2002年狂気のワールドカップを覚えてる

 メモ帳を整理していたら、表題の発言を参考用として残していたことに気づきました。もう1年半以上の発言ですが、以下に引用します。

2002年狂気のワールドカップを覚えてる。「別に韓国戦見るつもりない」「あの判定はおかしかった」と言ったら「お前韓国人じゃないのか?」とどれだけ叩かれたことか。

それ以来サッカーに完全に興味を失ってしまった。「群衆」が嫌いになったのもその時。


 2002年に日本と韓国でサッカーワールドカップが共催された時、サッカーには興味のない私も、韓国は自チームに有利な判定により勝ち上がった、誤審というよりむしろ審判買収ではないか、といった疑惑が一部で声高に主張されていることに気づきました。これが誤審なのか、さらに審判買収の結果なのか、サッカーに詳しくないというか、サッカー事情についてほとんど知らない私には分かりませんが、その時とその後少し検索した限りでは、とくに韓国に対して悪感情を抱いてなさそうだった人でも、昔からのサッカーファンで韓国戦での判定に激怒している人を複数見かけましたから、問題のある判定だったのかもしれません。

 当時、韓国では自国チームの快進撃に国民がたいへん盛り上がっている、と日本でも報道されていたように記憶しています。その意味で、韓国戦を見るつもりはないとか、韓国戦での韓国に有利な判定はおかしかったとか発言する韓国人がいれば、叩かれるような雰囲気だったとしても不思議ではありません。もっとも、2002年サッカーワールドカップ大会時には、日本でも、強烈ではないとしてもそうした雰囲気があったように記憶しており、サッカーに興味のない私にとって、居心地の悪い期間でした。

 その期間で強く印象に残っているのは、確か夕方の民放のニュース番組だったと記憶していますが、韓国で国民に自国の快進撃についてインタビューしたコーナーです。その時、何人かの韓国人は、興味はないし騒ぎすぎだとか、韓国に有利な判定はおかしかったとか答えて、冷ややかな態度を示していました。日本の報道は、韓国では国全体が自国チームの快進撃に盛り上がっている、といった感じで伝えていましたが、さすがに人口の多い国(当時は4700万人ほど)だけあって、さまざまな反応があるものだな、と改めて思ったものです。まあ、そうした人々も、自国の報道機関相手にはなかなか本音を言えない雰囲気があったのでしょうが。当たり前の話ではありますが、大規模集団における意思の統一は現実的にはあり得ない、ということなのでしょう。

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