山岡拓也「東南アジアにおける旧石器時代の考古資料と研究の特徴」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 20)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P105-112)。この他にも興味深そうな報告があるので、今後読んでいくつもりです。本論文は、アジア南東部の更新世の考古学的研究を整理しています。
アジア南東部の4万年前以前の人類の痕跡については、ベトナム北部のソンヴィ石器群やインドネシア領フローレス島のマタメンゲ遺跡など複数報告されており、いずれも礫石器と剥片石器を共に含む石器群です。いくつかの遺跡や石器群の年代は100万年以上前と報告されていますが、すべての遺跡や石器群でしっかりとした年代的根拠が得られているわけではなかった、と指摘されています。そうした中で近年、ベトナム中部のザライ省では、複数の遺跡で両面調整石器を含む石器群が発見されています。石器群の中にはテクタイト製の石器も含まれており、石器群の特徴とテクタイトの年代から70~90万年前と推定されています。スラウェシ島のタレプ(Talepu)遺跡では20万~10万年前頃の石器群が発見されています(関連記事)。ルソン島北部では777000~631000年前頃の石器群が発見されています(関連記事)。
本論文はおもに20万~2万年前頃のアジア南東部を対象にしていますが、年代的な根拠が得られており、石器群の内容について分かる遺跡はさほど多くない、と指摘します。マレーシアのレンゴン渓谷のコタタンパンでは石器群は74000年以上前と推定されています。フローレス島では、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の遺骸が10万~6万年前頃、フロレシエンシスと関連する石器が19万~5万年前頃と推定されています(関連記事)。マレーシアのレンゴン渓谷のブーキットブヌでは出土した石器の一部の年代は、183万年前頃までさかのぼる、と推定されています。ただ、石器を包含する層序の堆積物に関しては、4万年前頃と推定されています。石器の石材には珪岩・水晶・チャート・燧石・スエバイトなどが利用されており、様々な礫器に加えて大型の両面調整の握斧(handaxes)も出土しており、石器群の内容は4万年前以前の石器群と共通します。コタタンパン遺跡ではおもに珪岩の河川礫が利用されており、石器群にはチョッパーやチョッピング・トゥールやピックなどの礫石器とともに、錐状の石器や大形のスクレイパーなどの剥片石器が含まれています。レンゴン渓谷の遺跡では礫石器が数多く出土している一方で、リアンブアから出土した4万年前以前の石器群は、おもに剥片石器で構成されており、礫石器はほとんど確認されていません。フリーハンド・樋状剥離・折断剥離・両極剥離の4つの剥離技術が復元され、二次加工のある剥片石器や二次加工が加えられていない小形の剥片が使用された、と想定されています。
アジア南東部の更新世の遺跡は、4万年前以前とそれ以降では立地に大きな違いがあります。4万年前以前の遺跡はおもに河岸段丘上に残されていたのに対して、4万年前以降は洞穴内に残されるようになります。ここから、石器利用を含む行動体系がかなり変化した、と推定されています。また4万年前以降には、アジア南東部でも大陸部と島嶼部で、石器群に異なる特徴が見られるようになります。大陸部では石器群に礫石器が含まれるのに対して、島嶼部の石器群には礫石器はほとんど含まれず、剥片石器のみから構成されます。
ベトナム北部では、片面加工の礫石器であるスマトラリス等で特徴づけられるホアビニアン(Hòabìnhian)・インダストリーが更新世までさかのぼります。そのうちソムチャイ洞穴やディウ岩陰の年代は2万年前近くまでさかのぼります。ディウ岩陰とソムチャイ洞穴では刃部磨製石斧も出土しており、1万8千年前までさかのぼると推定されています。また、ングォム洞穴では剥片石器を主に含む石器群が発見されており、年代は2万年前以上と推定されています。タイでも複数の遺跡でホアビニアン・インダストリーが更新世にまでさかのぼり、タムロッド洞穴・ランカムナン洞穴・モーキウ洞穴などの年代は2万年以上前と推定されています。またランロンリンエン洞穴においては、完新世の層序ではホアビニアン・インダストリーと呼べる石器群が出土しているものの、放射性炭素年代測定法で37000~27110年前と推定されている更新世の層序では、チョッパーやスクレイパーなどから構成される、ホアビニアン・インダストリーとは異なる石器群が出土しています。ボルネオ島のニア洞穴では、多くの年代測定値が公表され、年代は確実に4万年以上前となります。石器群には礫石器がかなり多く含まれ、その中には斧形石器も含まれるため、ホアビニアン・インダストリーとほぼ同じ内容と指摘されています。ベトナム北部ではその他にハンチョー洞穴で、2万年前頃までさかのぼるホアビニアン・インダストリーが確認されており、斧形石器も含まれていると報告されています。ホアビニアン・インダストリーが出土した層序よりさらに下層からも剥片1点と焼けた動物骨が出土しており、年代は3万年前頃です。ングォム洞穴では、出土した石器の内容が比較的詳しく報告されており、23000±200年前となる最古の文化層からは、掻器・削器・鋸歯縁石器などの剥片石器や斧形石器とみられる石器も出土しています。
このようにホアビニアン・インダストリーの年代は、少なくとも2万年前までさかのぼります。近年、中国南西部では43500年前頃のホアビニアン・インダストリーが確認されています。そのため、ベトナムやタイなどのホアビニアン・インダストリーの年代もさらにさかのぼるのではないか、と予想されています。本論文は、アジア南東部大陸部の4万年前以前と4万年前以降の更新世石器群の違いの一つとして、スマトラリスのような定形的な斧形石器が含まれるか否かを挙げています。
アジア南東部島嶼部で4万~2万年前頃の石器群が出土した遺跡としては、パラワン島のタボン洞穴、ジャワ島のケプレック洞穴とブラホロ洞穴、スラウェシ島のリアンブルン2、タラウド諸島のサリバブ島のリアンサル、ハルマヘラ諸島のモロタイ島のゴロ洞穴、アロール諸島のアロール島のリアンルンドゥブなどが報告されており、これらの遺跡からは削器・抉入石器・鋸歯縁石器などの剥片石器を含む石器群が出土しています。これらの他にも、多くの4万年前以降の更新世遺跡が発掘されていますが、近年ではいくつかの遺跡でより詳しく石器群の内容が報告されています。東ティモールのジェリマライ(Jerimalai)では、2つのグリッド(Square AとSuare B)から出土した石器について報告されています(関連記事)。その中では、折断剥離・両極剥離に加えて、単設打面や両設打面の剥離、打面転異を繰り返す剥離など様々な剥離技術が示されるとともに、打面調整を行う求心的な剥離のほか、「両側縁が並行するか先細る形状で、1本かそれ以上の縦長の稜が認められる4cm以上の長さの縦長剥片」という定義の「細石刃」が石器群に含まれている、と示されています。ただ、こうした「細石刃」を剥離したことが認められる石核は出土していないようです。ジェリマライの最も古い文化期の較正年代は42000~35000年前ですが、その時期でもこれらの剥離技術のすべてが確認されています。また、石器群には石核石器はほとんど含まれていないようで、錐状の石器や剥片の端部や側縁に二次加工が施された様々なスクレイパー・鋸歯縁石器・抉入石器などの剥片石器から構成されています。こうした石器は最古の文化期でも確認されています。ジェリマライでの剥片剥離や二次加工のあり方は、フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡の石器群と類似している、と指摘されています。
タラウド諸島のリアンサルでは、C3グリッドから出土した石器群について報告されています。この石器群では特徴的な横長剥片の剥離技術が認められ、錐状の石器・スクレイパー・抉入石器などの剥片石器で構成されています。抉入石器の中にはひじょうに大きな1枚の剥離面で抉りが作出されているものもあり、二次加工技術として注目されています。較正年代で35000~32000年前となる3層と較正年代で21000~18000年前となる2B層が更新世の層序となりますが、二次加工のある剥片石器の比率は上層の完新世の層序と比較して少なく、抉入石器は3層からは出土しておらず2B層から5点出土しています。リアンサルでは被熱した石器が多く出土していることから、剥離しやすくするために加熱処理をしている可能性が指摘されています。リアンサルと比較的近接するスラウェシ島のリアンサカパオ1でも、31000~25000年前の層序から出土した石器群について報告されています。ここでも他の二次加工のある剥片石器に加えて、ひじょうに大きな一枚の剥離面からなる抉入石器が出土しています。また、多くの石器で被熱した痕跡が認められているものの、剥離しやすくするための加熱処理の証拠はなく、埋没後に偶発的に炉などの火で熱せられたのではないか、と推定されています。
アジア南東部島嶼部で4万年前以上前の石器群の内容を把握できるのはリアンブアから出土した資料ですが、4万年前以降の石器群との違いは今のところ確認されていません。ただ、石器群の特徴が比較的詳しく記載されているジェリマライやリアンサルの事例を見ると、一般的に不定形な剥片石器が卓越する石器群と一括りに捉えられるアジア南東部島嶼部の石器群の中にも、剥離技術や剥片石器の種類などに違いがありそうで、必ずしも単純な石器群と一括して捉えられるわけではなさそうだ、と本論文は指摘しています。また本論文は、石器群の詳細な分析を蓄積することで、4万年前以前の石器群と4万年前以降の石器群との間に何らかの違いが見出されるように思われる、との見通しを提示しています。
アジア南東部では、石器以外の更新世の人工遺物についても報告されています。ハルマヘラ諸島のモロタイ島のゴロ洞穴では32000~28000年前の層序から海棲の巻貝を素材とした打製の貝器が出土しており、素材の獲得から廃棄に至る製作-利用-廃棄の工程が復元されています。東ティモールのジェリマライでは、較正年代で23000~16000年前の層序から貝製釣針の欠損資料が出土しています。東ティモールのマヂャクル2では、較正年代で36500~34500年前の層序から欠損した銛先の基部とみられる骨器が出土しています。この骨器の長さは2cm弱、幅は1cm程で、両側に連続する刻みが入った側縁部と逆三角形状の端部から構成されています。両側縁の連続した刻みは着柄するための加工と推測されています。アフリカの中期石器時代のカタンダから出土した骨器に類似した資料があると指摘されており、これはアジア南東部における着柄に関わる最古の証拠とされています。
象徴行動に関しても、近年、アジア南東部島嶼部で様々な証拠が得られています。東ティモールのレネハラでは、ウラン系列法により、方解石の層で挟まれた顔料の層の年代が29300~24000年前と明らかにされています。スラウェシ島南部の7遺跡では、ウラン系列法による洞窟二次生成物の年代測定の結果、更新世の洞窟壁画が明らかにされています(関連記事)。最古の手形の年代はリアンティンプセンの39900年前で、同遺跡では、バビルサ(シカイノシシ)が描かれた、35400年前となる最古の動物壁画も確認されています。近接するリアンサカパオ1に残されている洞窟壁画についても、文化層の年代や描かれているモチーフ(手形や動物)から、更新世に遡ると推定されています。東ティモールのジェリマライとマヂャクル2では更新世の海棲巻貝のビーズが出土しています。ジェリマライの方は較正年代で37000年前となります。ジェリマライでは較正年代で42000~38000年前となる層序から、加工痕があり顔料が付着したオウムガイの貝殻片も発見されています。スラウェシ島南部のリアンブルベトゥでは、較正年代で30000~22000年前となる層序から、クスクスの指骨製のペンダントやバビルサの下顎切歯製のビーズやその未製品が出土しています。また、利用されたオーカーや刻みの入った石器、顔料の付着した石器なども出土しています。このように、骨角器・顔料・ビーズ・ペンダント・壁画など、これまで「現代人的行動」と関わると把握されてきた遺物が、アジア南東部島嶼部で、近年多数発見されています。それに加えて貝製の道具や道具製作の痕跡も発見されており、こうした遺物は海域世界であるアジア南東部島嶼部ならではの道具資源利用と言えるかもしれない、と本論文は指摘しています。また、こうした人工遺物はおおむね4万年前以降に出現しており、それ以前の石器群には伴わないことが重要と思われる、と本論文は指摘しています。
本論文はまとめとして、アジア南東部の考古学的研究を整理しています。これまでアジア南東部全域で様々な遺跡が発見され、発掘調査が行なわれてきたものの、発掘調査の成果全体を収録した報告書の刊行はきわめて稀で、ほとんどの場合、発掘調査や出土遺物の内容について個別の論文で発表されるそうです。出土した石器について個別の位置情報を記録し、出土した資料全点を提示することもほとんど行なわれていないそうです。そのため、代表的な石器と大まかな年代を把握できる、というのが一般的な状況だと本論文は指摘します。また、遺跡の発掘調査はトレンチやグリッド単位で行なわれているものの、他地域での遺跡調査と比較すると、発掘調査が行なわれている面積は比較的狭い印象を受ける、とも本論文は指摘します。また、いくつかの遺跡で出土資料について報告されていますが、遺跡全体でのデータを提示するというよりも、いくつかのグリッドから出土した資料について報告するといった事例が多いそうです。そのため、これまでに提示されている情報は他地域と比較して少ないようです。こうした現状から、これまでに各遺跡で得られている石器群の内容の詳細を記載していくことが必要な作業ではないか、と本論文は指摘します。
本論文ではほとんど言及されていませんが、遺跡から出土する動植物遺存体の分析も進められており、熱帯雨林域や海域世界で初期現生人類(Homo sapiens)がどのように適応したのか、具体的な証拠が得られつつあります。アジア南東部は、先行して研究が進められてきたヨーロッパ・アジア南西部・アフリカとは異なる環境であるため、初期現生人類の柔軟な適応能力を示す証拠として注目され、オセアニアも含めた多くの遺跡で古環境や生業に関わる情報が蓄積されています。
また本論文は、人工遺物の研究から技術や行動に関する具体的な情報を得ることが必要とも指摘しています。人工遺物の中で最も多く残されているのは石器なので、石器についてその種類や製作技術を詳細に記載することに加えて、石器の利用が自然環境への適応とどのように関わっていたのか、具体的に明らかにすることが求められている、というわけです。これまでに、間接的な証拠から、環境に適応するためのより複雑な技術や行動の存在が予測されてきました。ニア(Niah)洞穴では、動物遺存体の分析結果に基づき、投射具を用いた狩猟や植物製の罠を用いた狩猟が推定されていますし、アジア南東部島嶼部やオセアニアにおいて4万年前以降に遺跡が急増することは、初期現生人類が舟により渡海したことを示している、と把握されています。そうした複雑な技術や行動に関わる証拠を石器の研究から得ることで、研究がさらに発展するのではないか、というわけです。たとえば、アジア南東部の更新世では、二次加工の状態や形態から狩猟具の先端部として用いられたと考えられる石器は存在しないものの、パラワン島のイリ洞穴の更新世末の層序から出土した二次加工のない剥片に、衝撃剥離痕と着柄と関わる膠着材の残滓が残されている、と報告されています。そうした痕跡は、その石器が着柄されて狩猟具として用いられ、おそらく投射具とともに用いられていたことを示しています。本論文は、こうした痕跡が4万年前以降のより古い時期の更新世遺跡から出土した石器に認められるかどうか、検討する必要性を指摘しています。
また一般的にアジア南東部では、初期現生人類は道具製作において植物資源に大きく依存していたと考えられており、より直接的な証拠を得るための努力が続けられてきました。近年、アジア南東部の伝統的な生活を送る集団の植物利用について調べ、伐採や加工といった植物利用に関わる作業を複製された石器を用いて行ない、複製された石器に残された痕跡と遺跡から出土した石器に残された痕跡を比較することで、植物加工技術に関わる具体的な手がかりを得ようとする研究が行なわれています。本論文が注目しているのは、石器が植物の加工に用いられたという証拠を探すだけでなく、具体的な作業内容を特定することで、植物利用に関わる複雑な技術の存在を明らかにしようとする試みです。一般的にアジア南東部の更新世の石器は単純な技術で製作されていると考えられていますが、その背後にあったはずの、初期現生人類の複雑な技術や行動に関する証拠を得るためには、使用痕分析を組み合わせた研究の進展が必要ではないか、と本論文は指摘しています。
参考文献:
山岡拓也(2019)「東南アジアにおける旧石器時代の考古資料と研究の特徴」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P105-112
アジア南東部の4万年前以前の人類の痕跡については、ベトナム北部のソンヴィ石器群やインドネシア領フローレス島のマタメンゲ遺跡など複数報告されており、いずれも礫石器と剥片石器を共に含む石器群です。いくつかの遺跡や石器群の年代は100万年以上前と報告されていますが、すべての遺跡や石器群でしっかりとした年代的根拠が得られているわけではなかった、と指摘されています。そうした中で近年、ベトナム中部のザライ省では、複数の遺跡で両面調整石器を含む石器群が発見されています。石器群の中にはテクタイト製の石器も含まれており、石器群の特徴とテクタイトの年代から70~90万年前と推定されています。スラウェシ島のタレプ(Talepu)遺跡では20万~10万年前頃の石器群が発見されています(関連記事)。ルソン島北部では777000~631000年前頃の石器群が発見されています(関連記事)。
本論文はおもに20万~2万年前頃のアジア南東部を対象にしていますが、年代的な根拠が得られており、石器群の内容について分かる遺跡はさほど多くない、と指摘します。マレーシアのレンゴン渓谷のコタタンパンでは石器群は74000年以上前と推定されています。フローレス島では、ホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)の遺骸が10万~6万年前頃、フロレシエンシスと関連する石器が19万~5万年前頃と推定されています(関連記事)。マレーシアのレンゴン渓谷のブーキットブヌでは出土した石器の一部の年代は、183万年前頃までさかのぼる、と推定されています。ただ、石器を包含する層序の堆積物に関しては、4万年前頃と推定されています。石器の石材には珪岩・水晶・チャート・燧石・スエバイトなどが利用されており、様々な礫器に加えて大型の両面調整の握斧(handaxes)も出土しており、石器群の内容は4万年前以前の石器群と共通します。コタタンパン遺跡ではおもに珪岩の河川礫が利用されており、石器群にはチョッパーやチョッピング・トゥールやピックなどの礫石器とともに、錐状の石器や大形のスクレイパーなどの剥片石器が含まれています。レンゴン渓谷の遺跡では礫石器が数多く出土している一方で、リアンブアから出土した4万年前以前の石器群は、おもに剥片石器で構成されており、礫石器はほとんど確認されていません。フリーハンド・樋状剥離・折断剥離・両極剥離の4つの剥離技術が復元され、二次加工のある剥片石器や二次加工が加えられていない小形の剥片が使用された、と想定されています。
アジア南東部の更新世の遺跡は、4万年前以前とそれ以降では立地に大きな違いがあります。4万年前以前の遺跡はおもに河岸段丘上に残されていたのに対して、4万年前以降は洞穴内に残されるようになります。ここから、石器利用を含む行動体系がかなり変化した、と推定されています。また4万年前以降には、アジア南東部でも大陸部と島嶼部で、石器群に異なる特徴が見られるようになります。大陸部では石器群に礫石器が含まれるのに対して、島嶼部の石器群には礫石器はほとんど含まれず、剥片石器のみから構成されます。
ベトナム北部では、片面加工の礫石器であるスマトラリス等で特徴づけられるホアビニアン(Hòabìnhian)・インダストリーが更新世までさかのぼります。そのうちソムチャイ洞穴やディウ岩陰の年代は2万年前近くまでさかのぼります。ディウ岩陰とソムチャイ洞穴では刃部磨製石斧も出土しており、1万8千年前までさかのぼると推定されています。また、ングォム洞穴では剥片石器を主に含む石器群が発見されており、年代は2万年前以上と推定されています。タイでも複数の遺跡でホアビニアン・インダストリーが更新世にまでさかのぼり、タムロッド洞穴・ランカムナン洞穴・モーキウ洞穴などの年代は2万年以上前と推定されています。またランロンリンエン洞穴においては、完新世の層序ではホアビニアン・インダストリーと呼べる石器群が出土しているものの、放射性炭素年代測定法で37000~27110年前と推定されている更新世の層序では、チョッパーやスクレイパーなどから構成される、ホアビニアン・インダストリーとは異なる石器群が出土しています。ボルネオ島のニア洞穴では、多くの年代測定値が公表され、年代は確実に4万年以上前となります。石器群には礫石器がかなり多く含まれ、その中には斧形石器も含まれるため、ホアビニアン・インダストリーとほぼ同じ内容と指摘されています。ベトナム北部ではその他にハンチョー洞穴で、2万年前頃までさかのぼるホアビニアン・インダストリーが確認されており、斧形石器も含まれていると報告されています。ホアビニアン・インダストリーが出土した層序よりさらに下層からも剥片1点と焼けた動物骨が出土しており、年代は3万年前頃です。ングォム洞穴では、出土した石器の内容が比較的詳しく報告されており、23000±200年前となる最古の文化層からは、掻器・削器・鋸歯縁石器などの剥片石器や斧形石器とみられる石器も出土しています。
このようにホアビニアン・インダストリーの年代は、少なくとも2万年前までさかのぼります。近年、中国南西部では43500年前頃のホアビニアン・インダストリーが確認されています。そのため、ベトナムやタイなどのホアビニアン・インダストリーの年代もさらにさかのぼるのではないか、と予想されています。本論文は、アジア南東部大陸部の4万年前以前と4万年前以降の更新世石器群の違いの一つとして、スマトラリスのような定形的な斧形石器が含まれるか否かを挙げています。
アジア南東部島嶼部で4万~2万年前頃の石器群が出土した遺跡としては、パラワン島のタボン洞穴、ジャワ島のケプレック洞穴とブラホロ洞穴、スラウェシ島のリアンブルン2、タラウド諸島のサリバブ島のリアンサル、ハルマヘラ諸島のモロタイ島のゴロ洞穴、アロール諸島のアロール島のリアンルンドゥブなどが報告されており、これらの遺跡からは削器・抉入石器・鋸歯縁石器などの剥片石器を含む石器群が出土しています。これらの他にも、多くの4万年前以降の更新世遺跡が発掘されていますが、近年ではいくつかの遺跡でより詳しく石器群の内容が報告されています。東ティモールのジェリマライ(Jerimalai)では、2つのグリッド(Square AとSuare B)から出土した石器について報告されています(関連記事)。その中では、折断剥離・両極剥離に加えて、単設打面や両設打面の剥離、打面転異を繰り返す剥離など様々な剥離技術が示されるとともに、打面調整を行う求心的な剥離のほか、「両側縁が並行するか先細る形状で、1本かそれ以上の縦長の稜が認められる4cm以上の長さの縦長剥片」という定義の「細石刃」が石器群に含まれている、と示されています。ただ、こうした「細石刃」を剥離したことが認められる石核は出土していないようです。ジェリマライの最も古い文化期の較正年代は42000~35000年前ですが、その時期でもこれらの剥離技術のすべてが確認されています。また、石器群には石核石器はほとんど含まれていないようで、錐状の石器や剥片の端部や側縁に二次加工が施された様々なスクレイパー・鋸歯縁石器・抉入石器などの剥片石器から構成されています。こうした石器は最古の文化期でも確認されています。ジェリマライでの剥片剥離や二次加工のあり方は、フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟遺跡の石器群と類似している、と指摘されています。
タラウド諸島のリアンサルでは、C3グリッドから出土した石器群について報告されています。この石器群では特徴的な横長剥片の剥離技術が認められ、錐状の石器・スクレイパー・抉入石器などの剥片石器で構成されています。抉入石器の中にはひじょうに大きな1枚の剥離面で抉りが作出されているものもあり、二次加工技術として注目されています。較正年代で35000~32000年前となる3層と較正年代で21000~18000年前となる2B層が更新世の層序となりますが、二次加工のある剥片石器の比率は上層の完新世の層序と比較して少なく、抉入石器は3層からは出土しておらず2B層から5点出土しています。リアンサルでは被熱した石器が多く出土していることから、剥離しやすくするために加熱処理をしている可能性が指摘されています。リアンサルと比較的近接するスラウェシ島のリアンサカパオ1でも、31000~25000年前の層序から出土した石器群について報告されています。ここでも他の二次加工のある剥片石器に加えて、ひじょうに大きな一枚の剥離面からなる抉入石器が出土しています。また、多くの石器で被熱した痕跡が認められているものの、剥離しやすくするための加熱処理の証拠はなく、埋没後に偶発的に炉などの火で熱せられたのではないか、と推定されています。
アジア南東部島嶼部で4万年前以上前の石器群の内容を把握できるのはリアンブアから出土した資料ですが、4万年前以降の石器群との違いは今のところ確認されていません。ただ、石器群の特徴が比較的詳しく記載されているジェリマライやリアンサルの事例を見ると、一般的に不定形な剥片石器が卓越する石器群と一括りに捉えられるアジア南東部島嶼部の石器群の中にも、剥離技術や剥片石器の種類などに違いがありそうで、必ずしも単純な石器群と一括して捉えられるわけではなさそうだ、と本論文は指摘しています。また本論文は、石器群の詳細な分析を蓄積することで、4万年前以前の石器群と4万年前以降の石器群との間に何らかの違いが見出されるように思われる、との見通しを提示しています。
アジア南東部では、石器以外の更新世の人工遺物についても報告されています。ハルマヘラ諸島のモロタイ島のゴロ洞穴では32000~28000年前の層序から海棲の巻貝を素材とした打製の貝器が出土しており、素材の獲得から廃棄に至る製作-利用-廃棄の工程が復元されています。東ティモールのジェリマライでは、較正年代で23000~16000年前の層序から貝製釣針の欠損資料が出土しています。東ティモールのマヂャクル2では、較正年代で36500~34500年前の層序から欠損した銛先の基部とみられる骨器が出土しています。この骨器の長さは2cm弱、幅は1cm程で、両側に連続する刻みが入った側縁部と逆三角形状の端部から構成されています。両側縁の連続した刻みは着柄するための加工と推測されています。アフリカの中期石器時代のカタンダから出土した骨器に類似した資料があると指摘されており、これはアジア南東部における着柄に関わる最古の証拠とされています。
象徴行動に関しても、近年、アジア南東部島嶼部で様々な証拠が得られています。東ティモールのレネハラでは、ウラン系列法により、方解石の層で挟まれた顔料の層の年代が29300~24000年前と明らかにされています。スラウェシ島南部の7遺跡では、ウラン系列法による洞窟二次生成物の年代測定の結果、更新世の洞窟壁画が明らかにされています(関連記事)。最古の手形の年代はリアンティンプセンの39900年前で、同遺跡では、バビルサ(シカイノシシ)が描かれた、35400年前となる最古の動物壁画も確認されています。近接するリアンサカパオ1に残されている洞窟壁画についても、文化層の年代や描かれているモチーフ(手形や動物)から、更新世に遡ると推定されています。東ティモールのジェリマライとマヂャクル2では更新世の海棲巻貝のビーズが出土しています。ジェリマライの方は較正年代で37000年前となります。ジェリマライでは較正年代で42000~38000年前となる層序から、加工痕があり顔料が付着したオウムガイの貝殻片も発見されています。スラウェシ島南部のリアンブルベトゥでは、較正年代で30000~22000年前となる層序から、クスクスの指骨製のペンダントやバビルサの下顎切歯製のビーズやその未製品が出土しています。また、利用されたオーカーや刻みの入った石器、顔料の付着した石器なども出土しています。このように、骨角器・顔料・ビーズ・ペンダント・壁画など、これまで「現代人的行動」と関わると把握されてきた遺物が、アジア南東部島嶼部で、近年多数発見されています。それに加えて貝製の道具や道具製作の痕跡も発見されており、こうした遺物は海域世界であるアジア南東部島嶼部ならではの道具資源利用と言えるかもしれない、と本論文は指摘しています。また、こうした人工遺物はおおむね4万年前以降に出現しており、それ以前の石器群には伴わないことが重要と思われる、と本論文は指摘しています。
本論文はまとめとして、アジア南東部の考古学的研究を整理しています。これまでアジア南東部全域で様々な遺跡が発見され、発掘調査が行なわれてきたものの、発掘調査の成果全体を収録した報告書の刊行はきわめて稀で、ほとんどの場合、発掘調査や出土遺物の内容について個別の論文で発表されるそうです。出土した石器について個別の位置情報を記録し、出土した資料全点を提示することもほとんど行なわれていないそうです。そのため、代表的な石器と大まかな年代を把握できる、というのが一般的な状況だと本論文は指摘します。また、遺跡の発掘調査はトレンチやグリッド単位で行なわれているものの、他地域での遺跡調査と比較すると、発掘調査が行なわれている面積は比較的狭い印象を受ける、とも本論文は指摘します。また、いくつかの遺跡で出土資料について報告されていますが、遺跡全体でのデータを提示するというよりも、いくつかのグリッドから出土した資料について報告するといった事例が多いそうです。そのため、これまでに提示されている情報は他地域と比較して少ないようです。こうした現状から、これまでに各遺跡で得られている石器群の内容の詳細を記載していくことが必要な作業ではないか、と本論文は指摘します。
本論文ではほとんど言及されていませんが、遺跡から出土する動植物遺存体の分析も進められており、熱帯雨林域や海域世界で初期現生人類(Homo sapiens)がどのように適応したのか、具体的な証拠が得られつつあります。アジア南東部は、先行して研究が進められてきたヨーロッパ・アジア南西部・アフリカとは異なる環境であるため、初期現生人類の柔軟な適応能力を示す証拠として注目され、オセアニアも含めた多くの遺跡で古環境や生業に関わる情報が蓄積されています。
また本論文は、人工遺物の研究から技術や行動に関する具体的な情報を得ることが必要とも指摘しています。人工遺物の中で最も多く残されているのは石器なので、石器についてその種類や製作技術を詳細に記載することに加えて、石器の利用が自然環境への適応とどのように関わっていたのか、具体的に明らかにすることが求められている、というわけです。これまでに、間接的な証拠から、環境に適応するためのより複雑な技術や行動の存在が予測されてきました。ニア(Niah)洞穴では、動物遺存体の分析結果に基づき、投射具を用いた狩猟や植物製の罠を用いた狩猟が推定されていますし、アジア南東部島嶼部やオセアニアにおいて4万年前以降に遺跡が急増することは、初期現生人類が舟により渡海したことを示している、と把握されています。そうした複雑な技術や行動に関わる証拠を石器の研究から得ることで、研究がさらに発展するのではないか、というわけです。たとえば、アジア南東部の更新世では、二次加工の状態や形態から狩猟具の先端部として用いられたと考えられる石器は存在しないものの、パラワン島のイリ洞穴の更新世末の層序から出土した二次加工のない剥片に、衝撃剥離痕と着柄と関わる膠着材の残滓が残されている、と報告されています。そうした痕跡は、その石器が着柄されて狩猟具として用いられ、おそらく投射具とともに用いられていたことを示しています。本論文は、こうした痕跡が4万年前以降のより古い時期の更新世遺跡から出土した石器に認められるかどうか、検討する必要性を指摘しています。
また一般的にアジア南東部では、初期現生人類は道具製作において植物資源に大きく依存していたと考えられており、より直接的な証拠を得るための努力が続けられてきました。近年、アジア南東部の伝統的な生活を送る集団の植物利用について調べ、伐採や加工といった植物利用に関わる作業を複製された石器を用いて行ない、複製された石器に残された痕跡と遺跡から出土した石器に残された痕跡を比較することで、植物加工技術に関わる具体的な手がかりを得ようとする研究が行なわれています。本論文が注目しているのは、石器が植物の加工に用いられたという証拠を探すだけでなく、具体的な作業内容を特定することで、植物利用に関わる複雑な技術の存在を明らかにしようとする試みです。一般的にアジア南東部の更新世の石器は単純な技術で製作されていると考えられていますが、その背後にあったはずの、初期現生人類の複雑な技術や行動に関する証拠を得るためには、使用痕分析を組み合わせた研究の進展が必要ではないか、と本論文は指摘しています。
参考文献:
山岡拓也(2019)「東南アジアにおける旧石器時代の考古資料と研究の特徴」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2018年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 18)』P105-112
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