『卑弥呼』第31話「価値ある人」

 『ビッグコミックオリジナル』2020年1月5日号掲載分の感想です。前回は、生贄を装って鬼八荒神(キハチコウジン)の広場で待ち受けるヤノハたちに、「何か」が迫ってくるところで終了しました。今回は、ヤノハが幼少時を回想する場面から始まります。夜と朝の境である東雲とは、黄泉の国の鬼どもが地上に這い出る刻で、幼いヤノハはその時間が怖く、いつも義母の手を握っていました。黄泉の国に連れていく鬼が怖いというヤノハを、義母は諭します。できるだけ長く生きた者がこの世の勝者ではあるものの、どんなに望んでも人は必ず黄泉の鬼に捕まり人生を終える、瀕死の時にこそ人の価値は決まる、というわけです。

 千穂では、鬼八と思われる仮面を着けた者たちがヤノハたちの前に現れ、中には人の皮の仮面もありました。ミマアキは、その者たちは人間ではない、と考えます。五瀬邑から選ばれた若い女性たちは、近くを徘徊する者たちに怯え、オオヒコは阻止しようとしますが、まだその時ではない、とヤノハは制止します。森で待機しているミマト将軍は、鬼八が何者でどれだけの数なのか、見極めようとしていました。全員配置についたが、森は恐ろしいほど静寂で、鬼どころか獣すら姿を見せない、とミマト将軍は報告を受けます。本隊への合流を進言する配下に対して、自分はここに留まり、指揮はテヅチ将軍に任せる、と言う総大将のミマト将軍を、配下は諌めます。しかしミマト将軍は、死地に赴いた兵士の近くにおらず、何が将だ、と言って動こうとしません。

 祭祀場では、鬼八らしき者たちが、大きな岩の上で儀式を始めていました。ヤノハはその言葉を聞き、昔の倭言葉に似ている、と呟きます。鬼八らしき者たちは人の頭蓋骨で作った杯で酒を飲み、踊り始めます。一方、待機していたミマト将軍は、自分たちだけでの出撃を決断し、テヅチ将軍には総攻撃を伝えるよう、配下に伝えます。ミマト将軍は、森は恐ろしいほど静かだ、という先程の伝令兵の言葉で気づかなかったことを悔やみます。森が静かということは、獣すら身を潜める恐ろしい何かが来て、祭祀場を囲む40名もその者たちに殺されたのだろう、というわけです。

 祭祀場では、岩の上で踊っていた者たちが生贄とされたミマアキや五瀬邑の若い女性たちに近づいて様子を窺います。その中の長らしき者がヤノハに近づき、ヤノハの手を縛っていた紐を外します。ミマアキはヤノハに指示を出すよう促しますが、ヤノハはまだだと言って静観します。ヤノハは、長らしき者の言葉は分からないながらも、祭壇となっている岩に上がれという意味だ、と解釈します。ヤノハは他の生贄に、鬼八は言葉を使い、二本脚で歩き、舞い、酒を飲むので人だ、と力強く宣言します。生贄とされた女性たちの足元の4人はとても若いので、これは嫁取りの儀式で女性たちは若い鬼八たちの子供を産ませられるのだろう、とヤノハは推測します。ヤノハは、五瀬邑の若い女性以外の生贄4人と「送り人」のオオヒコは祭壇で切り刻まれる、と予想します。イクメはヤノハを助けようとしますが、手遅れだ、とヤノハは冷静に言います。祭祀場の周囲は、すでに多数の鬼八に囲まれていました。絶体絶命の状況で、ヤノハが、鬼を前にして震えて死ぬか、雄々しく死ぬか、怖さを克服して死ぬ人こそ価値があり、よく観察すれば怖いものはなくなる、という義母の言葉を思い出し、祭壇に向かうところで今回は終了です。


 今回は、鬼八が初めて描かれました。鬼八が五瀬邑の若い女性たちを生贄として要求しているのは子供を産ませるためで、これは予想通りでした。では、鬼八は何者なのか、という問題になるわけですが、ヤノハが昔の倭言葉に似ている、と推測していることは重要な手がかりになりそうです。鬼八は孤立した縄文人の末裔ではないか、と私は推測しているのですが、あるいは、元々は当時の多数派の農耕民と近縁で、何らかの事情により孤立した結果、その言語は倭国の大半の地域とも通じなくなったのでしょうか。『日本書紀』の神武天皇と思われるサヌ王の呪いと関連しているのではないか、と予想しています。鬼八荒神は鬼道に通じているとされ、『三国志』によると卑弥呼(日見子)は鬼道により人々を掌握した、とありますから、ヤノハは鬼八荒神を配下とするのでしょう。それがどのようになされるのか、前半の山場になりそうです。鬼八の戦闘力はひじょうに高いようですから、ヤノハの重要な権力基盤の一つになりそうです。この絶体絶命の危機をヤノハがどう切り抜けるのか、次回以降もたいへん楽しみです。

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