カメルーンの古代人のDNA解析(追記有)
カメルーンの古代人のDNA解析に関する研究(Lipson et al., 2020)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。カメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域に位置するシュムラカ(Shum Laka)岩陰は、アフリカ中央部西方の後期更新世および完新世の先史時代の研究にとって最重要の遺跡です。シュムラカ遺跡における最古の人類の痕跡は暦年代で3万年前頃ですが、とくに興味深いのは、8000年前頃の後期石器時代末と2500年前頃の鉄器時代の始まりの間の人工物と人類遺骸です。この移行期は「石器時代から金属時代」と呼ばれることもあり、土器だけではなく新たな石器もじょじょに出現しました。
石器時代から金属時代への移行期のシュムラカ岩陰遺跡の人類集団の生計戦略の証拠はおもに採集を示しますが、アベルの木(Canarium schweinfurthii)の果実の利用の増加は物質文化の発展と一致しており、後の農耕の開始にもつながりました。シュムラカ遺跡におけるこうした文化的変化とその早期の出現はとくに関心を抱かれてきましたが、それは、完新世においてカメルーンとナイジェリアの間の現在の境界一帯がおそらくはバンツー語族の発祥地で、バンツー語族集団は3000~1500年前頃にアフリカの南半分の大半に拡散し、現在のバンツー語族の広大な範囲と多様性を生じたからです。
シュムラカ遺跡では合計18人の遺骸が発見されており、埋葬段階は年代的に2区分されています。6人の錐体骨からDNA抽出が試みられ、石器時代から金属時代への移行期の8000年前頃となる前期2人と、3000年前頃となる後期2人の計4人から遺伝的データが得られました。前期の2人は、3~5歳の「2/SE I」と12~18歳の「2/SE II」です。後期の2人は、6~10歳の「4/A」と3~5歳の「5/B」です。最終的な網羅率は0.7~7.7倍です。
シュムラカ遺跡の石器時代~金属器時代移行期の4人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はいずれも、サハラ砂漠以南のアフリカ現代人に見られるものです。なお、5/Bのみが女性で他の3人は男性です。前期2人のmtHgはいずれもL0a (L0a2a1)で、L0aはアフリカで広く見られます。後期2人のmtHgはいずれもL1c (L1c2a1b)で、L1cはアフリカ中央部および西部の農耕民と狩猟採集民の両方で見られます。
YHgでは、前期の2/SE IがB、後期の4/A がB2bで、YHg-Bは現在ではアフリカ中央部の狩猟採集民でよく見られます。2/SE IIのYHgは、ほとんどカメルーン西部でしか見られないA00です。A00は現代人のYHgでは最初に分岐した系統で、その分岐年代は338000年前(関連記事)とも275000年前(関連記事)とも推定されています。2/SE IIはYHg- A00でも、現代人の系統とは37000~25000年前に分岐した系統と推定されています。近親関係では、2/SE Iと2/SE IIは4親等程度、4/Aと5/Bはオジとメイ(オバとオイ)もしくは半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ関係)程度の関係と推定され、シュムラカ岩陰遺跡が大家族の墓地として使用された、という考古学的解釈が遺伝学的にも支持されます。また、この4人には近い祖先での近親交配の可能性も指摘されています。
主成分分析では、シュムラカ遺跡の4人はカメルーンと中央アフリカ共和国の狩猟採集民と最も類似しています。しかし、シュムラカ集団を単純にアフリカ中央部西方の狩猟採集民系統と位置づけることはできません。本論文は、現生人類(Homo sapiens)の進化の中でシュムラカ集団を位置づけ、現生人類系統においては4系統が最初期に短期間で分岐していった、と推測しています。それは、アフリカ中央部狩猟採集民系統、アフリカ南部狩猟採集民系統、その他の現生人類系統、「ゴースト」系統です。このゴースト系統は、アフリカ西部集団とエチオピア高地のモタ(Mota)洞窟で発見された4500年前頃の男性(関連記事)にわずかに遺伝的影響を残している、と推定されています。アフリカ中央部狩猟採集民系統は、西部系統と、エチオピアのムブティ(Mbuti)に代表される東部系統とに分岐し、シュムラカ集団は西部系統に位置づけられます。この最初の分岐については、現代人の最も深い分岐が20万年以上前と推定されていること(関連記事)からも、25万~20万年前頃には起きていた、と本論文は推測します。
現生人類における4系統への最初の主要な分岐の後、アフリカ中央部狩猟採集民系統とアフリカ南部狩猟採集民系統以外の現生人類系統において、2回目の主要な分岐が起きます。それは、アフリカ西部系統、アフリカ東部の狩猟採集民系統(モタ個体に代表されます)および農耕牧畜民系統、出アフリカ系統です。本論文は、この2回目の分岐は8万~6万年前頃に起きたと推定し、mtHg-L3の多様化やYHg- CTの起源とも一致する、と指摘します。出アフリカ系統はモタ系統と最も近いものの、深い分岐のゴースト系統の遺伝的影響は受けていない、と推測されています。アフリカ西部系統では、まず基底部アフリカ西部系統が分岐し、その後でバンツー語族関連系統およびカメルーンのレマンデ(Lemande)系統とメンデ(Mende)およびヨルバ(Yoruba)系統が分岐します。
もちろん、これらの系統は相互に影響しており、現生人類や古代型ホモ属のゴースト系統から影響を受けた系統もあり、たとえばアフリカ西部系統は両者から、モタ個体は現生人類のゴースト系統から影響を受けています。シュムラカ集団は基底部アフリカ西部系統から強い遺伝的影響を受けた、と推定されています。シュムラカ集団内では、移行期後期の個体は前期の個体と比較して、ややアフリカ中央部狩猟採集民系統の影響が高い、と推定されています。以下、これらの分岐および交雑と、推定移動経路を示した本論文の図4を掲載します。
シュムラカ遺跡の4人は、アフリカ中央部狩猟採集民系統約35%と基底部アフリカ西部系統約65%との混合、もしくは狩猟採集民系統と、アフリカ西部系統内の1系統およびアフリカ西部系統および東部系統で分岐した系統の2系統が追加で混合した、とモデル化できます。シュムラカ系統は、8000年以上前となる後期石器時代にカメルーン西部に居住していた集団の子孫で、その後に、北方から到来したと考えられる系統と混合した、と本論文は推測します。シュムラカ遺跡の4人の年代は、石器時代から金属器時代の移行期となるので、北方からの遺伝的影響はこの文化的移行とも関連しているかもしれません。こうした文化的移行は、石器技術の変化や土器の出現などを含みます。また、この北方からの遺伝的影響については、現在のサハラ砂漠とサヘル砂漠で一時的に植生が豊かだった時期と対応しているだろう、と本論文は推測しています。本論文は、アフリカ西部北方とサヘルの現代人集団は、後の移住による混合の影響を受けているため、シュムラカ集団の遺伝的起源を正確に特定するには、さらなる古代DNA研究が必要になる、と指摘します。
本論文が取り上げたシュムラカ遺跡の4人は、石器時代から金属器時代への移行期の初期と末期に限定されていますが、約5000年の遺伝的類似性は、遺伝的にも、死者の埋葬法といった文化的にも、長期にわたる集団の継続性を示唆します。しかし、ほとんどのカメルーンの現代人集団は、シュムラカ遺跡の4人よりも他のアフリカ西部系統の方と遺伝的に近縁です。カメルーンの現代の狩猟採集民もまた、遺伝的には基底部アフリカ西部系統が欠如しており、シュムラカ遺跡集団は少なくとも主要な祖先ではなさそうです。ただ、アレル(対立遺伝子)の共有水準から、遺伝的には完全に不連続とは限らない、とも指摘されています。じっさい、シュムラカ遺跡の2/SE IIのYHgは現代のカメルーン西部でほぼ排他的に見られるA00で、かつてはYHg- A00がもっと多様だったことを示唆します。YHg-A00は他のYHgと30万~20万年前頃に分岐したと推定され、YHg-A00と、アフリカ中央部狩猟採集民と関連するシュムラカ系統、もしくはアフリカ西部系統の深い分岐との関連を示唆します。
言語学および遺伝学からは、カメルーン西部がバンツー語族集団の発祥地である可能性が最も高い、と考えられています。ただ、中期完新世の考古学的記録は乏しく、シュムラカはこの過程の初期段階を示す重要な遺跡として注目されてきました。しかし、シュムラカ遺跡の移行期のゲノム解析からは、バンツー語族がすでに広範に拡大していたと考えられる3000年前頃でさえ、バンツー語族を含む現在のニジェール・コンゴ語族集団とは大きく異なる、と推測されます。これは、シュムラカ集団が現在のバンツー語族集団の主要な祖先ではなかったことを示唆します。ただ本論文は、これらの結果により、バンツー語族集団の発祥地がカメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域であるという有力説が、否定されるわけでも支持されるわけでもなく、グラスフィールド地域には複数のひじょうに分化した集団が存在し、言語の多様性は高かったかもしれないし、低かったかもしれない、と指摘します。また本論文は、シュムラカ遺跡が異なる遺伝的系統や文化・言語の複数集団により連続的に、もしくは同時に使用されていたかもしれず、その証拠は現在の考古学的記録からは見えないかもしれない、とも指摘します。
本論文で注目されるのは、アフリカ西部系統における未知の(ゴースト)ホモ属系統との交雑を検出していることです。西部系統も含めて現代のサハラ砂漠以南のアフリカ集団における未知のホモ属との交雑の可能性は、以前から指摘されていました(関連記事)。本論文はその候補として、アフリカ北西部の30万年前頃の現生人類的なホモ属化石(関連記事)や、ナイジェリア南西部の12000年前頃の古代型ホモ属の特徴を有する個体を挙げています。本論文は、遺伝学的研究の進展により、現代人の形成過程のさらなる複雑さが明らかになるかもしれない、と今後を展望しています。本論文のこの見通しはまず間違いなく正しいだろう、と私も考えています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化学】古代のヒトDNAとアフリカのヒト集団史
中央アフリカ西部で見つかった古代のヒトDNAの解析が行われて、アフリカのヒト集団史の諸論点(例えば、バンツー語話者の起源)を解明するための手掛かりが得られた。この新知見を報告する論文が、今週掲載される。
アフリカ大陸のカメルーン西部に位置するシュム=ラカ遺跡は、中央アフリカ西部の先史時代(後期更新世と完新世)を研究するうえで重要な考古学的遺跡で、バンツー語の発祥地と考えられている草原にある。今回、David Reich、Mark Lipsonたちの研究チームは、この遺跡に埋葬されていた4人の子ども(2人が約8000年前、2人が3000年前と年代測定された)の古代DNAを解析し、4人全員の祖先の特徴が、中央アフリカ西部の現代の狩猟採集民の祖先の特徴に最も類似していることを見いだした。この知見は、カメルーン西部の住民とアフリカ大陸全土のバンツー語話者が、これら4人の子どもやその所属集団の子孫ではないことを暗示している。
また、4人の子どものゲノムにも混合の痕跡が見られ、その祖先が別の集団に属する者と交雑したことが暗示されている。さらに、3回の顕著な放散が認められ、そのうちの1回は約30万~20万年前に起こり、その結果、現代の集団に寄与する少なくとも4つの主要分枝が生じた。
参考文献:
Lipson M. et al.(2020): Ancient West African foragers in the context of African population history. Nature, 577, 7792, 665–670.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-1929-1
追記(2020年1月25日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2020年1月30日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:アフリカのヒト集団史的な背景におけるアフリカ西部の古代狩猟採集民
進化学:シュム・ラカ遺跡の古代ヒトゲノム
D ReichとM Prendergastたちは今回、カメルーン西部のシュム・ラカ(Shum Laka)遺跡から出土した、約8000年前と約3000年前に埋葬された計4人の子どもの古代ゲノムデータについて報告している。この遺跡は、中部アフリカの西部における後期更新世から完新世の先史研究において重要である。得られた4人の祖先プロファイルは、現在の中部アフリカ西部の狩猟採集民のものに最も近いことから、4人が属する集団が現在のバントゥー諸語話者の祖先ではないことが示唆された。著者たちはアフリカのヒト集団史に関して、系統発生モデルから、祖先の広範な混血事象およびアフリカ内での重要な3回の放散事象などの手掛かりを得ている。
石器時代から金属時代への移行期のシュムラカ岩陰遺跡の人類集団の生計戦略の証拠はおもに採集を示しますが、アベルの木(Canarium schweinfurthii)の果実の利用の増加は物質文化の発展と一致しており、後の農耕の開始にもつながりました。シュムラカ遺跡におけるこうした文化的変化とその早期の出現はとくに関心を抱かれてきましたが、それは、完新世においてカメルーンとナイジェリアの間の現在の境界一帯がおそらくはバンツー語族の発祥地で、バンツー語族集団は3000~1500年前頃にアフリカの南半分の大半に拡散し、現在のバンツー語族の広大な範囲と多様性を生じたからです。
シュムラカ遺跡では合計18人の遺骸が発見されており、埋葬段階は年代的に2区分されています。6人の錐体骨からDNA抽出が試みられ、石器時代から金属時代への移行期の8000年前頃となる前期2人と、3000年前頃となる後期2人の計4人から遺伝的データが得られました。前期の2人は、3~5歳の「2/SE I」と12~18歳の「2/SE II」です。後期の2人は、6~10歳の「4/A」と3~5歳の「5/B」です。最終的な網羅率は0.7~7.7倍です。
シュムラカ遺跡の石器時代~金属器時代移行期の4人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)とY染色体ハプログループ(YHg)はいずれも、サハラ砂漠以南のアフリカ現代人に見られるものです。なお、5/Bのみが女性で他の3人は男性です。前期2人のmtHgはいずれもL0a (L0a2a1)で、L0aはアフリカで広く見られます。後期2人のmtHgはいずれもL1c (L1c2a1b)で、L1cはアフリカ中央部および西部の農耕民と狩猟採集民の両方で見られます。
YHgでは、前期の2/SE IがB、後期の4/A がB2bで、YHg-Bは現在ではアフリカ中央部の狩猟採集民でよく見られます。2/SE IIのYHgは、ほとんどカメルーン西部でしか見られないA00です。A00は現代人のYHgでは最初に分岐した系統で、その分岐年代は338000年前(関連記事)とも275000年前(関連記事)とも推定されています。2/SE IIはYHg- A00でも、現代人の系統とは37000~25000年前に分岐した系統と推定されています。近親関係では、2/SE Iと2/SE IIは4親等程度、4/Aと5/Bはオジとメイ(オバとオイ)もしくは半キョウダイ(両親の一方のみが同じキョウダイ関係)程度の関係と推定され、シュムラカ岩陰遺跡が大家族の墓地として使用された、という考古学的解釈が遺伝学的にも支持されます。また、この4人には近い祖先での近親交配の可能性も指摘されています。
主成分分析では、シュムラカ遺跡の4人はカメルーンと中央アフリカ共和国の狩猟採集民と最も類似しています。しかし、シュムラカ集団を単純にアフリカ中央部西方の狩猟採集民系統と位置づけることはできません。本論文は、現生人類(Homo sapiens)の進化の中でシュムラカ集団を位置づけ、現生人類系統においては4系統が最初期に短期間で分岐していった、と推測しています。それは、アフリカ中央部狩猟採集民系統、アフリカ南部狩猟採集民系統、その他の現生人類系統、「ゴースト」系統です。このゴースト系統は、アフリカ西部集団とエチオピア高地のモタ(Mota)洞窟で発見された4500年前頃の男性(関連記事)にわずかに遺伝的影響を残している、と推定されています。アフリカ中央部狩猟採集民系統は、西部系統と、エチオピアのムブティ(Mbuti)に代表される東部系統とに分岐し、シュムラカ集団は西部系統に位置づけられます。この最初の分岐については、現代人の最も深い分岐が20万年以上前と推定されていること(関連記事)からも、25万~20万年前頃には起きていた、と本論文は推測します。
現生人類における4系統への最初の主要な分岐の後、アフリカ中央部狩猟採集民系統とアフリカ南部狩猟採集民系統以外の現生人類系統において、2回目の主要な分岐が起きます。それは、アフリカ西部系統、アフリカ東部の狩猟採集民系統(モタ個体に代表されます)および農耕牧畜民系統、出アフリカ系統です。本論文は、この2回目の分岐は8万~6万年前頃に起きたと推定し、mtHg-L3の多様化やYHg- CTの起源とも一致する、と指摘します。出アフリカ系統はモタ系統と最も近いものの、深い分岐のゴースト系統の遺伝的影響は受けていない、と推測されています。アフリカ西部系統では、まず基底部アフリカ西部系統が分岐し、その後でバンツー語族関連系統およびカメルーンのレマンデ(Lemande)系統とメンデ(Mende)およびヨルバ(Yoruba)系統が分岐します。
もちろん、これらの系統は相互に影響しており、現生人類や古代型ホモ属のゴースト系統から影響を受けた系統もあり、たとえばアフリカ西部系統は両者から、モタ個体は現生人類のゴースト系統から影響を受けています。シュムラカ集団は基底部アフリカ西部系統から強い遺伝的影響を受けた、と推定されています。シュムラカ集団内では、移行期後期の個体は前期の個体と比較して、ややアフリカ中央部狩猟採集民系統の影響が高い、と推定されています。以下、これらの分岐および交雑と、推定移動経路を示した本論文の図4を掲載します。
シュムラカ遺跡の4人は、アフリカ中央部狩猟採集民系統約35%と基底部アフリカ西部系統約65%との混合、もしくは狩猟採集民系統と、アフリカ西部系統内の1系統およびアフリカ西部系統および東部系統で分岐した系統の2系統が追加で混合した、とモデル化できます。シュムラカ系統は、8000年以上前となる後期石器時代にカメルーン西部に居住していた集団の子孫で、その後に、北方から到来したと考えられる系統と混合した、と本論文は推測します。シュムラカ遺跡の4人の年代は、石器時代から金属器時代の移行期となるので、北方からの遺伝的影響はこの文化的移行とも関連しているかもしれません。こうした文化的移行は、石器技術の変化や土器の出現などを含みます。また、この北方からの遺伝的影響については、現在のサハラ砂漠とサヘル砂漠で一時的に植生が豊かだった時期と対応しているだろう、と本論文は推測しています。本論文は、アフリカ西部北方とサヘルの現代人集団は、後の移住による混合の影響を受けているため、シュムラカ集団の遺伝的起源を正確に特定するには、さらなる古代DNA研究が必要になる、と指摘します。
本論文が取り上げたシュムラカ遺跡の4人は、石器時代から金属器時代への移行期の初期と末期に限定されていますが、約5000年の遺伝的類似性は、遺伝的にも、死者の埋葬法といった文化的にも、長期にわたる集団の継続性を示唆します。しかし、ほとんどのカメルーンの現代人集団は、シュムラカ遺跡の4人よりも他のアフリカ西部系統の方と遺伝的に近縁です。カメルーンの現代の狩猟採集民もまた、遺伝的には基底部アフリカ西部系統が欠如しており、シュムラカ遺跡集団は少なくとも主要な祖先ではなさそうです。ただ、アレル(対立遺伝子)の共有水準から、遺伝的には完全に不連続とは限らない、とも指摘されています。じっさい、シュムラカ遺跡の2/SE IIのYHgは現代のカメルーン西部でほぼ排他的に見られるA00で、かつてはYHg- A00がもっと多様だったことを示唆します。YHg-A00は他のYHgと30万~20万年前頃に分岐したと推定され、YHg-A00と、アフリカ中央部狩猟採集民と関連するシュムラカ系統、もしくはアフリカ西部系統の深い分岐との関連を示唆します。
言語学および遺伝学からは、カメルーン西部がバンツー語族集団の発祥地である可能性が最も高い、と考えられています。ただ、中期完新世の考古学的記録は乏しく、シュムラカはこの過程の初期段階を示す重要な遺跡として注目されてきました。しかし、シュムラカ遺跡の移行期のゲノム解析からは、バンツー語族がすでに広範に拡大していたと考えられる3000年前頃でさえ、バンツー語族を含む現在のニジェール・コンゴ語族集団とは大きく異なる、と推測されます。これは、シュムラカ集団が現在のバンツー語族集団の主要な祖先ではなかったことを示唆します。ただ本論文は、これらの結果により、バンツー語族集団の発祥地がカメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域であるという有力説が、否定されるわけでも支持されるわけでもなく、グラスフィールド地域には複数のひじょうに分化した集団が存在し、言語の多様性は高かったかもしれないし、低かったかもしれない、と指摘します。また本論文は、シュムラカ遺跡が異なる遺伝的系統や文化・言語の複数集団により連続的に、もしくは同時に使用されていたかもしれず、その証拠は現在の考古学的記録からは見えないかもしれない、とも指摘します。
本論文で注目されるのは、アフリカ西部系統における未知の(ゴースト)ホモ属系統との交雑を検出していることです。西部系統も含めて現代のサハラ砂漠以南のアフリカ集団における未知のホモ属との交雑の可能性は、以前から指摘されていました(関連記事)。本論文はその候補として、アフリカ北西部の30万年前頃の現生人類的なホモ属化石(関連記事)や、ナイジェリア南西部の12000年前頃の古代型ホモ属の特徴を有する個体を挙げています。本論文は、遺伝学的研究の進展により、現代人の形成過程のさらなる複雑さが明らかになるかもしれない、と今後を展望しています。本論文のこの見通しはまず間違いなく正しいだろう、と私も考えています。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【進化学】古代のヒトDNAとアフリカのヒト集団史
中央アフリカ西部で見つかった古代のヒトDNAの解析が行われて、アフリカのヒト集団史の諸論点(例えば、バンツー語話者の起源)を解明するための手掛かりが得られた。この新知見を報告する論文が、今週掲載される。
アフリカ大陸のカメルーン西部に位置するシュム=ラカ遺跡は、中央アフリカ西部の先史時代(後期更新世と完新世)を研究するうえで重要な考古学的遺跡で、バンツー語の発祥地と考えられている草原にある。今回、David Reich、Mark Lipsonたちの研究チームは、この遺跡に埋葬されていた4人の子ども(2人が約8000年前、2人が3000年前と年代測定された)の古代DNAを解析し、4人全員の祖先の特徴が、中央アフリカ西部の現代の狩猟採集民の祖先の特徴に最も類似していることを見いだした。この知見は、カメルーン西部の住民とアフリカ大陸全土のバンツー語話者が、これら4人の子どもやその所属集団の子孫ではないことを暗示している。
また、4人の子どものゲノムにも混合の痕跡が見られ、その祖先が別の集団に属する者と交雑したことが暗示されている。さらに、3回の顕著な放散が認められ、そのうちの1回は約30万~20万年前に起こり、その結果、現代の集団に寄与する少なくとも4つの主要分枝が生じた。
参考文献:
Lipson M. et al.(2020): Ancient West African foragers in the context of African population history. Nature, 577, 7792, 665–670.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-1929-1
追記(2020年1月25日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
追記(2020年1月30日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:アフリカのヒト集団史的な背景におけるアフリカ西部の古代狩猟採集民
進化学:シュム・ラカ遺跡の古代ヒトゲノム
D ReichとM Prendergastたちは今回、カメルーン西部のシュム・ラカ(Shum Laka)遺跡から出土した、約8000年前と約3000年前に埋葬された計4人の子どもの古代ゲノムデータについて報告している。この遺跡は、中部アフリカの西部における後期更新世から完新世の先史研究において重要である。得られた4人の祖先プロファイルは、現在の中部アフリカ西部の狩猟採集民のものに最も近いことから、4人が属する集団が現在のバントゥー諸語話者の祖先ではないことが示唆された。著者たちはアフリカのヒト集団史に関して、系統発生モデルから、祖先の広範な混血事象およびアフリカ内での重要な3回の放散事象などの手掛かりを得ている。
この記事へのコメント