Y染色体DNAハプログループDの起源
Y染色体DNAハプログループ(YHg)Dの起源に関する研究(Haber et al., 2019B)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ゲノム規模データ(関連記事)からも、単系統(母系および父系)のミトコンドリアDNA(mtDNA)およびY染色体DNA(関連記事)からも、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団の出アフリカは7万~5万年前頃の1回だった、と推測されており、mtDNAハプログループ(mtHg)とY染色体DNAハプログループ(YHg)の分岐年代や移動について詳しく検証され続けています。
しかし、Y染色体DNAハプログループ(YHg)に関しては、現在の分布が単純な系統地理的モデルと合致していないため、長く議論が続いてきました。非アフリカ系現代人のYHgはCT系統ですが、短期間のうちにC・DE・FTの各系統に分岐していった、と推測されています。YHg-DE系統はその後すぐに、D系統とE系統に分岐していきます。YHg-C・D・FTの各系統は基本的に非アフリカ系現代人に見られますが、E系統はおもにアフリカに分布しているため、これらの系統がいつどこで分岐したのか、確定したとは言えない状況です。
これまで、YHg-DE系統の分岐に関して、大別するとアジア起源説とアフリカ起源説が提示されてきました。アジア起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がD系統とE系統に分岐し、E系統がアフリカに「戻った」と想定されます。アフリカ起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がC・FT系統が分岐した後でアフリカに「戻って」D系統とE系統に分岐し、その後でD系統がアフリカからユーラシアに拡散した、と想定されます。アフリカ・ユーラシア間の系統移動が、アジア起源説では2回、アフリカ起源説では3回となるため、アジア起源説の方がより節約的と考えられてきました。
YHg-DE系統の分岐に関する問題は、DE系統に分類されるものの、DにもEにも分類されない稀なハプログループDE*の存在により、さらに複雑になりました。YHg-DE*の存在はまずナイジェリアの5人で確認され、その後アフリカ西部のギニアビサウ出身者1人と、ユーラシア東部のチベット人2人で確認されました。本論文は、以前報告されたナイジェリアのDE*系統の5人を改めて分析するとともに、YHg-Dのチベット人4人も含めて世界規模のデータと比較しました。ナイジェリアの5人のうち、2組は重複の可能性が高いと推定されたため、3人が分析対象とされました。
Y染色体DNA配列に基づく系統樹はすべて一貫した構造を示し、ナイジェリア人のYHg-DE*系統はD系統とE系統の分岐に近い系統を形成します。ナイジェリア人のYHg-DE*系統と他の系統との一塩基多型の共有は、D系統で7ヶ所、E・C1b2a・F2の各系統でそれぞれ1ヶ所となります。本論文は、単一の一塩基多型の共有を反復変異とみなし、ナイジェリア人のYHg-DE*系統を、じゅうらいのYHgの名称を変更せずにすむように、D0系統と命名しています。
本論文はYHg各系統間の分岐年代を、B系統とCT系統は101100年前頃、CおよびFT系統とDE系統は76500年前頃、D系統とE系統は73200年前頃、D0系統と他のD系統は71400年前頃と推定しています。D系統とE系統の分岐後すぐに、D0系統と他のD系統が分岐したことになります。D0系統はさらに3系統に区分され、2500年前頃と1900年前頃に分岐します。D0系統は常染色体ゲノムの分析から、祖先がアフリカ西部系と確認されています。YHg-DE系統は、アフリカ系のD0とE、非アフリカ系のDに区分されます。本論文は、YHg-DE系統がどこで分岐し、どのように移動していったのか、3通りの仮説を検証しています。
(1)B系統とCT系統が分岐した101000年前頃~CおよびFT系統とDE系統が分岐した77000年前頃までは、非アフリカ系現代人系統にはCT系統しか存在していないことから、CT系統がアフリカからユーラシアに拡散し、D0系統とE系統がD0系統の起源の71000年前頃~E系統のアフリカでの分岐が始まる59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。この仮説でも以下の2仮説でも、E1b1b1系統が47000~28500年前頃にアフリカからユーラシアへ拡散した、と推測されています。
(2)C系統とFT系統の分岐した76000年前頃~D系統とE系統の分岐した73000年前頃の間に、C・DE・FTの3系統がアフリカからユーラシアへ拡散し、その後で(1)と同様にD0系統とE系統が71000年前頃~59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。
(3)D0系統の起源の71000年前頃~FT系統の分岐が始まる57000年前頃には、C・D0・その他のD・E・FTの5系統が存在し、このうちE・D0以外のC・D・FTがこの期間にアフリカからユーラシアへ拡散したと推測するもので、この場合、ユーラシアからアフリカへの「逆流」を想定する必要はありません。
本論文のYHg-D0系統はナイジェリアの3人のY染色体DNAに基づいています。推定年代は、前提となる変異率の違いにより異なってくるため、確定的ではありません。しかし、西シベリアの45000年前頃の現生人類遺骸(関連記事)など、DNAが解析されている個体を参照すると、より年代を絞り込めます。非アフリカ系現代人は全員、ゲノムにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域を2%ほど有しています。ネアンデルタール人と現生人類の交雑が複数回起きたとしても(関連記事)、非アフリカ系現代人のゲノムに存在するネアンデルタール人由来の領域の大半は、非アフリカ系現代人がアフリカからユーラシアへ拡散してから各地域集団に分岐していく前まで間の(1回の)交雑に由来する、と考えられます。
この交雑の時期について、本論文は59400~49900年前頃とする見解(関連記事)を採用していますが、54000~49000年前頃まで限定する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、この現生人類とネアンデルタール人との交雑の推定年代から、上記のシナリオでは(3)を支持しています。mtDNAの分析におけるアフリカ系統から非アフリカ系統の推定分岐年代は、古代DNAも対象とすると95000~62000年前頃、現代人を対象とすると65000~57000年前頃となり、(3)と一致する、と本論文は指摘します。
アフリカにおける現代のYHgの分布は、過去1万年のバンツー語族集団の拡大やユーラシアからアフリカへの遺伝子流動(関連記事)の結果、大きく変わりました。現在、YHgで最古の分岐系統が見られるのはアフリカ西部で(関連記事)、常染色体ではアフリカ南部の狩猟採集民集団において最古の分岐が推定されていること(関連記事)とは対照的です。これは、アフリカにおける現生人類の深い分岐(関連記事)を示唆しているのではないか、と本論文は指摘しています。
アフリカにおけるYHgの分布に関しては、10万~5万年前頃のアフリカ人の古代DNA解析には成功しておらず、今後も期待薄であることを考慮すると、アフリカ中央部および西部の現代人のYHgのさらなる研究が重要になる、と本論文は指摘します。本論文は、アフリカ内におけるDE系統の起源と、その後のC・D・FT系統のアフリカからユーラシへの拡散という仮説を支持します。現代日本人もYHg-Dの割合は高く、その起源について議論があるので(関連記事)、その意味でも注目される研究です。
参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1421-1428.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368
しかし、Y染色体DNAハプログループ(YHg)に関しては、現在の分布が単純な系統地理的モデルと合致していないため、長く議論が続いてきました。非アフリカ系現代人のYHgはCT系統ですが、短期間のうちにC・DE・FTの各系統に分岐していった、と推測されています。YHg-DE系統はその後すぐに、D系統とE系統に分岐していきます。YHg-C・D・FTの各系統は基本的に非アフリカ系現代人に見られますが、E系統はおもにアフリカに分布しているため、これらの系統がいつどこで分岐したのか、確定したとは言えない状況です。
これまで、YHg-DE系統の分岐に関して、大別するとアジア起源説とアフリカ起源説が提示されてきました。アジア起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がD系統とE系統に分岐し、E系統がアフリカに「戻った」と想定されます。アフリカ起源説では、YHg-CT系統の出アフリカ後、DE系統がC・FT系統が分岐した後でアフリカに「戻って」D系統とE系統に分岐し、その後でD系統がアフリカからユーラシアに拡散した、と想定されます。アフリカ・ユーラシア間の系統移動が、アジア起源説では2回、アフリカ起源説では3回となるため、アジア起源説の方がより節約的と考えられてきました。
YHg-DE系統の分岐に関する問題は、DE系統に分類されるものの、DにもEにも分類されない稀なハプログループDE*の存在により、さらに複雑になりました。YHg-DE*の存在はまずナイジェリアの5人で確認され、その後アフリカ西部のギニアビサウ出身者1人と、ユーラシア東部のチベット人2人で確認されました。本論文は、以前報告されたナイジェリアのDE*系統の5人を改めて分析するとともに、YHg-Dのチベット人4人も含めて世界規模のデータと比較しました。ナイジェリアの5人のうち、2組は重複の可能性が高いと推定されたため、3人が分析対象とされました。
Y染色体DNA配列に基づく系統樹はすべて一貫した構造を示し、ナイジェリア人のYHg-DE*系統はD系統とE系統の分岐に近い系統を形成します。ナイジェリア人のYHg-DE*系統と他の系統との一塩基多型の共有は、D系統で7ヶ所、E・C1b2a・F2の各系統でそれぞれ1ヶ所となります。本論文は、単一の一塩基多型の共有を反復変異とみなし、ナイジェリア人のYHg-DE*系統を、じゅうらいのYHgの名称を変更せずにすむように、D0系統と命名しています。
本論文はYHg各系統間の分岐年代を、B系統とCT系統は101100年前頃、CおよびFT系統とDE系統は76500年前頃、D系統とE系統は73200年前頃、D0系統と他のD系統は71400年前頃と推定しています。D系統とE系統の分岐後すぐに、D0系統と他のD系統が分岐したことになります。D0系統はさらに3系統に区分され、2500年前頃と1900年前頃に分岐します。D0系統は常染色体ゲノムの分析から、祖先がアフリカ西部系と確認されています。YHg-DE系統は、アフリカ系のD0とE、非アフリカ系のDに区分されます。本論文は、YHg-DE系統がどこで分岐し、どのように移動していったのか、3通りの仮説を検証しています。
(1)B系統とCT系統が分岐した101000年前頃~CおよびFT系統とDE系統が分岐した77000年前頃までは、非アフリカ系現代人系統にはCT系統しか存在していないことから、CT系統がアフリカからユーラシアに拡散し、D0系統とE系統がD0系統の起源の71000年前頃~E系統のアフリカでの分岐が始まる59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。この仮説でも以下の2仮説でも、E1b1b1系統が47000~28500年前頃にアフリカからユーラシアへ拡散した、と推測されています。
(2)C系統とFT系統の分岐した76000年前頃~D系統とE系統の分岐した73000年前頃の間に、C・DE・FTの3系統がアフリカからユーラシアへ拡散し、その後で(1)と同様にD0系統とE系統が71000年前頃~59000年前頃にアフリカに「戻った」と推測されます。
(3)D0系統の起源の71000年前頃~FT系統の分岐が始まる57000年前頃には、C・D0・その他のD・E・FTの5系統が存在し、このうちE・D0以外のC・D・FTがこの期間にアフリカからユーラシアへ拡散したと推測するもので、この場合、ユーラシアからアフリカへの「逆流」を想定する必要はありません。
本論文のYHg-D0系統はナイジェリアの3人のY染色体DNAに基づいています。推定年代は、前提となる変異率の違いにより異なってくるため、確定的ではありません。しかし、西シベリアの45000年前頃の現生人類遺骸(関連記事)など、DNAが解析されている個体を参照すると、より年代を絞り込めます。非アフリカ系現代人は全員、ゲノムにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来の領域を2%ほど有しています。ネアンデルタール人と現生人類の交雑が複数回起きたとしても(関連記事)、非アフリカ系現代人のゲノムに存在するネアンデルタール人由来の領域の大半は、非アフリカ系現代人がアフリカからユーラシアへ拡散してから各地域集団に分岐していく前まで間の(1回の)交雑に由来する、と考えられます。
この交雑の時期について、本論文は59400~49900年前頃とする見解(関連記事)を採用していますが、54000~49000年前頃まで限定する見解も提示されています(関連記事)。本論文は、この現生人類とネアンデルタール人との交雑の推定年代から、上記のシナリオでは(3)を支持しています。mtDNAの分析におけるアフリカ系統から非アフリカ系統の推定分岐年代は、古代DNAも対象とすると95000~62000年前頃、現代人を対象とすると65000~57000年前頃となり、(3)と一致する、と本論文は指摘します。
アフリカにおける現代のYHgの分布は、過去1万年のバンツー語族集団の拡大やユーラシアからアフリカへの遺伝子流動(関連記事)の結果、大きく変わりました。現在、YHgで最古の分岐系統が見られるのはアフリカ西部で(関連記事)、常染色体ではアフリカ南部の狩猟採集民集団において最古の分岐が推定されていること(関連記事)とは対照的です。これは、アフリカにおける現生人類の深い分岐(関連記事)を示唆しているのではないか、と本論文は指摘しています。
アフリカにおけるYHgの分布に関しては、10万~5万年前頃のアフリカ人の古代DNA解析には成功しておらず、今後も期待薄であることを考慮すると、アフリカ中央部および西部の現代人のYHgのさらなる研究が重要になる、と本論文は指摘します。本論文は、アフリカ内におけるDE系統の起源と、その後のC・D・FT系統のアフリカからユーラシへの拡散という仮説を支持します。現代日本人もYHg-Dの割合は高く、その起源について議論があるので(関連記事)、その意味でも注目される研究です。
参考文献:
Haber M. et al.(2019B): A Rare Deep-Rooting D0 African Y-Chromosomal Haplogroup and Its Implications for the Expansion of Modern Humans out of Africa. Genetics, 212, 4, 1421-1428.
https://doi.org/10.1534/genetics.119.302368
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