皇室の生存戦略

 今年(2019年)5月1日に天皇の代替わりがありました。それ以降、新天皇の徳仁氏とその妻である皇后の雅子氏を称賛する記事が増えてきたように思います。天皇夫妻を称賛するサイトの中には、秋篠宮家にたいする批判・中傷(というのは私の判断ですが)・嘲笑に熱心なところもあります。そのようなサイトは、雅子氏もしくは天皇夫妻のファンか、雅子氏ファンの心理をよく理解した、営利目的も兼ねた人が運営しているのだろうな、と私は推測しています。

 雅子氏が皇太子妃時代に強く批判されていたことは、今でも多くの日本人の記憶に残っているでしょうが、そうした中で、雅子氏もしくは天皇(当時は皇太子)夫妻のファンには、被害者意識を強めて蓄積していった人が少なからずいるのだろうな、と私は考えています。雅子氏への誹謗中傷があまりにも激しかったことから、そうした被害者意識には仕方のない面もあるとは思います。そうした雅子氏ファンの中には、今でもそうであるように、秋篠宮家への強烈な反感・憎悪を隠さない人も少なくないように思います。とくに、秋篠宮文仁親王との間に男子(悠仁親王)を出産した紀子氏は、雅子氏ファンに強く敵視されてきました。

 元々、先代天皇(現在は上皇)明仁氏の二人の息子の妻で、年齢も近いことから、雅子氏と紀子氏は比較対象とされてきました。それだけでも、雅子氏ファンにとって強く意識せざるを得ない対象なのに、男子を産めなかったことで責められた雅子氏にたいして、紀子氏は男子を産んだわけですから、この点でも敵意の対象となったことでしょう。しかも、皇室に40年以上男子が生まれなかったなか、紀子氏は2006年9月6日に40歳目前で男子を産みました。紀子氏の妊娠が広く知られる前には、女性天皇・皇位の女系継承容認も議論されており、雅子氏の娘の愛子内親王の即位が想定されていました。

 そうした中で、紀子氏が40歳目前にして男子を産み、愛子内親王の即位を可能とする法改正の機運が一気に消滅したわけですから、もう皇室に(その時点での夫婦からは)男子は生まれず、将来は愛子内親王が即位するだろうと予想・期待していた雅子氏ファンの紀子氏に対する反感・憎悪は強烈で、ブログのコメント欄で紀子氏を批判する人は珍しくありませんでしたし、今はもう残っていないと思いますが、中には紀子氏を陰険な野心家と罵倒する人もいて呆れました。

 しかし、雅子氏ファンが紀子氏を敵視するのは、男子出産の有無だけではなく、公務への対応も大きいと思います。雅子氏が公務をさぼっていると批判される一方で、紀子氏は夫の文仁氏と共に公務に励んでいると評価され、徳仁氏は皇太子の地位を辞し、弟である文仁氏に譲るべきだ、との意見さえそれなりに発行部数のある雑誌に掲載されたくらいです。雅子氏ファンが紀子氏というか秋篠宮家を敵視する理由としては、男子の有無以上に、公務への評価の方が大きいかもしれません。

 これは、単に東宮家(現在は天皇家)と秋篠宮家に留まる問題ではなく、先代天皇(現在は上皇)明仁氏とその妻である皇后(現在は上皇后)美智子氏も深く関わっている問題だと思います。明仁氏は皇位継承後、積極的に公務に励み、日本国民と関わってきました。明仁氏の在位期間には大規模な災害がたびたび起きましたが、明仁氏は積極的に被災地を訪れ、国民を励ましてきました。それを深く支えてきたのが、妻である皇后(現在は上皇后)の美智子氏でした。しかし、こうして増えた公務に、雅子氏は上手く適応できなかったように思われ、それが発病の一因だったのでしょう。一方、紀子氏は、過剰適応と揶揄されるくらい、義母となる美智子氏に倣って増加してきた公務にも対応しました。

 そのため雅子氏ファンの中には、雅子氏発病の根本的な責任が明仁氏と美智子氏にあると考えていた人も多いだろう、と私は推測しています。もちろん、国民も子供を期待していますよ、と明仁氏が雅子氏に声をかけたと報道されたことなども、明仁氏とその妻である美智子氏に対する雅子氏ファンの反感・敵意を募らせたことでしょう。そうしたことも含めて、徳仁氏の人格否定発言により、雅子氏ファンの中には、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏を敵視していった人も少なくないのだと思います。すでに紀子氏が男子を出産した2006年頃には、明仁氏と美智子氏を批判・罵倒する雅子氏ファンのコメントがネットでは散見されました。もちろん、明仁氏と美智子氏や秋篠宮家を批判しているのは、雅子氏ファンだけではありませんが。

 しかし、こうした(一部?の)雅子氏ファンの批判・感情には一理あるとも思います。明仁氏が妻の美智子氏とともに進めた国民と触れ合う公務の拡大路線は、日本国憲法で直接定められたものではありません。しかも、高齢化により肥大化した公務をこなせなくなったとして明仁氏は法律に定められていない退位を要求し、それを多数の国民が支持したため政府は無視できず、特例法により近代以降で初の退位を実現させるに至りました。冷ややかに見れば、明仁氏は自分勝手な人物とも言えます。しかし、明仁氏と美智子氏の公務拡大路線が日本国民の間で高い支持を得たことも確かで、これが現在の皇室への高い支持率につながっているのでしょう。明仁氏と美智子氏に励まされた日本国民は少なくないのだと思います。

 明仁氏は皇位継承時に日本国憲法を守り従うと述べており、現憲法を強く意識していると思われます。現憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあります。明仁氏は、「日本国民の総意」なくして皇室の存続は叶わないと強く意識し、国民と触れ合う公務の拡大路線を進めたのだと思います。それが雅子氏を苦しめた側面は多分にあるでしょうが、現在の天皇・皇后への好感は、単に徳仁氏と雅子氏への個人的親近感からだけではなく、先代の天皇・皇后である明仁氏・美智子氏が積み重ねてきた実績への日本国民の高い評価にも由来していると思います。

 ただ、明仁氏は妻の美智子氏とともに、公務拡大路線で国民の支持を確保しようとして成功しましたが、現在では過労がさらに問題視されていますから、今後その路線が奏功するとは限らないでしょう。その意味で、病気を抱えている雅子氏が得意分野で精選された公務を積み重ねていき、日本国民の支持を獲得していくようなことになれば、日本社会にとっても悪くはないように思います。時代とともに柔軟に在り様を変えてきたのが皇室なので、生前退位(譲位)は許さないといった、大日本帝国体制を絶対視するような意見に過度に引きずられないことが、存続の重要な鍵となるでしょう。明仁氏は、自分が進めた公務拡大路線を息子の徳仁氏にも継承してもらいたいようにも見えますが、現天皇の徳仁氏はまた、どうすれば皇室の存続が叶うのか、自分なりに模索しているように思います。

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