中国「教授拘束事件」の意味…内外の研究者に及ぶ管理・統制(追記有)

 表題の記事が公開されました。先々月(2019年9月)、中国で日本の国立大学教授が拘束された事件については当ブログでも言及しましたが(関連記事)、川島真氏の表題の記事は、この事件が深刻な意味を有するものである可能性を指摘しており、たいへん注目されます。この事件が「衝撃」だった理由として、川島氏は経緯・専門・準公務員とも言うべき国立大教授という立場を挙げています。拘束の理由は不明なので、この事件のみから中国政府の意図を推測するのは困難なのですが、川島氏が指摘するように、こうした拘束事件は日本人のみを対象としているのではなく、他の外国人相手にも起きており、この点は大いに気になります。

 川島氏は、外国人をめぐる管理・統制の強化は、むしろ中国内の中国人向けの制度が外国人にも適用されつつあることを意味しており、中国内で出版される書籍や論文について、中国人と外国人には別の基準があったものの、習近平政権期になって両者の基準はほぼ同じになり、外国人の書いた文章の中国内での出版は内容によりきわめて難しくなった、と指摘しています。それは政治的性格を仮託されやすい歴史学において、とくに問題となりやすいのでしょう。川島氏は、習近平政権期になって歴史学への統制は強化され、とくに近現代史であれば、国家の歴史よりも共産党の「党史」重視の傾向が強まった、と指摘します。それが中国内の研究者のみならず、外国の研究者にも及びつつあるのではないか、と川島氏は指摘します。

 拘束されたと言われている日本の国立大学教授は日中戦争期を専攻し、中華民国・国民党文書・蔣介石日記・当時の政治家や軍人の個人史料を用いて、きわめて精緻に明らかにしている、と川島氏は評価します。川島氏が実名を挙げていないので私も控えますが、当ブログでも拘束されたと言われている大学教授の論考を取り上げたことがあります。その論考は門外漢には有益で、とくに問題になるようなものとも思えなかったのですが、中国政府の評価は異なるものなのかもしれません。川島氏によると、この十数年で中華民国の歴史研究は大いに進展してきたものの、それは中国共産党の歴史観とは相容れないとして、中国内では強く批判されているそうです。

 中国におけるこうした動向は近現代史だけではなく、ダイチン・グルン(大清帝国)研究にも及んでいるそうです(関連記事)。外国人のダイチン・グルン研究者は新たな衣をまとった帝国主義者と揶揄され、他の帝国と比較することで中華王朝としてのダイチン・グルンの独自性をおとしめた、と非難されたそうです。中国の学術誌『歴史研究』の論説は、多くの中国の歴史家が外国のニヒリストの軍門に下り、「党と人民の要求に応えているとは到底言い難い」と叱責したそうです。もはや前近代の研究においても中国政府の統制が強化されつつあるのかもしれません。

 私が十数年以上前から警戒しているのは、中国の経済・軍事・政治力の強化とともに、今よりもずっと中国に「配慮した」言説を日本でも強いられることなのですが(関連記事)、残念ながらこれは杞憂に終わらないかもしれません。中国に「批判的」というより、中国共産党の歴史観に多少なりとも反するような見解は、「保守反動」として糾弾されるようになる時代も到来するかもしれません。まあ今なら、「保守反動」よりも「ネトウヨ」の方が通用しやすいでしょうか。おそらく中国は、直接的にではなく、「進歩的で良心的な」日本人を通じて日本の言論を統制するのでしょう。まあ、そうした日本人はごく少数でしょうが、マスメディアやネットを通じて大きな声を出すにはじゅうぶんなくらい存在すると思います。

 もっとも、中国が世界全体ではなくともアジア東部・南東部で覇権を確立し、日本も中国に従属するようになれば、それまで「反中的な」言説を声高に語っていた輩の中に、「米帝」や「西側」を罵倒して中国共産党に迎合する者が現れ、現在の「ネトウヨ」よりも多数を占めるようになり、「親中的」で「反米(もしくは西側)的」」な本がベストセラーになるのかもしれません。それもまた人間らしい振る舞いと言ってしまえばそれまでですが、情報通信技術の発展とともに統制を強める中国政府を見ていると、とても冷笑しているような余裕はなく、中国が覇権を確立して日本が従属するような事態は何としても避けたい、というのが私の本音です。


追記(2019年11月16日)
 中国に拘束されていた北海道大学教授が解放されて帰国したので、当ブログに記事を掲載しました。トラックバック機能が廃止になっていなければ、こうした追記は必要なかっただけに、たいへん残念です。

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