ネアンデルタール人による二枚貝の道具としての使用
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)による二枚貝の道具としての使用に関する研究(Villa et al., 2020)が報道されました。本論文は、ブヨ洞窟(Grotta dei Moscerini)の中部旧石器時代の遺物について検証しています。ブヨ洞窟はイタリアのラティウム地方では最大級の沿岸洞窟の一つです。ブヨ洞窟は現代の海岸線に近く、約9mの層は1~44(上から下)に分類されています。火の使用の証拠は第11層以降のほとんどで確認されています。ブヨ洞窟遺跡の年代は電子スピン共鳴法(ESR)により測定され、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~4前期と推定されています。
ブヨ洞窟遺跡の道具の素材は、ラティウム地方の他の文化よりも多様で、地元産ではない石材も用いられています。石核は剥片と同じくらいの頻度で再加工されています。ブヨ洞窟遺跡の石器密度は、一部の層を除いて他のヨーロッパの中部旧石器時代遺跡と比較して低く、洞窟の利用が継続的ではなかった可能性を示唆します。全体的に、人類によるブヨ洞窟の使用は短期間だったようです。中部旧石器時代のヨーロッパ南部の人類(おそらくはネアンデルタール人のみ)は遊動的だったのか、あるいは絶滅と再移住の複雑な動きの中で、異なる系統の複数集団が利用していたのかもしれません。
ブヨ洞窟では171個の貝殻の道具が発見されており、二枚貝であるヨーロッパワスレ(Callista chione)に分類されています。ヨーロッパワスレの貝殻で製作された道具は、ヨーロッパの11ヶ所のムステリアン(Mousterian)遺跡で発見されており、10ヶ所がイタリア、1ヶ所がギリシアに存在します。しかし、ほとんどの遺跡では、ヨーロッパワスレの二次加工された貝殻はたいへん少なく、道具としては詳細に報告されてきませんでした。これまでに最もよく知られているのはイタリア南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)で、126個の二次加工された貝殻が発見されています。
ブヨ洞窟では第42層から第14層までの多くの層で、二次加工されたヨーロッパワスレの貝殻が計171個発見されています。ヨーロッパワスレは食用に適しており、一部では焼かれた痕跡も見つかっていますが、ブヨ洞窟では火の使用痕跡が珍しくなく、二次加工後に焼かれた貝殻もあることから、食べられた可能性は排除できないものの、おもに削器の製作に用いられていたのだろう、と本論文は推測しています。その他にはムラサキイガイ(Mytilus galloprovincialis)も容易に大量採集できますが、その貝殻は二次加工されておらず、おそらくは食用のみに採集されました。
ブヨ洞窟遺跡のヨーロッパワスレの貝殻の損傷や海洋生物の付着といった保存状態に基づき、その23.9%は生きたまま海中で採集された、と推定されています。これは、ネアンデルタール人による浅瀬での素潜りがあったことを示唆します。外耳道外骨腫の研究も、ネアンデルタール人による習慣的な潜水の可能性を支持します(関連記事)。釣り針はシャテルペロニアン(Châtelperronian)とオーリナシアン(Aurignacian)で用いられていた可能性が指摘されており、網の証拠はまだ上部旧石器時代でも確認されていませんが、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4にネアンデルタール人が使用した可能性も指摘されています。現生人類だけではなくネアンデルタール人も沿岸資源を常習的に利用できていた、ということなのでしょう(関連記事)。
道具としての貝殻の使用はジャワ島の54万~43万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)でも確認されており(関連記事)、その行動の起源はかなり古く、現生人類とネアンデルタール人の分岐前までさかのぼる可能性が高そうです。ジャワ島のエレクトス系統は、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先から分岐したと考えられるからです。しかし本論文は、道具としての貝殻の体系的な使用と二次加工は、ブヨ洞窟を含めてイタリアとギリシアの一部の遺跡だけで確認されている、と指摘します。
ブヨ洞窟のいくつかの層には1個もしくは複数の軽石が含まれています。これはイスキア島もしくはフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火前の火山噴火に由来し、年代は11万~4万年前頃と推定されています。このフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火がネアンデルタール人には大打撃になって絶滅に追い込まれた、との見解も提示されていますが、ネアンデルタール人も当時ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類も、この大噴火により持続的な影響を受けたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。本論文は、軽石はその堆積状況から海水や風によりブヨ洞窟に運ばれた可能性が低いため、ネアンデルタール人が収集して研削器として使用したのだろう、と推測しています。
本論文は、ネアンデルタール人が環境と資源に対する深い知識を有し、潜水などにより海産資源も利用していたと考えられることから、以前には現生人類特有と考えられていたこうした知識・行動には深い進化的起源がある、と指摘します。ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が圧倒的に優勢だった1997~2009年頃と比較すると、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向は弱くなったように思います。とはいっても、ネアンデルタール人と現生人類とで何らかの潜在的な能力の違いがあった可能性は高く、今後はゲノム解析と遺伝子機能の特定の進展により、そうした違いがじょじょに解明されていくだろう、と期待されます。
参考文献:
Villa P, Soriano S, Pollarolo L, Smriglio C, Gaeta M, D’Orazio M, et al. (2020) Neandertals on the beach: Use of marine resources at Grotta dei Moscerini (Latium, Italy). PLoS ONE 15(1): e0226690.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0226690
ブヨ洞窟遺跡の道具の素材は、ラティウム地方の他の文化よりも多様で、地元産ではない石材も用いられています。石核は剥片と同じくらいの頻度で再加工されています。ブヨ洞窟遺跡の石器密度は、一部の層を除いて他のヨーロッパの中部旧石器時代遺跡と比較して低く、洞窟の利用が継続的ではなかった可能性を示唆します。全体的に、人類によるブヨ洞窟の使用は短期間だったようです。中部旧石器時代のヨーロッパ南部の人類(おそらくはネアンデルタール人のみ)は遊動的だったのか、あるいは絶滅と再移住の複雑な動きの中で、異なる系統の複数集団が利用していたのかもしれません。
ブヨ洞窟では171個の貝殻の道具が発見されており、二枚貝であるヨーロッパワスレ(Callista chione)に分類されています。ヨーロッパワスレの貝殻で製作された道具は、ヨーロッパの11ヶ所のムステリアン(Mousterian)遺跡で発見されており、10ヶ所がイタリア、1ヶ所がギリシアに存在します。しかし、ほとんどの遺跡では、ヨーロッパワスレの二次加工された貝殻はたいへん少なく、道具としては詳細に報告されてきませんでした。これまでに最もよく知られているのはイタリア南部のカヴァッロ洞窟(Grotta del Cavallo)で、126個の二次加工された貝殻が発見されています。
ブヨ洞窟では第42層から第14層までの多くの層で、二次加工されたヨーロッパワスレの貝殻が計171個発見されています。ヨーロッパワスレは食用に適しており、一部では焼かれた痕跡も見つかっていますが、ブヨ洞窟では火の使用痕跡が珍しくなく、二次加工後に焼かれた貝殻もあることから、食べられた可能性は排除できないものの、おもに削器の製作に用いられていたのだろう、と本論文は推測しています。その他にはムラサキイガイ(Mytilus galloprovincialis)も容易に大量採集できますが、その貝殻は二次加工されておらず、おそらくは食用のみに採集されました。
ブヨ洞窟遺跡のヨーロッパワスレの貝殻の損傷や海洋生物の付着といった保存状態に基づき、その23.9%は生きたまま海中で採集された、と推定されています。これは、ネアンデルタール人による浅瀬での素潜りがあったことを示唆します。外耳道外骨腫の研究も、ネアンデルタール人による習慣的な潜水の可能性を支持します(関連記事)。釣り針はシャテルペロニアン(Châtelperronian)とオーリナシアン(Aurignacian)で用いられていた可能性が指摘されており、網の証拠はまだ上部旧石器時代でも確認されていませんが、海洋酸素同位体ステージ(MIS)4にネアンデルタール人が使用した可能性も指摘されています。現生人類だけではなくネアンデルタール人も沿岸資源を常習的に利用できていた、ということなのでしょう(関連記事)。
道具としての貝殻の使用はジャワ島の54万~43万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)でも確認されており(関連記事)、その行動の起源はかなり古く、現生人類とネアンデルタール人の分岐前までさかのぼる可能性が高そうです。ジャワ島のエレクトス系統は、現生人類とネアンデルタール人の共通祖先から分岐したと考えられるからです。しかし本論文は、道具としての貝殻の体系的な使用と二次加工は、ブヨ洞窟を含めてイタリアとギリシアの一部の遺跡だけで確認されている、と指摘します。
ブヨ洞窟のいくつかの層には1個もしくは複数の軽石が含まれています。これはイスキア島もしくはフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火前の火山噴火に由来し、年代は11万~4万年前頃と推定されています。このフレグレイ平野における4万年前頃の大噴火がネアンデルタール人には大打撃になって絶滅に追い込まれた、との見解も提示されていますが、ネアンデルタール人も当時ヨーロッパに拡散してきた初期現生人類も、この大噴火により持続的な影響を受けたわけではない、との見解も提示されています(関連記事)。本論文は、軽石はその堆積状況から海水や風によりブヨ洞窟に運ばれた可能性が低いため、ネアンデルタール人が収集して研削器として使用したのだろう、と推測しています。
本論文は、ネアンデルタール人が環境と資源に対する深い知識を有し、潜水などにより海産資源も利用していたと考えられることから、以前には現生人類特有と考えられていたこうした知識・行動には深い進化的起源がある、と指摘します。ネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な見解が圧倒的に優勢だった1997~2009年頃と比較すると、ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向は弱くなったように思います。とはいっても、ネアンデルタール人と現生人類とで何らかの潜在的な能力の違いがあった可能性は高く、今後はゲノム解析と遺伝子機能の特定の進展により、そうした違いがじょじょに解明されていくだろう、と期待されます。
参考文献:
Villa P, Soriano S, Pollarolo L, Smriglio C, Gaeta M, D’Orazio M, et al. (2020) Neandertals on the beach: Use of marine resources at Grotta dei Moscerini (Latium, Italy). PLoS ONE 15(1): e0226690.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0226690
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