『卑弥呼』第35話「ウソ」
『ビッグコミックオリジナル』2020年3月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハが、自分こそはその昔日向に残ったサヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の末裔だ、と鬼八荒神に宣言するところで終了しました。今回は、鞠智彦(ククチヒコ)が、日見彦(ヒミヒコ)と自称していた暈(クマ)のタケル王を、トンカラリンの洞窟で殺害したことを回想する場面から始まります。鞠智彦は以夫須岐(イフスキ)にて、暈の最高権力者にしてタケル王の父であるイサオ王に謁見します。日見子(ヒミコ)と名乗る女子(ヤノハ)について教えてくれ、とイサオ王に言われた鞠智彦は、ヤノハが日向(ヒムカ)を領土とするため山社(ヤマト)を出た、と答えます。都萬(トマ)の国が黙っているとは思えない、と言うイサオ王に対して、ヤノハは我々が思うより賢いようで、まず都萬も手出しできない千穂に向かった、と鞠智彦は答えます。鬼退治とは、その女子(ヤノハ)の命運もそこで尽きるな、と冷笑するイサオ王に対して、逆に鬼どもを平定すると自分は思う、と鞠智彦答えます。他国がどう動くのか、イサオ王に問われた鞠智彦は、少なくとも那(ナ)は山社を国として認めるだろう、と鞠智彦は予想します。するとイサオ王は、日見子(ヤノハ)に会って、生き残るためには我々の側につくしかないと説くよう、鞠智彦に命じます。ヤノハを容易には説得できないと考えている鞠智彦に対して、那とヤノハを結ばせてはならない、とイサオは厳命します。息子のタケル王は日見彦として自ら雄々しく死んだのだろうな、とイサオ王に問われた鞠智彦は、今回の戦の責任を取って自害した、と答えます。するとイサオ王は、ウソの臭いを放っているぞ、と鞠智彦に言います。イサオ王は、一応否定する鞠智彦をそれ以上問い詰めることはなく、日見子の説得は頼んだ、ウソ・甘言など何を用いてもよい、と言います。
末盧(マツラ)国では、ミルカシ王が、タケル王がトンカラリンでお隠れになり、新たな日見子(ヤノハ)がトンカラリンから静観したので、日見子が千穂を制圧したら我々は使者を送るべきだと思う、と言います。山社を国として認めるべきか、問われた日の守(ヒノモリ)のミナクチは、那の王がいち早く山社と和を結ぶという噂が流れており、そうなれば使者を送るべきだ、と答えます。その返答に満足したのか、ミルカシ王は微笑み、百年ぶりに真の日見子様が現れたのだから、と言います。
伊都(イト)国では、イトデ王が島子(シマコ)のオホチカ・兵庫子(ヒョウゴコ)・禰宜のミクモと今後の方針を検討していました。那と山社の急接近を契機に戦は那が有利となり、伊都に権益が侵されるという事態に、伊都国の主従は、伊都国も本物か否かはさておき、新たな日見子を認める、という方針でまとまります。
穂波(ホミ)の国では、ヲカ王が身分の高そうなトモ・日の守のウテナと協議していました。ウテナは、タケル王が没した今、戦況は那軍有利なので新たな日見子を認めるべきだ、とヲカ王に進言します。しかし、トモは反対します。どう考えてもヤノハにはウソの臭いが満ちている、というわけです。那の島子のウラが密かに穂波に入り、都萬へと逃亡した件について問われたトモは、兵を率いる将として迂闊だった、と反省します。軍にウラへ加担した輩がいる、という噂についてヲカ王に問い質されたトモは、あくまでもウソ偽りの情報だ、と答えます。
都萬の国では、那から亡命してきたウラが、都萬の国では王に次ぐ地位の巫身(ミミ)および巫身習(ミミナリ)とともに、タケツヌ王に拝謁していました。ケヌツ王はウラに温情をかけ、都萬はウラと同じく月読命を主神と奉ずるので、第二の故郷と思い、好きなだけ留まるようにと言い、タウラは感謝します。新たな日見子(ヤノハ)をどう思うか、タケツヌ王に問われたウラは、偽物だと即答します。ヤノハは身分卑しきトメ将軍と通じ、那のウツヒオ王まで篭絡してしまったので、サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の故地である日向征服を策すヤノハに一刻も早く派兵すべきだ、とウラはタケツヌ王に訴えます。ところが、最初はそう思っていたタケツヌ王は、考えが変わった、と言います。手始めに千穂に向かった日見子(ヤノハ)は実に頭がよい、とタケツヌ王は指摘します。万一鬼退治に成功すれば、天照大御神からサヌ王までの山社である千穂と、百年前からの現在の山社という、二つの聖地を手中に収めたことになるからです。そうすると、ヤノハを日見子と認める国も出るはずで、ヤノハ討伐に派兵すれば、謀反人とされて他国に攻め込まれる理由を与えるかもしれない、とタケツヌ王はウラに説明します。タケツヌ王は、今の日見子がウソの現人神でも、認めてしまう方が得策かもしれない、とウラに指摘します。
千穂の「あららぎの里」では、ヤノハの命により、千穂の首領であった鬼八荒神(キハチコウジン)こと15代目ハシリタケルがオオヒコにより斬首されました。ハシリタケルは、自分の首・胴・手足を別々の場所に埋葬するよう、遺言を残しました。ハシリタケルは地神となって里を守りたいのだろう、と考えたヤノハは、その要望を叶えてやるよう、ミマアキに指示します。ヤノハは、「鬼」と言われていた千穂の男たちについて、自分に忠誠を誓ったのでこれ以上の流血は無意味と言い、解放するよう、ミマアキに命じます。イクメが自分に何か訊きたそうだと思ったヤノハは、遠慮しないよう、イクメに言います。するとイクメは、ヤノハがサヌ王の末裔なのか、尋ねます。ヤノハは笑顔で、ウソに決まっているではないか、と答えます。自分は育ての母がどこかから拾ってきた身で、名もなき貧しい出自だろう、というわけです。イクメはヤノハの返答に衝撃を受けつつ、死を覚悟したハシリタケルに平然とウソをついたのか、と尋ねます。ヤノハは真面目な顔に戻り、ウソをつかねば千穂の者たちは反抗し、自分の望む平和は得られない、と言います。ヤノハはイクメに、人の性に関する自分の考えを述べます。人とは互いに憎み合って殺し合い、平和には最も無縁な生き物なので、戦いのない世とは多くの偽善とウソでのみ成り立つ虚構の世界だ、というわけです。ヤノハの考えに真理を認めつつも、なおも肯定することを躊躇うイクメに対して、平和のためなら自分はいくらでもウソをつき、人を欺く覚悟だ、とヤノハが言い放つところで今回は終了です。
今回は、新たな日見子たるヤノハをめぐるそれぞれの国と人の思惑と、それをめぐるウソが描かれました。イサオ王は鞠智彦のウソを見抜き、鞠智彦も畏れる人物として描かれています。鞠智彦やトメ将軍も大物として描かれていますが、それぞれさらに上の地位の人物がいるのに対して、イサオ王の上に立つ人物はおらず、イサオ王は現時点では本作において最も大物感のある人物のように思います。暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、イサオ王の計画は失敗に終わり、暈と山社(邪馬台国)を中心とする勢力とは対立することになるのでしょう。すでに、那が山社国の承認に動き出そうとしているのを見て、ヤノハを真の日見子か怪しんでいる都萬のタケツヌ王でさえ、ヤノハを日見子と承認する選択肢を考えています。おそらく、暈を除く九州(筑紫島)の諸国はヤノハを日見子と認め、新たな国である山社を盟主として同盟を組み、暈と山社連合との間で戦いが続くのでしょう。その前に、イサオ王に命じられた鞠智彦がヤノハを訪ねるのでしょうが、作中でもとくに人物造形が魅力的で大物感のある鞠智彦とヤノハとの初対面がどのように描かれるのか、たいへん楽しみです。また、今は九州だけが舞台となっていますが、今後は四国と本州、さらには朝鮮半島と魏だけではなく呉も描かれるかもしれず、この点も楽しみです。
末盧(マツラ)国では、ミルカシ王が、タケル王がトンカラリンでお隠れになり、新たな日見子(ヤノハ)がトンカラリンから静観したので、日見子が千穂を制圧したら我々は使者を送るべきだと思う、と言います。山社を国として認めるべきか、問われた日の守(ヒノモリ)のミナクチは、那の王がいち早く山社と和を結ぶという噂が流れており、そうなれば使者を送るべきだ、と答えます。その返答に満足したのか、ミルカシ王は微笑み、百年ぶりに真の日見子様が現れたのだから、と言います。
伊都(イト)国では、イトデ王が島子(シマコ)のオホチカ・兵庫子(ヒョウゴコ)・禰宜のミクモと今後の方針を検討していました。那と山社の急接近を契機に戦は那が有利となり、伊都に権益が侵されるという事態に、伊都国の主従は、伊都国も本物か否かはさておき、新たな日見子を認める、という方針でまとまります。
穂波(ホミ)の国では、ヲカ王が身分の高そうなトモ・日の守のウテナと協議していました。ウテナは、タケル王が没した今、戦況は那軍有利なので新たな日見子を認めるべきだ、とヲカ王に進言します。しかし、トモは反対します。どう考えてもヤノハにはウソの臭いが満ちている、というわけです。那の島子のウラが密かに穂波に入り、都萬へと逃亡した件について問われたトモは、兵を率いる将として迂闊だった、と反省します。軍にウラへ加担した輩がいる、という噂についてヲカ王に問い質されたトモは、あくまでもウソ偽りの情報だ、と答えます。
都萬の国では、那から亡命してきたウラが、都萬の国では王に次ぐ地位の巫身(ミミ)および巫身習(ミミナリ)とともに、タケツヌ王に拝謁していました。ケヌツ王はウラに温情をかけ、都萬はウラと同じく月読命を主神と奉ずるので、第二の故郷と思い、好きなだけ留まるようにと言い、タウラは感謝します。新たな日見子(ヤノハ)をどう思うか、タケツヌ王に問われたウラは、偽物だと即答します。ヤノハは身分卑しきトメ将軍と通じ、那のウツヒオ王まで篭絡してしまったので、サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の故地である日向征服を策すヤノハに一刻も早く派兵すべきだ、とウラはタケツヌ王に訴えます。ところが、最初はそう思っていたタケツヌ王は、考えが変わった、と言います。手始めに千穂に向かった日見子(ヤノハ)は実に頭がよい、とタケツヌ王は指摘します。万一鬼退治に成功すれば、天照大御神からサヌ王までの山社である千穂と、百年前からの現在の山社という、二つの聖地を手中に収めたことになるからです。そうすると、ヤノハを日見子と認める国も出るはずで、ヤノハ討伐に派兵すれば、謀反人とされて他国に攻め込まれる理由を与えるかもしれない、とタケツヌ王はウラに説明します。タケツヌ王は、今の日見子がウソの現人神でも、認めてしまう方が得策かもしれない、とウラに指摘します。
千穂の「あららぎの里」では、ヤノハの命により、千穂の首領であった鬼八荒神(キハチコウジン)こと15代目ハシリタケルがオオヒコにより斬首されました。ハシリタケルは、自分の首・胴・手足を別々の場所に埋葬するよう、遺言を残しました。ハシリタケルは地神となって里を守りたいのだろう、と考えたヤノハは、その要望を叶えてやるよう、ミマアキに指示します。ヤノハは、「鬼」と言われていた千穂の男たちについて、自分に忠誠を誓ったのでこれ以上の流血は無意味と言い、解放するよう、ミマアキに命じます。イクメが自分に何か訊きたそうだと思ったヤノハは、遠慮しないよう、イクメに言います。するとイクメは、ヤノハがサヌ王の末裔なのか、尋ねます。ヤノハは笑顔で、ウソに決まっているではないか、と答えます。自分は育ての母がどこかから拾ってきた身で、名もなき貧しい出自だろう、というわけです。イクメはヤノハの返答に衝撃を受けつつ、死を覚悟したハシリタケルに平然とウソをついたのか、と尋ねます。ヤノハは真面目な顔に戻り、ウソをつかねば千穂の者たちは反抗し、自分の望む平和は得られない、と言います。ヤノハはイクメに、人の性に関する自分の考えを述べます。人とは互いに憎み合って殺し合い、平和には最も無縁な生き物なので、戦いのない世とは多くの偽善とウソでのみ成り立つ虚構の世界だ、というわけです。ヤノハの考えに真理を認めつつも、なおも肯定することを躊躇うイクメに対して、平和のためなら自分はいくらでもウソをつき、人を欺く覚悟だ、とヤノハが言い放つところで今回は終了です。
今回は、新たな日見子たるヤノハをめぐるそれぞれの国と人の思惑と、それをめぐるウソが描かれました。イサオ王は鞠智彦のウソを見抜き、鞠智彦も畏れる人物として描かれています。鞠智彦やトメ将軍も大物として描かれていますが、それぞれさらに上の地位の人物がいるのに対して、イサオ王の上に立つ人物はおらず、イサオ王は現時点では本作において最も大物感のある人物のように思います。暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、イサオ王の計画は失敗に終わり、暈と山社(邪馬台国)を中心とする勢力とは対立することになるのでしょう。すでに、那が山社国の承認に動き出そうとしているのを見て、ヤノハを真の日見子か怪しんでいる都萬のタケツヌ王でさえ、ヤノハを日見子と承認する選択肢を考えています。おそらく、暈を除く九州(筑紫島)の諸国はヤノハを日見子と認め、新たな国である山社を盟主として同盟を組み、暈と山社連合との間で戦いが続くのでしょう。その前に、イサオ王に命じられた鞠智彦がヤノハを訪ねるのでしょうが、作中でもとくに人物造形が魅力的で大物感のある鞠智彦とヤノハとの初対面がどのように描かれるのか、たいへん楽しみです。また、今は九州だけが舞台となっていますが、今後は四国と本州、さらには朝鮮半島と魏だけではなく呉も描かれるかもしれず、この点も楽しみです。
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