髙倉純「北アジアにおける中期旧石器から後期旧石器時代にかけての編年の諸問題」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 20)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P97-104)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。なお、本論文の年代は原則として較正されたものです。
本論文は、アジア北部のシベリアやモンゴルにおける中期旧石器時代(中部旧石器時代)から後期旧石器時代(上部旧石器時代)への移行期を取り上げています。この移行期に関しては、現生人類(Homo sapiens)の拡散と適応の問題への注目とも重なり、考古学的に長い研究の歴史があります。この時期に、石器製作伝統は文化的な断絶を示すのか否か、断絶が認められる場合、新たな伝統はどの地域に系統的にたどれるのか、また伝統の違いと生物学的な人類集団とは対応するのか、といった問題群がおもに議論されてきました。こうした問題群は、遺伝人類学から次々ともたらされる新たな知見とも関わり、考古学者だけにとどまらず、ユーラシア大陸の人類進化にかかわる様々な研究者からも多大な関心を集めるものになっている、と本論文は指摘します。
本論文は、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の編年理解について検証していますが、研究の進展差から、実質的にはアルタイ山地からザバイカルにかけての南西シベリア諸地域とモンゴルを対象としています。編年が構築されるさいに適用される研究の枠組みには、地域に限定されない普遍的な観点からの議論とともに、地域に特有の背景から生じた特殊性が含まれていることにも注意が必要と、本論文は指摘します。それは、研究の対象とする資料の種類・遺存の状況に起因することもあるでしょうし、該当地域・国の研究・教育体制や歴史的諸条件に一定の影響を受けている側面も否定できないだろう、というわけです。本論文は、日本の旧石器考古学にも、同様な普遍性と特殊性が内包されている、と指摘します。ロシアやモンゴルや日本や欧米の研究者の間で時に生じる評価の齟齬には、そうした問題が内在しているのではないか、というわけです。
本論文は、旧石器時代研究における編年に関して、変動する環境・資源構造の中に人類集団の活動を把握していこうとする枠組みが必要と指摘しています。こうした目的で資料を収集し、その位置づけを明らかにしていこうとするならば、岩相層序(lithostratigraphy)、生物層序(biostratigraphy)、「考古層序」(archaeostratigraphy)、数値年(numerical dates)の四者の統合的提示が理想であるものの、ヨーロッパとは異なり、アジア北部でそうした統合的な議論が有効に示されてきたわけではなく、今後に多くの課題を残している、と本論文は指摘します。本論文はおもに、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期における時期区分と石器製作伝統の設定にかかわる問題を整理しています。
本論文はまず、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の石器群の類型区分とそれに基づく石器製作伝統の設定や時期区分がどのように議論されてきたのか、概観します。アジア北部における移行期の研究は、まずルヴァロワ(Levallois)技術術の展開・消長を指標に、長期的系統性を認める議論が提示されました。その後の研究でも、移行期における文化の系統的連続性が議論されました。近年では、移行期の石器群区分に関して、「カラ・ボム(Kara-Bom)・トレンド」や「カラコル・トレンド」という系統的な単位が設定され、複数の異なる系統がアジア北部で移行期には長期的に継続した、との仮説が提示されています。重点的な議論の対象とする地域や資料、編年区分を導く基準は異なるものの、アジア北部において長期にわたる特定の技術型式学的要素の連続性を認め、それを文化的あるいは人類集団の系統性の表れとみなす観点は、議論の枠組みとして共有されてきました。長期的な連続性を示す系統を軸に石器群の位置づけを評価しようとする議論は、アジア北部での移行期の資料を対象とする他の研究者にも見出せる、と本論文は指摘します。
移行期の石器群に認められるとする長期的な系統的連続性の存在は、石器群の評価を導き出した枠組みからは独立した、岩相層序や生物層序や数値年代といった他のデータからの検証を必要とします。しかし、以前のモンゴルやアルタイ山地における諸遺跡の調査においては、そうした議論の展開を可能とするような編年にかかわる高精度のデータが、信頼性の高い安定的なコンテクストから体系的に得られていなかった、と本論文は指摘します。相互検証のためには、少なくとも取り扱う時間の目盛りを1万~数万年という単位から、千~数千年という程度の単位に絞り込んでいかなければならなかった、というわけです。そうした状況下では、当該期における「文化の系統的連続性の存在」と「その枠内での石器群の変化=編年的な段階の設定」が、相互依存的な論理を前提として仮設されてしまった側面は否定できない、と本論文は指摘します。そこで本論文は、中部旧石器時代と上部旧石器時代をどう区分し、どのような意義を与えるのか、という課題に立ち戻るさい、石器製作伝統の系統的連続性が仮設される以上、時代区分にあたっては、たとえばヨーロッパのような他地域から外挿的に年代的な基準を当てはめることに逢着せざるを得ない、と主張します。
近年では、石器の接合資料分析と遺跡形成過程の再検討により、「カラ・ボム・トレンド」と「カラコル・トレンド」の指標的な資料が出土しているとされる、カラ・ボム遺跡とウスチ・カラコル遺跡の上部旧石器時代出土石器群に関して、これまで時間的に併存すると見なされていた石器群が、上部旧石器時代のなかで時間差を示すものである、と再解釈されるにいたっているそうです。また、中部旧石器時代を代表する特徴的な石器製作伝統であるシビリャチーハ(Sibiryachikha)伝統が上部旧石器時代にも「残存」し、上部旧石器時代の石器群と「併存」していたとする評価については、シビリャチーハ伝統に帰属する石器群が検出されたチャグルスカヤ洞窟において48000年前頃よりも古くなるという放射性炭素年代測定値が得られるようになってきたことで、少なくとも長期的な「併存」を支持することは難しくなっている、と本論文は指摘します。系統的連続性の仮設から石器群の類型区分と編年的な段階設定を導くという枠組みに関しては、それとは独立したデータからの検証によって見直しが迫られている状況にある、というわけです。
2000年代以降のアジア北部における研究では、遺跡形成過程の再検討により石器群の一括性が見直され、また高精度化された年代測定値の集積により、従来想定されてきた編年の妥当性が問い直されるようになってきたそうです。その一方で、初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、IUP)あるいは前期上部旧石器時代(Early Upper Paleolithic、 EUP)という時期区分と石器群区分の捉え方が導入されるようになってきており、アジア中央部および南西部やヨーロッパ東部といった他地域での時期区分も考慮しながら、それとの比較を重視し、地域間の関係(移住・伝播もしくは収斂進化)を把握しようとする志向が強くなっている、と本論文は把握しています。じゅうらいの、地域内での時間的かつ系統的な連続性を仮設する枠組みとは別の観点からの議論が導入されるようになった、というわけです。
本論文はモンゴルの上部旧石器時代を、アジア中央部や南西部といった周辺地域との対比も視野に入れて、初期(IUP)・前期(EUP)・中期(MUP)・後期(LUP)の4期に区分しています。EUPの年代に関しては、開始が39000~38000年前頃、終末が29000~28000年前頃との結果が提示されています。IUPの開始は48000~45000年前頃と推定されており、南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の骨製尖頭器や装身具の年代測定値とも整合的です(関連記事)。IUPとEUPの区分に関しては、IUPにおける大・中形石刃の剥離をもたらした石刃剥離技術や「彫器石核技術」の存在と、EUPにおける細石刃技術の存在が重要な指標とされています。ルヴァロワ技術に関しては、中部旧石器時代およびIUPで確認されていますが、モンゴルのチヘン2遺跡などEUPの一部の石器群においても存在が確認できるそうです。ルヴァロワ技術のみでは特定の段階の指標と見なすことができないことは明らかで、剥離工程の諸特徴や組成等の変化を考慮することが必要となっている、と本論文は指摘します。
IUPの成立過程、とくにその担い手の人類集団に関しては、関連資料の数値年代が高精度化されたことで、関連諸事象の年代的位置づけの絞り込みが可能となってきたにも関わらず、化石人類の共伴事例がまだ確認されていないために、議論が続いています。この問題に関してはおもに、(1)他地域から新たに拡散してきた現生人類が残した、(2)中部旧石器時代からの先住集団が文化変容を遂げた、(3)現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との混合・交雑集団が残した、という仮説が提示されています。
本論文が、中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期における編年との関連で重視しているのは、近年、中部旧石器時代晩期(Terminal Middle Paleolithic、TMP)という段階が設定され、議論されるようになってきたことです。モンゴルのハルガニン・ゴル5遺跡の7・6層(5層からはIUPの石器群が出土)の出土資料の検討の結果、各種の削器類に代表される二次加工石器に伴う、ルヴァロワ技術から剥離される石刃や剥片の諸特徴とその組み合わせが着目され、それ以前の不定形剥片を基盤とする中部旧石器時代の石器群との区別のために、IUPに先行するTMPという段階が設定されているそうです。TMPの段階の石器群としては、オルホン1遺跡の3層、モイルティン・アム遺跡の5・4層、ハルガニン・ゴル5遺跡の7・6層石器群をモンゴルでの指標的な資料とし、アルタイ山地ではカラ・ボム遺跡の中部旧石器時代石器群やデニソワ洞窟の開口部8・9層や東ギャラリー11.3層・11.4層で出土している石器群がそれに該当する、と本論文は主張します。その継起年代は60000~45000年前頃で、これらの石器群の製作者はデニソワ人だった可能性が最も高い、と本論文は指摘します。TMPとIUPの石器群の間では、ルヴァロワ技術に関してとくに多くの共通点が認められますが、IUPにのみ認められる小形石刃剥離技術の存在や石核の稜形成の工程等に着目することにより、両者を弁別する特徴が見出せるだろう、と指摘されています。
TMPとして設定された段階に一定の技術型式学的諸特徴を共有する石器群が拡散していると確認されれば、IUPの前段階が編年的に明確になり、IUPとの比較の対象が特定できるようになったことには一定の意味がある、と本論文は指摘します。ただ、該当例としてあげられている石器群のなかには、一括性や年代的位置づけに問題を含むものもあり、今後の検証が求められる、とも本論文は指摘します。モンゴルの該当遺跡では、現時点での放射性炭素年代測定値はハルガニン・ゴル5遺跡6層において得られているだけなので、他の遺跡での数値年代の取得による追検証が必要というわけです。
このように、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代へ移行する段階に関しては、TMP・IUP・EUPという時期設定がなされてきています。それぞれの時期に関しては、一括性が見込まれる石器群資料をもとに、技術型式学的な諸特徴を指標として石器製作伝統と同義の観点から設定がなされ、数は少ないものの、層位的な出土事例をもとに相対的な前後関係が把握されるとともに、数値年代によって相互の継起年代が推定されるにいたっています。得られている数値年代が限られているため、TMPの年代観の妥当性の検証は今後の課題ですが、TMPの設定の妥当性およびIUPとの型式組成や剥離技術、石材利用行動等に関する比較、とくに年代的重複の有無や程度といった相互の年代的位置づけの精査は、IUPの成立過程をめぐる今後の考古学的研究のなかで重要な検討課題となっていくだろう、と本論文は指摘します。本論文は、こうした比較作業のなかで、石刃や剥片を剥離する際の剥離法や剥離具の同定を重視しています。
さらに本論文は、TMPと同一時期のアジア中央部および南西部やヨーロッパ東部における石器群との比較作業も重要な課題になる、とも指摘しています。アルタイ山地のオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟やチャグルスカヤ洞窟で確認されているシビリャチーハ伝統は、想定されている年代的位置づけによる限り、このTMPの石器群と同一地域内で「併存」している可能性が高そうですが、技術型式学的には全く異なる特徴を示す両者の併存のあり方を明らかにしていくことも、人類進化の探求のうえでは興味深い課題になるだろう、と本論文は今後の見通しを提示しています。
本論文はこのように、アジア北部の中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の研究において、編年の単位となる時期として、TMP・IUP・EUPが設定され、各時期の石器群に見られる型式組成や剥離工程の諸特徴、あるいは各時期の継起年代等が追及されてきている現状を概観しています。年代的位置づけの妥当性を数値年代によって検証する試みも、年代測定の高精度化と議論の目的の違いに応じた試料選択が果たされることにより、多角的に推進されつつある、と本論文は指摘します。しかし、編年の単位として任意の時空間を区切る石器製作伝統の枠組みが適用されてはいないために、今後、同一段階内での地域差が本格的に論じられるようになると、どのような体系のなかでその地域差の位置づけをおこなっていくのか、という点が問題となるだろう、と本論文は注意を喚起します。TMP・IUP・EUPといった時期区分の設定は、アジア南西部や中央部と同じような時間的スケールで様々な事象の生起の比較を試みていくさいには有効な時間的枠組みとなり得るものの、地域差の顕在化を明らかにしていくさいには、石器製作伝統の設定にもとづいて整理をおこなっていく必要性があるのではないか、と本論文は指摘しています。
参考文献:
髙倉純(2019)「北アジアにおける中期旧石器から後期旧石器時代にかけての編年の諸問題」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P97-104
本論文は、アジア北部のシベリアやモンゴルにおける中期旧石器時代(中部旧石器時代)から後期旧石器時代(上部旧石器時代)への移行期を取り上げています。この移行期に関しては、現生人類(Homo sapiens)の拡散と適応の問題への注目とも重なり、考古学的に長い研究の歴史があります。この時期に、石器製作伝統は文化的な断絶を示すのか否か、断絶が認められる場合、新たな伝統はどの地域に系統的にたどれるのか、また伝統の違いと生物学的な人類集団とは対応するのか、といった問題群がおもに議論されてきました。こうした問題群は、遺伝人類学から次々ともたらされる新たな知見とも関わり、考古学者だけにとどまらず、ユーラシア大陸の人類進化にかかわる様々な研究者からも多大な関心を集めるものになっている、と本論文は指摘します。
本論文は、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の編年理解について検証していますが、研究の進展差から、実質的にはアルタイ山地からザバイカルにかけての南西シベリア諸地域とモンゴルを対象としています。編年が構築されるさいに適用される研究の枠組みには、地域に限定されない普遍的な観点からの議論とともに、地域に特有の背景から生じた特殊性が含まれていることにも注意が必要と、本論文は指摘します。それは、研究の対象とする資料の種類・遺存の状況に起因することもあるでしょうし、該当地域・国の研究・教育体制や歴史的諸条件に一定の影響を受けている側面も否定できないだろう、というわけです。本論文は、日本の旧石器考古学にも、同様な普遍性と特殊性が内包されている、と指摘します。ロシアやモンゴルや日本や欧米の研究者の間で時に生じる評価の齟齬には、そうした問題が内在しているのではないか、というわけです。
本論文は、旧石器時代研究における編年に関して、変動する環境・資源構造の中に人類集団の活動を把握していこうとする枠組みが必要と指摘しています。こうした目的で資料を収集し、その位置づけを明らかにしていこうとするならば、岩相層序(lithostratigraphy)、生物層序(biostratigraphy)、「考古層序」(archaeostratigraphy)、数値年(numerical dates)の四者の統合的提示が理想であるものの、ヨーロッパとは異なり、アジア北部でそうした統合的な議論が有効に示されてきたわけではなく、今後に多くの課題を残している、と本論文は指摘します。本論文はおもに、中部旧石器時代~上部旧石器時代の移行期における時期区分と石器製作伝統の設定にかかわる問題を整理しています。
本論文はまず、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の石器群の類型区分とそれに基づく石器製作伝統の設定や時期区分がどのように議論されてきたのか、概観します。アジア北部における移行期の研究は、まずルヴァロワ(Levallois)技術術の展開・消長を指標に、長期的系統性を認める議論が提示されました。その後の研究でも、移行期における文化の系統的連続性が議論されました。近年では、移行期の石器群区分に関して、「カラ・ボム(Kara-Bom)・トレンド」や「カラコル・トレンド」という系統的な単位が設定され、複数の異なる系統がアジア北部で移行期には長期的に継続した、との仮説が提示されています。重点的な議論の対象とする地域や資料、編年区分を導く基準は異なるものの、アジア北部において長期にわたる特定の技術型式学的要素の連続性を認め、それを文化的あるいは人類集団の系統性の表れとみなす観点は、議論の枠組みとして共有されてきました。長期的な連続性を示す系統を軸に石器群の位置づけを評価しようとする議論は、アジア北部での移行期の資料を対象とする他の研究者にも見出せる、と本論文は指摘します。
移行期の石器群に認められるとする長期的な系統的連続性の存在は、石器群の評価を導き出した枠組みからは独立した、岩相層序や生物層序や数値年代といった他のデータからの検証を必要とします。しかし、以前のモンゴルやアルタイ山地における諸遺跡の調査においては、そうした議論の展開を可能とするような編年にかかわる高精度のデータが、信頼性の高い安定的なコンテクストから体系的に得られていなかった、と本論文は指摘します。相互検証のためには、少なくとも取り扱う時間の目盛りを1万~数万年という単位から、千~数千年という程度の単位に絞り込んでいかなければならなかった、というわけです。そうした状況下では、当該期における「文化の系統的連続性の存在」と「その枠内での石器群の変化=編年的な段階の設定」が、相互依存的な論理を前提として仮設されてしまった側面は否定できない、と本論文は指摘します。そこで本論文は、中部旧石器時代と上部旧石器時代をどう区分し、どのような意義を与えるのか、という課題に立ち戻るさい、石器製作伝統の系統的連続性が仮設される以上、時代区分にあたっては、たとえばヨーロッパのような他地域から外挿的に年代的な基準を当てはめることに逢着せざるを得ない、と主張します。
近年では、石器の接合資料分析と遺跡形成過程の再検討により、「カラ・ボム・トレンド」と「カラコル・トレンド」の指標的な資料が出土しているとされる、カラ・ボム遺跡とウスチ・カラコル遺跡の上部旧石器時代出土石器群に関して、これまで時間的に併存すると見なされていた石器群が、上部旧石器時代のなかで時間差を示すものである、と再解釈されるにいたっているそうです。また、中部旧石器時代を代表する特徴的な石器製作伝統であるシビリャチーハ(Sibiryachikha)伝統が上部旧石器時代にも「残存」し、上部旧石器時代の石器群と「併存」していたとする評価については、シビリャチーハ伝統に帰属する石器群が検出されたチャグルスカヤ洞窟において48000年前頃よりも古くなるという放射性炭素年代測定値が得られるようになってきたことで、少なくとも長期的な「併存」を支持することは難しくなっている、と本論文は指摘します。系統的連続性の仮設から石器群の類型区分と編年的な段階設定を導くという枠組みに関しては、それとは独立したデータからの検証によって見直しが迫られている状況にある、というわけです。
2000年代以降のアジア北部における研究では、遺跡形成過程の再検討により石器群の一括性が見直され、また高精度化された年代測定値の集積により、従来想定されてきた編年の妥当性が問い直されるようになってきたそうです。その一方で、初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、IUP)あるいは前期上部旧石器時代(Early Upper Paleolithic、 EUP)という時期区分と石器群区分の捉え方が導入されるようになってきており、アジア中央部および南西部やヨーロッパ東部といった他地域での時期区分も考慮しながら、それとの比較を重視し、地域間の関係(移住・伝播もしくは収斂進化)を把握しようとする志向が強くなっている、と本論文は把握しています。じゅうらいの、地域内での時間的かつ系統的な連続性を仮設する枠組みとは別の観点からの議論が導入されるようになった、というわけです。
本論文はモンゴルの上部旧石器時代を、アジア中央部や南西部といった周辺地域との対比も視野に入れて、初期(IUP)・前期(EUP)・中期(MUP)・後期(LUP)の4期に区分しています。EUPの年代に関しては、開始が39000~38000年前頃、終末が29000~28000年前頃との結果が提示されています。IUPの開始は48000~45000年前頃と推定されており、南シベリアのアルタイ地域のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の骨製尖頭器や装身具の年代測定値とも整合的です(関連記事)。IUPとEUPの区分に関しては、IUPにおける大・中形石刃の剥離をもたらした石刃剥離技術や「彫器石核技術」の存在と、EUPにおける細石刃技術の存在が重要な指標とされています。ルヴァロワ技術に関しては、中部旧石器時代およびIUPで確認されていますが、モンゴルのチヘン2遺跡などEUPの一部の石器群においても存在が確認できるそうです。ルヴァロワ技術のみでは特定の段階の指標と見なすことができないことは明らかで、剥離工程の諸特徴や組成等の変化を考慮することが必要となっている、と本論文は指摘します。
IUPの成立過程、とくにその担い手の人類集団に関しては、関連資料の数値年代が高精度化されたことで、関連諸事象の年代的位置づけの絞り込みが可能となってきたにも関わらず、化石人類の共伴事例がまだ確認されていないために、議論が続いています。この問題に関してはおもに、(1)他地域から新たに拡散してきた現生人類が残した、(2)中部旧石器時代からの先住集団が文化変容を遂げた、(3)現生人類とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との混合・交雑集団が残した、という仮説が提示されています。
本論文が、中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期における編年との関連で重視しているのは、近年、中部旧石器時代晩期(Terminal Middle Paleolithic、TMP)という段階が設定され、議論されるようになってきたことです。モンゴルのハルガニン・ゴル5遺跡の7・6層(5層からはIUPの石器群が出土)の出土資料の検討の結果、各種の削器類に代表される二次加工石器に伴う、ルヴァロワ技術から剥離される石刃や剥片の諸特徴とその組み合わせが着目され、それ以前の不定形剥片を基盤とする中部旧石器時代の石器群との区別のために、IUPに先行するTMPという段階が設定されているそうです。TMPの段階の石器群としては、オルホン1遺跡の3層、モイルティン・アム遺跡の5・4層、ハルガニン・ゴル5遺跡の7・6層石器群をモンゴルでの指標的な資料とし、アルタイ山地ではカラ・ボム遺跡の中部旧石器時代石器群やデニソワ洞窟の開口部8・9層や東ギャラリー11.3層・11.4層で出土している石器群がそれに該当する、と本論文は主張します。その継起年代は60000~45000年前頃で、これらの石器群の製作者はデニソワ人だった可能性が最も高い、と本論文は指摘します。TMPとIUPの石器群の間では、ルヴァロワ技術に関してとくに多くの共通点が認められますが、IUPにのみ認められる小形石刃剥離技術の存在や石核の稜形成の工程等に着目することにより、両者を弁別する特徴が見出せるだろう、と指摘されています。
TMPとして設定された段階に一定の技術型式学的諸特徴を共有する石器群が拡散していると確認されれば、IUPの前段階が編年的に明確になり、IUPとの比較の対象が特定できるようになったことには一定の意味がある、と本論文は指摘します。ただ、該当例としてあげられている石器群のなかには、一括性や年代的位置づけに問題を含むものもあり、今後の検証が求められる、とも本論文は指摘します。モンゴルの該当遺跡では、現時点での放射性炭素年代測定値はハルガニン・ゴル5遺跡6層において得られているだけなので、他の遺跡での数値年代の取得による追検証が必要というわけです。
このように、アジア北部における中部旧石器時代~上部旧石器時代へ移行する段階に関しては、TMP・IUP・EUPという時期設定がなされてきています。それぞれの時期に関しては、一括性が見込まれる石器群資料をもとに、技術型式学的な諸特徴を指標として石器製作伝統と同義の観点から設定がなされ、数は少ないものの、層位的な出土事例をもとに相対的な前後関係が把握されるとともに、数値年代によって相互の継起年代が推定されるにいたっています。得られている数値年代が限られているため、TMPの年代観の妥当性の検証は今後の課題ですが、TMPの設定の妥当性およびIUPとの型式組成や剥離技術、石材利用行動等に関する比較、とくに年代的重複の有無や程度といった相互の年代的位置づけの精査は、IUPの成立過程をめぐる今後の考古学的研究のなかで重要な検討課題となっていくだろう、と本論文は指摘します。本論文は、こうした比較作業のなかで、石刃や剥片を剥離する際の剥離法や剥離具の同定を重視しています。
さらに本論文は、TMPと同一時期のアジア中央部および南西部やヨーロッパ東部における石器群との比較作業も重要な課題になる、とも指摘しています。アルタイ山地のオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟やチャグルスカヤ洞窟で確認されているシビリャチーハ伝統は、想定されている年代的位置づけによる限り、このTMPの石器群と同一地域内で「併存」している可能性が高そうですが、技術型式学的には全く異なる特徴を示す両者の併存のあり方を明らかにしていくことも、人類進化の探求のうえでは興味深い課題になるだろう、と本論文は今後の見通しを提示しています。
本論文はこのように、アジア北部の中部旧石器時代~上部旧石器時代への移行期の研究において、編年の単位となる時期として、TMP・IUP・EUPが設定され、各時期の石器群に見られる型式組成や剥離工程の諸特徴、あるいは各時期の継起年代等が追及されてきている現状を概観しています。年代的位置づけの妥当性を数値年代によって検証する試みも、年代測定の高精度化と議論の目的の違いに応じた試料選択が果たされることにより、多角的に推進されつつある、と本論文は指摘します。しかし、編年の単位として任意の時空間を区切る石器製作伝統の枠組みが適用されてはいないために、今後、同一段階内での地域差が本格的に論じられるようになると、どのような体系のなかでその地域差の位置づけをおこなっていくのか、という点が問題となるだろう、と本論文は注意を喚起します。TMP・IUP・EUPといった時期区分の設定は、アジア南西部や中央部と同じような時間的スケールで様々な事象の生起の比較を試みていくさいには有効な時間的枠組みとなり得るものの、地域差の顕在化を明らかにしていくさいには、石器製作伝統の設定にもとづいて整理をおこなっていく必要性があるのではないか、と本論文は指摘しています。
参考文献:
髙倉純(2019)「北アジアにおける中期旧石器から後期旧石器時代にかけての編年の諸問題」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P97-104
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