ジブラルタルのネアンデルタール人のDNA解析
ジブラルタルで発見されたネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のDNA解析結果を報告した研究(Bokelmann et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。早期ネアンデルタール人もしくはその近縁系統である、43万年前頃のイベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された人骨群(関連記事)を除けば、ゲノム配列に基づくと、ネアンデルタール人は大きく東方系と西方系に二分されます。もっとも、東方系は南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見された、高品質なゲノム配列の得られているデニソワ5(Denisova 5)に代表される1個体だけです(関連記事)。デニソワ5は13万~9万年前頃の女性と推定されていますから、東方系ネアンデルタール人は現時点では、9万年前頃以後には確認されていないことになります。デニソワ洞窟では種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)も発見されています(関連記事)。
その他のゲノム配列の得られたネアンデルタール人個体はすべて、西方系に分類されます。西方系で高品質なゲノム配列が得られているのは、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃(放射性炭素年代測定法による非較正年代で45500年前以前)のネアンデルタール人女性(Vindija 33.19)です(関連記事)。西方系には、東方系のデニソワ5と同じような年代と推定されている、ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(以下HSTと省略)で発見された大腿骨化石と、ベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)で発見された上顎骨(Scladina I-4A)も含まれます(関連記事)。ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡で発見された7万~6万年前頃のネアンデルタール人遺骸(Mezmaiskaya 1)と、南シベリアのアルタイ山脈のチャギルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟遺跡で発見された8万年前頃のネアンデルタール人遺骸(Chagyrskaya 8)のゲノム配列も得られています。迂闊にも私は見落としていましたが、チャギルスカヤ8(Chagyrskaya 8)からは高品質なゲノム配列が得られているそうです。
西方系でも5万年前頃以降(47000~39000年前頃)のゲノム配列の得られているネアンデルタール人としては、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡個体(Goyet Q56-1)とスピ(Spy)遺跡個体(Spy 94a)、ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡個体(Mezmaiskaya 2)、フランスのレスコテス(Les Cottés)遺跡個体(Cottés Z4-1514)があります。これら後期ネアンデルタール人は、コーカサスからフランスまで広範囲に分布しているにも関わらず、上述の5万年前頃以前のネアンデルタール人個体群よりも、クロアチアのVindija 33.19の方と遺伝的に近い、と明らかになっています。また、メズマイスカヤ1とこれら後期ネアンデルタール人集団とは遺伝的にやや離れた関係にあることから、西方系ネアンデルタール人集団の間でも、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。
本論文が新たにDNAを解析したのは、ジブラルタルのネアンデルタール人2個体です。一方は1848年にフォーブス採石場(Forbes’ Quarry)で発見された部分的頭蓋(Gibraltar 1)で、もう一方は1926年に悪魔の塔(Mousterian)で発見された3~5歳の子供の部分的頭蓋(Gibraltar 2)です。ネアンデルタール人の正基準標本は1856年にドイツのフェルトホーファー(Feldhofer)洞窟で発見されており、ジブラルタルの方がネアンデルタール人遺骸としては発見が古いのですが、こちらは当初注目されず、現生人類(Homo sapiens)とは別の人類かもしれないとして最初に注目されたのは、フェルトホーファー遺骸の方でした。ジブラルタルで発見されたネアンデルタール人2個体の年代は不明で、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3となる13万~3万年前頃と、幅広い年代が推定されています。イベリア半島、とくにその南端となるジブラルタルは、寒冷期におけるネアンデルタール人の待避所だった可能性が指摘されています。つまり、ジブラルタルの気候は温暖なわけで、DNAの保存には不利です。
本論文は、ジブラルタルのネアンデルタール人2個体の錐体骨からDNAを抽出し、解析しました。錐体骨は人体の中でもDNA回収率の高い部位とされています。ジブラルタルのネアンデルタール人2個体は19世紀半ばと20世紀前半に発見されたため、多くの近現代人のDNAにより汚染されている、と考えられます。そこで本論文は、DNA配列前に汚染を減少させる方法により、DNA配列に成功しました。その結果、ジブラルタル1からは7000万塩基対、ジブラルタル2からは40万塩基対の配列が得られました。X染色体と常染色体の網羅率から、ジブラルタル1は女性、ジブラルタル2は男性と推定され、これは形態学的評価と一致します。
ジブラルタル1の方はミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析されましたが、ジブラルタル2の方は、mtDNAがひじょうに乏しいため、解析されませんでした。ジブラルタル1はmtDNA系統樹では、SH集団や他のネアンデルタール人やデニソワ人や現代人との比較でネアンデルタール人に位置づけられ、おそらく西方系の変異内に収まりますが、その正確な位置は確定できません。核DNA解析では、現代人・東方系ネアンデルタール人(デニソワ5)・デニソワ人(デニソワ3)との比較で、ジブラルタル1・2ともにネアンデルタール人との類似性が最も高かったのですが、ジブラルタル1よりもジブラルタル2の方が、デニソワ5(東方系ネアンデルタール人)とのアレル共有率は低くなっています(ジブラルタル1は77.5%、ジブラルタル2は59.1%)。
上述のロシア・ドイツ・ベルギー・フランスのネアンデルタール人に加えて、スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡の49000年前頃のネアンデルタール人(El Sidrón 1253)も比較対象とされました。ジブラルタル1は他のネアンデルタール人と同様に、東方系ネアンデルタール人(デニソワ5)よりも西方系ネアンデルタール人であるVindija 33.19およびチャギルスカヤ8の方とより多くの派生的アレルを共有しています。しかし、エルシドロン個体(El Sidrón 1253)やもっと新しいネアンデルタール人個体とは異なり、ジブラルタル1はチャギルスカヤ8とよりもVindija 33.19の方と顕著に多いアレルを共有しているわけではなく、これはジブラルタル1がVindija 33.19およびチャギルスカヤ8と遺伝的に等距離であることを示唆します。デニソワ人系統や現生人類系統との推定分岐年代からの推定でも、ジブラルタル1系統はVindija 33.19系統と108900~70800年前頃(信頼区間95%)、チャギルスカヤ8系統と121900~87200年前頃(信頼区間95%)に分岐した、と推定されており、年代が重なります。
高品質なゲノム配列の得られているネアンデルタール人3個体(デニソワ3とVindija 33.19とチャギルスカヤ8)とのジブラルタル1の関係は、5万年前頃以降となるエルシドロン1253や他のより新しいネアンデルタール人よりも、5万年前以前となるHST個体やスクラディナ個体やメズマイスカヤ1の方と類似しているので、ジブラルタル1はエルシドロン1253よりも古い、と示唆されます。本論文は、現時点での知見と、9万年前以後のネアンデルタール人には東方系のような主要な系統が存在しなかったとの推測から、ジブラルタル1標本は、49000年前頃のエルシドロン1253個体だけではなく、おそらくは7万~6万年前頃のメズマイスカヤ1個体よりも古い、と推定しています。ただ、本論文は代替的な仮説として、イベリア半島のネアンデルタール人に遺伝的に多様な集団が共存しており、そのためにジブラルタル1がエルシドロン1253や他の後期ネアンデルタール人と異なる遺伝的構成を示している可能性も提示しています。
現在まで、ネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型(非現生人類)ホモ属のDNA解析はヨーロッパとアジア北部に限定されており、アフリカや中東やアジア南東部では15000年以上前のDNAは解析されていません。本論文は、新たな汚染除去法と、錐体骨のようにDNA回収率の高い部位からの抽出の組み合わせで、地中海の温暖な地域でも古代型ホモ属からDNAを解析できる、と示しました。ジブラルタルはアフリカに近いことから、本論文はジブラルタル1と同じ年代のアフリカの人類のDNA解析も見込んでいます。中部旧石器時代の遺跡では、とくに古い時代に発掘調査されたものでは、しばしば信頼できる年代がありません。しかし、DNA解析により、そうした遺跡の年代推定も可能となります。これまで古代DNA、とくに古代型ホモ属のDNA解析が困難と考えられていた地域での、ホモ属遺骸のDNA解析への現実的な可能性を提示したという意味で、本論文が提示した成果は大いに注目されます。古代DNA研究の進展は著しく、後期ホモ属の関係はますます複雑になっており(関連記事)、ほとんど把握できていないのですが、今後もできるだけ追いかけていくつもりです。
参考文献:
Bokelmann L. et al.(2019): A genetic analysis of the Gibraltar Neanderthals. PNAS, 116, 31, 15610–15615.
https://doi.org/10.1073/pnas.1903984116
その他のゲノム配列の得られたネアンデルタール人個体はすべて、西方系に分類されます。西方系で高品質なゲノム配列が得られているのは、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)遺跡で発見された5万年前頃(放射性炭素年代測定法による非較正年代で45500年前以前)のネアンデルタール人女性(Vindija 33.19)です(関連記事)。西方系には、東方系のデニソワ5と同じような年代と推定されている、ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(以下HSTと省略)で発見された大腿骨化石と、ベルギーのスクラディナ洞窟(Scladina Cave)で発見された上顎骨(Scladina I-4A)も含まれます(関連記事)。ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡で発見された7万~6万年前頃のネアンデルタール人遺骸(Mezmaiskaya 1)と、南シベリアのアルタイ山脈のチャギルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟遺跡で発見された8万年前頃のネアンデルタール人遺骸(Chagyrskaya 8)のゲノム配列も得られています。迂闊にも私は見落としていましたが、チャギルスカヤ8(Chagyrskaya 8)からは高品質なゲノム配列が得られているそうです。
西方系でも5万年前頃以降(47000~39000年前頃)のゲノム配列の得られているネアンデルタール人としては、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡個体(Goyet Q56-1)とスピ(Spy)遺跡個体(Spy 94a)、ロシアのコーカサス地域のメズマイスカヤ(Mezmaiskaya)遺跡個体(Mezmaiskaya 2)、フランスのレスコテス(Les Cottés)遺跡個体(Cottés Z4-1514)があります。これら後期ネアンデルタール人は、コーカサスからフランスまで広範囲に分布しているにも関わらず、上述の5万年前頃以前のネアンデルタール人個体群よりも、クロアチアのVindija 33.19の方と遺伝的に近い、と明らかになっています。また、メズマイスカヤ1とこれら後期ネアンデルタール人集団とは遺伝的にやや離れた関係にあることから、西方系ネアンデルタール人集団の間でも、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。
本論文が新たにDNAを解析したのは、ジブラルタルのネアンデルタール人2個体です。一方は1848年にフォーブス採石場(Forbes’ Quarry)で発見された部分的頭蓋(Gibraltar 1)で、もう一方は1926年に悪魔の塔(Mousterian)で発見された3~5歳の子供の部分的頭蓋(Gibraltar 2)です。ネアンデルタール人の正基準標本は1856年にドイツのフェルトホーファー(Feldhofer)洞窟で発見されており、ジブラルタルの方がネアンデルタール人遺骸としては発見が古いのですが、こちらは当初注目されず、現生人類(Homo sapiens)とは別の人類かもしれないとして最初に注目されたのは、フェルトホーファー遺骸の方でした。ジブラルタルで発見されたネアンデルタール人2個体の年代は不明で、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5~3となる13万~3万年前頃と、幅広い年代が推定されています。イベリア半島、とくにその南端となるジブラルタルは、寒冷期におけるネアンデルタール人の待避所だった可能性が指摘されています。つまり、ジブラルタルの気候は温暖なわけで、DNAの保存には不利です。
本論文は、ジブラルタルのネアンデルタール人2個体の錐体骨からDNAを抽出し、解析しました。錐体骨は人体の中でもDNA回収率の高い部位とされています。ジブラルタルのネアンデルタール人2個体は19世紀半ばと20世紀前半に発見されたため、多くの近現代人のDNAにより汚染されている、と考えられます。そこで本論文は、DNA配列前に汚染を減少させる方法により、DNA配列に成功しました。その結果、ジブラルタル1からは7000万塩基対、ジブラルタル2からは40万塩基対の配列が得られました。X染色体と常染色体の網羅率から、ジブラルタル1は女性、ジブラルタル2は男性と推定され、これは形態学的評価と一致します。
ジブラルタル1の方はミトコンドリアDNA(mtDNA)が解析されましたが、ジブラルタル2の方は、mtDNAがひじょうに乏しいため、解析されませんでした。ジブラルタル1はmtDNA系統樹では、SH集団や他のネアンデルタール人やデニソワ人や現代人との比較でネアンデルタール人に位置づけられ、おそらく西方系の変異内に収まりますが、その正確な位置は確定できません。核DNA解析では、現代人・東方系ネアンデルタール人(デニソワ5)・デニソワ人(デニソワ3)との比較で、ジブラルタル1・2ともにネアンデルタール人との類似性が最も高かったのですが、ジブラルタル1よりもジブラルタル2の方が、デニソワ5(東方系ネアンデルタール人)とのアレル共有率は低くなっています(ジブラルタル1は77.5%、ジブラルタル2は59.1%)。
上述のロシア・ドイツ・ベルギー・フランスのネアンデルタール人に加えて、スペイン北部のエルシドロン(El Sidrón)遺跡の49000年前頃のネアンデルタール人(El Sidrón 1253)も比較対象とされました。ジブラルタル1は他のネアンデルタール人と同様に、東方系ネアンデルタール人(デニソワ5)よりも西方系ネアンデルタール人であるVindija 33.19およびチャギルスカヤ8の方とより多くの派生的アレルを共有しています。しかし、エルシドロン個体(El Sidrón 1253)やもっと新しいネアンデルタール人個体とは異なり、ジブラルタル1はチャギルスカヤ8とよりもVindija 33.19の方と顕著に多いアレルを共有しているわけではなく、これはジブラルタル1がVindija 33.19およびチャギルスカヤ8と遺伝的に等距離であることを示唆します。デニソワ人系統や現生人類系統との推定分岐年代からの推定でも、ジブラルタル1系統はVindija 33.19系統と108900~70800年前頃(信頼区間95%)、チャギルスカヤ8系統と121900~87200年前頃(信頼区間95%)に分岐した、と推定されており、年代が重なります。
高品質なゲノム配列の得られているネアンデルタール人3個体(デニソワ3とVindija 33.19とチャギルスカヤ8)とのジブラルタル1の関係は、5万年前頃以降となるエルシドロン1253や他のより新しいネアンデルタール人よりも、5万年前以前となるHST個体やスクラディナ個体やメズマイスカヤ1の方と類似しているので、ジブラルタル1はエルシドロン1253よりも古い、と示唆されます。本論文は、現時点での知見と、9万年前以後のネアンデルタール人には東方系のような主要な系統が存在しなかったとの推測から、ジブラルタル1標本は、49000年前頃のエルシドロン1253個体だけではなく、おそらくは7万~6万年前頃のメズマイスカヤ1個体よりも古い、と推定しています。ただ、本論文は代替的な仮説として、イベリア半島のネアンデルタール人に遺伝的に多様な集団が共存しており、そのためにジブラルタル1がエルシドロン1253や他の後期ネアンデルタール人と異なる遺伝的構成を示している可能性も提示しています。
現在まで、ネアンデルタール人やデニソワ人といった古代型(非現生人類)ホモ属のDNA解析はヨーロッパとアジア北部に限定されており、アフリカや中東やアジア南東部では15000年以上前のDNAは解析されていません。本論文は、新たな汚染除去法と、錐体骨のようにDNA回収率の高い部位からの抽出の組み合わせで、地中海の温暖な地域でも古代型ホモ属からDNAを解析できる、と示しました。ジブラルタルはアフリカに近いことから、本論文はジブラルタル1と同じ年代のアフリカの人類のDNA解析も見込んでいます。中部旧石器時代の遺跡では、とくに古い時代に発掘調査されたものでは、しばしば信頼できる年代がありません。しかし、DNA解析により、そうした遺跡の年代推定も可能となります。これまで古代DNA、とくに古代型ホモ属のDNA解析が困難と考えられていた地域での、ホモ属遺骸のDNA解析への現実的な可能性を提示したという意味で、本論文が提示した成果は大いに注目されます。古代DNA研究の進展は著しく、後期ホモ属の関係はますます複雑になっており(関連記事)、ほとんど把握できていないのですが、今後もできるだけ追いかけていくつもりです。
参考文献:
Bokelmann L. et al.(2019): A genetic analysis of the Gibraltar Neanderthals. PNAS, 116, 31, 15610–15615.
https://doi.org/10.1073/pnas.1903984116
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