く残らなかったことになります。

 アルタイ地域の分析された古代型ホモ属の全個体のゲノムで、異なる系統の領域の存在が確認されました。これは、ネアンデルタール人とデニソワ人の間の遺伝子流動は一般的で、10万年前頃まで繰り返し起きた、ということです。アルタイ地域のネアンデルタール人のゲノムにデニソワ人系統が存在する、ということは本論文が初めて明らかにしており、その意義は大きいと思います。本論文の知見は、ネアンデルタール人とデニソワ人の間の子供が、両集団において繁殖能力のある子を産めた、と示します。

 また、X染色体上で遺伝子移入された領域が減少した証拠、選択水準を伴うような遺伝子移入された領域の関連、遺伝子移入された領域があらゆる機能的アノテーションと相関するという証拠、現生人類で見られるようなネアンデルタール人系統の排除された領域(関連記事)、といったものはどれもないので、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑による適応度低下の証拠は見られません。これは、ネアンデルタール人とデニソワ人の間の遺伝的および形態的分化が、たとえば地理のような中立的過程にかなり起因する、と示唆します。有望なシナリオは、アルタイ山脈が比較的安定した交雑地帯の一部で、複数の温暖および寒冷期にも交雑は持続した、というものです。ただ、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑は、アルタイ地域では一般的だった一方で、ヨーロッパのネアンデルタール人におけるデニソワ人系統のほぼ完全な欠如から明らかなように、アルタイからヨーロッパへの移住はおそらく稀だった、と推測されます。

 同様のシナリオがデニソワ人にも当てはまりそうです。より新しいデニソワ3は、より古いデニソワ2・8よりもゲノムにおけるネアンデルタール人系統がずっと少ないので、ほとんどネアンデルタール人系統を有さないデニソワ人集団が主要な祖先だった、と考えられます。同様に、遺伝子移入領域の位置がゲノム間で独立しているという知見は、アルタイ地域におけるデニソワ人の居住が継続的ではなかったことを示唆します。これは、人類によるデニソワ洞窟の使用が断続的だったとする考古学的知見(関連記事)と整合的です。さらに本論文は、現生人類とネアンデルタール人の間の早期の遺伝子流動という知見(関連記事)から、地域的な絶滅に続いてたまに起きる遺伝子流動が、現生人類とネアンデルタール人の間でも存在し、それは早期現生人類がアフリカから移住し、ネアンデルタール人やデニソワ人などユーラシアの先住人類を置換する前だった、と推測しています。


 以上、本論文についてざっと見てきました。古代ゲノム研究で高品質なデータが得られる可能性は低いので、低品質なゲノムデータからも、比較的近い祖先世代での遺伝子移入をかなり正確に検出できる本論文の新手法は、今後大いに活用されて後期ホモ属における複雑な交雑事象をより詳細に明らかにしていくだろう、と期待されます。以前の研究でも指摘されていた、アルタイ地域におけるネアンデルタール人からデニソワ人への遺伝子流動だけではなく、その逆も検出したことと併せて、本論文はたいへん注目されます。

 本論文が明らかにしたのは、アルタイ地域におけるネアンデルタール人とデニソワ人の交雑は一般的だった、ということです。しかし、それはアルタイ地域においてネアンデルタール人とデニソワ人が長期にわたって共存し、交雑を続けた、ということではなさそうです。上述の考古学的証拠も踏まえると、ネアンデルタール人とデニソワ人はアルタイ地域において断続的に居住し、両者が共存していた比較的短いかもしれない期間には交雑が一般的だった、と考えられます。

 ネアンデルタール人はほぼ間違いなくヨーロッパで進化し、ユーラシア西方から東方へと草原地帯経由で移動し(関連記事)、アルタイ地域に拡散してきたのでしょう(北方経路)。一方デニソワ人は、ネアンデルタール人よりも早く北方経路でユーラシア西部からアルタイ地域に拡散してきた可能性もありますが、チベットだけではなく、台湾沖や中国でも中期~後期更新世のデニソワ人かもしれないホモ属遺骸が発見されているので、アジア西部からヒマラヤ山脈の南を通ってアジア南東部からアジア東部へと拡散してきた可能性も考えられます(南方経路)。

 私が想定しているのは、主要な生息域が、ネアンデルタール人はユーラシア西部中緯度地帯、デニソワ人はアジア東部および南東部で、ともにアルタイ地域は生息域としては辺境だったのではないか、ということです。ネアンデルタール人もデニソワ人も、気候が温暖な時期にアルタイ地域にまで拡散してきて、気候が悪化すると絶滅もしくは「本拠地」へと撤退したのではないか、というわけです。デニソワ人のデニソワ3とデニソワ2・8が、主要な祖先・子孫関係ではなさそうなことから、複数のデニソワ人集団が異なる年代にアルタイ地域に拡散してきた、と推測されます。一方ネアンデルタール人も、ゲノムデータからは複数系統がアルタイ地域に拡散してきた、と推測されます(関連記事)。また、ヨーロッパのネアンデルタール人にはデニソワ人の遺伝的影響がほとんど見られないことから、ヨーロッパからアルタイ地域に拡散していったネアンデルタール人は、ヨーロッパに「逆流」せず絶滅したことが多かったように思われます。

 また、本論文の知見で注目されるのは、ネアンデルタール人とデニソワ人の間では、交雑による遺伝的不適合の強い証拠が見られないことです。一方、現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との間では、遺伝的不適合の可能性の高さが指摘されています(関連記事)。これは、ネアンデルタール人とデニソワ人が相互に現生人類よりも遺伝的に近縁である、つまり現生人類系統とネアンデルタール人およびデニソワ人系統が分岐した後に、ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐したことを反映しているのでしょう。とはいえ、アルタイ地域におけるネアンデルタール人とデニソワ人との交雑は、両系統が分岐して短くとも数十万年は経過した後のことでしょうから、何らかの遺伝的不適合があったかもしれません。後期ホモ属の進化史は、絡み合った交雑が明らかになってきたことにより、ますます複雑になってきたように思います。最新の知見を把握するのはきわめて困難ですが、少しでも近づけるよう、追いかけていきたいものです。


参考文献:
Peter BM.(2020): 100,000 years of gene flow between Neandertals and Denisovans in the Altai mountains. bioRxiv.
https://doi.org/10.1101/2020.03.13.990523

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