近藤修「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 20)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P133-138)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。本論文は、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の恥骨(Os pubis)成長の分析について報告しています。
内外側に長くかつ上下に平らな恥骨上枝(superior pubic ramus)は、ネアンデルタール人の特徴的な骨格形態の一つとして古くから報告されてきました。なお、ネアンデルタール人的特徴を有する43万年前頃のイベリア半島北部の集団には、こうしたネアンデルタール人の派生的特徴は見られないそうです(関連記事)。こうしたネアンデルタール人の恥骨形状が進化した理由については、機能的観点あるいは進化的観点から議論されてきましたが、妊娠・出産期間に生じるなんらかの制約と関連するという見解や、直立姿勢や二足歩行姿勢に関連するという見解などが提示されており、まだ明確ではないようです。個体成長変化の観点では、いくつかの未成人段階のネアンデルタール恥骨上枝が内外側方向に延長している、と報告されています。シリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟出土の幼児骨格(デデリエ1号人骨)にも恥骨が保存されており、その恥骨上枝は大腿骨の長さと比較して長く、ネアンデルタール人的な形質の一つとして報告されています。
本論文は、この幼児恥骨形態を現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人の成長変化の枠組みのなかで評価します。そのため本論文はまず、恥骨形態の成長変化パターンを現代人コレクションより抽出しました。具体的には、さまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体です。このうち27個体は未成人です。次に本論文は、さまざまな成長段階の恥骨をマイクロCTでスキャンし、表面形状を解剖学的な相同点に基づく格子状の複数点座標により代表し、幾何学的形態測定法により形態変異を分析しました。その上で本論文は、ネアンデルタール人ではイスラエルのケバラ(Kebara)遺跡で発見された成人男性1個体(ケバラ2号)、現生人類ではイスラエルのスフール(Skhul)遺跡で発見された1個体(スフール4号)の化石模型を3次元スキャナーにてデジタル化し、ネアンデルタール人幼児1個体(デデリエ1号人骨)の幼児恥骨とともに、現代人サンプルの変異のなかで評価しました。
本論文の標本は、現代人と「縄文人」と化石人骨から構成されます。現代人はさまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体の恥骨の形状が収集されました。このうち未成人が27個体含まれています。本論文は、これらの標本の恥骨部分をマイクロCTにて撮影し、3次元データを得ました。本論文は基本的に恥骨右側を用いましたが、恥骨結合面などの保存程度を考慮し、一部の標本は左側を用いた、とのことです。「縄文人」では、千葉県姥山貝塚と愛知県伊川津貝塚で発見された幼児標本2個体が用いられました。恥骨の大きさから3~5歳程度と推定されています。
ネアンデルタール人の恥骨、とくに恥骨上枝の形態については、内外側に長くかつ上下に偏平であると古くから報告されており、現代人の骨盤の性差との関連が議論されてきました。現代人の骨盤の性差については、「出産ジレンマ」説で語られることが多い、と本論文は指摘します。同説では、当初、狭い骨盤がより適応的であるという直立二足歩行の進化と、幅広い骨盤がより効果的であるとするヒト進化における脳の大型化の間の「ジレンマ」として説明されましたが、その後、骨盤の性的二型を説明するものへと転用されました。より幅広い女性骨盤は、より大きな脳と体を持つ新生児を出産するさいに、リスクが少ない、というわけです。
一方で、ネアンデルタール人の骨盤、とくに恥骨形態については、さまざまな解釈が提示されてきました。骨盤の内腔(産道を構成する部分)のサイズを拡大させるだろうという仮定に基づいて、妊娠期間や出産戦略ーに関連するとの見解や、出産ジレンマ説を発展させて、母親と出産児の体サイズ関係と性的二型に帰する見解や、移動や姿勢に関連する形質として考える見解が提案されてきました。未成人のネアンデルタール恥骨についても、恥骨上枝が内外側に長い、と報告されてきました。しかし、成長という観点で恥骨形態を論じたものはない、と本論文は指摘します。本論文は、こうした個体成長の観点から恥骨形態を分析し、現代人における性差とネアンデルタール人に特有な形態の関連を検証しました。
本論文は平均形状からの個体変異を主成分分析し、第1主成分と第2主成分の得点をプロットしました。第1主成分は恥骨の内外側方向の変異を表し、第2主成分は上下方向の変異を表しています。性差は第1および第2主成分では表現されておらず、第3主成分で弱い性差が確認されました。本論文は、サイズ変化を取り除いた恥骨形態の成長変化の大部分には、性差が明確に現れないかもしれない、と指摘しています。また本論文は、成長にともなう形態変化を検証するため、中心サイズと第1主成分得点をプロットしました。横軸はサイズ変化を示し、それはほぼ成長軸だろう、と本論文は判断しています。この図からは、大きいサイズのサンプルには性差が見られ、女性の方で第1主成分得点が高くなっています。これは、同じ成人サイズでも、女性の恥骨の方が内外側方向に広がった形であることを示しています。さらに、化石人骨の位置からは、ネアンデルタール人のケバラ2号と現生人類のスフール4号は上下に対照的な位置を占めています。どちらも男性とされていますが、ケバラ2号の恥骨は第1主成分得点が高く、近現代日本人女性の範囲に入ります。一方スフール4号の恥骨は男性の範囲に収まります。ネアンデルタール人のデデリエ1号幼児は現代人サンプルの上限となりますが、およそその変異内にプロットされました。
恥骨の形態は、骨盤の性的二型の出現と関連して成長とともに性差が表れると予想されています。骨盤形態の性的二型に関しては、上述のように「出産ジレンマ説」に基づいて理解されることが多くなっています。現代人の成長に伴う骨盤形態の性差は、思春期以降に顕在化して女性の骨盤は急拡大し、出産にかかわる部分のサイズを増大させます。40歳以降の変化様式は、男性と変わらず出産にかかわるサイズを減少させます。本論文の恥骨形態による分析においても、成人サイズに達するまでは性差を見出せず、成人のみにある程度の性差が見られました。本論文は骨盤の出産に関わるサイズ変化と関連のある恥骨形態として、恥骨の内外方向の長さ(幅)を想定しています。成人段階でこの方向(第1主成分)に性差が見られたのは、これまでの知見と整合するものだろう、と本論文は評価しています。
ネアンデルタール人男性のケバラ2号の恥骨が、現代人の女性的であるという結果について本論文は、形態的には内外側に長い恥骨を持っているというこれまでの報告と整合的であるものの、進化・適応の観点からは理解を難しくしている、と指摘しています。男性個体であるケバラ2号に「出産仮説」をあてはめるのは困難なので、別な進化的解釈が必要になる、というわけです。本論文はは成長という観点からこの問題を検証し、成人段階の性的二型およびネアンデルタール人の成人1個体(ケバラ2号)と現生人類の成人1個体(スフール4号)に関しては、形態変異の傾向が検出できました。一方で、ネアンデルタール人の幼児であるデデリエ1号については、明確ではありませんでした。未成人段階の恥骨の形状からは、デデリエ1号と現代人では内外方向のサイズ以外にも形態的差異がありそうなので、本論文が用いた方法ではその差がうまく検出されていないかもしれない、と推測されています。本論文は、個体変異という観点からは、現代人の成長シリーズを拡張すると同時に、ネアンデルタール人を含む化石人類の成長シリーズにアプローチする必要があるだろう、と指摘しています。
参考文献:
近藤修(2019)「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P133-138
内外側に長くかつ上下に平らな恥骨上枝(superior pubic ramus)は、ネアンデルタール人の特徴的な骨格形態の一つとして古くから報告されてきました。なお、ネアンデルタール人的特徴を有する43万年前頃のイベリア半島北部の集団には、こうしたネアンデルタール人の派生的特徴は見られないそうです(関連記事)。こうしたネアンデルタール人の恥骨形状が進化した理由については、機能的観点あるいは進化的観点から議論されてきましたが、妊娠・出産期間に生じるなんらかの制約と関連するという見解や、直立姿勢や二足歩行姿勢に関連するという見解などが提示されており、まだ明確ではないようです。個体成長変化の観点では、いくつかの未成人段階のネアンデルタール恥骨上枝が内外側方向に延長している、と報告されています。シリアのデデリエ(Dederiyeh)洞窟出土の幼児骨格(デデリエ1号人骨)にも恥骨が保存されており、その恥骨上枝は大腿骨の長さと比較して長く、ネアンデルタール人的な形質の一つとして報告されています。
本論文は、この幼児恥骨形態を現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人の成長変化の枠組みのなかで評価します。そのため本論文はまず、恥骨形態の成長変化パターンを現代人コレクションより抽出しました。具体的には、さまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体です。このうち27個体は未成人です。次に本論文は、さまざまな成長段階の恥骨をマイクロCTでスキャンし、表面形状を解剖学的な相同点に基づく格子状の複数点座標により代表し、幾何学的形態測定法により形態変異を分析しました。その上で本論文は、ネアンデルタール人ではイスラエルのケバラ(Kebara)遺跡で発見された成人男性1個体(ケバラ2号)、現生人類ではイスラエルのスフール(Skhul)遺跡で発見された1個体(スフール4号)の化石模型を3次元スキャナーにてデジタル化し、ネアンデルタール人幼児1個体(デデリエ1号人骨)の幼児恥骨とともに、現代人サンプルの変異のなかで評価しました。
本論文の標本は、現代人と「縄文人」と化石人骨から構成されます。現代人はさまざまな成長段階の、年齢・性別ともに既知の近現代日本人女性21個体および男性27個体の恥骨の形状が収集されました。このうち未成人が27個体含まれています。本論文は、これらの標本の恥骨部分をマイクロCTにて撮影し、3次元データを得ました。本論文は基本的に恥骨右側を用いましたが、恥骨結合面などの保存程度を考慮し、一部の標本は左側を用いた、とのことです。「縄文人」では、千葉県姥山貝塚と愛知県伊川津貝塚で発見された幼児標本2個体が用いられました。恥骨の大きさから3~5歳程度と推定されています。
ネアンデルタール人の恥骨、とくに恥骨上枝の形態については、内外側に長くかつ上下に偏平であると古くから報告されており、現代人の骨盤の性差との関連が議論されてきました。現代人の骨盤の性差については、「出産ジレンマ」説で語られることが多い、と本論文は指摘します。同説では、当初、狭い骨盤がより適応的であるという直立二足歩行の進化と、幅広い骨盤がより効果的であるとするヒト進化における脳の大型化の間の「ジレンマ」として説明されましたが、その後、骨盤の性的二型を説明するものへと転用されました。より幅広い女性骨盤は、より大きな脳と体を持つ新生児を出産するさいに、リスクが少ない、というわけです。
一方で、ネアンデルタール人の骨盤、とくに恥骨形態については、さまざまな解釈が提示されてきました。骨盤の内腔(産道を構成する部分)のサイズを拡大させるだろうという仮定に基づいて、妊娠期間や出産戦略ーに関連するとの見解や、出産ジレンマ説を発展させて、母親と出産児の体サイズ関係と性的二型に帰する見解や、移動や姿勢に関連する形質として考える見解が提案されてきました。未成人のネアンデルタール恥骨についても、恥骨上枝が内外側に長い、と報告されてきました。しかし、成長という観点で恥骨形態を論じたものはない、と本論文は指摘します。本論文は、こうした個体成長の観点から恥骨形態を分析し、現代人における性差とネアンデルタール人に特有な形態の関連を検証しました。
本論文は平均形状からの個体変異を主成分分析し、第1主成分と第2主成分の得点をプロットしました。第1主成分は恥骨の内外側方向の変異を表し、第2主成分は上下方向の変異を表しています。性差は第1および第2主成分では表現されておらず、第3主成分で弱い性差が確認されました。本論文は、サイズ変化を取り除いた恥骨形態の成長変化の大部分には、性差が明確に現れないかもしれない、と指摘しています。また本論文は、成長にともなう形態変化を検証するため、中心サイズと第1主成分得点をプロットしました。横軸はサイズ変化を示し、それはほぼ成長軸だろう、と本論文は判断しています。この図からは、大きいサイズのサンプルには性差が見られ、女性の方で第1主成分得点が高くなっています。これは、同じ成人サイズでも、女性の恥骨の方が内外側方向に広がった形であることを示しています。さらに、化石人骨の位置からは、ネアンデルタール人のケバラ2号と現生人類のスフール4号は上下に対照的な位置を占めています。どちらも男性とされていますが、ケバラ2号の恥骨は第1主成分得点が高く、近現代日本人女性の範囲に入ります。一方スフール4号の恥骨は男性の範囲に収まります。ネアンデルタール人のデデリエ1号幼児は現代人サンプルの上限となりますが、およそその変異内にプロットされました。
恥骨の形態は、骨盤の性的二型の出現と関連して成長とともに性差が表れると予想されています。骨盤形態の性的二型に関しては、上述のように「出産ジレンマ説」に基づいて理解されることが多くなっています。現代人の成長に伴う骨盤形態の性差は、思春期以降に顕在化して女性の骨盤は急拡大し、出産にかかわる部分のサイズを増大させます。40歳以降の変化様式は、男性と変わらず出産にかかわるサイズを減少させます。本論文の恥骨形態による分析においても、成人サイズに達するまでは性差を見出せず、成人のみにある程度の性差が見られました。本論文は骨盤の出産に関わるサイズ変化と関連のある恥骨形態として、恥骨の内外方向の長さ(幅)を想定しています。成人段階でこの方向(第1主成分)に性差が見られたのは、これまでの知見と整合するものだろう、と本論文は評価しています。
ネアンデルタール人男性のケバラ2号の恥骨が、現代人の女性的であるという結果について本論文は、形態的には内外側に長い恥骨を持っているというこれまでの報告と整合的であるものの、進化・適応の観点からは理解を難しくしている、と指摘しています。男性個体であるケバラ2号に「出産仮説」をあてはめるのは困難なので、別な進化的解釈が必要になる、というわけです。本論文はは成長という観点からこの問題を検証し、成人段階の性的二型およびネアンデルタール人の成人1個体(ケバラ2号)と現生人類の成人1個体(スフール4号)に関しては、形態変異の傾向が検出できました。一方で、ネアンデルタール人の幼児であるデデリエ1号については、明確ではありませんでした。未成人段階の恥骨の形状からは、デデリエ1号と現代人では内外方向のサイズ以外にも形態的差異がありそうなので、本論文が用いた方法ではその差がうまく検出されていないかもしれない、と推測されています。本論文は、個体変異という観点からは、現代人の成長シリーズを拡張すると同時に、ネアンデルタール人を含む化石人類の成長シリーズにアプローチする必要があるだろう、と指摘しています。
参考文献:
近藤修(2019)「ネアンデルタール恥骨成長分析の試み」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P133-138
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