現代アジア東部集団とデニソワ人の交雑の根拠とされた臼歯に関する議論

 下顎大臼歯の歯根数から、現代アジア東部集団の祖先である現生人類(Homo sapiens)集団と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑の可能性を指摘した研究(Bailey et al., 2019)にたいする、批判(Scott et al., 2020)とそれへの反論(Bailey et al., 2020)が報道されました。以下、批判された研究はベイリー論文A、その批判はスコット論文、反論はベイリー論文Bとします。

 中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)で発見された16万年以上前の右側下顎骨は、タンパク質解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)に分類されました(関連記事)。この夏河下顎骨には大臼歯で3本の歯根(3RM)が見られます。これは、アジアとアメリカ大陸以外では3.4%以下と稀ですが、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団では40%を超えるかもしれません。

 こうした特徴は、中華人民共和国広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)田東県(Tiandong County)林逢鎮(Linfeng Town)の独山洞窟(Dushan Cave)で発見された、15850~12765年前頃と推定されている初期現生人類(関連記事)にも、それよりもずっと古いアジア東部のホモ・エレクトス(Homo erectus)にも、またアフリカの初期現生人類にも見られません。近年まで3RMの最古の例は、フィリピンで発見された47500~9000年前頃の現生人類下顎骨でした。この現生人類遺骸では、下顎の両側で3RMが見られます。そのため最近まで、アジア東部集団およびアメリカ大陸先住民集団における3RMの高頻度は、現生人類がユーラシアへと拡散した後に獲得された、と考えられていました。

 しかし近年、ずっと古い3RMが報告されました。一つは、上述のチベット高原東部で発見された16万年以上前と推定されている夏河下顎骨です。もう一つは、台湾沖で発見された、非現生人類の澎湖1(Penghu 1)下顎骨(関連記事)でも3RMが確認されました。澎湖1の下顎は、頤のないことや厚いことなど「古代的」特徴を保持しており、その巨大な大臼歯の歯冠は、デニソワ人のそれとサイズが類似しています。夏河下顎骨と同様に、こうした巨大な大臼歯は、第三大臼歯の欠如と結びついています。こうした理由から、澎湖1とデニソワ人との近縁性が指摘されています。そのためベイリー論文Aは、3RMをアジア東部集団の祖先集団とデニソワ人との交雑によるものと推測しました(関連記事)。

 しかし、ベイリー論文Aの見解には疑問が残る、とスコット論文は指摘します。まず、夏河下顎骨では3RM は下顎第二大臼歯(LM2)に見られます。しかし、3RMはアジア東部集団およびその遺伝的影響を強く受けたアメリカ大陸先住民集団(関連記事)において、下顎第一大臼歯(LM1)では一般的であるものの、LM2では稀である、とスコット論文は指摘します。たとえば、LM1では38.4%ですが、LM2では1.4%です。3RMの頻度は、たとえば世界で最も高い集団であるアリュート民族でも、LM1では40.7%ですが、LM2では1.9%です。さらに重要なのは、夏河下顎骨の3RMは典型的な下顎大臼歯の3根(3RLM)とは異なる、ということです。第3根はひじょうに小さく、通常は他の歯根の約1/3のサイズで、遠心舌面にあります。しかし、夏河下顎骨の第3根のサイズは他の歯根と比較して1/3よりずっと大きく、遠心舌面ではなく近心舌面にあります。同様に、澎湖1下顎骨のLM2は、歯の近心と遠心の舌側の間に強い第3根を有しており、現代人とは発生する大臼歯も大臼歯での位置も異なります。

 スコット論文は、夏河下顎骨の3RLMが現代のアジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMと相同であることを示す証拠はじゅうぶんではなく、デニソワ人から現代アジア東部集団の祖先集団への遺伝子移入の証拠と解釈することはできない、と指摘します。さらにスコット論文は、交雑の表現型の特徴がまだ不明であることを指摘します。ヒト交雑個体は、両親それぞれの出自集団からの中間的もしくはモザイク状の特徴を示すだろう、としばしば想定されます。しかし、最近の研究が明らかにしているのは、遺伝的交雑はしばしば進化的革新につながる、ということです。したがって、潜在的な祖先的特徴のより強い表現型は、必ずしも遺伝子移入ではなく、単に古代型の特徴の保持を示唆しているのかもしれない、というわけです。絶滅種の研究において、残存しやすい歯は最も適した部位です。しかし、孤立した歯の特徴の過剰解釈には注意が必要である、とスコット論文は指摘します。

 スコット論文に対して、ベイリー論文Bは反論しています。まずベイリー論文Bは、LM2で3RLMが稀であるのは事実でも、3RLMはアジアと強く結びついている、と指摘します。少なくとも1つの臨床研究では、LM2の3RLMはアジア東部集団(およびその遺伝的影響の強い集団)では2.8%、それ以外の集団では1.7%と、アジア東部集団の方が60%ほど多く見られる、と報告されています。またベイリー論文Bは、3RLMの発現においてLM1とLM2もしくはLM3との違いがあるとしても、それが非相同的特徴を表していることにはなにない、と指摘します。歯科人類学と古人類学の文献では、異なる歯の位置の同じ特徴を相同的とみなしてきしたからです。

 夏河下顎骨の3RLMは現代人集団に見られる「典型的な」3RLMはではない、とのスコット論文の批判にたいしてベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMを再検証しました。その結果、夏河下顎骨のLM2は近心舌面起源と示され、その意味で、遠心舌面の位置を想定する「典型的な」3RLMとは異なるかもしれないものの、夏河下顎骨の3RLMは分岐した近心経路ではないことも示され、スコット論文の主張とは異なる、とベイリー論文Bは指摘します。さらにベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMが「単に古代型特徴の保持」という可能性を提示するスコット論文の見解には同意していません。3RLMは鮮新世もしくは更新世の他のあらゆる人類化石で観察されていないからです。

 ベイリー論文Bは、夏河下顎骨の3RLMのわずかに異なる形態学的特徴が非相同的である可能性は非常に低い、との結論を提示しています。さらにベイリー論文Bは、ほぼ排他的にアジア東部集団にしか存在しない3RLMが、わずかに異なる形状ではあるものの、アジアの非現生人類化石で発見されていることは、遺伝子移入でないとすれば、起こりそうもない偶然だ、と指摘します。歯根発達時期のわずかな違いは、遺伝的に相同的な特徴のわずかに異なる発現につながる可能性がある、とベイリー論文Bは指摘します。夏河下顎骨の3RLMが典型的な3RLMと相同的なのか、それとも最近のアジア東部集団におけるその発生は遺伝子移入の結果なのかどうかという問題の解明は、究極的には遺伝的基盤の特定に依拠する、とベイリー論文Bは指摘します。

 夏河下顎骨と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに違いがあることを指摘したスコット論文の意義は大きい、と思います。ただ、ベイリー論文Bが指摘するように、現時点での証拠からは、これを単に古代型の特徴の保持と断定することは、とてもできそうにありません。その意味で、現代人に見られる3RLMが、デニソワ人から現生人類への遺伝子移入によりもたらされた可能性もまだ充分あるとは思います。この問題の解明には、ベイリー論文Bが指摘するように、3RLMの遺伝的基盤の特定が必要になります。

 ただ、現時点で高品質のゲノム配列が得られているというか、そもそもDNAが解析されたのは南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の個体だけなので(関連記事)、デニソワ人が複数系統に分岐していた可能性(関連記事)を考慮すると、仮にデニソワ人と現代アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団で見られる3RLMに共通の遺伝的基盤があったとしても、アルタイ山脈のデニソワ人のゲノムにはその遺伝子多様体は見つからないかもしれません。つまり、アジア東部のデニソワ人系統においてのみ生じた変異かもしれない、というわけです。その意味で、スコット論文が提起した問題の解明には、3RLMの遺伝的基盤の特定とともに、アルタイ山脈以外のデニソワ人のDNA解析も必要になるでしょう。


参考文献:
Bailey SE, Hublin JJ, and Antón SC.(2019): Rare dental trait provides morphological evidence of archaic introgression in Asian fossil record. PNAS, 116, 30, 14806–14807.
https://doi.org/10.1073/pnas.1907557116

Bailey SE. et al.(2020): Reply to Scott et al: A closer look at the 3-rooted lower second molar of an archaic human from Xiahe. PNAS, 117, 1, 39–40.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918959116

Scott GR, Irish JD, and Martinón-Torres M.(2020): A more comprehensive view of the Denisovan 3-rooted lower second molar from Xiahe. PNAS, 117, 1, 37–38.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918004116

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