ヒマラヤ山脈の人類遺骸のゲノム解析(追記有)
ヒマラヤ山脈のインド側の人類遺骸のゲノム解析結果を報告した研究(Harney et al., 2019)が報道されました。この記事の年代はすべて紀元後です。直径40mほどのループクンド湖(Roopkund)はヒマラヤ山脈のインド側に位置し、海抜は5029mです。ループクンド湖は、湖岸に数百もの人類遺骸が散乱しているため、「スケルトン・レイク」とも呼ばれています。これらの人類遺骸の起源について、これまでほとんど知られていませんでした。地元の民間伝承では、近くの寺院への巡礼にさいして、王と女王と多くの随行者が祝いの席で不適切な振る舞いをしたために、神の怒りに触れて死んでしまった、とされます。また、嵐に巻き込まれた隊商もしくは軍隊、さらには伝染病の犠牲者との説も提示されています。本論文は、ループクンド湖の人類遺骸のDNAと安定同位体を解析し、放射性炭素年代測定法により年代を提示します。
ループクンド湖の人類遺骸のうち、38人でゲノム規模データが得られました。標的領域での網羅率は平均0.51倍(最大は1.547倍)です。また、71人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も決定されました。Y染色体DNAハプログループ(YHg)も決定されています。骨格分析からは、治癒しなかった骨折のある個体も3人ほど見られたものの、ループクンド湖の人類遺骸はおおむね健康な個体だった、と推測されています。また骨格分析からは、アジア南部集団ほぼ全員の範囲外となる、たいへん頑丈で高身長の個体群と、より華奢な個体群が確認され、異なる2集団の存在が示唆されています。ゲノム規模データの得られた38人中、遺伝的には男性は23人、女性は15人で、形態学的分析と一致します。男女の比率がさほど変わらないので、軍隊説は整合的ではない、と本論文は指摘します。この38人では、3親等以内の近親関係は検出されませんでした。また、細菌性病原体に感染している証拠も見つかりませんでしたが、検出するには低すぎる濃度だったかもしれない、と本論文は注意を喚起しています。
ゲノム規模データが得られた38人は、遺伝的に明確に3区分(A・B・C)されます。A(23人)は、ほぼアジア南部現代人集団の変異内に収まります。しかし、密集したクラスタに分類されるわけではなく、アジア南部集団内の多様な集団に起源があることを示唆します。B(14人)はユーラシア西部現代人集団と近縁で、その中でもギリシア本土集団およびクレタ島集団にとくに近い、と示されました。Cは1人のみで、アジア南東部現代人集団との近縁性が示されます。Bは遺伝的には、現代人集団ではクレタ島集団との単系統群(クレード)を形成します。これは、Bの起源地がクレタ島であることを確証するわけではありませんが、Bとクレタ島現代人集団とが比較的最近まで祖先を共有していた、と示します。Aに関しては、クレードを形成する現代人集団は見つからず、アジア南部集団内の(社会経済的にも)多様な集団に起源がある、と改めて示唆されます。Cに関しても、クレードを形成する現代人集団は見つかりませんでしたが、マレー系82%およびベトナム系18%とモデル化でき、アジア南東部起源を示します。A・B・Cいずれも、ループクンド湖近隣の現代人集団との遺伝的近縁性は見つかりませんでした。遺伝的にアジア南部現代人集団の変異内に収まるAでは、ユーラシア西部関連系統に関して性差が見られ、男性の方がやや低くなっています。これは、アジア南部における人類集団の混合のさいの性差を反映している、と考えられます。
加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定の結果は興味深いものです。Aでは最古の年代値が675年、最新の年代値が985年で、最古級の個体は675~769年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は894~985年となります。Bでは最古の年代値が1653年、最新の年代値が1945年で、最古級の個体は1668~1945年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は1706~1915年となります。Cは1653年以降と推定されています。つまり、7~10世紀のAと、17~20世紀のBおよびCとの間には1000年近い年代差があり、明確に分かれるわけで、ループクンド湖の人類遺骸が、少なくとも2回の事象により堆積したことを示します。これは、ループクンド湖の人類遺骸を1回の事象によるものとする以前の見解の比定となります。さらに、Aは年代の重ならない個体もあることから、同時に死亡したわけではない可能性が高そうです。一方、BおよびCは、全個体の年代の重複期間があるので、同時に死亡した可能性も想定されます。
45人(このうち37人でゲノム規模データが得られています)の大腿骨のコラーゲンの安定同位体(炭素13および窒素15)も分析されました。大腿骨のコラーゲンは死亡前10~20年の食事により決まるので、遺伝的系統とは必ずしも相関しません。しかし、AとBおよびCの間では明確な違いが見られました。Bは小麦・大麦・米などのC3植物(なおかつ、もしくはC3植物を食べた動物)を消費していた、と明らかになりました。雑穀はほとんど消費していなかっただろう、というわけです。対照的に、AはC4植物の雑穀も消費していた、と示されました。
本論文は複数の証拠から、Aの少なくとも一部の起源は説明できる、と主張します。ループクンド湖は主要な交易経路に位置していませんが、現在の巡礼経路に位置しています。巡礼の儀式に関する信頼できる記述は19世紀後半以降となりますが、近隣の8~10世紀の寺院の碑文は、巡礼がもっと古くから存在したことを示唆します。巡礼中に大勢が死亡したという仮説について、Aの少なくとも一部に関してはもっともらしい、と本論文は評価しています。Bについて本論文は、アレクサンドロス大王の征服活動以降のギリシア系に由来するとの仮説は、アジア南部集団との混合を想定するとありそうになく、孤立した集団だとしたら遺伝的多様性はもっと低いだろう、と指摘します。そのため本論文は、Bをオスマン帝国期の地中海東部集団と推測しています。安定同位体分析から、この集団は陸棲生物をおもに食べており、内陸部に住んでいた、と推測されます。この集団が巡礼に参加したのか、他の理由でループクンド湖に赴いたのか、不明です。ただ、ヒンズー教が浸透していなかった地中海東部起源の集団が巡礼を行なったとすると、その理由は不明です。一方、アジア南東部起源のCにとって、ヒンズー教的な巡礼の可能性はあり得そうだ、と本論文は指摘します。本論文はひじょうに興味深い結果を提示しています。とくにBについては、不明な点が多々残されており、今後の研究の進展が期待されます。本論文の見解は、学術的観点からだけではなく、SFや伝奇ものといった創作にも使えそうという点でも注目されます。たとえば、シグマフォースシリーズ(関連記事)でそのうちループクンド湖が取り上げられるかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【考古学】「骨の湖」の謎解きに新たな手掛かり
インドのループクンド湖(俗に「スケルトン・レイク」と呼ばれている)から採集された人骨(38人分)について、年代測定が行われて紀元800~1800年のものとされ、抽出されたDNAの解析によって祖先の異なる3つのグループに分類された。これらの人骨は、約1000年を隔てた複数の事象によって堆積したものであり、そのうちの1つのグループは、年代測定で紀元1800年頃のものとされ、東地中海地方に特有の祖先を有する14人が含まれている。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。
ループクンド湖は、ヒマラヤ山脈の海抜5000メートルを超える地点に位置する小水域で、その湖畔には数百体の骨格遺物が散乱している。これらの骨格遺物の起源を説明するためにいくつかの仮説が提唱されたが、この遺跡の性質のために、これらの遺骨の由来を判定することが難しかった。
今回、David Reich、Niraj Raiたちの研究グループは、ループクンド湖で発見された人骨(38人分)のDNA解析を行い、放射性炭素年代測定を行った。その結果、別々の時期にループクンド湖に到達した3つの遺伝的に異なるグループが同定された。そのうちの1つには、南アジア出身の23人が含まれており、人骨の年代は紀元前800年頃と決定され、2回以上の事象によって堆積したことを示す証拠が得られた。この他に、東地中海地方出身の14人と東アジア出身の1人については、いずれも紀元約1800年頃と年代決定された。今回の研究で得られた知見は、すべての人骨が1回の天変地異事象によって堆積したとするこれまでの学説に対する反論となっている。地中海地方からの移住者がいたという謎を解くには、記録文書の研究をさらに進める必要がある。
参考文献:
Harney É. et al.(2019): Ancient DNA from the skeletons of Roopkund Lake reveals Mediterranean migrants in India. Nature Communications, 10, 3670.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11357-9
追記(2019年8月27日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
ループクンド湖の人類遺骸のうち、38人でゲノム規模データが得られました。標的領域での網羅率は平均0.51倍(最大は1.547倍)です。また、71人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も決定されました。Y染色体DNAハプログループ(YHg)も決定されています。骨格分析からは、治癒しなかった骨折のある個体も3人ほど見られたものの、ループクンド湖の人類遺骸はおおむね健康な個体だった、と推測されています。また骨格分析からは、アジア南部集団ほぼ全員の範囲外となる、たいへん頑丈で高身長の個体群と、より華奢な個体群が確認され、異なる2集団の存在が示唆されています。ゲノム規模データの得られた38人中、遺伝的には男性は23人、女性は15人で、形態学的分析と一致します。男女の比率がさほど変わらないので、軍隊説は整合的ではない、と本論文は指摘します。この38人では、3親等以内の近親関係は検出されませんでした。また、細菌性病原体に感染している証拠も見つかりませんでしたが、検出するには低すぎる濃度だったかもしれない、と本論文は注意を喚起しています。
ゲノム規模データが得られた38人は、遺伝的に明確に3区分(A・B・C)されます。A(23人)は、ほぼアジア南部現代人集団の変異内に収まります。しかし、密集したクラスタに分類されるわけではなく、アジア南部集団内の多様な集団に起源があることを示唆します。B(14人)はユーラシア西部現代人集団と近縁で、その中でもギリシア本土集団およびクレタ島集団にとくに近い、と示されました。Cは1人のみで、アジア南東部現代人集団との近縁性が示されます。Bは遺伝的には、現代人集団ではクレタ島集団との単系統群(クレード)を形成します。これは、Bの起源地がクレタ島であることを確証するわけではありませんが、Bとクレタ島現代人集団とが比較的最近まで祖先を共有していた、と示します。Aに関しては、クレードを形成する現代人集団は見つからず、アジア南部集団内の(社会経済的にも)多様な集団に起源がある、と改めて示唆されます。Cに関しても、クレードを形成する現代人集団は見つかりませんでしたが、マレー系82%およびベトナム系18%とモデル化でき、アジア南東部起源を示します。A・B・Cいずれも、ループクンド湖近隣の現代人集団との遺伝的近縁性は見つかりませんでした。遺伝的にアジア南部現代人集団の変異内に収まるAでは、ユーラシア西部関連系統に関して性差が見られ、男性の方がやや低くなっています。これは、アジア南部における人類集団の混合のさいの性差を反映している、と考えられます。
加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素年代測定の結果は興味深いものです。Aでは最古の年代値が675年、最新の年代値が985年で、最古級の個体は675~769年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は894~985年となります。Bでは最古の年代値が1653年、最新の年代値が1945年で、最古級の個体は1668~1945年(以下、95%の信頼性)、最新級の個体は1706~1915年となります。Cは1653年以降と推定されています。つまり、7~10世紀のAと、17~20世紀のBおよびCとの間には1000年近い年代差があり、明確に分かれるわけで、ループクンド湖の人類遺骸が、少なくとも2回の事象により堆積したことを示します。これは、ループクンド湖の人類遺骸を1回の事象によるものとする以前の見解の比定となります。さらに、Aは年代の重ならない個体もあることから、同時に死亡したわけではない可能性が高そうです。一方、BおよびCは、全個体の年代の重複期間があるので、同時に死亡した可能性も想定されます。
45人(このうち37人でゲノム規模データが得られています)の大腿骨のコラーゲンの安定同位体(炭素13および窒素15)も分析されました。大腿骨のコラーゲンは死亡前10~20年の食事により決まるので、遺伝的系統とは必ずしも相関しません。しかし、AとBおよびCの間では明確な違いが見られました。Bは小麦・大麦・米などのC3植物(なおかつ、もしくはC3植物を食べた動物)を消費していた、と明らかになりました。雑穀はほとんど消費していなかっただろう、というわけです。対照的に、AはC4植物の雑穀も消費していた、と示されました。
本論文は複数の証拠から、Aの少なくとも一部の起源は説明できる、と主張します。ループクンド湖は主要な交易経路に位置していませんが、現在の巡礼経路に位置しています。巡礼の儀式に関する信頼できる記述は19世紀後半以降となりますが、近隣の8~10世紀の寺院の碑文は、巡礼がもっと古くから存在したことを示唆します。巡礼中に大勢が死亡したという仮説について、Aの少なくとも一部に関してはもっともらしい、と本論文は評価しています。Bについて本論文は、アレクサンドロス大王の征服活動以降のギリシア系に由来するとの仮説は、アジア南部集団との混合を想定するとありそうになく、孤立した集団だとしたら遺伝的多様性はもっと低いだろう、と指摘します。そのため本論文は、Bをオスマン帝国期の地中海東部集団と推測しています。安定同位体分析から、この集団は陸棲生物をおもに食べており、内陸部に住んでいた、と推測されます。この集団が巡礼に参加したのか、他の理由でループクンド湖に赴いたのか、不明です。ただ、ヒンズー教が浸透していなかった地中海東部起源の集団が巡礼を行なったとすると、その理由は不明です。一方、アジア南東部起源のCにとって、ヒンズー教的な巡礼の可能性はあり得そうだ、と本論文は指摘します。本論文はひじょうに興味深い結果を提示しています。とくにBについては、不明な点が多々残されており、今後の研究の進展が期待されます。本論文の見解は、学術的観点からだけではなく、SFや伝奇ものといった創作にも使えそうという点でも注目されます。たとえば、シグマフォースシリーズ(関連記事)でそのうちループクンド湖が取り上げられるかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
【考古学】「骨の湖」の謎解きに新たな手掛かり
インドのループクンド湖(俗に「スケルトン・レイク」と呼ばれている)から採集された人骨(38人分)について、年代測定が行われて紀元800~1800年のものとされ、抽出されたDNAの解析によって祖先の異なる3つのグループに分類された。これらの人骨は、約1000年を隔てた複数の事象によって堆積したものであり、そのうちの1つのグループは、年代測定で紀元1800年頃のものとされ、東地中海地方に特有の祖先を有する14人が含まれている。この研究結果を報告する論文が、今週掲載される。
ループクンド湖は、ヒマラヤ山脈の海抜5000メートルを超える地点に位置する小水域で、その湖畔には数百体の骨格遺物が散乱している。これらの骨格遺物の起源を説明するためにいくつかの仮説が提唱されたが、この遺跡の性質のために、これらの遺骨の由来を判定することが難しかった。
今回、David Reich、Niraj Raiたちの研究グループは、ループクンド湖で発見された人骨(38人分)のDNA解析を行い、放射性炭素年代測定を行った。その結果、別々の時期にループクンド湖に到達した3つの遺伝的に異なるグループが同定された。そのうちの1つには、南アジア出身の23人が含まれており、人骨の年代は紀元前800年頃と決定され、2回以上の事象によって堆積したことを示す証拠が得られた。この他に、東地中海地方出身の14人と東アジア出身の1人については、いずれも紀元約1800年頃と年代決定された。今回の研究で得られた知見は、すべての人骨が1回の天変地異事象によって堆積したとするこれまでの学説に対する反論となっている。地中海地方からの移住者がいたという謎を解くには、記録文書の研究をさらに進める必要がある。
参考文献:
Harney É. et al.(2019): Ancient DNA from the skeletons of Roopkund Lake reveals Mediterranean migrants in India. Nature Communications, 10, 3670.
https://doi.org/10.1038/s41467-019-11357-9
追記(2019年8月27日)
ナショナルジオグラフィックでも報道されました。
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