日本列島の言語
日本語起源論など日本列島の主要な言語の起源論・形成論についての勉強はまったく進んでいないのですが、当ブログの関連記事を一度整理しておきます。日本列島の主要な言語としては、日本語・琉球語・アイヌ語があります。過去にはこれらと大きく異なる系統の話者数の多い言語が存在した可能性もありますが、今となってはほぼ検証不可能です。このうち、日本語と琉球語は同系統で、これらを同系統の別言語あるいは方言のどちらの関係にあると考えるかは、かなりのところ政治的判断に依拠していると言えるでしょう。今回は、どちらが妥当なのか、判断を保留します。アイヌ語は、これら2言語とは大きく異なる系統です。
琉球語は、おそらく紀元後11~12世紀に始まるグスク時代に九州から渡来してきた集団によりもたらされた日本語と、それ以前の日本語とは大きく異なる系統の言語との融合により形成されたのではないか、と考えられます(関連記事)。日本語の起源について大別すると、縄文時代に祖語があり、漢字文化圏の影響を受けつつ形成されてきた、とする見解と、弥生時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した人々の言語が祖語になっている、とする見解があるように思います。日本語系統(日本語および琉球語)は「系統不明」とされています。日本語系統と近縁な言語はかつてユーラシア東部に少なからず存在したかもしれませんが、それらが絶滅してしまったため、日本語は「系統不明」とされているのでしょう(関連記事)。これは、同じく「系統不明」とされているアイヌ語にも当てはまるのでしょう。
日本語の起源・形成論は、アイヌ語との関連で考えるのがよさそうです。日本語祖語がすでに縄文時代より日本列島に存在したとすると、日本語とは別系統のアイヌ語はどこに起源があるのか、という問題が生じます。日本語祖語を縄文時代の日本列島中間部(九州・四国・本州)集団に求める見解では、アイヌ語はサハリン経由で北海道へ流入した細石刃文化集団に起源がある、と想定されています(関連記事)。アイヌ文化の母胎は、南下してきたシベリア系北方文化と、日本列島中間部を経て北上してきた縄文文化との融合にある、というわけです。
縄文文化は北海道全域に広がったわけではありませんが、おおむね北海道から九州まで分布し、「縄文人」の形態に関しては、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代では早期から晩期前半まで、ほとんど同一とされています(関連記事)。そのため、「縄文人」は比較的孤立した集団と考えられていますが、北海道では、たとえば九州と比較して地域内の差異が比較的大きい、とも指摘されています(関連記事)。
これが「縄文人」の地域差の要因だとすると、同じく「縄文人」とまとめられているとはいっても、東北の北部および北海道とそれ以南とでは、言語が大きく異なっていた可能性も考えられます。そうすると、日本語もアイヌ語も縄文時代の日本列島の集団の言語に起源がある、と想定できます。一方、日本語は縄文時代の日本列島の集団の言語に起源があり、アイヌ語はオホーツク文化集団に起源がある可能性も考えられます。現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は高く見積もっても30%程度かもしれませんが(関連記事)、仮に現代というか飛鳥時代以降の日本列島の住民に最も大きな遺伝的影響を残しているのが、弥生時代~古墳時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した集団だとしても、「縄文人」の言語が基本的に継承された可能性はじゅうぶん想定できると思います(関連記事)。
『三国志』からは、日本語祖語が3世紀前半までに少なくとも西日本で話されていた可能性は高いように思います。したがって、日本語祖語が「縄文人」に由来しないのだとすれば、弥生時代にユーラシア東部から日本列島へと農耕をもたらした集団に起源があると考えられます。この場合、アイヌ語系の地名の南限が東北地方であることから、「縄文人」が広範にアイヌ語祖語を話していたというよりは、「縄文人」の言語は地域により大きな違いがあったか、アイヌ語祖語とも日本語祖語とも異なる系統の言語だった可能性が高そうです。
もう一つ別の可能性として考えられるのは、弥生時代に先駆けて縄文時代後期~晩期に、ユーラシア東部から日本列島に渡来してきた「海の民」もしくは園耕民が、日本語祖語を日本列島にもたらした、という想定です(関連記事)。この「海の民」もしくは園耕民は、弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団と遺伝的に近い、と推測されています。日本語の起源が解明される可能性は低そうですが、考古学と遺伝学の研究の進展により、今よりも精度の高い推測が可能になるのではないか、と期待されます。
琉球語は、おそらく紀元後11~12世紀に始まるグスク時代に九州から渡来してきた集団によりもたらされた日本語と、それ以前の日本語とは大きく異なる系統の言語との融合により形成されたのではないか、と考えられます(関連記事)。日本語の起源について大別すると、縄文時代に祖語があり、漢字文化圏の影響を受けつつ形成されてきた、とする見解と、弥生時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した人々の言語が祖語になっている、とする見解があるように思います。日本語系統(日本語および琉球語)は「系統不明」とされています。日本語系統と近縁な言語はかつてユーラシア東部に少なからず存在したかもしれませんが、それらが絶滅してしまったため、日本語は「系統不明」とされているのでしょう(関連記事)。これは、同じく「系統不明」とされているアイヌ語にも当てはまるのでしょう。
日本語の起源・形成論は、アイヌ語との関連で考えるのがよさそうです。日本語祖語がすでに縄文時代より日本列島に存在したとすると、日本語とは別系統のアイヌ語はどこに起源があるのか、という問題が生じます。日本語祖語を縄文時代の日本列島中間部(九州・四国・本州)集団に求める見解では、アイヌ語はサハリン経由で北海道へ流入した細石刃文化集団に起源がある、と想定されています(関連記事)。アイヌ文化の母胎は、南下してきたシベリア系北方文化と、日本列島中間部を経て北上してきた縄文文化との融合にある、というわけです。
縄文文化は北海道全域に広がったわけではありませんが、おおむね北海道から九州まで分布し、「縄文人」の形態に関しては、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代では早期から晩期前半まで、ほとんど同一とされています(関連記事)。そのため、「縄文人」は比較的孤立した集団と考えられていますが、北海道では、たとえば九州と比較して地域内の差異が比較的大きい、とも指摘されています(関連記事)。
これが「縄文人」の地域差の要因だとすると、同じく「縄文人」とまとめられているとはいっても、東北の北部および北海道とそれ以南とでは、言語が大きく異なっていた可能性も考えられます。そうすると、日本語もアイヌ語も縄文時代の日本列島の集団の言語に起源がある、と想定できます。一方、日本語は縄文時代の日本列島の集団の言語に起源があり、アイヌ語はオホーツク文化集団に起源がある可能性も考えられます。現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は高く見積もっても30%程度かもしれませんが(関連記事)、仮に現代というか飛鳥時代以降の日本列島の住民に最も大きな遺伝的影響を残しているのが、弥生時代~古墳時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した集団だとしても、「縄文人」の言語が基本的に継承された可能性はじゅうぶん想定できると思います(関連記事)。
『三国志』からは、日本語祖語が3世紀前半までに少なくとも西日本で話されていた可能性は高いように思います。したがって、日本語祖語が「縄文人」に由来しないのだとすれば、弥生時代にユーラシア東部から日本列島へと農耕をもたらした集団に起源があると考えられます。この場合、アイヌ語系の地名の南限が東北地方であることから、「縄文人」が広範にアイヌ語祖語を話していたというよりは、「縄文人」の言語は地域により大きな違いがあったか、アイヌ語祖語とも日本語祖語とも異なる系統の言語だった可能性が高そうです。
もう一つ別の可能性として考えられるのは、弥生時代に先駆けて縄文時代後期~晩期に、ユーラシア東部から日本列島に渡来してきた「海の民」もしくは園耕民が、日本語祖語を日本列島にもたらした、という想定です(関連記事)。この「海の民」もしくは園耕民は、弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団と遺伝的に近い、と推測されています。日本語の起源が解明される可能性は低そうですが、考古学と遺伝学の研究の進展により、今よりも精度の高い推測が可能になるのではないか、と期待されます。
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