天皇のY染色体ハプログループ(追記有)
追記(2021年9月6日)
Y染色体ハプログループ(YHg)と日本人や皇族との関係についての2021年9月初頭時点での私見は、この記事とはかなり異なりますので、別の記事にまとめました。この記事では今後コメントを受け付けません。
天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。
とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。
また、2016年5月8日時点での情報ですが、『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。
けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。
YHg-D1bは「縄文人」由来と推定されており、最近の研究でもその推定が改めて支持されています(関連記事)。したがって、皇族は縄文時代以来日本列島で継続している父系だ、と考えるのは妥当なところです。その意味で、皇族は「縄文系」と言っても、少なくとも大間違いとは言えないと思います。「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団では9~15%、琉球集団では27%と推定されています(関連記事)。これは北海道の「縄文人」の高品質なゲノムデータに基づいているので、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られて比較されると、「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響はもっと高くなるかもしれません。
ただ、「本土」集団のYHg-D1bの割合は35.34%なので(関連記事)、父系において不自然に「縄文人」の影響が高いようにも思われます。しかし、皇族がYHg-D1bだとすると、皇族の男系子孫は武士になって日本各地に定着していき、養子も珍しくなかったとはいえ、原則として父系継承だったので、「本土」集団のゲノムでは弥生時代以降にアジア東部から日本列島へ到来した集団の影響が強くても、父系では「縄文人」の影響が強く残ったというか、中世以降に影響を高めて現代のような比率になった、と想定しやすくなります。その意味でも、皇族が父系では「縄文系」だった可能性はじゅうぶんある、と言えるでしょう。
ただ、ここで問題となるのは、皇族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。
Y染色体ハプログループ(YHg)と日本人や皇族との関係についての2021年9月初頭時点での私見は、この記事とはかなり異なりますので、別の記事にまとめました。この記事では今後コメントを受け付けません。
天皇というか皇族のY染色体ハプログループ(YHg)について、D1bとの情報がネットで出回っており、確定したかのように喧伝されているので、以前から一度調べてみるつもりだったのですが、さほど優先順位が高いわけでもないので、後回しにしていました。今回、少し調べてみたのですが、査読誌に掲載された論文や、信頼できる研究機関の報告では見つけることができませんでした。もちろん、そうしたものが存在する可能性はあるわけですが、私の現在の見識と気力ではこれ以上検索しても徒労に終わるだろうと判断して、打ち切りました。
とりあえず、元ネタになりそうな有名人のYHgというサイトを見つけたのですが、そこでは、日本語ブログが典拠とされていました。その日本語ブログはもう閉鎖されているので、インターネットアーカイブで該当記事を検索すると、「皇室は、第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析により、縄文人のD1b(D-M64.1)に属するD1b1a2の系統と言われ」とありました。「東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」にはリンクが貼られているのですが、インターネットアーカイブで検索しても見つかりませんでした。
また、2016年5月8日時点での情報ですが、『天皇家のハプログループについて「第113代 東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔内粘膜の解析」とあるにもかかわらずリンク先には全くデータは示されていない』とあります。したがって、東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2とは確定できないでしょう。もちろん、そうである可能性もじゅうぶんあるとは思うので、否定もできませんが。上記サイトによると、別人の皇族子孫が検査したところ、YHg- D1b1a2b1a1だったそうで、「東山天皇の男系子孫 複数名」の事例と整合的ですが、典拠は明示されていません。
けっきょくのところ、皇族がYHg-D1bとの情報に確たる信頼性を認めるのは難しいように思います。ただ、上述のように、その可能性は一定以上あると思います。仮に東山天皇の男系子孫がYHg-D1b1a2だとすると、同じく東山天皇の男系子孫である現在の皇族(もちろん、男性限定ですが)もYHg-D1b1a2だろう、と推定するのは合理的です。問題となるのは、「間違い」が起きていた場合です。たとえば、エドワード3世に始まる男系では、どこかで系図とは異なる父親が存在した、と明らかになっています。これは海外の事例ですが、日本でも、同様の可能性が起きていた可能性は否定できません(関連記事)。ただ、その可能性はさほど高いとも思えないので、今回は考慮しません。
YHg-D1bは「縄文人」由来と推定されており、最近の研究でもその推定が改めて支持されています(関連記事)。したがって、皇族は縄文時代以来日本列島で継続している父系だ、と考えるのは妥当なところです。その意味で、皇族は「縄文系」と言っても、少なくとも大間違いとは言えないと思います。「縄文人」の現代日本人への遺伝的影響は、アイヌ集団では66%、「(本州・四国・九州を中心とする)本土」集団では9~15%、琉球集団では27%と推定されています(関連記事)。これは北海道の「縄文人」の高品質なゲノムデータに基づいているので、西日本の「縄文人」のゲノムデータが得られて比較されると、「本土」集団における「縄文人」の遺伝的影響はもっと高くなるかもしれません。
ただ、「本土」集団のYHg-D1bの割合は35.34%なので(関連記事)、父系において不自然に「縄文人」の影響が高いようにも思われます。しかし、皇族がYHg-D1bだとすると、皇族の男系子孫は武士になって日本各地に定着していき、養子も珍しくなかったとはいえ、原則として父系継承だったので、「本土」集団のゲノムでは弥生時代以降にアジア東部から日本列島へ到来した集団の影響が強くても、父系では「縄文人」の影響が強く残ったというか、中世以降に影響を高めて現代のような比率になった、と想定しやすくなります。その意味でも、皇族が父系では「縄文系」だった可能性はじゅうぶんある、と言えるでしょう。
ただ、ここで問題となるのは、皇族がYHg-D1b1a2あるいはそのサブグループD1b1a2b1a1だとして、「縄文系」と断定できるのか、ということです。現時点では、「縄文人」のYHgはD1b2しか確認されておらず(関連記事)、現代日本人で多数派のYHg-D1b1の祖先とはなりません。もっとも、まだ東日本の「縄文人」しか解析されていないので、西日本の「縄文人」の中にはYHg-D1b1も一定以上の割合でいるかもしれませんし、東日本の「縄文人」でも今後YHg-D1b1が確認されるかもしれません。しかし、現時点で「縄文人」においてはYHg-D1b1が確認されていない、という事実は無視できないと思います。YHg-D1b1が弥生時代以降にアジア東部から到来した集団に由来する可能性も現時点では一定以上ある、と私は考えています(関連記事)。その意味で、仮に皇族がYHg-D1b1a2だったとして、父系では「縄文系」と断定するのは時期尚早だと思います。
この記事へのコメント
日本語ブログが典拠と書かれてますが、間違いです。当該のブログには海外の研究が引用されていましたので、正確にはそれが典拠でしょう。私はどちらの意見の肩を持つ訳ではありませんが、公平に取り上げられていない点が気になりましたので、上記をアーカイブスから補足させて頂きます。
内容も、現代日本人のY染色体ハプログループ(YHg)でD2(その後、D1b→D1a2に変更)の割合が多いことから、皇族もYHg-D2(当時の分類)ではないか、と推測したにすぎず、私が取り上げた日本語のブログ記事で引用されているような、男系で皇族につながる人物の具体的なYHg情報(とはいえ、本文で述べたように、その情報が正しいのか、確認できませんでしたが)ではありません。
紹介いただいた投稿は9年ほど前のもののようですが、似たようなことはその前よりヤフー掲示板など日本語掲示板でも言われていたと記憶しています。紹介いだいた投稿こそ「正確」には「典拠」となるような「研究」だった、との評価は妥当ではない、と私は考えています。
↑こちらのサイトには、皇胤氏族、藤原氏、秦氏の各子孫から得られたデータが収録されていますが、一定の傾向を示しています。データが集まればより顕著になるのではないでしょうか。
また、問題となるのは、ペア外父性の問題です。本文ではその可能性は低いと述べましたが、何十代も続けば、どこかで1回でも系図とは異なる父親が存在した可能性はそれなりに高くなります。
https://sicambre.at.webry.info/201911/article_34.html
その意味で、この問題の決着には、皇族の詳細なYHg決定と公開が必要になります。現実的には、たとえ検査しても公表はまず無理だと思いますが。仮に皇族のYHgが、たとえば奈良時代と近世以降では異なっているとしたら、どちらが「正統」なのか、という問題が生じます。その意味でも、皇位の男系継承の根拠としてY染色体を挙げることは筋が悪すぎると思います。
たしかに完全な確定とはいえません。
しかし科学的な観点からすると、ほぼ完全に画定しています。
まあはっきり言うと、天皇家が縄文の血筋であることにケチをつけるならば、古代史というのは嘘っぱちばかりが述べられている分野となってしまいますし、一定以上の可能性が高い説というのが定説とされる分野なのです。’
アイヌの方々や沖縄の方々筆頭に日本列島の南北にD1bの比率が非常に高い
↓
それらの地域は縄文系統の血を強くひいていると考えられるので、D1b ≒ 縄文系統
↓
縄文系遺伝子として父系にだけ受け継がれるハプロタイプが突出して高い
↓
縄文系は父親として子孫を残しやすい状態にあった
↓
つまり縄文系は最高権力者の地位に長らくあったと推定される
ちなみに、多く残っているハプロタイプが権力者のものであるというのは世界的になされていることです。
人類の営みを考えれば容易に推察できることですから。
天皇家≒弥生系とするならば、その根拠は何か?ということですね。
D1bというハプロタイプがこれほど日本で繁栄しているという「事実」がある中でそれを跳ね返せるだけの根拠がありますか?
騎馬民族征服王朝説?
今や去勢や書物の記述などなどといった反論により間違った説とされていますが、この説が「定説」だった時代もあるのが古代史です。
正直、ハプロタイプからの天皇家≒縄文系統という説に対して、反論らしい反論は見当たりません(本人たちは反論しているつもりでも、読み落としやそれぐらい推察しろよ、というレベルの反論はありますがね)
医薬品の治験で言うならば、十分以上に有意な差があるために、天皇家≒縄文系統で確定ですよ。そして、遺伝子という理数科学に基づく考察なために今後くつがえる可能性は極めて低いです。
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_41.html
それから、騎馬民族征服王朝説が学界で定説だった時代はありません。一般受けがよかったというか、認知度が高かっただけです。そもそも、この記事では、皇族の父系祖先がユーラシア東部から日本列島に到来したのは、古墳時代ではなく弥生時代である、と私は想定していました。
この記事のコメントは、管理人の私以外すべて名前が未入力ですねぇ。同一人物なのか否か分かりませんが、同一人物だとしたら、一般人の掲示板における投稿のようなものを「研究」と言ってみたり、YHg-D1a2a(旧々D1b、旧D1a2)の下位系統を問題にしているのにYHg-D1a2a(旧々D1b、旧D1a2)だけで語ってみたり、私にとって何ら有益ではないコメントだけなので、大迷惑ですな。
D系の多さから日本人の支配層がD系であると言うのは確かに推測としては確率の高さそうな話だと思います。古代史においてはそれで正しいのじゃないか?とは思います。
ただ科学として遺伝子を使うのと、古代史の中で遺伝子を利用するのでは意味合いが違うと思います。その辺りは言葉の問題にすぎないのじゃないか?と思います。
管理人さんが引用しているネイチャーなどじゃ相手にされない言及だと思うのですけど…。
以前から弥生人が主体の日本人の遺伝子に先住民に多いだろうとされるD系が偏って多いため、そこに何しかしらの人為的な不自然があった可能性があったとは見ています。それが権力者だっただと分かりやすいと言えば分かりやすいです。
ただ、私は以前管理人さんがおっしゃっていた半島にD系が存在した可能性に同意してる面があります。骨の分析でも縄文人と弥生人の混血のような骨が半島南部で見つかったという論文もあります。
これまで歴史時代に移住した縄文との混血した日本人が韓国人の縄文成分と思われてきましたが、弥生前にすでにこういった骨が見つかっているためD系がすでに半島にいたというのは可能性としてはあると思います。
アイヌ人で、だれか活躍しているような人いる?
日本の産業を築き発展させてきたのはどちらかというと秦氏の系統で、y染色体ハプロならOでしょ。
https://sicambre.at.webry.info/202106/article_22.html
その後、まだ当ブログでは取り上げていない査読前論文でさらに新たな発見があり、上記の私見を修正しないといけない、と考えています。
https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-255765/v1
YHg-D1a2a1とYHg-D1a2a2の分岐はアジア東部本土で起き(日本列島最初の現生人類が北京近郊の4万年前頃の田園個体と類似した遺伝的構成だとすると、縄文人や現代日本人と遺伝的にはつながっていないので、日本列島には38000年前頃には現生人類が存在したので、YHg-D1a2a1とYHg-D1a2a2の分岐も日本列島で起きたはずとは断定できません)、YHg-D1a2aはアジア東部本土でもアムール川地域などで紀元後まで存在していたかもしれません。朝鮮半島南端には紀元前6300~紀元前2000年頃には遺伝的に「縄文人」な構成要素を強く有している集団が存在し、紀元前8~紀元前6世紀頃の朝鮮半島中部西岸の個体は現代日本人とかなり遺伝的構成要素が類似していますが(夏家店上層文化集団的遺伝的構成要素と「縄文人」的遺伝的構成要素の混合)、現代日本人よりは「縄文人」的構成要素の割合がやや高めで、現代日本人の遺伝的構成要素は基本的に朝鮮半島で形成されたかもしれません。ただ、この集団は現代朝鮮人に大きな遺伝的影響を残していない可能性があり、その後の朝鮮半島で大きな遺伝的変容があったと推測されます。
現代日本人のYHg-D1a2aは、「縄文人」が朝鮮半島に拡大して弥生時代に「逆流」した系統と、遼河地域青銅器時代集団にも存在したかもしれない系統の混合で、日本列島に存在した縄文文化関連個体という意味での「縄文人」の割合は、現代日本人に占める割合の一部かもしれない、と考えています。その意味で、皇族のYHgがD1a2aだとしても、「逆流」も含めて弥生時代以降に日本列島到来した可能性もあるとは思います。YHg-D1a2aの詳細な分類の研究が進めば、この私見がある程度妥当なのか、的外れなのか、もっとはっきりしたことが言えるでしょう。
もう一つ質問に答えて頂きたいのですけど、
日本列島においてY染色体ハプログループOが
Y染色体ハプログループDに支配されたという説は正しいのでしょうか?
飛鳥時代以降は、仮に一部で言われているように皇族がYHg-Dで藤原氏がYHg-Oならば、どちらが支配側と言えるのか、判断は難しいように思います。
ペア外父性(系図と生物学的な父子関係が一致しない場合もあること)の問題もあるので、古代DNAデータも含めて詳細なデータが蓄積されるまで、YHgで支配関係を論じることには慎重であるべきと考えています。