大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』
岩波新書(赤版)の一冊として、岩波書店より2019年7月に刊行されました。本書は独ソ戦の一般向け概説となりますが、戦況の推移や軍部指導層の思惑や兵器についてのみ取り上げた「狭義の軍事史」ではなく、「絶滅戦争」とも言われる独ソ戦のイデオロギー的性格や、当時の独ソ両国の政治状況も重視しており、独ソ戦を広い視野から位置づけています。独ソ戦について調べようと思った日本人がまず参照すべき基本書として、長く読まれ続けるのではないか、と思います。
独ソ戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことはよく知られていると思います。本書は、ソ連軍が開戦当初に圧倒された理由として、スターリンの責任を指摘します。スターリンには、ドイツが間もなくソ連に侵攻してくることを予想した報告が多く届いていました。それをスターリンは無視し、ドイツを刺激しないよう軍部に指示し、前線のソ連軍はドイツ軍にたいして無警戒・無防備とも言える体制で攻撃を受けることになりました。ドイツ軍のソ連侵攻はソ連軍にとって奇襲となり、貴重な航空戦力が大損害を受けるなど、開戦当初のソ連軍は大混乱しました。本書は、スターリンの判断の誤りにより、一部は避け得たはずの被害をソ連が受けてしまった、と指摘します。こうしたスターリンの判断の誤りには、将校の大量粛清によるソ連軍の弱体化がありました。もちろんこれも、スターリンの決断によるものです。
スターリンはソ連軍の弱体化を認識しており、それ故にまだドイツ軍と戦う時期ではないと考え、ドイツ軍による侵攻はない、との判断に傾きました。一種の現実逃避と言えそうです。このスターリンの判断の要因として、根強いイギリスへの不信があったことも、本書は指摘します。ドイツ軍がソ連に侵攻してくるとの情報は、ソ連とドイツを争わせようとするイギリスの謀略ではないか、とスターリンは疑っていたわけです。スターリンのイギリスに対する不信感にはもっともなところがあったとは思いますが、それがスターリンの判断を誤らせてしまいました。スターリンには、ドイツがイギリスと講和していない時点でソ連に攻め込めば、第一次世界大戦のような二正面作戦になるので、ドイツはイギリスと講和するまでソ連には攻め込んでこないだろう、との判断もあったのかもしれません。また本書は、開戦当初のソ連軍が、状況に適していないドクトリンに拘ったことも、ソ連軍の被害を大きくした、と指摘します。当時のソ連軍のドクトリンは先進的だったものの、攻撃を重視していました。大粛清によって弱体化し、無警戒でドイツ軍の奇襲を受けて大混乱していた開戦当初のソ連軍には、このドクトリンへの拘りは被害を拡大する有害なものだったわけです。
一方のドイツ軍ですが、国防軍最高司令官でもあったヒトラーも含めてドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、と本書は強調します。もっとも、独ソ開戦の1年半ほど前に始まった冬戦争でソ連軍はフィンランド軍相手に苦戦していたので、この判断にはある程度仕方のないところもあるだろう、とは思います。この過小評価により、ドイツ軍は冬季の装備も含めて補給体制が明らかに不充分なまま、ソ連に侵攻することになりました。その結果、ソ連で略奪も起き、反発した住民の中にはパルチザン闘争に加わる者も出ました。ドイツがソ連への侵攻をいつ決断したのか、という問題について、本書はある程度段階的だった、と解説しています。また本書は、対ソ侵攻はヒトラー単独の決断ではなく、ドイツ陸軍も全体的には積極的だった、と指摘します。
開戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことは上述の通りですが、すでに開戦から間もない時点で、ドイツ軍の被害は戦車を中心として無視できないほど大きく、ドイツ軍首脳部にとって誤算が生じていた、と本書は指摘します。これは、ソ連軍がドイツ軍の攻勢により孤立しても、しぶとく戦い続けたことも大きかったようです。独ソ戦の当初とその前年のフランスの敗北は、ドイツ軍による「電撃戦」の輝かしい成果として語られていますが、本書は、当時のドイツ軍には「電撃戦」というドクトリンはとくになく、この言葉は多分に宣伝的なものだった、と指摘します。「電撃戦」は、基本的には第一次世界大戦中にドイツ軍により完成された「浸透戦術」を新たな装備で実行したものだった、というのが本書の評価です。
このように、ドイツ軍は当初予定通り快進撃を続けているように見えながら、ソ連軍の孤立しつつもしぶとい戦いにより戦車を中心として被害も大きく、また上述のように補給が軽視されていたため、機械化部隊の機動力を活かせないところも多分にあったようです。総合的に見て、やはりドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、ということなのでしょう。そのため本書は、ヒトラーの誤判断・作戦介入がなければ、ドイツ軍はモスクワを占領できて勝っていた、というような第二次世界大戦後のドイツ軍首脳部の回想について、補給の観点からも自軍の被害の観点からも現実的ではなかった、と評価しています。また本書は、ドイツ軍がモスクワを占拠していたらソ連に勝っていた、という前提にも疑問を呈しています。
本書は全体的に、独ソ戦におけるドイツ軍の敗北は、開戦翌年(1942年)に始まったスターリングラードの戦いでの敗北(スターリングラードのドイツ軍が降伏したのは1943年2月)ではなく、1941年の時点で決定していた、との見解に傾いているように思います。ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部は、前線でソ連軍主力を撃破・無力化することによる短期決戦を想定していたのですが、それが達成できなかった時点で、ドイツ軍の敗北は決定的になった、ということでしょうか。根本的には、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部によるソ連への過小評価が、ドイツの敗因と言えそうです。
上述のように、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部の短期決戦構想が破綻し、一方でソ連軍も緒戦の被害が甚大だったため、直ちにドイツ軍を自領から撤退させることはできず、独ソ戦は長期化が決定づけられました。本書は、これにより独ソ戦においては、軍事的合理性に基づき敵軍の継戦意志を挫くことで戦争を終結させようとする「通常戦争」の側面が後景に退き、「世界観戦争」と「収奪戦争」の性格が濃くなった、と指摘します。もちろん、ドイツ視点での西部戦線においても、ドイツによる収奪・虐待はあったのですが、本書を読むと、それは独ソ戦(東部戦線)の比ではなかった、と了解されます。
「世界観戦争」の根底にあったのはヒトラーのイデオロギーで、ソ連も含む東方地域を植民地化して「人種的再編成」を行なう構想でした。また本書は、独ソ戦の「収奪戦争」的性格を指摘します。もっとも、ドイツの「収奪戦争」は独ソ戦の前に始まっていました。本書は、ドイツ首脳部が国民生活の維持と軍備拡張の両方を追及したからだ、とその理由を説明します。ドイツ支配層には、生活水準低下に伴う国民の反抗による、第一次世界大戦での敗北への恐怖感が強く残っていました。しかし、ドイツとその勢力圏だけでは両方の目標を達成できるだけの資源は得られないため、ドイツは第二次世界大戦前から収奪国家的性格を強めていきました。
一方ソ連の側では、スターリン体制への不満から、独ソ戦当初はドイツ軍を解放者として歓迎する動向さえ広く見られました。しかし、上述の理由から、ドイツはソ連の住民を収奪・追放・殺害対象としてしか見ておらず、すぐにドイツ軍への反感が高まりました。ソ連指導部は、スターリン体制への国民の不満を、ナショナリズムとの融合により一定以上解消し、戦時動員に成功しました。ソ連でもイデオロギーとナショナリズムとが融合していき、独ソ戦は妥協の困難な「世界観戦争」としての性格を強めていき、さらに凄惨な被害がもたらされることになりました。日本も絡めての、ドイツとソ連を講和させるという構想はあったのですが、「世界観戦争」と「収奪戦争」に拘ったヒトラーは拒絶し続けました。一方、スターリンの方は、独ソ戦の途中まではドイツとの講和も選択肢にあっただろう、と本書は推測していますが、戦況が有利になるにつれて、ドイツを打倒しての権益拡大方針を固めていったようです。
こうした「世界観戦争」・「収奪戦争」としての独ソ戦は、双方の略奪・虐待を助長しました。ソ連にとっては、当初ドイツに攻め込まれて略奪・虐殺・虐待を受けたことへの報復という側面もありました。1944年半ば以降、ドイツの敗北は決定的となりましたが、第一次世界大戦とは異なり、ドイツ国民は大規模な抵抗運動を起こすことはなく、最後まで戦い続けました。本書はその要因として、国家の統制力の向上とともに、「収奪戦争」によりドイツ国民が特権を得ていたことも指摘しています。ドイツ国民は、収奪に支えられていた特権を失うことと、敗北による報復を恐れた、というわけです。
独ソ戦に関する私の認識はかなり古く、本書により知見を更新できたのは何よりでした。私が昔読んだ独ソ戦関連の一般向けの本・雑誌では、専門家であるドイツ国防軍の意見を軍事素人のヒトラーが無視し、自分の意見に固執した結果、ドイツは戦略規模でも少なからぬ特定の戦場でも勝機を逸した、という論調のものが少なくなかったように思います。こうした論調に関しては、ドイツ国防軍を擁護するためにヒトラーにたいして実態以上に失敗の責任を負わせている側面が多分にあるのではないか、と思っていたのですが、私の能力・知見の問題と、優先順位がさほど高くないことから、放置していました。その後、ドイツによるユダヤ人などの迫害に、親衛隊などナチス組織だけではなく、国防軍も深くかかわっていた、との知見を本・雑誌などで得ましたが、軍事面に関しては、知識の更新を怠ったままでした。本書により、第二次世界大戦後に、ドイツの高級軍人やその擁護者などの主張における、第二次世界大戦におけるドイツ軍の軍事的失敗の責任をヒトラーに負わせる傾向は偏っていた、と確認できたので、その意味でも私にとって本書は有意義でした。
これと関連しているのは、第二次世界大戦後、独ソ戦は異なる政治的立場の人々により偏向した主張がなされてきた、ということです。ソ連は体制擁護、ドイツの高級軍人やその擁護者はドイツ国防軍擁護の観点から、独ソ戦を語ってきました。それが独ソ戦の実証的な研究を妨げてきた、と本書は指摘します。また本書は、NATOの一員としてソ連(を盟主とするワルシャワ条約機構)と最前線で対峙するドイツ連邦共和国(西ドイツ)において、第二次世界大戦でドイツはソ連の圧倒的な物量に負けただけで、質や作戦・戦略ではドイツが優位に立っていた、というような言説が好まれてきたことを指摘します。しかし、本書が明らかにしたのは、ソ連は独ソ戦中盤以降、戦略次元でドイツに対して優位に立っていた、ということです。上述のように、ソ連の軍事ドクトリンは独ソ戦の前から元々高く評価されており、独ソ戦前半での苦戦の中かから、近視眼的傾向のあるドイツ軍を上回る大局的な軍事的知見を形成していった、と言えるでしょうか。期待値の高かった本書ですが、期待値以上のものが得られて満足しています。
独ソ戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことはよく知られていると思います。本書は、ソ連軍が開戦当初に圧倒された理由として、スターリンの責任を指摘します。スターリンには、ドイツが間もなくソ連に侵攻してくることを予想した報告が多く届いていました。それをスターリンは無視し、ドイツを刺激しないよう軍部に指示し、前線のソ連軍はドイツ軍にたいして無警戒・無防備とも言える体制で攻撃を受けることになりました。ドイツ軍のソ連侵攻はソ連軍にとって奇襲となり、貴重な航空戦力が大損害を受けるなど、開戦当初のソ連軍は大混乱しました。本書は、スターリンの判断の誤りにより、一部は避け得たはずの被害をソ連が受けてしまった、と指摘します。こうしたスターリンの判断の誤りには、将校の大量粛清によるソ連軍の弱体化がありました。もちろんこれも、スターリンの決断によるものです。
スターリンはソ連軍の弱体化を認識しており、それ故にまだドイツ軍と戦う時期ではないと考え、ドイツ軍による侵攻はない、との判断に傾きました。一種の現実逃避と言えそうです。このスターリンの判断の要因として、根強いイギリスへの不信があったことも、本書は指摘します。ドイツ軍がソ連に侵攻してくるとの情報は、ソ連とドイツを争わせようとするイギリスの謀略ではないか、とスターリンは疑っていたわけです。スターリンのイギリスに対する不信感にはもっともなところがあったとは思いますが、それがスターリンの判断を誤らせてしまいました。スターリンには、ドイツがイギリスと講和していない時点でソ連に攻め込めば、第一次世界大戦のような二正面作戦になるので、ドイツはイギリスと講和するまでソ連には攻め込んでこないだろう、との判断もあったのかもしれません。また本書は、開戦当初のソ連軍が、状況に適していないドクトリンに拘ったことも、ソ連軍の被害を大きくした、と指摘します。当時のソ連軍のドクトリンは先進的だったものの、攻撃を重視していました。大粛清によって弱体化し、無警戒でドイツ軍の奇襲を受けて大混乱していた開戦当初のソ連軍には、このドクトリンへの拘りは被害を拡大する有害なものだったわけです。
一方のドイツ軍ですが、国防軍最高司令官でもあったヒトラーも含めてドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、と本書は強調します。もっとも、独ソ開戦の1年半ほど前に始まった冬戦争でソ連軍はフィンランド軍相手に苦戦していたので、この判断にはある程度仕方のないところもあるだろう、とは思います。この過小評価により、ドイツ軍は冬季の装備も含めて補給体制が明らかに不充分なまま、ソ連に侵攻することになりました。その結果、ソ連で略奪も起き、反発した住民の中にはパルチザン闘争に加わる者も出ました。ドイツがソ連への侵攻をいつ決断したのか、という問題について、本書はある程度段階的だった、と解説しています。また本書は、対ソ侵攻はヒトラー単独の決断ではなく、ドイツ陸軍も全体的には積極的だった、と指摘します。
開戦当初、ドイツ軍がソ連軍を圧倒したことは上述の通りですが、すでに開戦から間もない時点で、ドイツ軍の被害は戦車を中心として無視できないほど大きく、ドイツ軍首脳部にとって誤算が生じていた、と本書は指摘します。これは、ソ連軍がドイツ軍の攻勢により孤立しても、しぶとく戦い続けたことも大きかったようです。独ソ戦の当初とその前年のフランスの敗北は、ドイツ軍による「電撃戦」の輝かしい成果として語られていますが、本書は、当時のドイツ軍には「電撃戦」というドクトリンはとくになく、この言葉は多分に宣伝的なものだった、と指摘します。「電撃戦」は、基本的には第一次世界大戦中にドイツ軍により完成された「浸透戦術」を新たな装備で実行したものだった、というのが本書の評価です。
このように、ドイツ軍は当初予定通り快進撃を続けているように見えながら、ソ連軍の孤立しつつもしぶとい戦いにより戦車を中心として被害も大きく、また上述のように補給が軽視されていたため、機械化部隊の機動力を活かせないところも多分にあったようです。総合的に見て、やはりドイツ軍首脳部がソ連軍を過小評価していた、ということなのでしょう。そのため本書は、ヒトラーの誤判断・作戦介入がなければ、ドイツ軍はモスクワを占領できて勝っていた、というような第二次世界大戦後のドイツ軍首脳部の回想について、補給の観点からも自軍の被害の観点からも現実的ではなかった、と評価しています。また本書は、ドイツ軍がモスクワを占拠していたらソ連に勝っていた、という前提にも疑問を呈しています。
本書は全体的に、独ソ戦におけるドイツ軍の敗北は、開戦翌年(1942年)に始まったスターリングラードの戦いでの敗北(スターリングラードのドイツ軍が降伏したのは1943年2月)ではなく、1941年の時点で決定していた、との見解に傾いているように思います。ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部は、前線でソ連軍主力を撃破・無力化することによる短期決戦を想定していたのですが、それが達成できなかった時点で、ドイツ軍の敗北は決定的になった、ということでしょうか。根本的には、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部によるソ連への過小評価が、ドイツの敗因と言えそうです。
上述のように、ヒトラーも含めてドイツ軍首脳部の短期決戦構想が破綻し、一方でソ連軍も緒戦の被害が甚大だったため、直ちにドイツ軍を自領から撤退させることはできず、独ソ戦は長期化が決定づけられました。本書は、これにより独ソ戦においては、軍事的合理性に基づき敵軍の継戦意志を挫くことで戦争を終結させようとする「通常戦争」の側面が後景に退き、「世界観戦争」と「収奪戦争」の性格が濃くなった、と指摘します。もちろん、ドイツ視点での西部戦線においても、ドイツによる収奪・虐待はあったのですが、本書を読むと、それは独ソ戦(東部戦線)の比ではなかった、と了解されます。
「世界観戦争」の根底にあったのはヒトラーのイデオロギーで、ソ連も含む東方地域を植民地化して「人種的再編成」を行なう構想でした。また本書は、独ソ戦の「収奪戦争」的性格を指摘します。もっとも、ドイツの「収奪戦争」は独ソ戦の前に始まっていました。本書は、ドイツ首脳部が国民生活の維持と軍備拡張の両方を追及したからだ、とその理由を説明します。ドイツ支配層には、生活水準低下に伴う国民の反抗による、第一次世界大戦での敗北への恐怖感が強く残っていました。しかし、ドイツとその勢力圏だけでは両方の目標を達成できるだけの資源は得られないため、ドイツは第二次世界大戦前から収奪国家的性格を強めていきました。
一方ソ連の側では、スターリン体制への不満から、独ソ戦当初はドイツ軍を解放者として歓迎する動向さえ広く見られました。しかし、上述の理由から、ドイツはソ連の住民を収奪・追放・殺害対象としてしか見ておらず、すぐにドイツ軍への反感が高まりました。ソ連指導部は、スターリン体制への国民の不満を、ナショナリズムとの融合により一定以上解消し、戦時動員に成功しました。ソ連でもイデオロギーとナショナリズムとが融合していき、独ソ戦は妥協の困難な「世界観戦争」としての性格を強めていき、さらに凄惨な被害がもたらされることになりました。日本も絡めての、ドイツとソ連を講和させるという構想はあったのですが、「世界観戦争」と「収奪戦争」に拘ったヒトラーは拒絶し続けました。一方、スターリンの方は、独ソ戦の途中まではドイツとの講和も選択肢にあっただろう、と本書は推測していますが、戦況が有利になるにつれて、ドイツを打倒しての権益拡大方針を固めていったようです。
こうした「世界観戦争」・「収奪戦争」としての独ソ戦は、双方の略奪・虐待を助長しました。ソ連にとっては、当初ドイツに攻め込まれて略奪・虐殺・虐待を受けたことへの報復という側面もありました。1944年半ば以降、ドイツの敗北は決定的となりましたが、第一次世界大戦とは異なり、ドイツ国民は大規模な抵抗運動を起こすことはなく、最後まで戦い続けました。本書はその要因として、国家の統制力の向上とともに、「収奪戦争」によりドイツ国民が特権を得ていたことも指摘しています。ドイツ国民は、収奪に支えられていた特権を失うことと、敗北による報復を恐れた、というわけです。
独ソ戦に関する私の認識はかなり古く、本書により知見を更新できたのは何よりでした。私が昔読んだ独ソ戦関連の一般向けの本・雑誌では、専門家であるドイツ国防軍の意見を軍事素人のヒトラーが無視し、自分の意見に固執した結果、ドイツは戦略規模でも少なからぬ特定の戦場でも勝機を逸した、という論調のものが少なくなかったように思います。こうした論調に関しては、ドイツ国防軍を擁護するためにヒトラーにたいして実態以上に失敗の責任を負わせている側面が多分にあるのではないか、と思っていたのですが、私の能力・知見の問題と、優先順位がさほど高くないことから、放置していました。その後、ドイツによるユダヤ人などの迫害に、親衛隊などナチス組織だけではなく、国防軍も深くかかわっていた、との知見を本・雑誌などで得ましたが、軍事面に関しては、知識の更新を怠ったままでした。本書により、第二次世界大戦後に、ドイツの高級軍人やその擁護者などの主張における、第二次世界大戦におけるドイツ軍の軍事的失敗の責任をヒトラーに負わせる傾向は偏っていた、と確認できたので、その意味でも私にとって本書は有意義でした。
これと関連しているのは、第二次世界大戦後、独ソ戦は異なる政治的立場の人々により偏向した主張がなされてきた、ということです。ソ連は体制擁護、ドイツの高級軍人やその擁護者はドイツ国防軍擁護の観点から、独ソ戦を語ってきました。それが独ソ戦の実証的な研究を妨げてきた、と本書は指摘します。また本書は、NATOの一員としてソ連(を盟主とするワルシャワ条約機構)と最前線で対峙するドイツ連邦共和国(西ドイツ)において、第二次世界大戦でドイツはソ連の圧倒的な物量に負けただけで、質や作戦・戦略ではドイツが優位に立っていた、というような言説が好まれてきたことを指摘します。しかし、本書が明らかにしたのは、ソ連は独ソ戦中盤以降、戦略次元でドイツに対して優位に立っていた、ということです。上述のように、ソ連の軍事ドクトリンは独ソ戦の前から元々高く評価されており、独ソ戦前半での苦戦の中かから、近視眼的傾向のあるドイツ軍を上回る大局的な軍事的知見を形成していった、と言えるでしょうか。期待値の高かった本書ですが、期待値以上のものが得られて満足しています。
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