地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史
地中海西部諸島における新石器時代以降の人口史に関する研究(Fernandes et al., 2020)が報道されました。紀元前3000年頃、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)を起源とする人々が西進し始め、ヨーロッパ中央部の在来農耕民と交雑し、縄目文土器(Corded Ware)文化集団の系統の1/3に寄与し、鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団との関連においてヨーロッパ西部で拡大しました。イベリア半島では、草原地帯系統が紀元前2500年頃までに外れ値の個体群に出現し、紀元前2000年頃までにイベリア半島集団へと完全に混合しました。地中海東部のクレタ島では、紀元前2400~紀元前1700年頃となる中期~後期青銅器時代のミノア文化期の報告されている個体群では、草原地帯系統がほとんど確認されませんが、早期イラン牧畜民と関連した集団由来の系統(イラン関連系統)の約15%がゲノムで見られます。
しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600~紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500~紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11~12.13倍)です。
まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。
●バレアレス諸島
バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。
中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。
鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361~紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。
●シチリア島
シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500~紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。
シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800~紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。
後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。
●サルデーニャ島
サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74~77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。
このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345~紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473~紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。
外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643~紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。
サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762~紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391~紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。
これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。
サルデーニャ島現代人集団は、4~5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56~62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。
これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。
●まとめ
本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。
第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。
第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345~紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473~紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932~紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000~3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。
第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。
最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38~44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17~23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。
参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0
しかし、草原地帯系統はクレタ島とその近隣のギリシアに、紀元前1600~紀元前1200年頃のミケーネ期には到達していました。地中海中央部および西部諸島では、青銅器時代の移行は古代DNA分析で調査されてきませんでした。バレアレス諸島における最初の永続的な人類の居住は、紀元前2500~紀元前2300年頃にさかのぼります。紀元前1200年頃、タライオット文化(Talaiotic culture)が食資源の管理強化と記念碑的な塔の出現により特徴づけられ、その一部はサルデーニャ島のヌラーゲ文化との類似性が示唆されています。同様に、青銅器時代ヌラーゲ文化期のサルデーニャ島の農耕民もまた、地中海東部からの集団と交易しました。サルデーニャ島とシチリア島は紀元前2500年以後のビーカー文化の拡大に影響を受けましたが、一方でミケーネ文化期にエーゲ海の影響を受けました。これらの文化的交流が人々の移動に伴っていたのかは未解決の問題で、本論文は61個体のゲノム規模古代データを生成することで検証しました。バレアレス諸島・サルデーニャ島・シチリア島の61個体から約124万ヶ所の一塩基多型配列が決定され、ゲノム規模データが得られました。46人では遺骸から直接放射性炭素年代が得られました。1親等の関係にある個体が1人除外されました。常染色体DNAの平均網羅率は2.91倍(0.11~12.13倍)です。
まず本論文の分析結果を概観すると、バレアレス諸島では青銅器時代の3人がヨーロッパ新石器時代および青銅器時代集団の変異内に収まり、草原地帯系統も見られます。早期青銅器時代と中期青銅器時代と後期青銅器時代の間で、顕著な違いが明らかになりました。3人の考古学的背景はひじょうに異なるので、個別に処理されました。シチリア島では中期新石器時代の4人がヨーロッパ早期農耕民と近縁で、シチリア島中期新石器時代集団として分類されます。これと比較して早期青銅器時代のシチリア島個体はすべて、早期青銅器時代の外れ値となる2人とともに東方集団へと接近しています。この外れ値の2人は草原地帯系統を有し、シチリア島早期青銅器時代集団として4人とはやや異なります。中期青銅器時代の2個体は早期青銅器時代個体群とは区別されるクレードで、シチリア島中期青銅器時代集団と分類されます。後期青銅器時代の5人は全員クレードを形成します。サルデーニャ島では、新石器時代の始まりから青銅器時代末まで、ヨーロッパ本土の早期および中期新石器時代農耕民と遺伝的に近縁で、2人を除いて系統構成を区別できません。この外れ値となる2人は、レヴァントおよびアフリカ北部新石器時代個体群と類似した銅器時代の個体と、地中海東部系統をわずかに有する青銅器時代の個体です。鉄器時代の2人はクレードを形成せず、1人はイラン関連系統を、もう1人は草原地帯系統を有します。古代末期の2人はサルデーニャ島の早期中世個体とともにクレードを形成しますが、早期中世の個体は主成分分析では分離し、年代も離れているのでサルデーニャ島早期中世人として個別に分析されました。
●バレアレス諸島
バレアレス諸島で人類の居住が永続的となったのは早期青銅器時代以降で、青銅器時代以降の4人のDNAが解析されました。この4人のうち最古となる紀元前2400年頃の早期青銅器時代個体は、そのゲノムのうち38.1±4.4%が草原地帯系統に由来する、と推定されています。この早期青銅器時代個体は、草原地帯系統を有するイベリア半島ビーカー(Beaker)文化関連個体の子孫と推測されます。バレアレス諸島に草原地帯系統をもたらしたのはイベリア半島からの移民と考えられますが、早期青銅器時代でDNAが解析されたのは1人だけなので、この個体がバレアレス諸島の最古の入植者の代表的な遺伝的構成を表していないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。
中期および後期青銅器時代の2人はそれぞれ、早期青銅器時代個体よりも草原地帯系統の推定割合が低く、20.4±3.4%、20.8±3.6%です。この2人は、草原地帯系統の割合が比較的高い集団と、もっと古いヨーロッパ農耕民関連系統を有する集団との混合と推測されます。これは、さまざまな割合の草原地帯系統がバレアレス諸島に移住して混合したか、より多くヨーロッパ農耕民系統を有する集団からの遺伝子流動の結果かもしれません。また後期青銅器時代個体は、中期青銅器時代個体の属する集団の直接的な子孫かもしれません。バレアレス諸島のタライオット文化とサルデーニャ島のヌラーゲ文化との遺伝的関連の証拠は得られませんでしたが、タライオット文化期では1人しかDNAが解析されておらず、また移住なしの文化的接触もあり得る、と本論文は注意を喚起します。
鉄器時代のバレアレス諸島にはフェニキア人が植民してきます。鉄器時代の1個体の年代は紀元前361~紀元前178年頃で、青銅器時代の3人とはクレードを形成せず、異なる遺伝的構成を有します。この鉄器時代個体の遺伝的構成をモデル化するには、モロッコの後期新石器時代系統が必要で、青銅器時代の先住集団の遺伝的影響をまったく受けていない可能性もあります。バレアレス諸島現代人集団は、アナトリア農耕民系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統に加えて、草原地帯系統・イラン系統・アフリカ北部系統の混合としてモデル化できます。これは過去の異なる系統の混合を反映しており、そのうちのいくつかは地中海南部および東部からと推測されます。バレアレス諸島現代人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はともに、古代に見られるmtHg-J2・H・U5およびYHg- R1bを有していますが、いずれも古代バレアレス諸島に特有ではないので、地域的な集団継続が証明されるわけではありません。
●シチリア島
シチリア島では、中期新石器時代個体群が典型的な早期ヨーロッパ農耕民系統を有し、アナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化できます。また、ビーカー文化関連個体には草原地帯系統が見られない、と確認されました。早期青銅器時代になると、当初は紀元前2200年頃までに草原地帯系統が見られるようになります。2個体はとくに草原地帯系統の割合が高く、そのうち1個体はバレアレス諸島早期青銅器時代個体とクレードを形成するので、近い世代での祖先集団が同じと考えられ、その起源地としてとくに有力なのはイベリア半島です。早期青銅器時代における草原地帯系統の存在はY染色体の分析でも明らかで、男性5人のうち3人がYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)です。この3人のうち2人はYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)で、現在はおもにイベリア半島に存在し、紀元前2500~紀元前2000年頃に分岐した、と推定されています。これらの知見からの節約的な説明は、イベリア半島からシチリア島およびバレアレス諸島への遺伝子流動があった、というものです。
シチリア島では、中期青銅器時代となる紀元前1800~紀元前1500年頃までにイラン系統が検出され、主成分分析におけるミノア人とミケーネ人への方向変化と一致します。中期青銅器時代個体群は、イラン新石器時代関連系統が15.7±2.6%としてモデル化されます。またモデル化において、年代の近い系統では、ミノアやアナトリア早期青銅器時代が必要とされます。現代イタリア南部集団はイラン関連系統を有しており(関連記事)、シチリア島とイタリア南部ではイラン系統がギリシアの植民地となる前に出現した、と示されます。
後期青銅器時代個体は、アナトリア新石器時代系統81.5±1.6%、ヨーロッパ西部狩猟採集民系統5.9±1.6%、草原地帯系統12.7±2.1%としてモデル化されます。現代人集団では、青銅器時代までに示された草原地帯系統とイラン関連系統がそれぞれ、10.0±2.6%と19.9±1.4%存在しますが、主要な系統は46.9±5.6%のアフリカ北部系統です。これらの結果は、鉄器時代以降にシチリア島に流入したのがほぼアフリカ北部系統だったことを示します。シチリア島現代人集団は、バレアレス諸島フェニキア期個体とクレードを形成します。これらの結果は青銅器時代以降のシチリア島におけるほぼ完全な系統転換と一致しますが、青銅器時代集団が現代人集団に少ないながら遺伝的影響を残している可能性も排除できません。現代人集団のmtHg- H・T・U・Kも、25%ほど存在するYHg-R1b1a1a2a1a2(R1b-M269)も、青銅器時代に見られます。
●サルデーニャ島
サルデーニャ島では、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、ほぼ全ての個体がアナトリア新石器時代系統とヨーロッパ西部狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、高い遺伝的継続性が推測されます。新石器時代の個体群は、74~77%がフランス中期新石器時代系統と、23%がハンガリー早期新石器時代系統もしくはクロアチアのカルディウム文化系統と関連しています。サルデーニャ島の早期農耕民の起源は、まだ古代DNAデータがほとんど得られていないイタリア北部やコルシカ島にあるだろう、と本論文は推測しています。ビーカー文化個体群でも、草原地帯系統は検出されませんでした。これはシチリア島およびイベリア半島のビーカー文化関連個体群と類似しており、ビーカー文化関連個体群にかなりの草原地帯系統が見られるヨーロッパ中央部および北部とは対照的です(関連記事)。
このように、サルデーニャ島では新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパでは例外的な遺伝的連続性が見られますが、外れ値も2個体確認されています。銅器時代となる紀元前2345~紀元前2146年頃の個体は、アナトリア新石器時代系統22.7±2.45%とモロッコ早期新石器時代系統77.3±2.4%としてモデル化されます。この個体は、ほぼ同年代となる紀元前2473~紀元前2030年頃のイベリア半島中央部のカミノ・デ・ラス・イェセラス(Camino de las Yeseras)遺跡個体(関連記事)と遺伝的に類似しています。この遺跡の個体はアフリカ北部系統を有し、mtHg-M1a1b1、YHg-E1b1b1で、ともにアフリカ北部で典型的です。こうしたアフリカとヨーロッパの間の遺伝子流動は、それが増加し、より大きな人口への影響を有するようになった古典期のずっと前に、地中海全体の広範な移動があったことを示します。
外れ値の2番目の個体は、年代が青銅器時代となる紀元前1643~紀元前1263年頃で、サルデーニャ島在来集団と、ミケーネ文化やヨルダン早期青銅器時代のような地中海東部系統、もしくはイタリアやフランスの鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化の草原地帯の混合としてモデル化されます。サルデーニャ島の銅器時代の1個体のmtHgは、サルデーニャ島では珍しく、早期青銅器時代バルカン半島やアジア西部で知られているU1aです。また、サルデーニャ島青銅器時代の1個体のYHgは、現在バルカン半島や中東において最高頻度で見られる J2b2aで、青銅器時代以前にはバルカン半島や中東にほぼ固有です。
サルデーニャ島における草原地帯系統とイラン系統の最初の出現は、鉄器時代の2個体で見られます。一方は紀元前762~紀元前434年頃で、草原地帯系統が22.5±3.6%、もう一方の紀元前391~紀元前209年頃の個体ではイラン系統が12.7±3.5%と推定されています。イラン系統は、古代末期の個体群の複数個体ではより高くなります。サルデーニャ島の古代末期集団は、バレアレス諸島のフェニキア期個体とクレードを形成し、フェニキア人によりもたらされた、と推測されます。サルデーニャ島の中世個体は限定的な一塩基多型網羅率のためモデル化されていませんが、そのYHg-E1b1b1b2は、サルデーニャ島銅器時代個体およびヘレニズム期エジプトの個体群のYHg-E1b1bと同じ系統で、地中海東部起源を示唆します。
これらの知見から、鉄器時代2人・古代末期2人・中世前期1人というサルデーニャ島の比較的新しい個体群では、新石器時代から青銅器時代の先住民の遺伝的影響は比較的小さいと推測されます。この5人は全員沿岸の遺跡で発見されており、サルデーニャ島外の集団からの移住を示唆します。内陸部などサルデーニャ島で古代DNAデータが得られていない地域では、おそらく鉄器時代より前の先住民系統を高い割合で保持しており、その先住民系統は、サルデーニャ島現代人集団に寄与した最大の単一系統と推測されます。
サルデーニャ島現代人集団は、4~5系統の混合としてのみモデル化でき、以前の推定よりも複雑な形成過程が示唆されます。サルデーニャ島現代人集団における先住民系統の割合は、新石器時代系統で56.3±8.1%、青銅器時代系統で62.2±6.6%と推定され、アフリカ北部(モロッコ)関連後期新石器時代系統の割合は、前者で22.7±9.9%、後者で17.1±8.0%と推定されます。このアフリカ北部関連系統はおそらくサハラ砂漠以南アフリカ系統との混合で、サルデーニャ島現代人集団でも複数の研究で検出されています。この56~62%という割合は、鉄器時代よりも前のサルデーニャ島先住民を唯一の祖先源と仮定して推定しているので、上限値となります。
これらの知見は、サルデーニャ島ではヨーロッパ最初の農耕民関連系統の割合がヨーロッパの他地域よりも高いことを確証しますが、以前には知られていなかった新石器時代後の主要な遺伝子流動があったことも明らかにします。これは、サルデーニャ島現代人集団において、新石器時代から青銅器時代までに一般的だったYHg-R1b1aとmtHg-HV・JT・Uとともに、青銅器時代以前には確認されていないYHg-R1b1a1a2a1a2が高頻度で見られることからも明らかです。最近の研究でも、サルデーニャ島現代人集団において、以前の推定よりも大きい青銅器時代後の遺伝子流動と、サルデーニャ島沿岸における青銅器時代以前の先住民系統の低さが指摘されています(関連記事)。アルプスのイタリアとオーストリアの国境付近で発見されたミイラの5300年前頃の「アイスマン」のゲノムは、サルデーニャ島現代人集団とひじょうに近いと言われていますが、その一致率は100%よりはるかに低くなります。
●まとめ
本論文は5つの結果を強調します。まず、バレアレス諸島とシチリア島の両方で、青銅器時代の人々の主要な起源としてイベリア半島を特定したことです。バレアレス諸島の早期の住民の中には、少なくとも一部がイベリア半島系統由来だった人々もいました。早期青銅器時代のシチリア島の2人では、イベリア半島に特徴的なYHg-R1b1a1a2a1a2a1(Z195)が確認されました。イベリア半島は、東方から西方への人類の移動の目的地だけではなく、西方から東方への「逆流」の起源地でもあったわけです。しかし、この期間のイベリア半島の人口史は地中海諸島とは異なっており、たとえばイベリア半島では、銅器時代に一般的だったYHgが青銅器時代にはほぼ完全に置換されましたが(関連記事)、シチリア島ではYHgのほぼ完全な置換は起きておらず、新石器時代および草原地帯関連のYHgが両方見られます。
第二に、ミノアおよびミケーネ文化と関連して中期青銅器時代までにエーゲ海で広まったイラン系統が、遅くともミケーネ期までにシチリア島へと西進し、かなりの割合を有するようになったことです。これはミケーネ文化の拡大に伴っていたかもしれません。しかし、ミケーネ文化最盛期の前に、マルタ島・ギリシア・アナトリア半島でシチリア島のカステラッチョ文化(Castellucian culture)と関連した人工物が見つかっており、それ以前の遺伝子流動の可能性も考えられます。バレアレス諸島やサルデーニャ島では、フェニキア期の前にイラン系統の高い割合の証拠はありませんが、それは地中海東部からの孤立を意味しません。考古学的証拠では、たとえば後期青銅器時代のサルデーニャ島におけるキプロス島の銅の輸入のように、地中海東部から西部へのかなりの物資の移動がありました。
第三に、銅器時代と青銅器時代におけるアフリカ北部からヨーロッパへの広範な人類の移動です。具体的には、上述のサルデーニャ島における紀元前2345~紀元前2146年頃の個体で、イベリア半島中央部の紀元前2473~紀元前2030年頃の個体と類似しています。また、紀元前1932~紀元前1697年頃のイベリア半島の個体にもアフリカ北部関連系統が認められます。現時点では、5000~3000年前頃の地中海ヨーロッパの191人のうち1.6%に、数世代前のアフリカ北部移民系統の証拠があります。
第四に、フェニキアおよびギリシア植民地期と、それに続く地中海西部諸島の移民の影響です。たとえば、バレアレス諸島鉄器時代以降の個体群は、在来の先住集団からの系統を有していないかもしれません。以前の研究と併せて考えると、鉄器時代以降、地中海西部の沿岸地域は、地理的に近接して共存していた移民と在来集団の民族的分離により特徴づけられます。じっさい、イベリア半島北東部のギリシア植民地アンプリアス(Empúries)では、遺伝的に異なる個体群2系統が共存しており、ストラボンの歴史的記述と一致します。バレアレス諸島やシチリア島のような地域では、鉄器時代後の集団のほぼ完全な置換が推定されますが、ある程度の在来集団の継続性も除外できません。
最後に、サルデーニャ島現代人集団は初期農耕民の定着後比較的孤立していた、という一般的な見解に疑問を呈していることです。本論文は、新石器時代から銅器時代を経て青銅器時代まで、サルデーニャ島集団が典型的なヨーロッパ早期農耕民系統を有し、それがヨーロッパ他地域よりも長く続いたことを明らかにしました。しかし、地中海東部および北部とアフリカからの移民は、鉄器時代以降にサルデーニャ島集団の遺伝的構成にかなりの影響を及ぼし、それは地中海西部沿岸の他地域と同様です。サルデーニャ島現代人集団の系統の少なくとも38~44%は、明らかに在来集団と混合した移民系統で、そのうちアフリカ北部系統は17~23%と推定されます。このように、サルデーニャ島は新石器時代以来混合と移民から完全に隔離されていたというよりはむしろ、ヨーロッパの他地域のほとんどと同様に、移動と混合を経て現在の住民の遺伝的構成が形成されました。
参考文献:
Fernandes DM. et al.(2020): The spread of steppe and Iranian-related ancestry in the islands of the western Mediterranean. Nature Ecology & Evolution, 4, 3, 334–345.
https://doi.org/10.1038/s41559-020-1102-0
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