デニソワ洞窟の堆積物の微視的分析
シベリア南部のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の堆積物の微視的分析に関する研究(Morley et al., 2019)が報道されました。デニソワ洞窟(Denisova Cave)はシベリア南部のアルタイ山脈の山麓丘陵に位置し(北緯51度23分51秒、東経84度40分36秒)、その開口部から30mほど下をアヌイ川(Anui River)が流れています。デニソワ洞窟では、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の断片的な遺骸が発見されており、高品質なゲノム配列が得られていることから、大きな注目を集めています。そもそも、デニソワ人はデニソワ洞窟で発見された遺骸で初めて同定された分類群で、基本的には形態学的に定義されている人類の分類群としては異例です(関連記事)。デニソワ洞窟では主・東・南の3空間で発掘が行なわれてきました(関連記事)。本論文は、デニソワ洞窟の主空間と東空間の堆積物における生物の微細痕跡(火の使用や巣穴など)を調査しました。
デニソワ洞窟では過去30万年以上にわたる生物の痕跡が確認されており、人類遺骸だけではなく石器も含めて人工物が発見されていることから、人類が利用していたことは確実です。しかし、デニソワ洞窟の層序の微視的分析からは、火の使用の証拠となる木炭はごく少量しか発見されていません。本論文は堆積物の形成過程から、火の使用痕がその後の作用で完全に失われた可能性は低く、人類はデニソワ洞窟を温暖期にも寒冷期にも利用しており、人類にとって待避所として機能していた可能性があり、個々の利用間がある程度の長さになった場合はあるとしても、全体的には断続的だった、と推測します。
デニソワ洞窟では人類ではない動物の痕跡も発見されています。たとえば糞石は、おもに4区分されています。それぞれがどの種のものなのか、全てについて断定できるわけではありませんが、区分1は洞窟ハイエナ(Crocuta crocuta spelaea)、区分2はオオカミ(Canis lupus)に分類されており、区分3および4は特定の種に分類できません。糞石は石器の発見されている層でも確認されています。人類とハイエナは通常共存できないことから、人類遺骸と堆積物から人類のDNAが確認されているにも関わらず人類の痕跡の稀な層では、ハイエナが人類遺骸を持ち込んだかもしれません。じっさい、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代であるデニソワ11(関連記事)は、ハイエナに食べられた可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文は、デニソワ洞窟の全体的な利用状況として、人類の関与は最小限と評価しています。石器は多数発見されていますが、これはかなりの年代間隔で蓄積されており、人類による複数の断続的な利用を示唆します。燃焼副産物のような人類による微細遺骸は容易に再堆積するので、更新世における火の使用の痕跡の少なさについて本論文は、調査対象が限定されているため標本抽出が偏っているか、デニソワ洞窟の更新世の利用者、とくに現生人類(Homo sapiens)ではないだろう早期集団が、火を多く使わなかった可能性を提示しています。
一方、豊富な糞石の記録は、デニソワ洞窟がほぼ連続的に人類ではない動物により占拠されていた、と示します。糞石の分析から、その主要な種は更新世のアルタイ山脈の上位肉食獣である洞窟ハイエナと考えられます。骨は肉食獣により洞窟に蓄積されるかもしれませんが、糞はその動物のものである可能性が高いと考えられます。その意味でも、更新世デニソワ洞窟の主要な居住者が洞窟ハイエナであった可能性は高そうです。その次にデニソワ洞窟を利用していたのはオオカミと推測されています。人類糞石は、東空間第11.4層および11.2層のような、霜の作用の影響を受けた層で高頻度に確認されています。ただ、洞窟の特定の場所、たとえば壁に近い場所が動物の「社会的排泄」の場所として利用されることもあり、遺跡全体の複数の場所での標本抽出の必要性を本論文は強調します。
本論文の知見からは、人類が更新世にデニソワ洞窟を利用していた期間は短く、断続的だった、と推測されます。デニソワ洞窟は、確認されているネアンデルタール人の生息範囲としてはほぼ東端となります。一方、デニソワ人はデニソワ洞窟とチベット高原東部(関連記事)でしか遺骸は確認されていませんが、アジア東部に広く拡散していた可能性が指摘されています(関連記事)。また、デニソワ人の遺伝的影響は現代人ではオセアニア系集団でとくに高いことから、デニソワ人系統はアジア南東部もしくは南部に存在した可能性も考えられます。ネアンデルタール人はユーラシア西部中緯度地帯を東進してアルタイ山脈まで到達し、デニソワ人はユーラシア南岸を東進してアジア東部まで拡散して、そこから北西へ進んでアルタイ山脈にまで到達したのかもしれません。そうだとすると、デニソワ人にとって、ユーラシア中緯度地帯では、デニソワ洞窟が生息範囲の西端だったと考えられます。ネアンデルタール人はヨーロッパとアジア南西部、デニソワ人はアジア東部・南東部・南部が主要な生息範囲で、少数集団が時としてシベリア南部まで拡散したと考えると、デニソワ洞窟では人類の痕跡が少ないことを説明できそうです。もちろん、これは推測を重ねただけなので、強く主張したいわけではなく、今後の研究の進展により修正していかねばなりませんが。
参考文献:
Morley MW. et al.(2019): Hominin and animal activities in the microstratigraphic record from Denisova Cave (Altai Mountains, Russia). Scientific Reports, 9, 13785.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49930-3
デニソワ洞窟では過去30万年以上にわたる生物の痕跡が確認されており、人類遺骸だけではなく石器も含めて人工物が発見されていることから、人類が利用していたことは確実です。しかし、デニソワ洞窟の層序の微視的分析からは、火の使用の証拠となる木炭はごく少量しか発見されていません。本論文は堆積物の形成過程から、火の使用痕がその後の作用で完全に失われた可能性は低く、人類はデニソワ洞窟を温暖期にも寒冷期にも利用しており、人類にとって待避所として機能していた可能性があり、個々の利用間がある程度の長さになった場合はあるとしても、全体的には断続的だった、と推測します。
デニソワ洞窟では人類ではない動物の痕跡も発見されています。たとえば糞石は、おもに4区分されています。それぞれがどの種のものなのか、全てについて断定できるわけではありませんが、区分1は洞窟ハイエナ(Crocuta crocuta spelaea)、区分2はオオカミ(Canis lupus)に分類されており、区分3および4は特定の種に分類できません。糞石は石器の発見されている層でも確認されています。人類とハイエナは通常共存できないことから、人類遺骸と堆積物から人類のDNAが確認されているにも関わらず人類の痕跡の稀な層では、ハイエナが人類遺骸を持ち込んだかもしれません。じっさい、ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代であるデニソワ11(関連記事)は、ハイエナに食べられた可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文は、デニソワ洞窟の全体的な利用状況として、人類の関与は最小限と評価しています。石器は多数発見されていますが、これはかなりの年代間隔で蓄積されており、人類による複数の断続的な利用を示唆します。燃焼副産物のような人類による微細遺骸は容易に再堆積するので、更新世における火の使用の痕跡の少なさについて本論文は、調査対象が限定されているため標本抽出が偏っているか、デニソワ洞窟の更新世の利用者、とくに現生人類(Homo sapiens)ではないだろう早期集団が、火を多く使わなかった可能性を提示しています。
一方、豊富な糞石の記録は、デニソワ洞窟がほぼ連続的に人類ではない動物により占拠されていた、と示します。糞石の分析から、その主要な種は更新世のアルタイ山脈の上位肉食獣である洞窟ハイエナと考えられます。骨は肉食獣により洞窟に蓄積されるかもしれませんが、糞はその動物のものである可能性が高いと考えられます。その意味でも、更新世デニソワ洞窟の主要な居住者が洞窟ハイエナであった可能性は高そうです。その次にデニソワ洞窟を利用していたのはオオカミと推測されています。人類糞石は、東空間第11.4層および11.2層のような、霜の作用の影響を受けた層で高頻度に確認されています。ただ、洞窟の特定の場所、たとえば壁に近い場所が動物の「社会的排泄」の場所として利用されることもあり、遺跡全体の複数の場所での標本抽出の必要性を本論文は強調します。
本論文の知見からは、人類が更新世にデニソワ洞窟を利用していた期間は短く、断続的だった、と推測されます。デニソワ洞窟は、確認されているネアンデルタール人の生息範囲としてはほぼ東端となります。一方、デニソワ人はデニソワ洞窟とチベット高原東部(関連記事)でしか遺骸は確認されていませんが、アジア東部に広く拡散していた可能性が指摘されています(関連記事)。また、デニソワ人の遺伝的影響は現代人ではオセアニア系集団でとくに高いことから、デニソワ人系統はアジア南東部もしくは南部に存在した可能性も考えられます。ネアンデルタール人はユーラシア西部中緯度地帯を東進してアルタイ山脈まで到達し、デニソワ人はユーラシア南岸を東進してアジア東部まで拡散して、そこから北西へ進んでアルタイ山脈にまで到達したのかもしれません。そうだとすると、デニソワ人にとって、ユーラシア中緯度地帯では、デニソワ洞窟が生息範囲の西端だったと考えられます。ネアンデルタール人はヨーロッパとアジア南西部、デニソワ人はアジア東部・南東部・南部が主要な生息範囲で、少数集団が時としてシベリア南部まで拡散したと考えると、デニソワ洞窟では人類の痕跡が少ないことを説明できそうです。もちろん、これは推測を重ねただけなので、強く主張したいわけではなく、今後の研究の進展により修正していかねばなりませんが。
参考文献:
Morley MW. et al.(2019): Hominin and animal activities in the microstratigraphic record from Denisova Cave (Altai Mountains, Russia). Scientific Reports, 9, 13785.
https://doi.org/10.1038/s41598-019-49930-3
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