アジア南部~南東部における後期ホモ属の複雑な交雑
アジア南部~南東部における後期ホモ属の複雑な交雑に関する研究(Teixeira, and Cooper., 2019B)が報道されました。本論文はすでに、査読終了前に公開されていましたが(関連記事)、今回改めて、査読終了前との違いに注目しつつ、取り上げます。非アフリカ系現代人の主要な祖先集団は、アフリカからユーラシアへと拡散した後、55000~50000年前頃におそらくはユーラシア西部でネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と交雑した、と推測されています。地域集団間の差も多少あるとはいえ、非アフリカ系現代人は全員、そのゲノムにネアンデルタール人由来と推定される領域を約2%有しています。これは、ネアンデルタール人と交雑した出アフリカ現生人類集団が小規模で、各地域集団系統に分岐する前だったから、と考えられています。ネアンデルタール人と現生人類との交雑は、おそらく現生人類の出アフリカからすぐのことだったのでしょう。この非アフリカ系現代人全員の祖先集団とネアンデルタール人との交雑の後も、現生人類とネアンデルタール人との追加の交雑があった、と推測されています(関連記事)。
一方本論文は、現生人類と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑については、現生人類とネアンデルタール人との交雑よりもずっと複雑だった可能性を指摘します。デニソワ人は公表から10年近く、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていませんでしたが(関連記事)、最近、チベット高原東部で存在が確認されました(関連記事)。中華人民共和国河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された、125000~105000年前頃の頭蓋(関連記事)など、中国で発見された中期~後期更新世のホモ属遺骸の中には、デニソワ人に分類するものが含まれている可能性も指摘されていますが、まだとても確定的とは言えません。ユーラシア西部系現代人にはデニソワ人の遺伝的影響はほとんど見られないことから、デニソワ人はユーラシア西部には拡散しなかったか、拡散したとしても稀だった可能性が高い、と考えられています。ネアンデルタール人の分布範囲はユーラシア西部が中心で、一方デニソワ人はユーラシア東部に拡散していたのかもしれません。
デニソワ人の遺伝的影響が最も高い現代人集団は、ウォレス線以東となるオーストラリア先住民とパプア人です(3~6%)。一方、デニソワ人は最近まで南シベリアでしか確認されておらず、新たに確認されたデニソワ人の場所も、オセアニアから遠く離れたチベット高原東部です。オーストラリア先住民とパプア人に続いてデニソワ人の遺伝的影響が強いのはフィリピンの狩猟採集民集団で、一方アジア南部および東部の現代人集団におけるデニソワ人の遺伝的影響は1%未満と低くなっています。ネアンデルタール人の場合、現代人への遺伝的影響に関して地域的な差は少なく、上述のように現生人類との交雑の経緯は比較的推測しやすくなっています。一方デニソワ人の場合、現代人への遺伝的影響に関して地域的な差が大きくなっています。しかも、それが現時点で確認されているデニソワ人の地理的分布からは説明しにくいため、現生人類とデニソワ人との交雑は、現生人類とネアンデルタール人との交雑よりもずっと複雑と言えそうです。
デニソワ人の場合も、ネアンデルタール人と同様に現生人類との複数回の交雑の可能性も指摘されています。以前の研究では、デニソワ人はアルタイ山脈のデニソワ人と遺伝的に近い系統(北方デニソワ人)と、やや離れた関係にあった系統(南方デニソワ人)が存在した、との見解も提示されています(関連記事)。この見解では、オーストラリア先住民とパプア人とアジア南部現代人の祖先集団は「南方デニソワ人」とのみ交雑し、アジア東部系現代人の祖先集団は、南北両系統のデニソワ人と交雑した、と推測されています。
その後のベイズ推定と深層学習の組み合わせによる手法(ABC-DL)を用いた研究では、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合集団もしくは、デニソワ人の近縁系統(ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐した後、デニソワ人系統と分岐した系統)が、オーストラリア先住民・パプア・アジア東部・アンダマン諸島・アジア南部の現代人の共通祖先集団(EAIPA)と交雑し、そのゲノムに2.6~3.4%ほどの影響を残した、との見解も提示されています(関連記事)。本論文はこの系統を絶滅人類1(EH1)と命名しています。EH1からの遺伝的影響はその後の交雑により希釈されたと推測されていますが、インドやアンダマン諸島やアジア東部の現代人集団で検出され得ます。本論文は、ネアンデルタール人以外の古代型ホモ属(非現生人類ホモ属)から現代人への遺伝子移入を詳細に検証し、後期ホモ属の複雑な交雑を解明していきます。また本論文は、ネアンデルタール人やデニソワ人という既知の古代型ホモ属からのものと合致しない現代人のゲノム領域について、未知のホモ属系統由来である可能性を指摘しています。
本論文は、オーストラリア先住民とパプア人の祖先集団が、アジア系統と分岐した後にデニソワ人と交雑し、その場所はスンダランドだろう、と推測しています。アジア南東部島嶼部集団でも、デニソワ人の遺伝的影響が確認されています。ABC-DL研究(関連記事)は、以前の研究(関連記事)ではアジア東部集団で確認されていたデニソワ人の別系統との交雑を検出しませんでした。しかし、この交雑は最近の研究でも確認されています(関連記事)。本論文は、EH1との交雑が解釈の違いに影響した可能性を指摘しています。オーストラリア先住民とパプア人の祖先集団は、アジア系と分岐した5万年前頃以降、比較的孤立していたため、EH1およびデニソワ人の遺伝的影響が、後から拡散してきた現生人類集団との交雑により希釈されなかったのではないか、と本論文は推測しています。
対照的に、アジア南東部の人口史はずっと複雑なようで、本論文はその理由として、アジア南東部では完新世にアジア大陸北方からオーストロアジア語族やオーストロネシア語族を含む農耕民集団が拡大してきたため、デニソワ人の遺伝的影響が希釈された可能性を提示しています。しかし、アンダマン諸島人やマレーシアのジェハイ(Jehai)集団のような長期の孤立集団でもデニソワ人の遺伝的影響は低く、デニソワ人の遺伝的影響を受けていない現生人類集団との交雑が、完新世の農耕民集団の拡大よりもずっと前に起きたかもしれない、と本論文は指摘します。ともかく、EH1と現生人類との交雑は、オーストラリア先住民・パプア・アジア東部・アンダマン諸島・アジア南部の現代人の共通祖先集団が分岐する前に、アジア南部のどこかで起きたようで、本論文はその場所をインド北部と推定しています。
デニソワ人の遺伝的影響の程度は、オーストラリア先住民およびパプア人系集団の共通祖先との関連度とおおむね相関しています。しかし、フィリピンの狩猟採集民集団では、その相関から推定されるよりもずっと高いデニソワ人の遺伝的影響が見られます。広範囲のアジア南東部の狩猟採集民集団の研究から、このフィリピンの狩猟採集民集団は独自にデニソワ人と交雑した、と推測されています。そのため本論文は、デニソワ人がアジア南東部島嶼部に存在した可能性を指摘しています。フィリピン(ルソン島)では70万年前頃の石器(関連記事)と5万年以上前の新種ホモ属(関連記事)が確認されており、古代型ホモ属がアジア南東部島嶼部に存在したことは確実です。本論文は、フィリピンにおいて後期更新世まで存在した古代型ホモ属がデニソワ人だった可能性を指摘しつつ、まだ明確ではない、と慎重な姿勢を示します。
インドネシア領フローレス島の小柄な(平均身長約145cm)人類集団ランパササ(Rampasasa)のゲノムでは、ネアンデルタール人とデニソワ人のどちらか確定できない領域が見られます(関連記事)。その研究では、これは未知の絶滅人類系統(EH2)の遺伝的痕跡ではない、と解釈されていましたが、本論文はこれを未知の人類系統からの遺伝子移入と解釈し、それがランパササ集団でのみ検出されている、と指摘します。そのため本論文は、EH2もウォレス線を超えた、と示唆します。ただ、ランパササ集団で見られる未知の人類系統からの遺伝子移入は、ニューギニアの現代人を主要な対象とした最近の研究(関連記事)では検出されませんでした。その研究は、ニューギニア島で3万年前頃に古代型ホモ属と現生人類とが交雑した可能性を提示します。しかし本論文は、3万年前頃まで古代型ホモ属が生存していた可能性は低そうだと指摘します。5万年前頃に分岐したオーストラリア先住民とパプア人のデニソワ人の遺伝的影響が同程度であることと矛盾し、サフルランドには古代型ホモ属が存在した確実な考古学的証拠はないからです。本論文は、デニソワ人がニューギニア島も含むサフルランドに存在したと結論を出す前に、広範な地域のオーストラリア先住民集団のDNA解析が必要だろう、と指摘します。しかし、オーストラリアにおける12万年前頃までさかのぼりそうな人類の痕跡も報告されており、サフルランドにデニソワ人が拡散した可能性も低いながらあるのではないか、と私は考えています(関連記事)。
本論文は、これら後期ホモ属系統間の交雑の正確な場所は不明と指摘しつつ、その場所を推測しています。たとえば、オーストラリア先住民やパプア人やアジア南東部島嶼部集団の共通祖先は、分岐する前にスンダランドでデニソワ人と交雑した、と推測されています。本論文は、サフルランドへの現生人類の拡散はボルネオ島とスラウェシ島を経由したとの見解に基づき、その場所はボルネオ島の近くと推定しています。一方本論文は、交雑がスラウェシ島で起きた可能性も提示しています。本論文は考古学的証拠から、デニソワ人と現生人類との交雑の東限はスラウェシ島・フィリピン・フローレス島と推測しています。これらの島々は、更新世寒冷期にはアジア南東部大陸部とはわずかな距離しか離れていなかったからです。一方で本論文は、サフルランドへの古代型ホモ属の拡散の明確な考古学的証拠はなく、サフルランドの大型動物相の絶滅も現生人類が到達して以降のことだ、と指摘します。ただ、上述のように、サフルランドに古代型ホモ属が拡散した可能性もある、と私は考えています。
本論文は、後期更新世のアジア南東部の人類史に関しては未解決の問題がまだ多く、さらなる遺伝学的・考古学的研究が必要と指摘しつつ、現在の遺伝的データから、現生人類がアジア南部でEH1と、アジア南東部島嶼部(スンダランド)とフィリピンでそれぞれデニソワ人と、フローレス島でEH2と交雑した可能性を提示しています。しかし、これらの古代型ホモ属は現在デニソワ人のみが知られており、それもほとんどゲノミクスに依存している、と本論文は指摘します。本論文はまとめとして、アジア南部~南東部にかけては、何十万年も互いに比較的孤立していた人類集団が存在しており、現在の人口(集団)の系統(祖先)の独特なパターンに寄与している、との見解を提示しています。
以上、本論文の見解をざっと見てきました。本論文の見解は、基本的には査読終了前と変わらないと思います。図も基本的には同じです。ただ、査読終了前と異なり、本論文ではデニソワ人とアジア東部系現代人の祖先集団との交雑が明記されています。じっさい、上述のようにチベット高原東部においてデニソワ人が確認されており、最近刊行されたばかりなので本論文では言及されていませんが、下顎大臼歯の歯根数からアジア東部における現生人類とデニソワ人との交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文の見解は、現代人に残る、ネアンデルタール人およびデニソワ人という既知の古代型ホモ属からの遺伝子移入の地域的なパターンの違いに基づいたものなので、今後は、人類遺骸の発見や再検証による研究の進展とのすり合わせが期待されます。後期ホモ属の各系統間の交雑は、ユーラシア東部圏ではかなり複雑だった可能性があり、追いかけていくのは大変というか、とても的確には理解できていないのですが、今後も細心の研究をできるだけ読んでいくつもりです。
参考文献:
Teixeira JC, and Cooper A.(2019B): Using hominin introgression to trace modern human dispersals. PNAS, 116, 31, 15327–15332.
https://doi.org/10.1073/pnas.1904824116
一方本論文は、現生人類と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との交雑については、現生人類とネアンデルタール人との交雑よりもずっと複雑だった可能性を指摘します。デニソワ人は公表から10年近く、南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)でしか確認されていませんでしたが(関連記事)、最近、チベット高原東部で存在が確認されました(関連記事)。中華人民共和国河南省許昌市(Xuchang)霊井(Lingjing)遺跡で発見された、125000~105000年前頃の頭蓋(関連記事)など、中国で発見された中期~後期更新世のホモ属遺骸の中には、デニソワ人に分類するものが含まれている可能性も指摘されていますが、まだとても確定的とは言えません。ユーラシア西部系現代人にはデニソワ人の遺伝的影響はほとんど見られないことから、デニソワ人はユーラシア西部には拡散しなかったか、拡散したとしても稀だった可能性が高い、と考えられています。ネアンデルタール人の分布範囲はユーラシア西部が中心で、一方デニソワ人はユーラシア東部に拡散していたのかもしれません。
デニソワ人の遺伝的影響が最も高い現代人集団は、ウォレス線以東となるオーストラリア先住民とパプア人です(3~6%)。一方、デニソワ人は最近まで南シベリアでしか確認されておらず、新たに確認されたデニソワ人の場所も、オセアニアから遠く離れたチベット高原東部です。オーストラリア先住民とパプア人に続いてデニソワ人の遺伝的影響が強いのはフィリピンの狩猟採集民集団で、一方アジア南部および東部の現代人集団におけるデニソワ人の遺伝的影響は1%未満と低くなっています。ネアンデルタール人の場合、現代人への遺伝的影響に関して地域的な差は少なく、上述のように現生人類との交雑の経緯は比較的推測しやすくなっています。一方デニソワ人の場合、現代人への遺伝的影響に関して地域的な差が大きくなっています。しかも、それが現時点で確認されているデニソワ人の地理的分布からは説明しにくいため、現生人類とデニソワ人との交雑は、現生人類とネアンデルタール人との交雑よりもずっと複雑と言えそうです。
デニソワ人の場合も、ネアンデルタール人と同様に現生人類との複数回の交雑の可能性も指摘されています。以前の研究では、デニソワ人はアルタイ山脈のデニソワ人と遺伝的に近い系統(北方デニソワ人)と、やや離れた関係にあった系統(南方デニソワ人)が存在した、との見解も提示されています(関連記事)。この見解では、オーストラリア先住民とパプア人とアジア南部現代人の祖先集団は「南方デニソワ人」とのみ交雑し、アジア東部系現代人の祖先集団は、南北両系統のデニソワ人と交雑した、と推測されています。
その後のベイズ推定と深層学習の組み合わせによる手法(ABC-DL)を用いた研究では、ネアンデルタール人とデニソワ人の混合集団もしくは、デニソワ人の近縁系統(ネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐した後、デニソワ人系統と分岐した系統)が、オーストラリア先住民・パプア・アジア東部・アンダマン諸島・アジア南部の現代人の共通祖先集団(EAIPA)と交雑し、そのゲノムに2.6~3.4%ほどの影響を残した、との見解も提示されています(関連記事)。本論文はこの系統を絶滅人類1(EH1)と命名しています。EH1からの遺伝的影響はその後の交雑により希釈されたと推測されていますが、インドやアンダマン諸島やアジア東部の現代人集団で検出され得ます。本論文は、ネアンデルタール人以外の古代型ホモ属(非現生人類ホモ属)から現代人への遺伝子移入を詳細に検証し、後期ホモ属の複雑な交雑を解明していきます。また本論文は、ネアンデルタール人やデニソワ人という既知の古代型ホモ属からのものと合致しない現代人のゲノム領域について、未知のホモ属系統由来である可能性を指摘しています。
本論文は、オーストラリア先住民とパプア人の祖先集団が、アジア系統と分岐した後にデニソワ人と交雑し、その場所はスンダランドだろう、と推測しています。アジア南東部島嶼部集団でも、デニソワ人の遺伝的影響が確認されています。ABC-DL研究(関連記事)は、以前の研究(関連記事)ではアジア東部集団で確認されていたデニソワ人の別系統との交雑を検出しませんでした。しかし、この交雑は最近の研究でも確認されています(関連記事)。本論文は、EH1との交雑が解釈の違いに影響した可能性を指摘しています。オーストラリア先住民とパプア人の祖先集団は、アジア系と分岐した5万年前頃以降、比較的孤立していたため、EH1およびデニソワ人の遺伝的影響が、後から拡散してきた現生人類集団との交雑により希釈されなかったのではないか、と本論文は推測しています。
対照的に、アジア南東部の人口史はずっと複雑なようで、本論文はその理由として、アジア南東部では完新世にアジア大陸北方からオーストロアジア語族やオーストロネシア語族を含む農耕民集団が拡大してきたため、デニソワ人の遺伝的影響が希釈された可能性を提示しています。しかし、アンダマン諸島人やマレーシアのジェハイ(Jehai)集団のような長期の孤立集団でもデニソワ人の遺伝的影響は低く、デニソワ人の遺伝的影響を受けていない現生人類集団との交雑が、完新世の農耕民集団の拡大よりもずっと前に起きたかもしれない、と本論文は指摘します。ともかく、EH1と現生人類との交雑は、オーストラリア先住民・パプア・アジア東部・アンダマン諸島・アジア南部の現代人の共通祖先集団が分岐する前に、アジア南部のどこかで起きたようで、本論文はその場所をインド北部と推定しています。
デニソワ人の遺伝的影響の程度は、オーストラリア先住民およびパプア人系集団の共通祖先との関連度とおおむね相関しています。しかし、フィリピンの狩猟採集民集団では、その相関から推定されるよりもずっと高いデニソワ人の遺伝的影響が見られます。広範囲のアジア南東部の狩猟採集民集団の研究から、このフィリピンの狩猟採集民集団は独自にデニソワ人と交雑した、と推測されています。そのため本論文は、デニソワ人がアジア南東部島嶼部に存在した可能性を指摘しています。フィリピン(ルソン島)では70万年前頃の石器(関連記事)と5万年以上前の新種ホモ属(関連記事)が確認されており、古代型ホモ属がアジア南東部島嶼部に存在したことは確実です。本論文は、フィリピンにおいて後期更新世まで存在した古代型ホモ属がデニソワ人だった可能性を指摘しつつ、まだ明確ではない、と慎重な姿勢を示します。
インドネシア領フローレス島の小柄な(平均身長約145cm)人類集団ランパササ(Rampasasa)のゲノムでは、ネアンデルタール人とデニソワ人のどちらか確定できない領域が見られます(関連記事)。その研究では、これは未知の絶滅人類系統(EH2)の遺伝的痕跡ではない、と解釈されていましたが、本論文はこれを未知の人類系統からの遺伝子移入と解釈し、それがランパササ集団でのみ検出されている、と指摘します。そのため本論文は、EH2もウォレス線を超えた、と示唆します。ただ、ランパササ集団で見られる未知の人類系統からの遺伝子移入は、ニューギニアの現代人を主要な対象とした最近の研究(関連記事)では検出されませんでした。その研究は、ニューギニア島で3万年前頃に古代型ホモ属と現生人類とが交雑した可能性を提示します。しかし本論文は、3万年前頃まで古代型ホモ属が生存していた可能性は低そうだと指摘します。5万年前頃に分岐したオーストラリア先住民とパプア人のデニソワ人の遺伝的影響が同程度であることと矛盾し、サフルランドには古代型ホモ属が存在した確実な考古学的証拠はないからです。本論文は、デニソワ人がニューギニア島も含むサフルランドに存在したと結論を出す前に、広範な地域のオーストラリア先住民集団のDNA解析が必要だろう、と指摘します。しかし、オーストラリアにおける12万年前頃までさかのぼりそうな人類の痕跡も報告されており、サフルランドにデニソワ人が拡散した可能性も低いながらあるのではないか、と私は考えています(関連記事)。
本論文は、これら後期ホモ属系統間の交雑の正確な場所は不明と指摘しつつ、その場所を推測しています。たとえば、オーストラリア先住民やパプア人やアジア南東部島嶼部集団の共通祖先は、分岐する前にスンダランドでデニソワ人と交雑した、と推測されています。本論文は、サフルランドへの現生人類の拡散はボルネオ島とスラウェシ島を経由したとの見解に基づき、その場所はボルネオ島の近くと推定しています。一方本論文は、交雑がスラウェシ島で起きた可能性も提示しています。本論文は考古学的証拠から、デニソワ人と現生人類との交雑の東限はスラウェシ島・フィリピン・フローレス島と推測しています。これらの島々は、更新世寒冷期にはアジア南東部大陸部とはわずかな距離しか離れていなかったからです。一方で本論文は、サフルランドへの古代型ホモ属の拡散の明確な考古学的証拠はなく、サフルランドの大型動物相の絶滅も現生人類が到達して以降のことだ、と指摘します。ただ、上述のように、サフルランドに古代型ホモ属が拡散した可能性もある、と私は考えています。
本論文は、後期更新世のアジア南東部の人類史に関しては未解決の問題がまだ多く、さらなる遺伝学的・考古学的研究が必要と指摘しつつ、現在の遺伝的データから、現生人類がアジア南部でEH1と、アジア南東部島嶼部(スンダランド)とフィリピンでそれぞれデニソワ人と、フローレス島でEH2と交雑した可能性を提示しています。しかし、これらの古代型ホモ属は現在デニソワ人のみが知られており、それもほとんどゲノミクスに依存している、と本論文は指摘します。本論文はまとめとして、アジア南部~南東部にかけては、何十万年も互いに比較的孤立していた人類集団が存在しており、現在の人口(集団)の系統(祖先)の独特なパターンに寄与している、との見解を提示しています。
以上、本論文の見解をざっと見てきました。本論文の見解は、基本的には査読終了前と変わらないと思います。図も基本的には同じです。ただ、査読終了前と異なり、本論文ではデニソワ人とアジア東部系現代人の祖先集団との交雑が明記されています。じっさい、上述のようにチベット高原東部においてデニソワ人が確認されており、最近刊行されたばかりなので本論文では言及されていませんが、下顎大臼歯の歯根数からアジア東部における現生人類とデニソワ人との交雑の可能性が指摘されています(関連記事)。
本論文の見解は、現代人に残る、ネアンデルタール人およびデニソワ人という既知の古代型ホモ属からの遺伝子移入の地域的なパターンの違いに基づいたものなので、今後は、人類遺骸の発見や再検証による研究の進展とのすり合わせが期待されます。後期ホモ属の各系統間の交雑は、ユーラシア東部圏ではかなり複雑だった可能性があり、追いかけていくのは大変というか、とても的確には理解できていないのですが、今後も細心の研究をできるだけ読んでいくつもりです。
参考文献:
Teixeira JC, and Cooper A.(2019B): Using hominin introgression to trace modern human dispersals. PNAS, 116, 31, 15327–15332.
https://doi.org/10.1073/pnas.1904824116
この記事へのコメント