クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自
クロアチアの中世初期男性の頭蓋変形と出自に関する研究(Fernandes et al., 2019)が報道されました。人為的頭蓋変形はおそらく更新世にまでさかのぼり、広く世界中で見られ、20世紀まで続いた地域もあります。人為的頭蓋変形は長い時間を要する意図的で不可逆的な行為なので、生涯にわたって集団内の連帯を促進し、集団間の違いの視覚的表現の役割を果たす、と考えられます。頭蓋変形のタイプは多様で、頭蓋の変形部位とその形状により分類する見解も提示されています。頭蓋変形のタイプの分類とともに、その考古学的文脈と起源の理解も重要となります。頭蓋変形は古代ユーラシアに起源があり、複数地域で独自に発達したようです。
考古学的証拠からは、頭蓋変形はフン人の移住にともないヨーロッパ中央部に導入された、と示唆されています。紀元後5~6世紀のいわゆる大移動期に、頭蓋変形はパンノニア平原(現代のオーストリア・クロアチア・ハンガリー・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニア)地域にまで拡大し、とくにサルマティア人・ゴート人・ランゴバルド人・ゲピト人・フン人の間で広まりました。パンノニア平原の頭蓋変形を、「ドナウ流域タイプ」と分類する見解もあります。紀元後5~6世紀のパンノニア平原の頭蓋変形パターンは、軽度のものから強いものまで多様で、さまざまな頭蓋形状が含まれています。この頭蓋変形習慣の意味は、まだはっきりとは解明されておらず、貴種性の視覚的指標とか社会的地位の指標とかいった見解も提示されています。
本論文は、クロアチア東部のオシイェク(Osijek)のヘルマノブ・ビノグラード(Hermanov vinograd)遺跡で発見された、紀元後5~6世紀(415~560年)の3人の部分的な遺骸についての分析を報告しています。この3人は全員、頭蓋は完全に保存されていました。3人のうち2人には頭蓋変形が確認され、これはアヴァール人到来前では最初に確認された事例となります。紀元後5~6世紀にかけてオシイェク一帯は、454年まではフン、473年までは東ゴート、567年まではゲピト、その後はアヴァールの支配下にありました。したがって、この3人はフン人か東ゴート人かゲピト人かもしれません。紀元後500年頃のバイエルンの人類集団に関する最近の研究は、頭蓋変形のない女性が他地域出身だった可能性を示唆しています(関連記事)。本論文は、オシイェクの3人に関して、その頭蓋変形タイプ、年齢、性別、健康度、DNAを分析します。
オシイェクの3人(SU259・SU261・SU750)はいずれも思春期です。推定年齢は、SU259が14~16歳、SU261が12~16歳、SU750が12~14歳です。いずれも、骨に病気もしくは骨折の痕跡が見られますが、死亡前後の負傷の痕跡や解体痕は見られず、3人とも骨格は比較的頑丈なので、形態的には男性と推定されます。頭蓋変形は、SU261には見られませんでしたが、SU259とSU750では確認されました。SU259の頭蓋はかなり長く、傾斜しています。SU750の頭蓋は円形直立型の変形を示します。炭素と窒素の安定同位体分析では、SU750とSU261で分析に充分なコラーゲンが得られ、食性ではともに穀類への依存度がたいへん高く、動物性タンパク質の摂取量は比較的少なかった、と示唆されます。これは、5世紀のハンガリーの遊牧民の推定された食性とほぼ同じです。3人ともにDNAが解析され、遺伝的にも3人とも男性と明らかになり、形態学的評価と一致しました。網羅率は低いながら(0.0053~0.0077倍)ゲノムデータも得られ、SU259はアジア東部系現代人、その中でもカンボジア人に最も近く、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置します。
オシイェクの3人は全員思春期の男性で、幼少期に健康状態が悪かったと推測され、病変の痕跡が骨格に見られるものの、何らかの病変や外傷が死因だった痕跡は確認されませんでした。本論文は、この3人が何らかの犠牲に供された可能性は低そうであるものの、ペルーの事例からも断定はできない、と慎重な姿勢を示します。SU261とSU750に関しては、栄養不足や代謝障害や感染症などの可能性が指摘されています。SU259の骨には治癒した痕跡が認められ、出生時の外傷や代謝障害やビタミンAの過剰摂取や白血病の可能性が指摘されています。本論文はこれらの知見から、3人が幼少期に栄養不足に関連する長期的な状態に苦しめられていた、と推測します。同時代の文献によると、大移動期のパンノニア平原では飢餓が頻発したようです。他の人類遺骸との比較から、オシイェクの3人の思春期男性は意図的に食事を与えられなかったのではないだろう、と本論文は推測しています。
病理学や食性の点ではオシイェクの3人の思春期男性は類似していますが、頭蓋変形と遺伝的構成という点で、3人は大きく異なります。SU261には見られなかった頭蓋変形は、SU259とSU750で確認されていますが、上述のように前者は長い傾斜型、後者は円形型で、タイプが異なります。両者はともにドナウ川流域タイプの一部ですが、その中でもSU259の長い傾斜型は、ゲピト人もしくはフン人との関連も指摘されています。SU750の円形タイプはフン人の間でひじょうに高い割合で見られ、フン人のウラル山脈からドナウ川流域への拡大に伴い、この習慣も広まりました。同じ場所に埋葬された2人の頭蓋変形タイプが異なる理由は不明です。
長い傾斜型の頭蓋変形を有するSU259は、上述のように遺伝的にはアジア東部系現代人と近縁です。主要な遺伝的構成がアジア東部系現代人と近縁な系統である個体が確認されたのは、大移動期ヨーロッパでは初めてとなりますが、すでに紀元後500年頃のバイエルンにおいて、1人の女性に関してはアジア東部系現代人との遺伝的類似性が指摘されていました。上述のように遺伝的には、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置しますが、この遺伝的構成は紀元後500年頃のバイエルンの人類集団とよく類似しています。SU261は、似たような遺伝的構成の紀元後500年頃のバイエルンの女生とは対照的に、頭蓋変形が確認されませんでした。
これらの知見から、オシイェクの3人はフン人もしくはゲルマン人に関連している可能性が想定されます。頭蓋変形について、上述のように社会的地位や帰属集団の表明などの仮説が提示されていますが、本論文は、頭蓋変形のパターンもしくはその欠如が、少なくともオシイェクでは、大移動期のパンノニア平原でさまざまな文化が密接に相互作用する中、特定の文化集団と関連しているかもしれない、と推測しています。ただ、現時点では証拠が乏しいことも否定できず、本論文も指摘するように、問題の解明には遺伝学と考古学の組み合わせによる学際的研究の進展が必要となります。
本論文の見解はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。一ヶ所に埋葬された思春期男性3人の遺伝的構成が大きくことなることはたいへん興味深いのですが、現時点ではその理由の解明は難しく、かなりのところ推測に留まってしまうことは否定できません。スキタイ人が多様な遺伝的構成の人々を組み込んでいったと推測されていることから(関連記事)、フン人など大移動期の遊動的な人類集団も同様だったと考えるのが、現時点では妥当なのかな、とも思います。フン人の起源について、アジア東部の匈奴だったという説は昔からありますが、文化的にも遺伝的にも、フン人が一定以上匈奴系統の影響を受けていた可能性を想定してもよさそうです。
参考文献:
Fernandes D, Sirak K, Cheronet O, Howcroft R, Čavka M, Los D, et al. (2019) Cranial deformation and genetic diversity in three adolescent male individuals from the Great Migration Period from Osijek, eastern Croatia. PLoS ONE 14(8): e0216366.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216366
考古学的証拠からは、頭蓋変形はフン人の移住にともないヨーロッパ中央部に導入された、と示唆されています。紀元後5~6世紀のいわゆる大移動期に、頭蓋変形はパンノニア平原(現代のオーストリア・クロアチア・ハンガリー・ルーマニア・スロヴァキア・スロヴェニア)地域にまで拡大し、とくにサルマティア人・ゴート人・ランゴバルド人・ゲピト人・フン人の間で広まりました。パンノニア平原の頭蓋変形を、「ドナウ流域タイプ」と分類する見解もあります。紀元後5~6世紀のパンノニア平原の頭蓋変形パターンは、軽度のものから強いものまで多様で、さまざまな頭蓋形状が含まれています。この頭蓋変形習慣の意味は、まだはっきりとは解明されておらず、貴種性の視覚的指標とか社会的地位の指標とかいった見解も提示されています。
本論文は、クロアチア東部のオシイェク(Osijek)のヘルマノブ・ビノグラード(Hermanov vinograd)遺跡で発見された、紀元後5~6世紀(415~560年)の3人の部分的な遺骸についての分析を報告しています。この3人は全員、頭蓋は完全に保存されていました。3人のうち2人には頭蓋変形が確認され、これはアヴァール人到来前では最初に確認された事例となります。紀元後5~6世紀にかけてオシイェク一帯は、454年まではフン、473年までは東ゴート、567年まではゲピト、その後はアヴァールの支配下にありました。したがって、この3人はフン人か東ゴート人かゲピト人かもしれません。紀元後500年頃のバイエルンの人類集団に関する最近の研究は、頭蓋変形のない女性が他地域出身だった可能性を示唆しています(関連記事)。本論文は、オシイェクの3人に関して、その頭蓋変形タイプ、年齢、性別、健康度、DNAを分析します。
オシイェクの3人(SU259・SU261・SU750)はいずれも思春期です。推定年齢は、SU259が14~16歳、SU261が12~16歳、SU750が12~14歳です。いずれも、骨に病気もしくは骨折の痕跡が見られますが、死亡前後の負傷の痕跡や解体痕は見られず、3人とも骨格は比較的頑丈なので、形態的には男性と推定されます。頭蓋変形は、SU261には見られませんでしたが、SU259とSU750では確認されました。SU259の頭蓋はかなり長く、傾斜しています。SU750の頭蓋は円形直立型の変形を示します。炭素と窒素の安定同位体分析では、SU750とSU261で分析に充分なコラーゲンが得られ、食性ではともに穀類への依存度がたいへん高く、動物性タンパク質の摂取量は比較的少なかった、と示唆されます。これは、5世紀のハンガリーの遊牧民の推定された食性とほぼ同じです。3人ともにDNAが解析され、遺伝的にも3人とも男性と明らかになり、形態学的評価と一致しました。網羅率は低いながら(0.0053~0.0077倍)ゲノムデータも得られ、SU259はアジア東部系現代人、その中でもカンボジア人に最も近く、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置します。
オシイェクの3人は全員思春期の男性で、幼少期に健康状態が悪かったと推測され、病変の痕跡が骨格に見られるものの、何らかの病変や外傷が死因だった痕跡は確認されませんでした。本論文は、この3人が何らかの犠牲に供された可能性は低そうであるものの、ペルーの事例からも断定はできない、と慎重な姿勢を示します。SU261とSU750に関しては、栄養不足や代謝障害や感染症などの可能性が指摘されています。SU259の骨には治癒した痕跡が認められ、出生時の外傷や代謝障害やビタミンAの過剰摂取や白血病の可能性が指摘されています。本論文はこれらの知見から、3人が幼少期に栄養不足に関連する長期的な状態に苦しめられていた、と推測します。同時代の文献によると、大移動期のパンノニア平原では飢餓が頻発したようです。他の人類遺骸との比較から、オシイェクの3人の思春期男性は意図的に食事を与えられなかったのではないだろう、と本論文は推測しています。
病理学や食性の点ではオシイェクの3人の思春期男性は類似していますが、頭蓋変形と遺伝的構成という点で、3人は大きく異なります。SU261には見られなかった頭蓋変形は、SU259とSU750で確認されていますが、上述のように前者は長い傾斜型、後者は円形型で、タイプが異なります。両者はともにドナウ川流域タイプの一部ですが、その中でもSU259の長い傾斜型は、ゲピト人もしくはフン人との関連も指摘されています。SU750の円形タイプはフン人の間でひじょうに高い割合で見られ、フン人のウラル山脈からドナウ川流域への拡大に伴い、この習慣も広まりました。同じ場所に埋葬された2人の頭蓋変形タイプが異なる理由は不明です。
長い傾斜型の頭蓋変形を有するSU259は、上述のように遺伝的にはアジア東部系現代人と近縁です。主要な遺伝的構成がアジア東部系現代人と近縁な系統である個体が確認されたのは、大移動期ヨーロッパでは初めてとなりますが、すでに紀元後500年頃のバイエルンにおいて、1人の女性に関してはアジア東部系現代人との遺伝的類似性が指摘されていました。上述のように遺伝的には、SU261はパレスチナ・シリア・レバノンなどの近東系現代人の遺伝的変異内に重なり、SU750はコーカサスおよびヨーロッパ系現代人と近東系現代人の間に位置しますが、この遺伝的構成は紀元後500年頃のバイエルンの人類集団とよく類似しています。SU261は、似たような遺伝的構成の紀元後500年頃のバイエルンの女生とは対照的に、頭蓋変形が確認されませんでした。
これらの知見から、オシイェクの3人はフン人もしくはゲルマン人に関連している可能性が想定されます。頭蓋変形について、上述のように社会的地位や帰属集団の表明などの仮説が提示されていますが、本論文は、頭蓋変形のパターンもしくはその欠如が、少なくともオシイェクでは、大移動期のパンノニア平原でさまざまな文化が密接に相互作用する中、特定の文化集団と関連しているかもしれない、と推測しています。ただ、現時点では証拠が乏しいことも否定できず、本論文も指摘するように、問題の解明には遺伝学と考古学の組み合わせによる学際的研究の進展が必要となります。
本論文の見解はたいへん興味深く、今後の研究の進展が期待されます。一ヶ所に埋葬された思春期男性3人の遺伝的構成が大きくことなることはたいへん興味深いのですが、現時点ではその理由の解明は難しく、かなりのところ推測に留まってしまうことは否定できません。スキタイ人が多様な遺伝的構成の人々を組み込んでいったと推測されていることから(関連記事)、フン人など大移動期の遊動的な人類集団も同様だったと考えるのが、現時点では妥当なのかな、とも思います。フン人の起源について、アジア東部の匈奴だったという説は昔からありますが、文化的にも遺伝的にも、フン人が一定以上匈奴系統の影響を受けていた可能性を想定してもよさそうです。
参考文献:
Fernandes D, Sirak K, Cheronet O, Howcroft R, Čavka M, Los D, et al. (2019) Cranial deformation and genetic diversity in three adolescent male individuals from the Great Migration Period from Osijek, eastern Croatia. PLoS ONE 14(8): e0216366.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216366
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