『卑弥呼』第25話「光」
『ビッグコミックオリジナル』2019年10月5日号掲載分の感想です。前回は、暈軍に捕らえられたイスズとウズメが山社の門前にて、日見子(ヤノハ)は我々を見捨てなかった、と希望を見出している場面で終了しました。今回は、那軍が山杜(ヤマト)の目前まで迫った場面から始まります。山社は望国(クニミ)の丘の上にあり、倭国の聖地とされています。トメ将軍は輿から降り、夜まで休憩するよう命じます。総攻撃は真夜中なのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、暈(クマ)軍は自軍の倍で高地に陣を張り有利なので、自軍の苦戦は必至であるから、無駄な死者を出したくない自分はまだいつ攻撃するのか決めていない、と答えます。
丘の上の暈軍の陣営では、テヅチ将軍がタケル王に、山社は武器の放棄を条件に暈軍の山社入場を認める、という条件を提示してきた、と伝えていました。それは降伏勧告かとタケル王に問われたテヅチ将軍は、もしくは休戦の提案だろう、と答えます。するとタケル王は激昂し、山社の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと副長のウズメを斬首せよ、と命じます。テヅチ将軍は冷静に、山社のミマト将軍が代わりの人質として自分の息子であるミマアキではどうかと提案してきた、とタケル王に伝えます。タケル王はその提案を認めようとします。息子が斬首されればミマト将軍は怒りのあまり砦から出撃してくるだろうから、自軍の楽勝というわけです。しかしテヅチ将軍は、ミマト将軍は生粋の戦人なので、自分の子供よりも兵の命を優先し、那軍が暈軍を攻めるまで耐えるだろう、とタケル王に進言します。
那軍と山社軍に挟み撃ちにあっても暈軍が負けるとは限らないだろう、とタケル王に問われたテヅチ将軍は、那軍はオシクマ将軍の指揮する最前線の暈軍を撃破して士気がきわめて高く、暈軍の苦戦は目に見えている、と答えます。タケル王は嘆息し、何もかもオシクマ将軍のせいだ、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡ることをおめおめ許し、挙げ句の果てに全滅とは何と無能な男だ、と言い放ちます。タケル王は愕然としている様子のテヅチ将軍に、暈軍は那軍の倍で、たとえ戦で半数に減っても、その時の敵の数はもっと少ないはずだ、と言い、ミマアキとイスズとウズメを即刻斬首し、暈軍の士気を高めるよう、命じます。タケル王の裁定を伝えに来たテヅチ将軍を、イスズとウズメは不安そうに見上げます。
山社を目前に休憩している那軍の陣営では、ヌカデがトメ将軍に、暈軍に勝利すれば那の王からどのような褒美を貰えるのか、と尋ねていました。ウツヒオ王のことだから、自分を次の戦いでも総大将に任じる程度だろう、と答えるトメ将軍に、それで満足なのか、とヌカデは尋ねます。トメ将軍は悟りきったような表情で、一番欲しいものは永久に手に入らないからな、と答えます。トメ将軍が一番欲しいものは、大陸との通商を一手に司り、望めば漢にまで行ける島子(シマコ)でした。示斎(持衰)として何度も韓まで行ったトメ将軍は、海はいいぞ、と愉快そうに言います。暈討伐という那の悲願を達成しても島子にはなれないのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、ウラ家があるからと答えます。トメ将軍はヌカデに、那に伝わるウラ家にまつわる有名な伝説を語ります。ある日、釣りに出たウラ家の先祖は、魚の代わりに大きな亀を釣りあげます。亀は海神の娘で、美しい姫に変身し、ウラ家の先祖を蓬莱山(トコヨノクニ)の仙衆(ヒジリタチ)に会わせます。それ以来ウラ家は、大亀に守られている一族なので、島子を任せれば航海は絶句安全と言われるようになりました。日見子(ヒミコ)様(ヤノハ)なら島子になるというトメ将軍の夢を叶えてくれるかもしれない、と言うヌカデに対して、そうなれば日見子(たるヤノハ)に一生ついて行く、とトメ将軍は語ります。
夜になり、テヅチ将軍が輿で眠っているタケル王を起こします。侍従である拾遺(オモビト)がいないことに疑問を抱くタケル王に、拾遺は全員山社に入った、就寝中のタケル王には声をかけなかった、とテヅチ将軍は説明します。タケル王は嬉しそうに、山社は降伏したのか、と言います。タケル王に那軍の動静を尋ねられたテヅチ将軍は、影も形も見えない、と答えます。山社が落ちた今、トメ将軍との戦いが待ち遠しい、と愉快そうに語るタケル王ですが、大量の武器が放置されていることを不審に思います。するとテヅチ将軍は山社の門で待ち構えているミマト将軍に、タケル王を渡す、と力強く宣言します。裏切ったのか、と慌てるタケル王に対して、オシクマ将軍を罵倒するタケル王は日見彦(ヒミヒコ)ではないと確信した、それどころか人の上に立つ天分すらない、とテヅチ将軍は言い放ちます。山社の兵は暈の兵士たちに、諸君は俘虜ではない、山社の客人だ、と告げ、暈軍の兵士たちとともに宴会を始めます。
ヤノハはテヅチ将軍に、タケル王を見限ったことに感謝します。テヅチ将軍はヤノハに、タケル王に代わって倭国統一を目指すのか、と尋ねます。ヤノハは、倭国を統一する気はまったくない、と答えます。驚いたテヅチ将軍は、では何をするつもりなのか、と尋ねます。するとヤノハは、自分は天照様と倭人をつなぐ光で、光は万人に平等に降り注ぐのみ、あれこれを命じることは絶対ない、と答えます。自分はただ倭国が平らかになるよう、人々に光を注ぐのみだ、というわけです。テヅチ将軍はヤノハの返答に感銘を受けたようです。タケル王の処遇をどうするのか、ミマト将軍はヤノハに尋ねます。ヤノハはタケル王をトンカラリンの洞窟に置き去りにします。イクメは、タケル王が迷路になっているトンカラリンの洞窟を持っていたことから、記憶力がよければ生き残るのではないか、と懸念します。しかしヤノハは、本当に自分だけが選ばれた存在なのか、天照様を試したくなった、とイクメに言います。選ばれた者が天下に2人顕れれば、倭国はさらに乱れる、と懸念するイクメに、その時は自分が消えればよい、とヤノハが答えるところで今回は終了です。
今回は、話が大きく動きました。テヅチ将軍がタケル王を見限り、タケル王はトンカラリンの洞窟に置き去りにされました。テヅチ将軍がタケル王を見限った直接的経緯は、タケル王が最前線から多数の兵を引き抜いたことこそ、暈軍崩壊の決定的要因となったのに、タケル王が自身の責任をまったく認めず、オシクマ将軍に責任を押し付けて罵倒したからでしょう。オシクマ将軍は武人として優れており、敵のトメ将軍もそうですが、多くの武人から一目置かれる存在だったようです。タケル王のあまりにも身勝手で幼稚な態度に、オシクマ将軍と同じく武人であるテヅチ将軍は愛想が尽きた、といったところでしょうか。テヅチ将軍の対応は、説得力のある描写になっていたと思います。
タケル王を日見彦と認める人も一定以上いるようなので、タケル王はかつてトンカラリンの儀式から生還したのでしょうが、タケル王も認めるように、配下の者にトンカラリンの洞窟の地図を作成させ、それを頼りに脱出したのでしょう。それを知っている暈の国の「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の幹部たちは、追放されたヒルメをはじめとしてタケル王が偽の日見子だと考えていたのだと思います。タケル王がこの窮地を脱するのか分かりませんが、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、タケル王が死んでも誰かが日見彦(卑弥弓呼)に擁立されるのでしょう。鞠智彦(ククチヒコ)も、暈の最強の実力者でタケル王の父であるイサオ王も、タケル王が不出来であることをよく認識していますし、イサオ王は冷酷な人物ですから、すぐにタケル王の代わりを擁立するのではないか、と思います。『三国志』から推測すると、日見子(卑弥呼)たるヤノハと暈は今後も対立し続けるでしょうから、イサオ王と鞠智彦がヤノハを日見子として認めて擁立する、という展開にはならないように思います。ここまで、ヤノハの思惑通りに事態が進んでいるように思いますが、今後は、イサオ王と鞠智彦を相手に、ヤノハが苦境に立たされる場面もありそうです。
ヤノハがあえて自分に不利な状況設定も用意するところは、生に執着するという人物造形から見てどうなのか、と思わなくもありませんが、ヤノハが執着しているのは生きることであり、日見子として擁立されることではない、と解釈するのがよいでしょうか。あえて自分に不利な状況設定も用意するところは、ヤノハの胆力と知恵と自信をよく表しており、人物描写がぶれている、とは考えていません。山社軍と暈軍が合流し、すっかり打ち解けた後、トメ将軍がどう行動するのかも気になるところです。ヤノハはアカメに、トメ将軍を陥れるよう、那国で噂を流せと指示しており、トメ将軍をその兵士たちとともに新生「山社国」に迎え入れるつもりなのかもしれません。トメ将軍は、島子を任せられればずっと日見子(ヤノハ)についていくと明言しており、今後、ヤノハがトメ将軍を朝鮮半島、さらには後漢の後継王朝たる魏との通行に活躍するのかもしれません。そうだとすると、『三国志』に見える、倭国から魏に派遣された大夫の難升米がトメ将軍という設定になりそうです。今回も面白かったのですが、今後、ますます雄大な規模の話が展開していきそうなので、本当に楽しみです。
丘の上の暈軍の陣営では、テヅチ将軍がタケル王に、山社は武器の放棄を条件に暈軍の山社入場を認める、という条件を提示してきた、と伝えていました。それは降伏勧告かとタケル王に問われたテヅチ将軍は、もしくは休戦の提案だろう、と答えます。するとタケル王は激昂し、山社の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと副長のウズメを斬首せよ、と命じます。テヅチ将軍は冷静に、山社のミマト将軍が代わりの人質として自分の息子であるミマアキではどうかと提案してきた、とタケル王に伝えます。タケル王はその提案を認めようとします。息子が斬首されればミマト将軍は怒りのあまり砦から出撃してくるだろうから、自軍の楽勝というわけです。しかしテヅチ将軍は、ミマト将軍は生粋の戦人なので、自分の子供よりも兵の命を優先し、那軍が暈軍を攻めるまで耐えるだろう、とタケル王に進言します。
那軍と山社軍に挟み撃ちにあっても暈軍が負けるとは限らないだろう、とタケル王に問われたテヅチ将軍は、那軍はオシクマ将軍の指揮する最前線の暈軍を撃破して士気がきわめて高く、暈軍の苦戦は目に見えている、と答えます。タケル王は嘆息し、何もかもオシクマ将軍のせいだ、那軍が大河(筑後川と思われます)を渡ることをおめおめ許し、挙げ句の果てに全滅とは何と無能な男だ、と言い放ちます。タケル王は愕然としている様子のテヅチ将軍に、暈軍は那軍の倍で、たとえ戦で半数に減っても、その時の敵の数はもっと少ないはずだ、と言い、ミマアキとイスズとウズメを即刻斬首し、暈軍の士気を高めるよう、命じます。タケル王の裁定を伝えに来たテヅチ将軍を、イスズとウズメは不安そうに見上げます。
山社を目前に休憩している那軍の陣営では、ヌカデがトメ将軍に、暈軍に勝利すれば那の王からどのような褒美を貰えるのか、と尋ねていました。ウツヒオ王のことだから、自分を次の戦いでも総大将に任じる程度だろう、と答えるトメ将軍に、それで満足なのか、とヌカデは尋ねます。トメ将軍は悟りきったような表情で、一番欲しいものは永久に手に入らないからな、と答えます。トメ将軍が一番欲しいものは、大陸との通商を一手に司り、望めば漢にまで行ける島子(シマコ)でした。示斎(持衰)として何度も韓まで行ったトメ将軍は、海はいいぞ、と愉快そうに言います。暈討伐という那の悲願を達成しても島子にはなれないのか、とヌカデに問われたトメ将軍は、ウラ家があるからと答えます。トメ将軍はヌカデに、那に伝わるウラ家にまつわる有名な伝説を語ります。ある日、釣りに出たウラ家の先祖は、魚の代わりに大きな亀を釣りあげます。亀は海神の娘で、美しい姫に変身し、ウラ家の先祖を蓬莱山(トコヨノクニ)の仙衆(ヒジリタチ)に会わせます。それ以来ウラ家は、大亀に守られている一族なので、島子を任せれば航海は絶句安全と言われるようになりました。日見子(ヒミコ)様(ヤノハ)なら島子になるというトメ将軍の夢を叶えてくれるかもしれない、と言うヌカデに対して、そうなれば日見子(たるヤノハ)に一生ついて行く、とトメ将軍は語ります。
夜になり、テヅチ将軍が輿で眠っているタケル王を起こします。侍従である拾遺(オモビト)がいないことに疑問を抱くタケル王に、拾遺は全員山社に入った、就寝中のタケル王には声をかけなかった、とテヅチ将軍は説明します。タケル王は嬉しそうに、山社は降伏したのか、と言います。タケル王に那軍の動静を尋ねられたテヅチ将軍は、影も形も見えない、と答えます。山社が落ちた今、トメ将軍との戦いが待ち遠しい、と愉快そうに語るタケル王ですが、大量の武器が放置されていることを不審に思います。するとテヅチ将軍は山社の門で待ち構えているミマト将軍に、タケル王を渡す、と力強く宣言します。裏切ったのか、と慌てるタケル王に対して、オシクマ将軍を罵倒するタケル王は日見彦(ヒミヒコ)ではないと確信した、それどころか人の上に立つ天分すらない、とテヅチ将軍は言い放ちます。山社の兵は暈の兵士たちに、諸君は俘虜ではない、山社の客人だ、と告げ、暈軍の兵士たちとともに宴会を始めます。
ヤノハはテヅチ将軍に、タケル王を見限ったことに感謝します。テヅチ将軍はヤノハに、タケル王に代わって倭国統一を目指すのか、と尋ねます。ヤノハは、倭国を統一する気はまったくない、と答えます。驚いたテヅチ将軍は、では何をするつもりなのか、と尋ねます。するとヤノハは、自分は天照様と倭人をつなぐ光で、光は万人に平等に降り注ぐのみ、あれこれを命じることは絶対ない、と答えます。自分はただ倭国が平らかになるよう、人々に光を注ぐのみだ、というわけです。テヅチ将軍はヤノハの返答に感銘を受けたようです。タケル王の処遇をどうするのか、ミマト将軍はヤノハに尋ねます。ヤノハはタケル王をトンカラリンの洞窟に置き去りにします。イクメは、タケル王が迷路になっているトンカラリンの洞窟を持っていたことから、記憶力がよければ生き残るのではないか、と懸念します。しかしヤノハは、本当に自分だけが選ばれた存在なのか、天照様を試したくなった、とイクメに言います。選ばれた者が天下に2人顕れれば、倭国はさらに乱れる、と懸念するイクメに、その時は自分が消えればよい、とヤノハが答えるところで今回は終了です。
今回は、話が大きく動きました。テヅチ将軍がタケル王を見限り、タケル王はトンカラリンの洞窟に置き去りにされました。テヅチ将軍がタケル王を見限った直接的経緯は、タケル王が最前線から多数の兵を引き抜いたことこそ、暈軍崩壊の決定的要因となったのに、タケル王が自身の責任をまったく認めず、オシクマ将軍に責任を押し付けて罵倒したからでしょう。オシクマ将軍は武人として優れており、敵のトメ将軍もそうですが、多くの武人から一目置かれる存在だったようです。タケル王のあまりにも身勝手で幼稚な態度に、オシクマ将軍と同じく武人であるテヅチ将軍は愛想が尽きた、といったところでしょうか。テヅチ将軍の対応は、説得力のある描写になっていたと思います。
タケル王を日見彦と認める人も一定以上いるようなので、タケル王はかつてトンカラリンの儀式から生還したのでしょうが、タケル王も認めるように、配下の者にトンカラリンの洞窟の地図を作成させ、それを頼りに脱出したのでしょう。それを知っている暈の国の「日の巫女」集団の学舎である種智院(シュチイン)の祈祷部(イノリベ)の幹部たちは、追放されたヒルメをはじめとしてタケル王が偽の日見子だと考えていたのだと思います。タケル王がこの窮地を脱するのか分かりませんが、暈は『三国志』の狗奴国でしょうから、タケル王が死んでも誰かが日見彦(卑弥弓呼)に擁立されるのでしょう。鞠智彦(ククチヒコ)も、暈の最強の実力者でタケル王の父であるイサオ王も、タケル王が不出来であることをよく認識していますし、イサオ王は冷酷な人物ですから、すぐにタケル王の代わりを擁立するのではないか、と思います。『三国志』から推測すると、日見子(卑弥呼)たるヤノハと暈は今後も対立し続けるでしょうから、イサオ王と鞠智彦がヤノハを日見子として認めて擁立する、という展開にはならないように思います。ここまで、ヤノハの思惑通りに事態が進んでいるように思いますが、今後は、イサオ王と鞠智彦を相手に、ヤノハが苦境に立たされる場面もありそうです。
ヤノハがあえて自分に不利な状況設定も用意するところは、生に執着するという人物造形から見てどうなのか、と思わなくもありませんが、ヤノハが執着しているのは生きることであり、日見子として擁立されることではない、と解釈するのがよいでしょうか。あえて自分に不利な状況設定も用意するところは、ヤノハの胆力と知恵と自信をよく表しており、人物描写がぶれている、とは考えていません。山社軍と暈軍が合流し、すっかり打ち解けた後、トメ将軍がどう行動するのかも気になるところです。ヤノハはアカメに、トメ将軍を陥れるよう、那国で噂を流せと指示しており、トメ将軍をその兵士たちとともに新生「山社国」に迎え入れるつもりなのかもしれません。トメ将軍は、島子を任せられればずっと日見子(ヤノハ)についていくと明言しており、今後、ヤノハがトメ将軍を朝鮮半島、さらには後漢の後継王朝たる魏との通行に活躍するのかもしれません。そうだとすると、『三国志』に見える、倭国から魏に派遣された大夫の難升米がトメ将軍という設定になりそうです。今回も面白かったのですが、今後、ますます雄大な規模の話が展開していきそうなので、本当に楽しみです。
この記事へのコメント