2010年代の古人類学
2010年代も残り10日を切り、この機会に2010年代の古人類学を振り返ります。2010年代にDNA解析技術の大きな向上により飛躍的に発展したのが古代DNA研究で、この流れは2020年代にさらに加速しそうです。この間の大きな成果としてまず挙げられるのが、2009年末の時点では否定的な人々の方が多かっただろう、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との交雑がほぼ通説として認められるようになったことです。
さらに大きな成果として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)という新たな分類群が設定されたことも挙げられます(関連記事)。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類を含めた後期ホモ属の関係はたいへん複雑で、相互に交雑していた、と推測されています。
これにより、現生人類アフリカ単一起源説でも、現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの在来の人類集団を完全に置換した、という2009年末の時点では有力だっただろう見解は過去のものとなりました。これは現生人類多地域進化説の「復権」とも解釈できますが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だった、とはとても言えないでしょう(関連記事)。今後、古代DNA研究の進展により、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の単系統群とは大きく異なる系統の分類群が確認されることも期待されます。
古代DNA研究の進展により、現代人の各地域集団の形成過程の解明も飛躍的に進み、とくにヨーロッパ集団に関してはかなり詳細に分かってきたのではないか、と思います。アジア南西部やアメリカ大陸に関しても、地域集団の形成過程は2009年末の時点と比較してずっと詳細に解明されている、と言えるでしょう。しかし、アジア東部を含むユーラシア東部に関しては、ユーラシア西部と比較して古代DNA研究がずっと遅れていることは否定できず、それだけに発展の余地があるとも言えます。しかし、その強大な経済力から今後の古代DNA研究の飛躍的な進展が期待される中国も、DNAの残存という点でヨーロッパと比較して自然環境は恵まれていないので、ヨーロッパとの差を縮めていくのは容易ではなさそうです(関連記事)。
このように、古代DNA研究は2010年代に飛躍的に発展しましたが、地域と年代の点で限界があることは否定できません。現時点でDNA解析に成功した最古の人類は43万年前頃のイベリア半島北部集団で(関連記事)、これ以上古いDNAとなると、さらに寒冷な地域の人類化石が必要となりそうで、そうした年代・地域の人類化石は少ないので、50万年以上前の人類のDNAを解析することは難しそうです。こうした古代DNA研究の年代・地域の限界を大きく超えて遺伝的情報を得る手法として、近年大きく発展しつつあるタンパク質解析が注目されます(関連記事)。じっさい、190万年前頃の霊長類の歯でタンパク質解析が成功しており(関連記事)、歯はとくに残りやすい部位だけに、今後の人類進化研究への応用が期待されます。
報告された人類化石で注目されるのは、2010年に報告された(関連記事)アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus)で、現時点では南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でしか確認されていません。セディバの推定年代は197万7000年±7000年前です(関連記事)。セディバにはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、報告者たちは現代人も含むホモ属の祖先ではないか、と示唆しましたが、その年代から、ホモ属の祖先である可能性は低い、と指摘されています(関連記事)。
2015年に報告された280万~275万年前頃のホモ属的特徴を有するエチオピアの下顎化石は、ホモ属の起源を大きくさかのぼらせるとして、大きな注目を集めました(関連記事)。これ以降、ホモ属の起源を280万年前頃までさかのぼらせる傾向が強くなってきたように思いますが、全体的な形態は不明ですし、アウストラロピテクス・セディバのように、この個体がアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した分類群に属していた可能性もあります。おそらく、280万年前頃までにはホモ属的特徴が出現し始め、そうした特徴はじょじょに出現していき、200万~180万年前頃にほぼ異論の余地のないホモ属が出現したのでしょう。
アウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した人類化石は、南アフリカ共和国で他にも発見されており、2015年にホモ・ナレディ(Homo naledi)と命名されました(関連記事)。報告者たちは当初、ナレディは鮮新世後期~更新世初期の人骨群で、アウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種である可能性が高い、と考えていました。しかし、その後になってナレディの年代は335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、これではとてもアウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種とは言えません。ナレディは、すでに現生人類的な集団の出現していた中期更新世後期のアフリカにおいても、おそらくは現生人類と大きく異なる系統の人類集団が存在していたことを示したという点で、たいへん貴重だと思います。人類史において、1種しか存在していないような時代は、最初期を除けば過去数万年程度のごく最近だけだったのかもしれません。
さらに大きな成果として、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)という新たな分類群が設定されたことも挙げられます(関連記事)。現生人類やネアンデルタール人といったホモ属の各種や、さらにさかのぼってアウストラロピテクス属の各種もそうですが、人類系統の分類群は基本的には形態学的に定義されています。しかし、デニソワ人は人類系統の分類群としては例外的に、遺伝学的に定義された分類群です。ネアンデルタール人とデニソワ人と現生人類を含めた後期ホモ属の関係はたいへん複雑で、相互に交雑していた、と推測されています。
これにより、現生人類アフリカ単一起源説でも、現生人類がネアンデルタール人などユーラシアの在来の人類集団を完全に置換した、という2009年末の時点では有力だっただろう見解は過去のものとなりました。これは現生人類多地域進化説の「復権」とも解釈できますが(関連記事)、あくまでも部分的なものであり、多地域進化説が妥当だった、とはとても言えないでしょう(関連記事)。今後、古代DNA研究の進展により、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人の単系統群とは大きく異なる系統の分類群が確認されることも期待されます。
古代DNA研究の進展により、現代人の各地域集団の形成過程の解明も飛躍的に進み、とくにヨーロッパ集団に関してはかなり詳細に分かってきたのではないか、と思います。アジア南西部やアメリカ大陸に関しても、地域集団の形成過程は2009年末の時点と比較してずっと詳細に解明されている、と言えるでしょう。しかし、アジア東部を含むユーラシア東部に関しては、ユーラシア西部と比較して古代DNA研究がずっと遅れていることは否定できず、それだけに発展の余地があるとも言えます。しかし、その強大な経済力から今後の古代DNA研究の飛躍的な進展が期待される中国も、DNAの残存という点でヨーロッパと比較して自然環境は恵まれていないので、ヨーロッパとの差を縮めていくのは容易ではなさそうです(関連記事)。
このように、古代DNA研究は2010年代に飛躍的に発展しましたが、地域と年代の点で限界があることは否定できません。現時点でDNA解析に成功した最古の人類は43万年前頃のイベリア半島北部集団で(関連記事)、これ以上古いDNAとなると、さらに寒冷な地域の人類化石が必要となりそうで、そうした年代・地域の人類化石は少ないので、50万年以上前の人類のDNAを解析することは難しそうです。こうした古代DNA研究の年代・地域の限界を大きく超えて遺伝的情報を得る手法として、近年大きく発展しつつあるタンパク質解析が注目されます(関連記事)。じっさい、190万年前頃の霊長類の歯でタンパク質解析が成功しており(関連記事)、歯はとくに残りやすい部位だけに、今後の人類進化研究への応用が期待されます。
報告された人類化石で注目されるのは、2010年に報告された(関連記事)アウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus)で、現時点では南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)遺跡でしか確認されていません。セディバの推定年代は197万7000年±7000年前です(関連記事)。セディバにはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、報告者たちは現代人も含むホモ属の祖先ではないか、と示唆しましたが、その年代から、ホモ属の祖先である可能性は低い、と指摘されています(関連記事)。
2015年に報告された280万~275万年前頃のホモ属的特徴を有するエチオピアの下顎化石は、ホモ属の起源を大きくさかのぼらせるとして、大きな注目を集めました(関連記事)。これ以降、ホモ属の起源を280万年前頃までさかのぼらせる傾向が強くなってきたように思いますが、全体的な形態は不明ですし、アウストラロピテクス・セディバのように、この個体がアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した分類群に属していた可能性もあります。おそらく、280万年前頃までにはホモ属的特徴が出現し始め、そうした特徴はじょじょに出現していき、200万~180万年前頃にほぼ異論の余地のないホモ属が出現したのでしょう。
アウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴の混在した人類化石は、南アフリカ共和国で他にも発見されており、2015年にホモ・ナレディ(Homo naledi)と命名されました(関連記事)。報告者たちは当初、ナレディは鮮新世後期~更新世初期の人骨群で、アウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種である可能性が高い、と考えていました。しかし、その後になってナレディの年代は335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、これではとてもアウストラロピテクス属からホモ属への移行的な種とは言えません。ナレディは、すでに現生人類的な集団の出現していた中期更新世後期のアフリカにおいても、おそらくは現生人類と大きく異なる系統の人類集団が存在していたことを示したという点で、たいへん貴重だと思います。人類史において、1種しか存在していないような時代は、最初期を除けば過去数万年程度のごく最近だけだったのかもしれません。
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