ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析
ギガントピテクス属の歯のタンパク質解析に関する研究(Welker et al., 2019)が報道されました。ギガントピテクス・ブラッキー(Gigantopithecus blacki)はかつてアジア南東部に生息していた推定体長約3m・最大体重約600kgの大型類人猿(ヒト科)で、とりわけ巨大だったと推測されています。ギガントピテクス属の化石は中国南部~ベトナム北部およびタイのみで発見されており、数千個の歯と4個の部分的な下顎から構成されています。ギガントピテクス属の年代は、前期更新世から中期更新世後期となる200万~30万年前頃と推定されています。しかし、ギガントピテクス属の系統的位置づけに関しては、複数の仮説が提示されていたものの、歯と顎の形態が高度に派生的で、頭蓋および頭蓋後方の骨が発見されておらず、独立した分子的検証が行なわれていないため、明らかではありませんでした。
本論文は、中国の吹風(Chuifeng)洞窟で発見された、190万±20万年前と推定されているギガントピテクス・ブラッキーの大臼歯の象牙質およびエナメル質で、タンパク質抽出を試みました。その結果、歯の象牙質から内在性タンパク質は特定されませんでしたが、エナメル質で6個の内在性タンパク質と合致する409個の特有のペプチドが得られました。これは、骨格プロテオーム(タンパク質の総体)としては最古になります(アフリカ東部では、もっと古い卵殻のタンパク質解析の事例があります)。本論文は、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析が可能であることを示したという点で、たいへん意義深いと言えるでしょう。
吹風洞窟のギガントピテクスの大臼歯のエナメル質からは、雄特有のタンパク質であるアメロゲニンに特有のペプチドが検出されず、この個体が雌だったことを示唆していますが、そうしたペプチドが分解されてしまった可能性も本論文は指摘しています。ギガントピテクスの456個のアミノ酸のタンパク質配列の網羅率は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見されたサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)よりも短く、177万年前頃と推定されているドマニシ遺跡のサイ(関連記事)より古い年代であることと一致します。
本論文はギガントピテクスの系統的位置づけを推定するため、現生類人猿(ヒト上科)のエナメル質プロテオーム配列と比較しました。その結果、ギガントピテクスはオランウータン属と近縁で、単系統群(クレード)を構成する、と示されました。類人猿では、まずテナガザル科とヒト科(大型類人猿)が分岐し、大型類人猿では、ヒト亜科(ゴリラ属とチンパンジー属とホモ属)とギガントピテクス属およびオランウータン属系統が分岐した、と推定されます。ギガントピテクス属系統とオランウータン属系統の推定分岐年代は1000万もしくは1200万年前頃です。以下に、ギガントピテクス・ブラッキーの系統的位置づけを示した本論文の図3を掲載します。
また、ギガントピテクスのエナメル質には、他の現生ヒト科では一般的に観察されないα2-HS糖タンパク質(AHSG)が確認されました。ギガントピテクス属は他の現生および絶滅ヒト科と比較してエナメル質が厚いことから、その形成期間が長いと考えられていましたが、それはAHSGが歯冠の生体鉱物化作用で役割を担っていたからではないか、と本論文は推測しています。このような厚いエナメル質が適応的だったのか、またそうならばどのような選択圧があったのか、今後の研究の進展が期待されます。
本論文の知見は、エナメル質のプロテオーム解析が現代人も含む大型類人猿の進化の解明に役立つことを明らかにしました。歯は動物遺骸としては残存しやすい部位なので、今後の研究の進展が期待されます。何よりも、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析の成功は、その対象範囲の地理的範囲と年代の大きな拡大を意味しますから、大型類人猿、さらには人類系統の進化の解明に大きく寄与すると期待され、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。
プロテオーム解析よりもDNA解析の方がずっと多くの遺伝的情報を得られますが、DNA解析は地理的範囲(熱帯地域は不利)と年代で大きな制約があり、更新世における人類進化の重要な舞台であるサハラ砂漠以南のアフリカやアジア南東部の遺骸ではおそらく無理だろう、と思われます。これまで形態学的に系統関係を検証するしかなかった人類遺骸でも、歯のエナメル質のプロテオーム解析により、さらに詳しい系統関係が明らかになるのではないか、と期待されます。
ただ、プロテオーム解析に関しては難しさも指摘されています。たとえば、チベット高原東部で発見された16万年以上前の人類の骨は、歯の象牙質のプロテオーム解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と識別されましたが(関連記事)、その違いはわずかなので、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)といった既知のDNA解析済のホモ属以外のプロテオーム解析だと、系統関係をじゅうぶんに判断できないかもしれない、と指摘されています(関連記事)。ただ、こうした問題もあるとはいえ、古代DNA研究ではおそらく無理な地域・年代の人類遺骸にも適用可能という点で、プロテオーム解析が人類進化研究において大きな可能性を秘めているのは確かでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
【化石】絶滅した大型類人猿の解明を進める古い歯のエナメル質
絶滅した大型類人猿種であるギガントピテクス・ブラッキーの歯のエナメル質の分析について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、大型類人猿の進化と多様化の理解に役立つかもしれない。
ギガントピテクス・ブラッキーは、絶滅した巨大な類人猿で、1935年に1本の歯の化石試料をもとに初めて同定され、更新世(約200万年前~30万年前)の東南アジアに生息していたと考えられている。ギガントピテクス・ブラッキーの数多くの歯と4点の下顎骨の一部が見つかっているが、頭蓋化石は見つかっておらず、ギガントピテクス・ブラッキーと他の大型類人猿種との関係とギガントピテクス・ブラッキーの大型類人猿種からの分岐を解明することは困難だった。
今回、Frido Welkerたちの研究グループは、中国のChuifeng洞窟で発見された190万年前のギガントピテクス・ブラッキーの化石臼歯を分析した。Welkerたちは、この化石試料から古いエナメルタンパク質を回収し、雌のギガントピテクス・ブラッキーの臼歯である可能性があることを示している。さらなる分析は、ギガントピテクス属が約1200万~1000万年前に共通祖先を持つオランウータンの姉妹群であることも示された。今回の研究で得られた知見によれば、ギガントピテクス属の分岐があったのは中新世の中期または後期とされる。
Welkerたちは、このエナメルタンパク質が、これまでに配列解読されたものの中で最も古い骨格タンパク質だと考えている。そして、Welkerたちは、亜熱帯地域で見つかった化石標本に古いエナメル質タンパク質が残存していたことで、これまでプロテオーム解析法を適用できないと考えられていた地域と時代にプロテオーム解析の適用範囲が広がるという考えを提唱している。
進化学:歯のエナメル質のプロテオームからギガントピテクス属が初期に分岐したオランウータン類であったことが明らかになった
進化学:ギガントピテクス属の近縁動物が明らかに
ギガントピテクス属(Gigantopithecus)は、200万~30万年前に中国南部に生息していた類人猿である。その存在は歯とわずかな顎の断片からしか知られていないが、それらの巨大なサイズから判断すると体重は成体のゴリラの2倍に達したと予想され、それは恐ろしい生物だったに違いない。遺物がほとんど残っていないことから類縁関係の解明は困難で、人類学者たちは、東南アジアで初期のヒト族と同時代に存在したこの謎めいた動物について理解を深めたいと心底願ってきた。今回F Welkerたちは、中国南部の洞窟遺跡で発見された190万年前の大臼歯のエナメル質からプロテオームを抽出し、そのアミノ酸配列を解読している。系統発生学的解析の結果、現生類人猿の中でギガントピテクス属に最も近縁なのはオランウータン属(Pongo)であることが明らかになった。ただし、これら2つの系統は1200万~1000万年前に分岐しており、その近さは相対的なものである。
参考文献:
Welker F. et al.(2019): Enamel proteome shows that Gigantopithecus was an early diverging pongine. Nature, 576, 7786, 262–265.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1728-8
本論文は、中国の吹風(Chuifeng)洞窟で発見された、190万±20万年前と推定されているギガントピテクス・ブラッキーの大臼歯の象牙質およびエナメル質で、タンパク質抽出を試みました。その結果、歯の象牙質から内在性タンパク質は特定されませんでしたが、エナメル質で6個の内在性タンパク質と合致する409個の特有のペプチドが得られました。これは、骨格プロテオーム(タンパク質の総体)としては最古になります(アフリカ東部では、もっと古い卵殻のタンパク質解析の事例があります)。本論文は、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析が可能であることを示したという点で、たいへん意義深いと言えるでしょう。
吹風洞窟のギガントピテクスの大臼歯のエナメル質からは、雄特有のタンパク質であるアメロゲニンに特有のペプチドが検出されず、この個体が雌だったことを示唆していますが、そうしたペプチドが分解されてしまった可能性も本論文は指摘しています。ギガントピテクスの456個のアミノ酸のタンパク質配列の網羅率は、ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見されたサイ科のステファノリヌス属(Stephanorhinus)よりも短く、177万年前頃と推定されているドマニシ遺跡のサイ(関連記事)より古い年代であることと一致します。
本論文はギガントピテクスの系統的位置づけを推定するため、現生類人猿(ヒト上科)のエナメル質プロテオーム配列と比較しました。その結果、ギガントピテクスはオランウータン属と近縁で、単系統群(クレード)を構成する、と示されました。類人猿では、まずテナガザル科とヒト科(大型類人猿)が分岐し、大型類人猿では、ヒト亜科(ゴリラ属とチンパンジー属とホモ属)とギガントピテクス属およびオランウータン属系統が分岐した、と推定されます。ギガントピテクス属系統とオランウータン属系統の推定分岐年代は1000万もしくは1200万年前頃です。以下に、ギガントピテクス・ブラッキーの系統的位置づけを示した本論文の図3を掲載します。
また、ギガントピテクスのエナメル質には、他の現生ヒト科では一般的に観察されないα2-HS糖タンパク質(AHSG)が確認されました。ギガントピテクス属は他の現生および絶滅ヒト科と比較してエナメル質が厚いことから、その形成期間が長いと考えられていましたが、それはAHSGが歯冠の生体鉱物化作用で役割を担っていたからではないか、と本論文は推測しています。このような厚いエナメル質が適応的だったのか、またそうならばどのような選択圧があったのか、今後の研究の進展が期待されます。
本論文の知見は、エナメル質のプロテオーム解析が現代人も含む大型類人猿の進化の解明に役立つことを明らかにしました。歯は動物遺骸としては残存しやすい部位なので、今後の研究の進展が期待されます。何よりも、亜熱帯地域の200万年前頃の動物遺骸でもプロテオーム解析の成功は、その対象範囲の地理的範囲と年代の大きな拡大を意味しますから、大型類人猿、さらには人類系統の進化の解明に大きく寄与すると期待され、今後の研究の進展がたいへん楽しみです。
プロテオーム解析よりもDNA解析の方がずっと多くの遺伝的情報を得られますが、DNA解析は地理的範囲(熱帯地域は不利)と年代で大きな制約があり、更新世における人類進化の重要な舞台であるサハラ砂漠以南のアフリカやアジア南東部の遺骸ではおそらく無理だろう、と思われます。これまで形態学的に系統関係を検証するしかなかった人類遺骸でも、歯のエナメル質のプロテオーム解析により、さらに詳しい系統関係が明らかになるのではないか、と期待されます。
ただ、プロテオーム解析に関しては難しさも指摘されています。たとえば、チベット高原東部で発見された16万年以上前の人類の骨は、歯の象牙質のプロテオーム解析により種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)と識別されましたが(関連記事)、その違いはわずかなので、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や現生人類(Homo sapiens)といった既知のDNA解析済のホモ属以外のプロテオーム解析だと、系統関係をじゅうぶんに判断できないかもしれない、と指摘されています(関連記事)。ただ、こうした問題もあるとはいえ、古代DNA研究ではおそらく無理な地域・年代の人類遺骸にも適用可能という点で、プロテオーム解析が人類進化研究において大きな可能性を秘めているのは確かでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
【化石】絶滅した大型類人猿の解明を進める古い歯のエナメル質
絶滅した大型類人猿種であるギガントピテクス・ブラッキーの歯のエナメル質の分析について報告する論文が、今週掲載される。今回の研究は、大型類人猿の進化と多様化の理解に役立つかもしれない。
ギガントピテクス・ブラッキーは、絶滅した巨大な類人猿で、1935年に1本の歯の化石試料をもとに初めて同定され、更新世(約200万年前~30万年前)の東南アジアに生息していたと考えられている。ギガントピテクス・ブラッキーの数多くの歯と4点の下顎骨の一部が見つかっているが、頭蓋化石は見つかっておらず、ギガントピテクス・ブラッキーと他の大型類人猿種との関係とギガントピテクス・ブラッキーの大型類人猿種からの分岐を解明することは困難だった。
今回、Frido Welkerたちの研究グループは、中国のChuifeng洞窟で発見された190万年前のギガントピテクス・ブラッキーの化石臼歯を分析した。Welkerたちは、この化石試料から古いエナメルタンパク質を回収し、雌のギガントピテクス・ブラッキーの臼歯である可能性があることを示している。さらなる分析は、ギガントピテクス属が約1200万~1000万年前に共通祖先を持つオランウータンの姉妹群であることも示された。今回の研究で得られた知見によれば、ギガントピテクス属の分岐があったのは中新世の中期または後期とされる。
Welkerたちは、このエナメルタンパク質が、これまでに配列解読されたものの中で最も古い骨格タンパク質だと考えている。そして、Welkerたちは、亜熱帯地域で見つかった化石標本に古いエナメル質タンパク質が残存していたことで、これまでプロテオーム解析法を適用できないと考えられていた地域と時代にプロテオーム解析の適用範囲が広がるという考えを提唱している。
進化学:歯のエナメル質のプロテオームからギガントピテクス属が初期に分岐したオランウータン類であったことが明らかになった
進化学:ギガントピテクス属の近縁動物が明らかに
ギガントピテクス属(Gigantopithecus)は、200万~30万年前に中国南部に生息していた類人猿である。その存在は歯とわずかな顎の断片からしか知られていないが、それらの巨大なサイズから判断すると体重は成体のゴリラの2倍に達したと予想され、それは恐ろしい生物だったに違いない。遺物がほとんど残っていないことから類縁関係の解明は困難で、人類学者たちは、東南アジアで初期のヒト族と同時代に存在したこの謎めいた動物について理解を深めたいと心底願ってきた。今回F Welkerたちは、中国南部の洞窟遺跡で発見された190万年前の大臼歯のエナメル質からプロテオームを抽出し、そのアミノ酸配列を解読している。系統発生学的解析の結果、現生類人猿の中でギガントピテクス属に最も近縁なのはオランウータン属(Pongo)であることが明らかになった。ただし、これら2つの系統は1200万~1000万年前に分岐しており、その近さは相対的なものである。
参考文献:
Welker F. et al.(2019): Enamel proteome shows that Gigantopithecus was an early diverging pongine. Nature, 576, 7786, 262–265.
https://doi.org/10.1038/s41586-019-1728-8
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