浅野裕一『儒教 怨念と復讐の宗教』
講談社学術文庫の一冊として、2017年8月に講談社より刊行されました。本書の親本『儒教 ルサンチマンの宗教』は平凡社新書の一冊として1999年5月に平凡社より刊行されました。本書は儒教の開祖とも言うべき孔子を、怨念と復讐に囚われた誇大妄想の人物と指摘します。孔子は、有徳の聖人こそが受命して天下を統治するという徳治主義を主張し、自らを周王朝の礼に通じた聖人と自負していました。本書は、孔子が自分こそ新王朝の開祖に相応しいと自負しており、門人にも同時代の人々にもそう認識されていた、と指摘します。
しかし、現実の孔子は高貴な家柄の出自ではなく、周王朝の礼を体系的に学べたわけではないので、当然それを体得できていたわけではなく、孔子の主張した礼(儀式体系)は、多分に孔子の創作・妄想だった、と本書は指摘します。さらに、現実の孔子は新王朝の開祖どころか、当時存在した多くの国の一国で重用されることさえほとんどありませんでした。有徳の聖人こそが受命して天下を統治するという徳治主義および孔子こそ聖人だったという主張と、現実の孔子には新王朝の開祖どころか政治的実績がほとんどないという矛盾解消に怨念と復讐を募らせていき、晩年の孔子もその後の儒教も苦しい説明を強いられた、というのが本書の見通しです。
儒教側はこの矛盾解消のために、孔子を王、さらには帝へと格上げしようとします。漢代以降、紆余曲折はありましたが、儒教側の努力が実り、ついに唐代に孔子は王号を獲得します。その後も変動はありつつも、大元ウルスにおいて孔子の権威は頂点に達し、帝の目前にまで迫ります。明代前半期にも、孔子の権威の絶頂期は続きました。しかし、16世紀の嘉靖帝(世宗)の治世において、大礼問題を契機として、孔子は王号を剥奪されます。これは、嘉靖帝が道教に傾倒していたことも大きいようです。これまでにも、孔子を帝へと格上げしようという動きは何度かありましたが、皇帝権威の並立という問題から、見送られてきました。歴代中華王朝において、儒教を国家の理念としつつも、現実の政治指導者である皇帝の権威・理念と、孔子を帝にまで格上げしようとする言わば儒教「原理主義」との間には、潜在的な敵対関係が続いていた、と言えるのかもしれません。
孔子の権威を確立しようという儒教側の最後の人物として、本書は康有為を挙げています。康有為は、孔子には実質的に聖人としての確たる事績がない、という儒教の根本的な弱点を解消するために、孔子よりも前の古代を暗黒時代として描き、孔子を中華文化の創始者として位置づけようとしました。近代における「西洋の衝撃」にたいして、「改革者」として分類されることの多い康有為ですが、単にヨーロッパ近代に接近しようとしたのではなく、長期にわたる儒教側の怨念・復習に基づく運動の最終走者でもあった、というわけです。「孔子教」を確立しようという康有為の試みはすぐに挫折し、中国は儒教をいかに克服するのか、という問題と本格的に向き合い、試行錯誤していくことになります。
しかし、中国においては経済発展とともに、儒教再評価の動きが盛んになってきています。伝統文化を反近代的として一方的に否定するだけではなく、見直そうとする社会的余裕が生じてきた、ということでしょうか。しかし本書は、いわゆる新儒学について、儒教から務めて宗教色を取り除き、近代西欧哲学と宋学を混淆した個人の倫理思想へと模様替えを図っているものの、宗教の宿す毒気が抜かれているので、確かに見かけは上品だとしても、逆にその分だけ迫力もなくなり、至って面白みに欠けるので、こんなつまらないもので中国世界の未来が切り開かれるとは思えない、と辛辣な評価をくだしています。「リベラル」志向の中国研究者の一部?の間で、新儒学と「ポリコレ」との調和への期待もあるのかもしれませんが、本書が指摘するように、新儒学に中国世界の未来を切り開くような力はないでしょう。
孔子の主張した礼が多分に創作で、孔子が自分こそ新王朝の開祖に相応しいと自任しており、儒教はその論理と現実との矛盾に苦慮した、との本書の見解は確かに魅力的ですし、説得力があるとは思います。長い歴史を誇る秦王朝と異なり、歴史が浅く社会最上層の人々が中枢だったとはとても言えず、本書の云う「無頼の軍事集団を基盤に成立した」漢王朝にとって、儒教の提示する(創作を多分に含んだ)儀礼体系でも必要とされて採用されていった、との本書の見通しも妥当だと思います。ただ、誇大妄想の孔子の主張は当初から少なからぬ人々の支持を得ており、それ故に儒教は戦国時代を生き残ることもできたように思います。その理由については、上天信仰と先王尊崇という中華世界の規範の枠組みに収まっていたから、との説明はできるものの、根本的なところは本書を読んでもはっきりとしませんでした。社会が大きく変わっていき、下層からも台頭する人々が現れるなかで、孔子の提示する礼は社会秩序の維持に有用だとして魅力的に思えたのかな、とも思います。また、本書は儒教と孔子の虚偽性を厳しく指摘しますが、人類の宗教と開祖にはそうした性格が濃厚な場合も少なくないでしょうから、とくに儒教だけの問題とは言えないでしょうが、儒教においてそうした性格がとくに強い、とは言えるかもしれません。
以前にも述べましたが、現代日本社会においても、儒教の克服は依然として大きな課題とすべきではないか、と私は考えています(関連記事)。本書を読んで、その考えはさらに強くなりました。毛沢東政権期の儒教攻撃には行き過ぎがあったとしても、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みは基本的には間違っていなかったと思います。近代日本では、教育勅語が大きな影響力を有して敗戦まであからさまな批判が躊躇されたように、近代化の中でなし崩し的に儒教が都合よく取り入れられたように思われ、その意味で、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みの意義は現代日本社会でも大きい、と私は考えています。
しかし、現実の孔子は高貴な家柄の出自ではなく、周王朝の礼を体系的に学べたわけではないので、当然それを体得できていたわけではなく、孔子の主張した礼(儀式体系)は、多分に孔子の創作・妄想だった、と本書は指摘します。さらに、現実の孔子は新王朝の開祖どころか、当時存在した多くの国の一国で重用されることさえほとんどありませんでした。有徳の聖人こそが受命して天下を統治するという徳治主義および孔子こそ聖人だったという主張と、現実の孔子には新王朝の開祖どころか政治的実績がほとんどないという矛盾解消に怨念と復讐を募らせていき、晩年の孔子もその後の儒教も苦しい説明を強いられた、というのが本書の見通しです。
儒教側はこの矛盾解消のために、孔子を王、さらには帝へと格上げしようとします。漢代以降、紆余曲折はありましたが、儒教側の努力が実り、ついに唐代に孔子は王号を獲得します。その後も変動はありつつも、大元ウルスにおいて孔子の権威は頂点に達し、帝の目前にまで迫ります。明代前半期にも、孔子の権威の絶頂期は続きました。しかし、16世紀の嘉靖帝(世宗)の治世において、大礼問題を契機として、孔子は王号を剥奪されます。これは、嘉靖帝が道教に傾倒していたことも大きいようです。これまでにも、孔子を帝へと格上げしようという動きは何度かありましたが、皇帝権威の並立という問題から、見送られてきました。歴代中華王朝において、儒教を国家の理念としつつも、現実の政治指導者である皇帝の権威・理念と、孔子を帝にまで格上げしようとする言わば儒教「原理主義」との間には、潜在的な敵対関係が続いていた、と言えるのかもしれません。
孔子の権威を確立しようという儒教側の最後の人物として、本書は康有為を挙げています。康有為は、孔子には実質的に聖人としての確たる事績がない、という儒教の根本的な弱点を解消するために、孔子よりも前の古代を暗黒時代として描き、孔子を中華文化の創始者として位置づけようとしました。近代における「西洋の衝撃」にたいして、「改革者」として分類されることの多い康有為ですが、単にヨーロッパ近代に接近しようとしたのではなく、長期にわたる儒教側の怨念・復習に基づく運動の最終走者でもあった、というわけです。「孔子教」を確立しようという康有為の試みはすぐに挫折し、中国は儒教をいかに克服するのか、という問題と本格的に向き合い、試行錯誤していくことになります。
しかし、中国においては経済発展とともに、儒教再評価の動きが盛んになってきています。伝統文化を反近代的として一方的に否定するだけではなく、見直そうとする社会的余裕が生じてきた、ということでしょうか。しかし本書は、いわゆる新儒学について、儒教から務めて宗教色を取り除き、近代西欧哲学と宋学を混淆した個人の倫理思想へと模様替えを図っているものの、宗教の宿す毒気が抜かれているので、確かに見かけは上品だとしても、逆にその分だけ迫力もなくなり、至って面白みに欠けるので、こんなつまらないもので中国世界の未来が切り開かれるとは思えない、と辛辣な評価をくだしています。「リベラル」志向の中国研究者の一部?の間で、新儒学と「ポリコレ」との調和への期待もあるのかもしれませんが、本書が指摘するように、新儒学に中国世界の未来を切り開くような力はないでしょう。
孔子の主張した礼が多分に創作で、孔子が自分こそ新王朝の開祖に相応しいと自任しており、儒教はその論理と現実との矛盾に苦慮した、との本書の見解は確かに魅力的ですし、説得力があるとは思います。長い歴史を誇る秦王朝と異なり、歴史が浅く社会最上層の人々が中枢だったとはとても言えず、本書の云う「無頼の軍事集団を基盤に成立した」漢王朝にとって、儒教の提示する(創作を多分に含んだ)儀礼体系でも必要とされて採用されていった、との本書の見通しも妥当だと思います。ただ、誇大妄想の孔子の主張は当初から少なからぬ人々の支持を得ており、それ故に儒教は戦国時代を生き残ることもできたように思います。その理由については、上天信仰と先王尊崇という中華世界の規範の枠組みに収まっていたから、との説明はできるものの、根本的なところは本書を読んでもはっきりとしませんでした。社会が大きく変わっていき、下層からも台頭する人々が現れるなかで、孔子の提示する礼は社会秩序の維持に有用だとして魅力的に思えたのかな、とも思います。また、本書は儒教と孔子の虚偽性を厳しく指摘しますが、人類の宗教と開祖にはそうした性格が濃厚な場合も少なくないでしょうから、とくに儒教だけの問題とは言えないでしょうが、儒教においてそうした性格がとくに強い、とは言えるかもしれません。
以前にも述べましたが、現代日本社会においても、儒教の克服は依然として大きな課題とすべきではないか、と私は考えています(関連記事)。本書を読んで、その考えはさらに強くなりました。毛沢東政権期の儒教攻撃には行き過ぎがあったとしても、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みは基本的には間違っていなかったと思います。近代日本では、教育勅語が大きな影響力を有して敗戦まであからさまな批判が躊躇されたように、近代化の中でなし崩し的に儒教が都合よく取り入れられたように思われ、その意味で、20世紀前半の中国の知識層における儒教克服の試みの意義は現代日本社会でも大きい、と私は考えています。
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