チンパンジーにおける雄による子殺しへの雌の対抗戦略

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、チンパンジー(Pan troglodytes)における成体の雄による子殺しへの雌の対抗戦略に関する研究(Lowe et al., 2019)が報道されました。哺乳類では雄による乳児殺しが一般的です。これは、授乳中は月経が止まり、妊娠しなくなるため、雄が乳児殺しにより母親の授乳を止めてその出産間隔を短縮し、自身の子を儲ける可能性が高くなるため、雄の適応度を上昇させるからと考えられています。そのため、乳児でも幼い個体ほど、その虚弱性もあって狙われやすくなります。乳児殺しは大きな選択圧になるので、雌の側の対抗戦略が予測されます。

 乳児殺しはチンパンジーの複数集団で起きており、ほとんどの場合加害者は雄です。チンパンジーにおける雌の乱交は、乳児殺しへの対抗戦略の一つと考えられています。ここで重要なのは、雄の集団内順位から父親を予測できる、ということです(1~3位の雄の子は集団の約60%)。もっとも、チンパンジーは乱交社会で、そのため父性の混乱により、乳児殺しへの保護は充分には期待できませんが、これは乳児殺しの重要な背景となります。低順位の雄は一般に、子を儲ける可能性が低く、乳児殺し戦略により失うものは少ないのですが、乳児殺しの最大の危険性は、順位上昇中の雄から生じる、と予測されています。現在は自身の子が少ないものの、次に子を儲ける可能性が高いところまで順位を上げた雄は、失うものが少なく、得るものが多くなる、というわけです(ローリスクハイリターン)。

 そのため、乳児殺しは、子を儲ける機会の低い雄にとって、順位が上昇する時にはとくに適応的戦略となります。雌は体力的に雄の攻撃に対抗できず、乱婚社会で雄からの保護が充分は期待できないため、乳児殺しの危険性に対抗するには、乱婚に追加するか、もしくは代替する戦略が必要となります。なお、現時点での研究では、雄が父性を直接的に識別できている、と仮定できるだけの証拠は提示されていません。また、チンパンジーは柔軟に分裂して融合するので、雌はこれを乳児殺しへの対抗戦略として用いている可能性がある、と指摘されています。

 本論文は、成体の雄による乳児殺しの危険性に対する雌の対抗戦略について、ウガンダのブドンゴ森林のソンソ(Sonso)集団のチンパンジーの調査結果から、3通りの非排他的な可能性を検証しています。一つは、雌が子をより多く儲けている可能性の高い高順位雄からの保護を求める、というものです。次に、雌が乳児殺しの可能性のある雄への乳児の接近を避ける、というものです。最後に、雌が他の母親と提携して乳児の保護を求める、というものです。

 本論文の検証結果は、乳児の母親が集団内順位で急速に上昇している雄に最も強く反応する、と示します。乳児の母親は、そうした乳児殺しの危険性の高い雄との接触を減らしているわけですが、また同時に、高順位の雄との接触を増やそうとすることも明らかになりました。雌は雄の順位変動に敏感で、乳児殺しの危険性を減少させるよう適応的に反応する、というわけです。本論文は、こうしたチンパンジーの雌の乳児殺しの危険性への対抗戦略は、他のチンパンジー集団でも一般化できる、と予測しています。雄のチンパンジーについては、高順位の雄と競争するため複雑な同盟を用いる「策略家」と言われますが、本論文が示すように、雌もまた乳児殺しの危険性を減少させるため、雄の順位変動に敏感になり、集団内順位を急上昇させているような雄との接触を避けるという対抗戦略を採用する、「策略家」というわけです。


参考文献:
Lowe AE, Hobaiter C, and Newton‐Fisher NE.(2019): Countering infanticide: Chimpanzee mothers are sensitive to the relative risks posed by males on differing rank trajectories. American Journal of Physical Anthropology, 168, 1, 3–9.
https://doi.org/10.1002/ajpa.23723

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