ネアンデルタール人の繊維技術

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の繊維技術(天然繊維を紡いで糸にする技術)に関する研究(Hardy et al., 2020)が報道されました。ドイツのシェーニンゲン(Schöningen)遺跡の槍(関連記事)やイタリアのポゲッチヴェッチ(Poggetti Vecchi)遺跡の木製道具(関連記事)などの例外を除き、中部旧石器時代の知識ほぼすべて、耐久性のある物質(骨器と石器)に由来します。しかし、現代の生活および民族誌から、人類の物質文化のほとんどは腐敗しやすい物質で構成されている、と考えられます。そのため、石器に残る腐敗しやすい物質の微視的断片が注目されてきました。

 フランス南東部のローヌ川支流のアルデーシュ川沿いのアブリデュマラス(Abri du Maras)では、3束の縄類の断片が付着した石器が発見され、注目を集めています。アブリデュマラスでは中部旧石器時代の遺物が発見されています。電子スピン共鳴法とウラン-トリウム法により第5層は9万年前頃と推定されています。第4層は52000~40000年前と推定されています。これらの遺物の製作者は、ヨーロッパの中部旧石器の担い手ということで、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と考えられます。

 残っている縄の断片は第4.2層で発見されました。第4.1層と第4.2層は、考古学的痕跡のない層により分断されており、ともに豊富な人工物と燃焼の痕跡が発見されています。その上に位置する第1~3層には、少しの人工物が散在しているだけです。第4層の時期には次第に乾燥・寒冷化していき、動物相の大半はトナカイ(Rangifer tarandus)です。第4層の剥片のうち多くはルヴァロワ(Levallois)式です。第4.2層で発見された長さ60mmの石器剥片(G8 128)には、縄(紐)の断片の痕跡が付着していました。この縄の断片は剥片の下面で堆積物と角礫岩に覆われて見つかり、剥片と同時期もしくはそれ以前に堆積物に入った、と考えられます。

 分光法と顕微鏡法により、繊維断片は3束がより合わされてできており、長さは約6.2 mm、幅は約0.5 mmと推定されました。繊維は裸子植物(針葉樹)に似ており、内部樹皮に由来すると推測されます。花粉と木炭の分析から、当時のアブリデュマラス遺跡ではマツの存在が確認されました。上述のように、剥片に付着した縄の断片は剥片の下面で堆積物と角礫岩に覆われて見つかり、剥片と同時期もしくはそれ以前に堆積物に入った、と考えられるので、石器の使用と関連しているとは限りません。もちろん、この縄が石器を柄に取り付けるために用いられた可能性もありますが、網もしくは袋の一部だった可能性もあります。ただ、以前の分析からは、柄に取り付けるために用いられた可能性が指摘されています。

 現時点で繊維技術の最古の証拠となる可能性が指摘されているのは、120000~115000年前頃になりそうなスペイン南東部の「航空機洞窟(Cueva de los Aviones)」遺跡です(関連記事)。ここでは穿孔された貝殻が発見されており、何らかの紐で結ばれていた可能性があります。アブリデュマラスや航空機洞窟遺跡は中部旧石器時代となりますが、その後の上部旧石器時代では、ドイツのオーリナシアン(Aurignacian)遺跡やモラビアのグラヴェティアン(Gravettian)遺跡で、繊維技術の可能性が指摘されています。より確実な繊維技術の使用は、19000年前頃となるイスラエルのハロ2(Ohalo II)遺跡で確認されていますが、アブリデュマラスの事例からも、実際の使用は中部旧石器時代以前にさかのぼりそうです。

 アブリデュマラスにおける中部旧石器時代の繊維技術の使用は、ネアンデルタール人の認知能力に関する議論とも関わってきます。より合わせた縄・紐は、石器を柄に取り付けることはもちろん、袋や寝具や布や籠や舟にさえ使えます。また上述のように、アブリデュマラスの縄はおそらく針葉樹の内部樹皮から作られていますが、これは靱皮と呼ばれ、最終的に硬化して樹皮を形成します。靱皮繊維を取り出しやすくなるのは春先で、成長も考慮すると、取り出すのに最適なのは初春から初夏となります。また、叩いたり水に浸したりすると繊維を分離しやすくなり、より高品質な繊維が得られます。このように、内部樹皮から縄・紐を作るには、針葉樹の成長と季節性について幅広い知識が必要です。

 上述のように、繊維技術は生活に有用な多様な道具の製作に使用でき、また芸術活動にも利用できます。本論文は、これまで考古学では狩猟対象となる動物や石材が重視されてきたけれども、繊維技術を用いての製作が長時間を有するものの有益であることから、中部旧石器時代以降?の日常生活において重要な役割を果たしていたかもしれない、と指摘します。また本論文は、より合わせた縄・紐の製作には数学的概念と基本的な計算技術の理解が必要になる、と指摘します。繊維技術や接着技術(関連記事)に要求される幅広い知識や、議論はあるものの芸術活動(関連記事)も考慮すると、ネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)の認知能力の違いを区別するのは難しい、と本論文は指摘します。

 本論文は、現生人類アフリカ単一起源説でも完全置換説が優勢だった1997~2010年頃と比較して、ネアンデルタール人と現生人類の認知能力の違いを小さく見積もる近年の動向と整合的です(関連記事)。ここで問題となるのは、両者の認知能力に大きな違いがないとして、それは何に由来するのか、ということです。この問題に関しては以前取り上げましたが(関連記事)、(1)現生人類とネアンデルタール人という異なる2系統で独立に出現した、(2)ネアンデルタール人と現生人類の最終的共通祖先に備わっていた、(3)ネアンデルタール人と現生人類とは別種ではなく、解剖学的違いにも関わらず認知能力に差がないのは当然かもしれない、などといった説明が想定されます。

 私は以前より(2)に近く、ネアンデルタール人と現生人類の最終共通祖先には、一定以上の象徴的思考を可能とする認知能力が備わっていた、と考えていました。さらに、ジャワ島の40万年以上前となる貝殻に刻まれた幾何学模様(関連記事)から、アジア南東部のホモ・エレクトス(Homo erectus)とネアンデルタール人および現生人類の最終共通祖先にも、そうした認知能力が一定以上備わっていた、と考えていました。ただ、ネアンデルタール人系統において、母系(ミトコンドリア)でも父系(Y染色体)でも、後期には現生人類により近い系統(ネアンデルタール人系統と分岐した後の広義の現生人類系統)への置換があった、と遺伝学では推測されているので(関連記事)、中部旧石器時代のネアンデルタール人の認知能力はある程度以上、広義の現生人類系統からの影響も想定されます。この問題の解明には、認知能力の遺伝的基盤の特定と古代DNA研究の進展が必要となり、注目されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:古代の縄の残滓が垣間見せるネアンデルタール人の生活

 繊維技術(天然繊維を紡いで糸にする技術)に関して、これまでに発表されたものの中で最も古い直接証拠を報告する論文が、今週、Scientific Reports に掲載される。この新知見は、中期旧石器時代(30万〜3万年前)のネアンデルタール人の認知能力の解明を進めるものだ。

 今回、Bruce Hardyたちの研究チームは、Abri du Maras(フランス)で、3束の繊維がより合わされてできた縄の残滓(長さ6ミリメートル)が付着した薄い石器(長さ60ミリメートル)を発見した。Hardyたちの推測によれば、この縄を石器のまわりに巻き付けて取っ手にしたか、石器を入れたネットやバッグの一部だったとされる。そして、この縄の残滓の年代は、5万2000年〜4万1000前と推定された。そして、Hardyたちは、分光法と顕微鏡法を用いて、この縄の残滓が、花をつけない樹木(針葉樹など)の内部樹皮から採取した繊維から構成されている可能性が高いことを明らかにした。

 Hardyたちは、この縄を作製するには、原料として使用される樹木の成長と季節性に関する広範な知識を要したと考えられるとしている。また、Hardyたちは、ネアンデルタール人が複数の繊維をより合わせて糸を作り、複数の縄を使って3本よりの縄やロープを作るためには、数学的概念と基本的な計算技術の理解も必要だった可能性があると推測している。

 今回の発見があるまでは、イスラエルのオハロー(Ohalo)II 遺跡で発掘された繊維の残滓が最も古く、約1万9000年前と年代測定されていた。しかし、繊維技術が登場したのは、それよりかなり前のことであり、ネアンデルタール人の認知能力が、これまでに考えられていた以上に現生人類に近いことが、今回の研究によって得られた知見から示唆されている。



参考文献:
Hardy BL. et al.(2020): Direct evidence of Neanderthal fibre technology and its cognitive and behavioral implications. Scientific Reports, 10, 4889.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-61839-w

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