ミトコンドリアDNAの進化への気温の影響

 取り上げるのがたいへん遅れてしまいましたが、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の進化への気温の影響に関する研究(Lajbner et al., 2018)が公表されました。日本語の解説記事もあります。ヒトを含む多細胞生物のDNAの大部分は、細胞の核内に折りたたまれて格納されています。しかし、ごくわずかですが、ミトコンドリアと呼ばれる、細胞に必要なエネルギーを産出し、細胞内の様々な代謝を調整する細胞内小器官の中にも、DNAが収められています。核内DNAが両親からの遺伝情報を受け継ぐのとは異なり、mtDNAは母親から子へと受け継がれます。長年にわたり、この小さなmtDNAの塩基配列多型は、細胞機能に影響を与えることもなく、また自然淘汰を受けることもない、と考えられてきました。そのため、遺伝学の研究から気候変動の研究に至る多様な分野で、mtDNAは個体群や生物種間の関係や進化の過程を調べる最良のツールとして利用されてきました。

 しかし近年では、mtDNAの多型の中でも、状況によりある多型のタイプが選択される、と報告されています。この研究は、これまで考えられてきた以上にmtDNAが自然選択受けやすい、との見解を提示しています。この研究は、キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)を用いて、生息環境の気温の違いがmtDNA多型の一種の選択におよぼし得ることを示しました。これは、自然界におけるmtDNA多型の存在頻度に対する温度選択圧の影響を示唆する、初めての試みとなります。

 この研究は、オーストラリア東海岸に生息するショウジョウバエの間で見られる2種のmtDNA多型を調査しました。一方はオーストラリア北部地帯の温暖な亜熱帯性地域で一般的に見られるショウジョウバエ群で、もう一方はより寒冷な南部地帯に一般的にみられるショウジョウバエ群です。この研究は、それぞれの地域でショウジョウバエを採集し、これらの2群間で相互交配をすることで遺伝的に均一な個体群を作り、それを4つの実験群に分けました。2つの実験群はそれぞれ19℃と25℃の定温で飼育し、残りの2群は、ショウジョウバエが採集された2ヶ所の1日の気温の変化を再現した環境で飼育しました。この研究は3ヶ月経過した後、各実験群のmtDNAの塩基配列を決定しました。この研究はまた、ショウジョウバエの体内に生息する共生細菌ボルバキア(Wolbachia)の存在が、mtDNAの選択におよぼす影響も調べました。結果を区別するために、一部のショウジョウバエには抗生物質を使用し、実験前からボルバキア感染の可能性を完全に取り除きました。

 温暖な環境(25度の恒温状態)で飼育されたショウジョウバエ群では、2つのmtDNA多型のうち、一方の多型をもつ個体がもう一方の多型を持つ個体に比べて多い、と明らかになりました。このmtDNA多型は温暖な北部地域に生息するショウジョウバエに広く見られるものと同一でした。一方で、寒冷な環境(19℃の恒温状態)で飼育されたショウジョウバエ群では、寒冷な南部に生息するショウジョウバエに広くみられるmtDNA多型タイプを持つ個体が多い、と明らかになりました。しかし、これら二つの結果は、事前にボルバキア感染を抗生物質により除去したグループのみで確認されました。さらに明らかになったのは、オスのショウジョウバエで観察された多型パターンが、必ずしもメスのショウジョウバエで見られるパターンと一致するわけではない、ということでした。

 これらの結果は、気温がmtDNAの多型パターンに影響を与えることを示しています。さらに、気温のみならず、性別や微生物による感染などの要素もミトコンドリアゲノムの進化に影響し得る、と示唆しています。今後の課題として、ミトコンドリアゲノムのどの部分が気温に敏感に反応するのか特定し、さらにそのメカニズムを理解する研究が必要と指摘されています。また、今後mtDNAを遺伝的ツールとして使用するさいには、温度環境に反応して変化する可能性を考慮する必要がある、とも指摘されています。本論文刊行後の研究では、ヒトにおけるミトコンドリアへの選択圧とトレードオフ(交換)が指摘されており(関連記事)、ミトコンドリアへの選択圧は生物において一般的だった、と考えられます。また、エネルギー産生というミトコンドリアの主要な役割から、この研究が示したように、そうした選択圧はおもに気温への適応に関わっているのではないか、とも予測されます。ヒトも含めて、今後の研究の進展が期待されます。


参考文献:
Lajbner Z. et al.(2018): Experimental evidence that thermal selection shapes mitochondrial genome evolution. Scientific Reports, 8, 9500.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-27805-3

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