太田博樹「縄文人骨ゲノム解析から見えてきた東ユーラシア大陸へのホモ・サピエンスの拡散」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B02「アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 29)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P25-29)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、ユーラシア東部への現生人類(Homo sapiens)の拡散についての概説です。ユーラシア東部集団のゲノム解析では、アフリカからヒマラヤ山脈以南の経路(南方経路)での東方への拡散が推測されています。一方、考古学では北方経路の存在も強く示されており、その痕跡と考えられる遺物は北海道でも発見されています。日本列島で最古となる確実な後期旧石器時代の石器は38000年前頃までさかのぼり、シベリア中央部バイカル湖周辺を起源とすると考えられる細石刃は、北海道では25000年前頃、本州では2万年前頃のものが発見されています。

 しかし、日本列島の後期旧石器時代の遺跡からは、土壌の問題もあってほとんど古人骨が見つかっていません。一方、16000年前頃以降(開始の年代には議論があります)から始まる縄文文化の担い手たる「縄文人」は、後期旧石器時代から日本列島に住んでいた人々の直接の子孫で、最終氷期の終焉とともにユーラシア東部大陸部の人類集団から孤立した、と考えられています。「縄文人」が後期旧石器時代人の直接的子孫とは確証されていませんし、日本列島における旧石器時代の古人骨がほとんど見つかっていないため、今後も検証は困難かもしれません。しかし、「縄文人」遺骸は多数発見されており、「縄文人」ゲノム解析はユーラシア東部における現生人類の移住史に、重要な情報を与えると期待できる、と本論文は指摘します。

 本論文は、愛知県田原市伊川津町の貝塚で発見された2500年前頃の「縄文人」個体(IK002)のゲノム解析結果(関連記事)を取り上げ、「縄文人」が後期旧石器時代人の子孫なのか、北方経路でユーラシア東端に到達した人々の遺伝的影響が検出されるのか、検証しています。IK002と現代および過去のユーラシア東部集団のゲノムデータの比較に基づく系統樹では、シベリア南部中央のバイカル湖近くのマリタ(Mal'ta)遺跡(関連記事)とアジア南東部のホアビン文化(Hòabìnhian)集団が分岐した後、ホアビン文化集団のすぐ内側で、4万年前頃となる田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)人(関連記事)が分岐し、ネパールの少数民族であるクスンダ(Kusunda)人その後でさらにその後でIK002が分岐します。現代アジア東部集団および北東部(シベリア東部)集団とアメリカ大陸先住民集団は、さらにその内側で分岐します。つまり、IK002のみならず、現代のユーラシア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団は南方経路で東進してきた早期現生人類集団のゲノムを主に継承しており、アジア南東部集団と分岐した後に分化していった集団と明らかになりました。

 IK002と現代および過去のユーラシア東部集団との間の遺伝子流動については、マリタ集団からは、現代アジア北東部(シベリア東部)集団への遺伝子流動が有意に示されたものの、現代アジア東部および南東部集団とIK002へは有意に検出されませんでした。つまり、現代アジア東部および南東部集団とIK002には、北方経路の遺伝的影響は検出されなかったわけです。

 これらの知見からまず言えるのは、IK002の祖先は南方経路でユーラシア東部に拡散してきた、ということです。ただ、他の「縄文人」個体については、詳しく調べていかないと不明です。「縄文人」でIK002並かそれ以上に高品質なゲノム配列が得られているのは、他に北海道の礼文島の船泊遺跡で発見された2個体(関連記事)ですが、ともにIK002とひじょうによく似ています。今後は、西日本の「縄文人」のゲノムデータが待ち望まれます。次に、IK002は北方経路集団の遺伝的影響は確認されていないものの、他の個体のゲノム解読では遺伝子流動の痕跡が検出されるかもしれない、と本論文は指摘します。また本論文は、K002の祖先は南方経路でユーラシア東部に拡散してきたものの、日本列島への移住経路については南方からとは限らず(南方経路でユーラシア東部に拡散してきた集団がアジア東部で北上し、日本列島へは北海道から南下してきた可能性など)、今後日本列島内の多様な地域の「縄文人」のゲノム解析の必要がある、と指摘します。


参考文献:
太田博樹(2020)「縄文人骨ゲノム解析から見えてきた東ユーラシア大陸へのホモ・サピエンスの拡散」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2019年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 29)』P25-29

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