トバ山大噴火の前後も継続したインドにおける人類の痕跡(追記有)
トバ山大噴火前後のインドにおける人類集団の痕跡に関する研究(Clarkson et al., 2020)が報道されました。インドを中心とするアジア南部は、現生人類(Homo sapiens)到来の年代およびその文化的特徴、それに伴う非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)の置換などの点で注目されています。また、74000年前頃(アルゴン-アルゴン法で75000±900~73880±320年前)となるスマトラ島のトバ山大噴火の影響に関しても、インドは議論の対象となっています。トバ大噴火は、火山灰のような微小物質の大量噴出と効果による冷却効果などにより生態系に大きな影響を与え、現生人類(Homo sapiens)も含めて人類は激減した、とのトバ大惨事仮説(トバ・カタストロフ理論)が提示されています。
この時期のインドの人類遺骸はまだ確認されていませんが、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析からは、インドが現生人類によるオーストラレシアへの拡散における重要な地理的拠点になった、と示されています。この議論で焦点になっているのは、トバ大噴火の前に現生人類がインドに到達していたかどうかです。現生人類は、ルヴァロワ(Levallois)技術と尖頭器から構成される細石器を伴わないアフリカの中期石器時代技術でトバ大噴火の前にインドに到達したのか、ハウイソンズ・プールト(Howiesons Poort)遺跡のような細石器技術を有して、トバ大噴火後の6万~5万年前頃にインドに到達したのか、という問題です。しかしインドでは、明確に8万~5万年前頃に位置づけられている遺跡がほとんどないため、この問題の検証は困難でした。アフリカとアジア南部の更新世の人類遺骸は少ないため、アジア南部の記録に関する議論は、石器や少数の線刻のあるダチョウの卵殻などといった考古学的記録、現代人集団のDNAに焦点が当てられてきました。
本論文は、インド北部のマディヤ・プラデーシュ州(Madhya Pradesh)のミドルソン川渓谷に位置するダバ(Dhaba)遺跡の豊富な石器群を報告しています。ダバ遺跡では8万~4万年前頃という重要な期間の詳細な考古学的系列が明らかになっており、インドの遺跡群における年代的位置づけは、インドの14万~104000年前頃の中部旧石器時代/後期アシューリアン(Late Acheulean)遺跡と、39000年前頃となる石刃主体の上部旧石器時代との間となります。本論文は、ダバ遺跡の文化系列で収集されたカリウムの豊富な長石(カリ長石)に基づく赤外光ルミネッセンス法(IRSL)年代測定結果を報告しています。ダバ遺跡は3ヶ所(ダバ1~3)の発掘地点で構成されています。
IRSL年代は、ダバ1の下部では79600±3200~78000±2900年前で、上部では70600±3900~65200±3100年前です。ダバ2は55000±2700~37100±2100年前で、ダバ3は55100±2400~26900±3800年前です。ダバ遺跡はトバ大噴火の直前から最終氷期極大期近くまで続いたことになります。ダバ遺跡の人工物は、8万~25000年前頃までの約55000年間に及びます。この期間は、技術的には3段階に区分されます。ダバ1の石器群は8万~65000年前頃で、ルヴァロワ式の石核・剥片・尖頭器・石刃などを含み、ほぼ全て燵岩(チャート)・泥岩・珪化石灰岩で作られています。ダバ2および3では、人工物の堆積が最も豊富な55000~47000年前頃にもルヴァロワ技術が継続しますが、47500±2000年前よりも上の層ではルヴァロワ技術は確認されていません。細石器技術はダバ2および3で48000年前頃に出現し、その主要な石材は石英で、瑪瑙がそれに続きます。37000年前頃までにダバ2および3では人工物は劇的に低下し、この後、細石刃はほとんど見つかりません。瑪瑙と玉髄はこの最終期の主要な石材です。ダバ遺跡の文化層はトバ大噴火の前後で継続しており、細石器技術の導入まで大きな変化はなく、アフリカ・アラビア半島・オーストラリアの中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群とひじょうに類似しており、本論文ではアフリカの東方に拡散した現生人類の所産と解釈されています。
ダバ遺跡の技術的変化はルヴァロワ技術から細石器技術まで段階的で、石材選択や再加工戦略や石核縮小技術など広範で体系的に顕著な変化を含みます。ダバ遺跡ではルヴァロワ技術と細石器技術の重複も一部あり、48600±2700年前となるダバ3のJ層と47500±2000年前となるダバ3のE層です。ビームベートカー(Bhimbetka)のようなインドの他の主要な遺跡も、ダバ遺跡のように中部旧石器から細石器まで、段階的な変化を記録しています。ダバ遺跡は、トバ大噴火の前後に、インドでアフリカの中期石器時代のような技術が存在したことをさらに確かなものとします。細石器技術の出現は、おそらく現生人類がインド北部に最初に出現してからかなり後のことでした。
近年の遺伝学の研究からは、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団は7万~52000年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散し、それ以前にアフリカからユーラシアへと拡散した早期現生人類がわずかに出アフリカ系現代人に遺伝的影響を残している、と推測されます。人類遺骸の証拠からは、現生人類が20万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した、と推測されています(関連記事)。これはユーラシア西方ですが、早期現生人類のアフリカから東方への拡散では、現生人類遺骸に関しては、アラビア半島で85000年以上前(関連記事)、中国南部で12万~8万年前頃(関連記事)、スマトラ島で73000~63000年前頃(関連記事)のものが発見されており、中期石器時代や中部旧石器時代の石器群と関連しています。オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡では、65000年前頃の石器群が発見されており(関連記事)、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群とアフリカやアラビア半島やオーストラリアの中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群の強い類似性は、トバ大噴火に先行する早期現生人類のアフリカから東方への拡散の考古学的証拠となります。インドのダバ遺跡は、アフリカおよびアラビア半島からオーストラリアへと拡散する早期現生人類の重要な中継地だったかもしれないという点で、大いに注目されます。
本論文は、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群がトバ大噴火の前後で大きく変わらないことから、トバ大噴火でもインド北部において人類集団が環境変化に適応して存続していた、と指摘します。トバ大噴火の人類への影響は、トバ大惨事仮説が想定するほど大きくなかったのではないか、というわけです。じっさい、気候学者や地球科学者の間ではトバ大惨事仮説はあまり支持されていないそうです。また、近年のアフリカやインドの考古学的研究も、トバ大惨事仮説には否定的です(関連記事)。トバ大惨事仮説は一般向けのテレビ番組でも通説として取り上げられることが多いように思いますが(関連記事)、もうやや異端的な説として扱うべきでしょう。
本論文は、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群を現生人類の所産と推測していますが、その根拠となる、インドよりも東方の早期現生人類の証拠に関しては疑問が呈されているので(関連記事)、アジア南東部やオーストラリアへの現生人類のトバ大噴火前の拡散に関しては、まだ判断を保留しておくべきだろう、と思います。ただ、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群とアフリカやアラビア半島の中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群との類似性から、現生人類が8万年以上前にアジア南部まで拡散してきた可能性は高そうです。仮にそうだとしたら、アジア南部の古代型ホモ属と現生人類との接触がどのようなものだったのか、注目されますが、現時点ではあまりにも証拠が少ないので、今後の研究の進展を俟つしかありません。アジア南部にネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が拡散してきた証拠はありませんが、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)系統が存在した可能性は低くないように思います。
また、上述のように、現生人類がトバ大噴火の前にアジア南部やオーストラリア(更新世の寒冷期にはニューギニア島・タスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)にまで拡散していたとしても、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団ではなく、せいぜい一部に遺伝的影響を残しただけと考えられます。インド北部の早期現生人類集団は、トバ大噴火前後の環境変化にも適応できたものの、細石器技術を有する後続の現生人類集団に、人口規模や社会構造や技術水準などで劣勢となり、消滅したか吸収されたのかもしれません。この問題に関しては、現生人類拡散の数理モデル(関連記事)も参考にしつつ、考古学的記録や遺伝学的データも併せて研究が進められていくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:トバ山の大噴火を生き延びた現生人類
現生人類は、約7万4000年前に発生したトバ山の大噴火を挟んでインド北部に居住し続けていたという見解を示した論文が、今週、Nature Communications に掲載される。この論文には、ソン川渓谷の遺跡から石器が発見され、この地域に現生人類が過去8万年間にわたって居住し続けてきたことが示されたことが報告されている。この新知見は、現生人類がアフリカから東に向かって分散したことに関する手掛かりになる。
インドネシアのスマトラ島にあるトバ山の噴火は、長期にわたる火山の冬を引き起こし、現生人類のアフリカからの分散とオーストラレーシアへの定着を阻害したと主張されてきた。こうしたヒト集団に対する影響については論争が続いているが、主要地域(インドなど)からの考古学的証拠は少ない。
今回、Chris Clarksonたちの研究チームが、インドのミドル・ソン川渓谷にあるダバの遺跡で行われた考古学的発掘調査で発見された大量の石器について報告している。発見された石器は、約8万年前のルヴァロワ文化の中核的石器群(石核から剥片を剥離して作られた石器)から細石器技術(通常の長さが数センチメートルの小型の石器を製作する技術)に移行した約4万8000年前の石器まで含まれていた。この考古学的記録に連続性が認められることから、この地域に居住していた現生人類はトバ山の大噴火を生き延びたことが示唆されている。
ダバで発見されたルヴァロワ石器とアラビアで発見された10万~4万7000年前の石器とオーストラリア北部で発見された6万5000年前の石器に類似点があり、このことは、古代の現生人類のアフリカからの分散によって、これらの地域の間に結び付きが生じたことを示唆している。
参考文献:
Clarkson C. et al.(2020): Human occupation of northern India spans the Toba super-eruption ~74,000 years ago. Nature Communications, 11, 961.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14668-4
追記(2020年3月1日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
この時期のインドの人類遺骸はまだ確認されていませんが、ミトコンドリアDNA(mtDNA)分析からは、インドが現生人類によるオーストラレシアへの拡散における重要な地理的拠点になった、と示されています。この議論で焦点になっているのは、トバ大噴火の前に現生人類がインドに到達していたかどうかです。現生人類は、ルヴァロワ(Levallois)技術と尖頭器から構成される細石器を伴わないアフリカの中期石器時代技術でトバ大噴火の前にインドに到達したのか、ハウイソンズ・プールト(Howiesons Poort)遺跡のような細石器技術を有して、トバ大噴火後の6万~5万年前頃にインドに到達したのか、という問題です。しかしインドでは、明確に8万~5万年前頃に位置づけられている遺跡がほとんどないため、この問題の検証は困難でした。アフリカとアジア南部の更新世の人類遺骸は少ないため、アジア南部の記録に関する議論は、石器や少数の線刻のあるダチョウの卵殻などといった考古学的記録、現代人集団のDNAに焦点が当てられてきました。
本論文は、インド北部のマディヤ・プラデーシュ州(Madhya Pradesh)のミドルソン川渓谷に位置するダバ(Dhaba)遺跡の豊富な石器群を報告しています。ダバ遺跡では8万~4万年前頃という重要な期間の詳細な考古学的系列が明らかになっており、インドの遺跡群における年代的位置づけは、インドの14万~104000年前頃の中部旧石器時代/後期アシューリアン(Late Acheulean)遺跡と、39000年前頃となる石刃主体の上部旧石器時代との間となります。本論文は、ダバ遺跡の文化系列で収集されたカリウムの豊富な長石(カリ長石)に基づく赤外光ルミネッセンス法(IRSL)年代測定結果を報告しています。ダバ遺跡は3ヶ所(ダバ1~3)の発掘地点で構成されています。
IRSL年代は、ダバ1の下部では79600±3200~78000±2900年前で、上部では70600±3900~65200±3100年前です。ダバ2は55000±2700~37100±2100年前で、ダバ3は55100±2400~26900±3800年前です。ダバ遺跡はトバ大噴火の直前から最終氷期極大期近くまで続いたことになります。ダバ遺跡の人工物は、8万~25000年前頃までの約55000年間に及びます。この期間は、技術的には3段階に区分されます。ダバ1の石器群は8万~65000年前頃で、ルヴァロワ式の石核・剥片・尖頭器・石刃などを含み、ほぼ全て燵岩(チャート)・泥岩・珪化石灰岩で作られています。ダバ2および3では、人工物の堆積が最も豊富な55000~47000年前頃にもルヴァロワ技術が継続しますが、47500±2000年前よりも上の層ではルヴァロワ技術は確認されていません。細石器技術はダバ2および3で48000年前頃に出現し、その主要な石材は石英で、瑪瑙がそれに続きます。37000年前頃までにダバ2および3では人工物は劇的に低下し、この後、細石刃はほとんど見つかりません。瑪瑙と玉髄はこの最終期の主要な石材です。ダバ遺跡の文化層はトバ大噴火の前後で継続しており、細石器技術の導入まで大きな変化はなく、アフリカ・アラビア半島・オーストラリアの中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群とひじょうに類似しており、本論文ではアフリカの東方に拡散した現生人類の所産と解釈されています。
ダバ遺跡の技術的変化はルヴァロワ技術から細石器技術まで段階的で、石材選択や再加工戦略や石核縮小技術など広範で体系的に顕著な変化を含みます。ダバ遺跡ではルヴァロワ技術と細石器技術の重複も一部あり、48600±2700年前となるダバ3のJ層と47500±2000年前となるダバ3のE層です。ビームベートカー(Bhimbetka)のようなインドの他の主要な遺跡も、ダバ遺跡のように中部旧石器から細石器まで、段階的な変化を記録しています。ダバ遺跡は、トバ大噴火の前後に、インドでアフリカの中期石器時代のような技術が存在したことをさらに確かなものとします。細石器技術の出現は、おそらく現生人類がインド北部に最初に出現してからかなり後のことでした。
近年の遺伝学の研究からは、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団は7万~52000年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散し、それ以前にアフリカからユーラシアへと拡散した早期現生人類がわずかに出アフリカ系現代人に遺伝的影響を残している、と推測されます。人類遺骸の証拠からは、現生人類が20万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した、と推測されています(関連記事)。これはユーラシア西方ですが、早期現生人類のアフリカから東方への拡散では、現生人類遺骸に関しては、アラビア半島で85000年以上前(関連記事)、中国南部で12万~8万年前頃(関連記事)、スマトラ島で73000~63000年前頃(関連記事)のものが発見されており、中期石器時代や中部旧石器時代の石器群と関連しています。オーストラリア北部のマジェドベベ(Madjedbebe)岩陰遺跡では、65000年前頃の石器群が発見されており(関連記事)、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群とアフリカやアラビア半島やオーストラリアの中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群の強い類似性は、トバ大噴火に先行する早期現生人類のアフリカから東方への拡散の考古学的証拠となります。インドのダバ遺跡は、アフリカおよびアラビア半島からオーストラリアへと拡散する早期現生人類の重要な中継地だったかもしれないという点で、大いに注目されます。
本論文は、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群がトバ大噴火の前後で大きく変わらないことから、トバ大噴火でもインド北部において人類集団が環境変化に適応して存続していた、と指摘します。トバ大噴火の人類への影響は、トバ大惨事仮説が想定するほど大きくなかったのではないか、というわけです。じっさい、気候学者や地球科学者の間ではトバ大惨事仮説はあまり支持されていないそうです。また、近年のアフリカやインドの考古学的研究も、トバ大惨事仮説には否定的です(関連記事)。トバ大惨事仮説は一般向けのテレビ番組でも通説として取り上げられることが多いように思いますが(関連記事)、もうやや異端的な説として扱うべきでしょう。
本論文は、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群を現生人類の所産と推測していますが、その根拠となる、インドよりも東方の早期現生人類の証拠に関しては疑問が呈されているので(関連記事)、アジア南東部やオーストラリアへの現生人類のトバ大噴火前の拡散に関しては、まだ判断を保留しておくべきだろう、と思います。ただ、ダバ遺跡のルヴァロワ石器群とアフリカやアラビア半島の中期石器時代もしくは中部旧石器時代の石器群との類似性から、現生人類が8万年以上前にアジア南部まで拡散してきた可能性は高そうです。仮にそうだとしたら、アジア南部の古代型ホモ属と現生人類との接触がどのようなものだったのか、注目されますが、現時点ではあまりにも証拠が少ないので、今後の研究の進展を俟つしかありません。アジア南部にネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が拡散してきた証拠はありませんが、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)系統が存在した可能性は低くないように思います。
また、上述のように、現生人類がトバ大噴火の前にアジア南部やオーストラリア(更新世の寒冷期にはニューギニア島・タスマニア島と陸続きでサフルランドを形成していました)にまで拡散していたとしても、出アフリカ系現代人の主要な祖先集団ではなく、せいぜい一部に遺伝的影響を残しただけと考えられます。インド北部の早期現生人類集団は、トバ大噴火前後の環境変化にも適応できたものの、細石器技術を有する後続の現生人類集団に、人口規模や社会構造や技術水準などで劣勢となり、消滅したか吸収されたのかもしれません。この問題に関しては、現生人類拡散の数理モデル(関連記事)も参考にしつつ、考古学的記録や遺伝学的データも併せて研究が進められていくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:トバ山の大噴火を生き延びた現生人類
現生人類は、約7万4000年前に発生したトバ山の大噴火を挟んでインド北部に居住し続けていたという見解を示した論文が、今週、Nature Communications に掲載される。この論文には、ソン川渓谷の遺跡から石器が発見され、この地域に現生人類が過去8万年間にわたって居住し続けてきたことが示されたことが報告されている。この新知見は、現生人類がアフリカから東に向かって分散したことに関する手掛かりになる。
インドネシアのスマトラ島にあるトバ山の噴火は、長期にわたる火山の冬を引き起こし、現生人類のアフリカからの分散とオーストラレーシアへの定着を阻害したと主張されてきた。こうしたヒト集団に対する影響については論争が続いているが、主要地域(インドなど)からの考古学的証拠は少ない。
今回、Chris Clarksonたちの研究チームが、インドのミドル・ソン川渓谷にあるダバの遺跡で行われた考古学的発掘調査で発見された大量の石器について報告している。発見された石器は、約8万年前のルヴァロワ文化の中核的石器群(石核から剥片を剥離して作られた石器)から細石器技術(通常の長さが数センチメートルの小型の石器を製作する技術)に移行した約4万8000年前の石器まで含まれていた。この考古学的記録に連続性が認められることから、この地域に居住していた現生人類はトバ山の大噴火を生き延びたことが示唆されている。
ダバで発見されたルヴァロワ石器とアラビアで発見された10万~4万7000年前の石器とオーストラリア北部で発見された6万5000年前の石器に類似点があり、このことは、古代の現生人類のアフリカからの分散によって、これらの地域の間に結び付きが生じたことを示唆している。
参考文献:
Clarkson C. et al.(2020): Human occupation of northern India spans the Toba super-eruption ~74,000 years ago. Nature Communications, 11, 961.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-14668-4
追記(2020年3月1日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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