アフリカ東部への牧畜の拡大

 アフリカ東部への牧畜の拡大に関する研究(Prendergast et al., 2019)が報道されました。『サイエンス』のサイトには解説記事が掲載されています。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、アフリカ東部のうち、おもに現在のケニアとタンザニアとなる地域への牧畜の拡大と、人類集団の遺伝的構成の起源と変容を検証しています。本論文で採用されているアフリカ東部の時代区分は、50000年前頃~最近までの後期石器時代(LSA)、5000~1200年前頃の牧畜新石器時代(PN)、2500年前頃~最近までの鉄器時代(IA)、1200年前頃以降の牧畜鉄器時代(PIA)です。本論文は、LSAの3人、早期牧畜時代およびPNの31人、IAの1人、PIAの6人という計41人のミトコンドリアDNA(mtDNA)と核DNAを解析し、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)DNAを決定しました。また、のうち35人には直接的な放射性炭素年代測定法が適用されました。これらのデータは、既知の古代アフリカ人と現代のアフリカおよび中東の人類集団と比較されました。

 アジア南西部起源の家畜ヒツジ・ヤギ・ウシは、アフリカ北東部に8000年前頃に初めて導入され、アフリカ東部への導入は5000年前頃に始まり、アフリカ南端には2000年前頃までに到達しました。牧畜がアフリカ東部にどのように拡散したのか、不明なところが多分に残されています。家畜の出現はエチオピア北部とジブチでは比較的遅く、4500~4000年前頃となります。サハラ砂漠以南のアフリカで確認されている最初の家畜はトゥルカナ湖近くのPNで、漁撈と牧畜が行なわれ、精巧な記念碑的墓地が建設されました。家畜はトゥルカナ盆地で急速に拡大しましたが、さらに南方への拡大は緩やかで、4200年前頃以降にPNの家畜や土器がケニアの南中央地溝帯へと少しずつ流入し始めました。

 しかし、3300年前頃までは、牧畜はケニアとタンザニア北部へは拡大しませんでした。アフリカ東部においては、LSA採集民と牧畜民との共存が長く続いていきます。ケニアとタンザニアでは牧畜新石器時代(3300~1200年前頃)には、家畜に大きく依存した多様な牧畜社会が発展し、牧畜は地域の経済・社会・自然景観を変えました。PNには、大別するとエルメンテイタン(Elmenteitan)とサバンナ牧畜新石器(SPN)という二つの集団が共存しており、SPNはエルメンテイタン(El)より広範な地域で確認されます。SPNの文化は多様なので、複数の集団を内包している可能性も指摘されています。

 こうしたPNにおける牧畜民と採集民の関係、さらにはもっと後のIAの農耕民との関係については、不明な点が少なくありません。アフリカ東部の鉄器は最初にヴィクトリア湖を経由して流入し、2000年前頃までにアフリカ東部沿岸に到達しました。しかし、鉄器が牧畜民の間に広く定着したと確認されているのは1200年前頃以降です。こうした採集民・牧畜民・農耕民の混合によりアフリカ東部集団は形成されていき、現在の多様な遺伝・言語(文化)的状況が見られるようになりました。本論文は、古代DNA解析からのデータと既知のデータとを比較し、アフリカ東部における複雑な人類集団の形成過程を検証します。

 LSAの3人は全員、既知の古代採集民と近縁で、おそらくは更新世からの在来集団と推測されます。一方、PNとIAの牧畜民には、異なる遺伝的系統が見られます。本論文は、アフリカ東部集団の形成を、3系統の混合としてモデル化しています。その3系統とは、アフリカ北東部早期牧畜民系統(EN)、アフリカ東部採集民系統、アフリカ西部系統です。ENは、スーダン系統のEN1とアフリカおよびレヴァント系統のEN2に区分されます。アフリカ東部における大まかな人類集団の形成過程は次の通りです。まず、アフリカ北東部に8000年前頃以降に牧畜が導入されてEN1とEN2が形成されていきます。5000~4000年前頃、EN1とEN2の混合した早期アフリカ北東部牧畜民(ENP)がアフリカ東部に拡散してきますが、牧畜民が採集民を置換したわけではなく、両者は共存を続けます。この牧畜民の拡大は、アフリカの気候が乾燥化していくなか、信頼性の高い水源としてより重要になったナイル川沿いの南下だったと推測されます。PNではYHg-E1b1b1b2b2a1が高頻度で見られ、アフリカ北東部および東部における牧畜民の拡大との関連が推測されます。mtHgは、EN1、EN2、アフリカ北部およびユーラシア西部と密接に関連するタイプを含む、モザイク状を形成します。

 鉄器がアフリカ東部に流入したのは2500年前頃以降で、最初はヴィクトリア湖経由だったと推測されています。この頃に鉄器とともにアフリカ東部に拡散してきたのは、アフリカ西部起源のバンツー語族農耕民集団と考えられます。鉄器時代以降アフリカ東部では、アフリカ西部系統と在来の採集民および牧畜民系統との混合集団が形成されていき、アフリカ西部系統の遺伝的影響の強い集団も出現します。これはゲノム規模でもYHgでも見られるようになります。一方、アフリカ東部で鉄器が牧畜民の間に広く定着したのは1200年前頃以降で、アフリカ西部系統の遺伝的影響の弱い牧畜民集団も存続しました。アフリカ東部におけるこうした各人類集団の変遷を文章にまとめるのは私の見識では困難なので、以下に本論文の図3を掲載します。
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 本論文は、アフリカ東部における乳糖耐性の定着も検証しています。アフリカ東部の3000~1000年前頃の牧畜民はほとんどが乳糖不耐性で、最近になって乳糖耐性関連遺伝子多様体の頻度が高くなった、と推測されます。その意味で、タンザニアのギジマンゲダ洞窟(Gishimangeda Cave)で発見された、2150~2020年前頃の男性で乳糖耐性関連遺伝子多様体が確認されたのは注目されます。あるいは、この男性はアフリカ東部の乳糖耐性関連遺伝子多様体が出現した個体と年代・地理的に近く、アフリカ東部でもまずはこの地域で乳糖耐性関連遺伝子多様体は定着していったのかもしれません。乳糖不耐性でも、発酵技術などにより効率的に乳製品から栄養を摂取でき、たとえばモンゴルでは、乳糖耐性関連遺伝子多様体は牧畜の始まった頃には確認されておらず、現代でも稀です(関連記事)。乳糖分解は腸内細菌叢とも関連しており、乳糖耐性関連遺伝子多様体に依拠せずとも、人類は乳製品を効率的に消化できます。これも人類の柔軟性の一例と言えそうです。


参考文献:
Prendergast ME. et al.(2019): Ancient DNA reveals a multistep spread of the first herders into sub-Saharan Africa. Science, 365, 6448, eaaw6275.
https://doi.org/10.1126/science.aaw6275

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