チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析
チャタルヒュユク(Çatalhöyük)遺跡の被葬者のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Chyleński et al., 2019)が公表されました。アナトリア半島中央部南方にあるチャタルヒュユクは新石器時代の有名な遺跡で、世界最古の都市とも言われています。その年代は紀元前7100~紀元前5950年頃です。チャタルヒュユク遺跡は住宅単位の建物の集合体で、中には多くの被葬者がいる精巧な建物もあり、特別な地位を示唆しています。当初、同じ建物の被葬者は血縁関係にある、と推測されていました。その後、異なる家屋間の埋葬の不均一な分布から、核家族の居住する多くの家屋から構成される、より大きな世帯共同体の埋葬場所と推測されました。被葬者の歯の形態に基づく最近の研究では、生物学的類似性の近い個体群がいくつかの建物にまたがって埋葬されている、と推測されています。これは、埋葬の血縁関係パターンの欠如の証拠と解釈されました。
アナトリア半島中央部および南西部の新石器時代文化は、ユーフラテス川上流域からの影響を受けて発達したと考えられており、紀元前九千年紀後半のアナトリア半島中央部に見られる新石器時代生活様式がいくぶん確認されています。アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用と考えられています(関連記事)。さらに、アナトリア半島中央部の集団は独自の新石器時代文化を形成しているため、ヨーロッパへの農耕拡散には大きく関わっていない、との見解も提示されています。しかし、チャタルヒュユクは大規模ですから、広範囲の交換ネットワークの一部で、他地域との交流もあったと考えられています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析結果を提示し、遺跡内の被葬者の親族関係と他地域集団との比較を報告しています。
本論文は、チャタルヒュユク遺跡南区域の隣接する同年代(紀元前6450~紀元前6380年頃)の4つの建物(80・89・96・97)を調査対象としました。どれも、特別な地位を表す建物ではない、と考えられています。89棟を除く3棟では10人以上が埋葬されていました。合計では、80棟の16人、89棟の5人、96棟の10人、97棟の6人、の計37人から47点の標本が得られました。このうちmtDNAハプログループ(mtHg)を分類できたのは10人で、男性4人、女性3人、性別不明3人とされています。年齢別では、幼児2人、子供3人、思春期2人、成人3人(そのうち1人は50歳以上)と推定されています。mtHgは、U3b、U5b2、U、N、K1a17、W1c、K、H、H+73、X2b4と全員異なっており、多様です。これらチャタルヒュユク遺跡新石器時代人のmtDNAデータは、新石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサスからバルカン半島までの古代人と比較されました。新石器時代アナトリア半島中央部集団は、他の中近東およびヨーロッパの新石器時代~銅器時代集団の変異内に収まる一方で、草原地帯集団および狩猟採集民集団とは離れています。
上述のように、チャタルヒュユク遺跡の10人のmtHgはすべて異なります。mtHgが分類された10人のうち最多の4人が埋葬されている96棟では、性別が推定されている3人の内訳は、男児と女児と老人女性が1人ずつとなります。こうしたmtHgの高い多様性は父方居住制で説明できます。ただ、この問題の解明にはY染色体DNAの解析が必要となります。96棟はまだ全体が発掘されていないため、まだ10人しか発見されておらず、今後さらに増加するかもしれません。歯の分析からも、被葬者の分布と親族関係に明確な相関は認められませんでした。そのため、チャタルヒュユク遺跡では埋葬にさいして、生物学的血縁関係は主因ではなかった、との見解も提示されています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡と北アメリカ大陸の南西プエブロ(Pueblo)社会との類似性を指摘しています。プエブロ社会は、儀式に基づく社会組織により特徴づけられ、生物学的血縁関係よりも優先されます。チャタルヒュユク遺跡の埋葬の不均一な分布からも、この仮説が支持されます。しかし本論文は、核家族3~4世代よりもずっと大きな血縁関係集団が1家屋に埋葬されている可能性も提示しています。この問題の解明には、ゲノムデータが必要となります。
チャタルヒュユク遺跡の新石器時代集団は、遺伝的には他のアナトリア半島中央部新石器時代~銅器時代集団、とくにトルコ北西部のマルマラ(Marmara)地域の新石器時代集団と類似しています。以前の研究でも、ゲノムデータからマルマラ地域の新石器時代集団の起源はアナトリア半島中央部と推定されています。また、アナトリア半島中央部の新石器時代文化は独特で、レヴァントやメソポタミア北部の新石器時代と異なるとされていますが、本論文のmtDNA解析も、アナトリア半島中央部新石器時代集団が肥沃な三日月地帯の新石器時代集団とは異なる、と示しています。これは、アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用だったことを示唆し、ゲノムデータからも裏づけられています(関連記事)。新石器時代の社会構造の解明において、大規模なチャタルヒュユク遺跡の役割は大きいと言えるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Chyleński M. et al.(2019): Ancient Mitochondrial Genomes Reveal the Absence of Maternal Kinship in the Burials of Çatalhöyük People and Their Genetic Affinities. Genes, 10, 3, 207.
https://doi.org/10.3390/genes10030207
アナトリア半島中央部および南西部の新石器時代文化は、ユーフラテス川上流域からの影響を受けて発達したと考えられており、紀元前九千年紀後半のアナトリア半島中央部に見られる新石器時代生活様式がいくぶん確認されています。アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用と考えられています(関連記事)。さらに、アナトリア半島中央部の集団は独自の新石器時代文化を形成しているため、ヨーロッパへの農耕拡散には大きく関わっていない、との見解も提示されています。しかし、チャタルヒュユクは大規模ですから、広範囲の交換ネットワークの一部で、他地域との交流もあったと考えられています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡の被葬者のmtDNA解析結果を提示し、遺跡内の被葬者の親族関係と他地域集団との比較を報告しています。
本論文は、チャタルヒュユク遺跡南区域の隣接する同年代(紀元前6450~紀元前6380年頃)の4つの建物(80・89・96・97)を調査対象としました。どれも、特別な地位を表す建物ではない、と考えられています。89棟を除く3棟では10人以上が埋葬されていました。合計では、80棟の16人、89棟の5人、96棟の10人、97棟の6人、の計37人から47点の標本が得られました。このうちmtDNAハプログループ(mtHg)を分類できたのは10人で、男性4人、女性3人、性別不明3人とされています。年齢別では、幼児2人、子供3人、思春期2人、成人3人(そのうち1人は50歳以上)と推定されています。mtHgは、U3b、U5b2、U、N、K1a17、W1c、K、H、H+73、X2b4と全員異なっており、多様です。これらチャタルヒュユク遺跡新石器時代人のmtDNAデータは、新石器時代~青銅器時代にかけてのコーカサスからバルカン半島までの古代人と比較されました。新石器時代アナトリア半島中央部集団は、他の中近東およびヨーロッパの新石器時代~銅器時代集団の変異内に収まる一方で、草原地帯集団および狩猟採集民集団とは離れています。
上述のように、チャタルヒュユク遺跡の10人のmtHgはすべて異なります。mtHgが分類された10人のうち最多の4人が埋葬されている96棟では、性別が推定されている3人の内訳は、男児と女児と老人女性が1人ずつとなります。こうしたmtHgの高い多様性は父方居住制で説明できます。ただ、この問題の解明にはY染色体DNAの解析が必要となります。96棟はまだ全体が発掘されていないため、まだ10人しか発見されておらず、今後さらに増加するかもしれません。歯の分析からも、被葬者の分布と親族関係に明確な相関は認められませんでした。そのため、チャタルヒュユク遺跡では埋葬にさいして、生物学的血縁関係は主因ではなかった、との見解も提示されています。本論文は、チャタルヒュユク遺跡と北アメリカ大陸の南西プエブロ(Pueblo)社会との類似性を指摘しています。プエブロ社会は、儀式に基づく社会組織により特徴づけられ、生物学的血縁関係よりも優先されます。チャタルヒュユク遺跡の埋葬の不均一な分布からも、この仮説が支持されます。しかし本論文は、核家族3~4世代よりもずっと大きな血縁関係集団が1家屋に埋葬されている可能性も提示しています。この問題の解明には、ゲノムデータが必要となります。
チャタルヒュユク遺跡の新石器時代集団は、遺伝的には他のアナトリア半島中央部新石器時代~銅器時代集団、とくにトルコ北西部のマルマラ(Marmara)地域の新石器時代集団と類似しています。以前の研究でも、ゲノムデータからマルマラ地域の新石器時代集団の起源はアナトリア半島中央部と推定されています。また、アナトリア半島中央部の新石器時代文化は独特で、レヴァントやメソポタミア北部の新石器時代と異なるとされていますが、本論文のmtDNA解析も、アナトリア半島中央部新石器時代集団が肥沃な三日月地帯の新石器時代集団とは異なる、と示しています。これは、アナトリア半島中央部における農耕の開始は、在来の狩猟採集民集団による主体的な採用だったことを示唆し、ゲノムデータからも裏づけられています(関連記事)。新石器時代の社会構造の解明において、大規模なチャタルヒュユク遺跡の役割は大きいと言えるでしょうから、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Chyleński M. et al.(2019): Ancient Mitochondrial Genomes Reveal the Absence of Maternal Kinship in the Burials of Çatalhöyük People and Their Genetic Affinities. Genes, 10, 3, 207.
https://doi.org/10.3390/genes10030207
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