ポーランド中央部における新石器時代~前期青銅器時代の人類史
取り上げるのが遅れてしまいましたが、ポーランド中央部における新石器時代~前期青銅器時代の人類集団の遺伝的構成の変容に関する研究(Fernandes et al., 2018)が公表されました。ヨーロッパ系現代人は遺伝的に、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代~青銅器時代にかけてポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきた遊牧民の混合により形成されました。ヨーロッパの新石器時代の農耕民集団は、在来の狩猟採集民集団と混合していきましたが(関連記事)、その進展は地域により異なります(関連記事)。
本論文は、ポーランド中央部北方のクヤヴィア(Kuyavia)地域の、紀元前4300~紀元前1900年頃となる中期新石器時代から早期青銅器時代の17人のゲノム規模データを分析しました。クヤヴィア地域の考古学的な時代区分は、紀元前5400~紀元前5000年頃の線形陶器文化(Linear Pottery Culture、LBK)、紀元前4700~紀元前4000年頃となるレンジェル文化(Lengyel Culture)、紀元前3800~紀元前3000年頃の漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、TRB)、紀元前3000~紀元前2300年頃の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、GAC)、紀元前2700~紀元前2200年頃の縄目文土器文化(Corded Ware Culture、CWC)、紀元前2500~紀元前1900年頃の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)となり、一部が共存しています。レンジェル文化で本論文においてゲノム解析の対象となったのは、ブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、BKG)です。平均網羅率は0.71~2.50倍です。
BKGは遺伝的にはおおむねヨーロッパの中期新石器時代農耕民集団と類似していますが、N22とN42の2人は例外です。N22はヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)ときわめて近縁で、N42は前期~中期新石器時代農耕民集団とWHG系統の中間に位置します。クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成でまず注目されるのは、BKGからGACにかけて、WHG系統要素が増加していることです。これは、在来の狩猟採集民との混合によるものと推測されます。紀元前4300年頃のN42個体はほぼWHG系統なので、クヤヴィア地域においては、紀元前5400年頃のLBK農耕民の到着から少なくとも紀元前4300年頃までの1000年以上、外来の農耕民集団とほとんど混合しなかった狩猟採集民集団が存在し、両者は共存していた、と推測されます。こうしたWHG系統の増加(復活)傾向はドイツ中央部のTRB集団でも見られますが、本論文は、クヤヴィア地域ではそれ以前のBKGで見られることから、農耕民集団と狩猟採集民集団との混合はLBKの後に起きたのではないか、と推測しています。これに関して本論文は、クヤヴィア地域だけではなくヨーロッパ中央部でこの時期に一般的に見られる、人口減少との関連を指摘しています。農耕民集団にとって、狩猟採集民との密接な接触はLBK後の集団存続の鍵となったのではないか、というわけです。
BKG・TRB・GAC集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)には、ヨーロッパの新石器時代農耕民によく見られるN1a・T2・J・K・Vが含まれており、ゲノム規模データと一致します。なお、N22はU5a、N42はU5bです。新石器時代の個体群でY染色体DNAハプログループ(YHg)が解析された3人はI2a2aに分類されています。本論文は、BKGにおけるmtHg- U5とYHg- Iが中石器時代のヨーロッパ起源であることから、クヤヴィア地域では更新世の狩猟採集民集団が母系でも父系でも新石器時代農耕民社会で存続しており、類似の事例はカルパチア盆地やバルカンでも報告されている、と指摘しています。
クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成が大きく変わるのは後期新石器時代で、CWC集団において、ポントス-カスピ海草原系統(草原地帯系統)の遺伝的影響が強く見られます。これは、青銅器時代の1個体のYHgがR1aであることとも一致します。一方、CWCとかなり年代の重なるGACには、草原地帯系統が見られません。またGACでは、それ以前の集団よりもWHG系統の割合が増加しています。草原地帯系統の欠如と高いWHG系統の割合という特徴は、クヤヴィア地域だけではなく、ポーランドのキエシュコボ(Kierzkowo)の5人とウクライナのイラーツカ(Ilatka)の3人でも確認されています。ただ、これらはGACの早期集団なので、後期GAC集団には草原地帯系統が存在したかもしれない、と本論文は指摘しています。クヤヴィア地域のCWC集団に関して本論文が注目しているのは、既知のCWC集団よりもWHG系統の割合が高いことです。これは、上述のように、クヤヴィア地域では少なくとも紀元前4300年頃まで、アナトリア半島起源の農耕民集団と混合しなかった狩猟採集民集団が存在したことと関連しているのではないか、と本論文は推測しています。それは、CWCと侵入してきた草原地帯文化集団との相互作用は複雑で、地域により異なっていた、との考古学的知見と一致している、と本論文は指摘しています。また、本論文刊行後の研究では、GAC集団とCWC集団との激しい争いを想定する見解も提示されています(関連記事)。
ヨーロッパ系現代人の形成過程は、上述のように大まかには、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代~青銅器時代にかけてヨーロッパに拡散してきた草原地帯遊牧民の混合と把握されます。しかし、その融合時期や混合の比率が各地域により異なっていたことは、本論文でも改めて示されたと思います。古代DNA研究の進展は著しいのですが、近代以降の知の中心・基準となり遺跡の発掘・研究が進んでいることと、DNAの保存に比較的好条件の環境であることから、ヨーロッパが中心となっています。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究が進展していることを思い知らされました。日本列島も含むユーラシア東部圏の古代DNA研究が、ヨーロッパも含むユーラシア西部と比較して大きく遅れていることは否定できませんが、日本人である私としては、今後少しでもヨーロッパとの差が縮まってほしい、と希望しています。
参考文献:
Fernandes DM et al.(2018): A genomic Neolithic time transect of hunter-farmer admixture in central Poland. Scientific Reports, 8, 14879.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33067-w
本論文は、ポーランド中央部北方のクヤヴィア(Kuyavia)地域の、紀元前4300~紀元前1900年頃となる中期新石器時代から早期青銅器時代の17人のゲノム規模データを分析しました。クヤヴィア地域の考古学的な時代区分は、紀元前5400~紀元前5000年頃の線形陶器文化(Linear Pottery Culture、LBK)、紀元前4700~紀元前4000年頃となるレンジェル文化(Lengyel Culture)、紀元前3800~紀元前3000年頃の漏斗状ビーカー文化(Funnel Beaker Culture、TRB)、紀元前3000~紀元前2300年頃の球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、GAC)、紀元前2700~紀元前2200年頃の縄目文土器文化(Corded Ware Culture、CWC)、紀元前2500~紀元前1900年頃の鐘状ビーカー文化(Bell Beaker Culture、BBC)となり、一部が共存しています。レンジェル文化で本論文においてゲノム解析の対象となったのは、ブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、BKG)です。平均網羅率は0.71~2.50倍です。
BKGは遺伝的にはおおむねヨーロッパの中期新石器時代農耕民集団と類似していますが、N22とN42の2人は例外です。N22はヨーロッパ西部狩猟採集民集団(WHG)ときわめて近縁で、N42は前期~中期新石器時代農耕民集団とWHG系統の中間に位置します。クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成でまず注目されるのは、BKGからGACにかけて、WHG系統要素が増加していることです。これは、在来の狩猟採集民との混合によるものと推測されます。紀元前4300年頃のN42個体はほぼWHG系統なので、クヤヴィア地域においては、紀元前5400年頃のLBK農耕民の到着から少なくとも紀元前4300年頃までの1000年以上、外来の農耕民集団とほとんど混合しなかった狩猟採集民集団が存在し、両者は共存していた、と推測されます。こうしたWHG系統の増加(復活)傾向はドイツ中央部のTRB集団でも見られますが、本論文は、クヤヴィア地域ではそれ以前のBKGで見られることから、農耕民集団と狩猟採集民集団との混合はLBKの後に起きたのではないか、と推測しています。これに関して本論文は、クヤヴィア地域だけではなくヨーロッパ中央部でこの時期に一般的に見られる、人口減少との関連を指摘しています。農耕民集団にとって、狩猟採集民との密接な接触はLBK後の集団存続の鍵となったのではないか、というわけです。
BKG・TRB・GAC集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)には、ヨーロッパの新石器時代農耕民によく見られるN1a・T2・J・K・Vが含まれており、ゲノム規模データと一致します。なお、N22はU5a、N42はU5bです。新石器時代の個体群でY染色体DNAハプログループ(YHg)が解析された3人はI2a2aに分類されています。本論文は、BKGにおけるmtHg- U5とYHg- Iが中石器時代のヨーロッパ起源であることから、クヤヴィア地域では更新世の狩猟採集民集団が母系でも父系でも新石器時代農耕民社会で存続しており、類似の事例はカルパチア盆地やバルカンでも報告されている、と指摘しています。
クヤヴィア地域の人類集団の遺伝的構成が大きく変わるのは後期新石器時代で、CWC集団において、ポントス-カスピ海草原系統(草原地帯系統)の遺伝的影響が強く見られます。これは、青銅器時代の1個体のYHgがR1aであることとも一致します。一方、CWCとかなり年代の重なるGACには、草原地帯系統が見られません。またGACでは、それ以前の集団よりもWHG系統の割合が増加しています。草原地帯系統の欠如と高いWHG系統の割合という特徴は、クヤヴィア地域だけではなく、ポーランドのキエシュコボ(Kierzkowo)の5人とウクライナのイラーツカ(Ilatka)の3人でも確認されています。ただ、これらはGACの早期集団なので、後期GAC集団には草原地帯系統が存在したかもしれない、と本論文は指摘しています。クヤヴィア地域のCWC集団に関して本論文が注目しているのは、既知のCWC集団よりもWHG系統の割合が高いことです。これは、上述のように、クヤヴィア地域では少なくとも紀元前4300年頃まで、アナトリア半島起源の農耕民集団と混合しなかった狩猟採集民集団が存在したことと関連しているのではないか、と本論文は推測しています。それは、CWCと侵入してきた草原地帯文化集団との相互作用は複雑で、地域により異なっていた、との考古学的知見と一致している、と本論文は指摘しています。また、本論文刊行後の研究では、GAC集団とCWC集団との激しい争いを想定する見解も提示されています(関連記事)。
ヨーロッパ系現代人の形成過程は、上述のように大まかには、更新世の狩猟採集民、新石器時代にアナトリア半島からヨーロッパに到来した農耕民、後期新石器時代~青銅器時代にかけてヨーロッパに拡散してきた草原地帯遊牧民の混合と把握されます。しかし、その融合時期や混合の比率が各地域により異なっていたことは、本論文でも改めて示されたと思います。古代DNA研究の進展は著しいのですが、近代以降の知の中心・基準となり遺跡の発掘・研究が進んでいることと、DNAの保存に比較的好条件の環境であることから、ヨーロッパが中心となっています。本論文を読んで改めて、ヨーロッパにおける古代DNA研究が進展していることを思い知らされました。日本列島も含むユーラシア東部圏の古代DNA研究が、ヨーロッパも含むユーラシア西部と比較して大きく遅れていることは否定できませんが、日本人である私としては、今後少しでもヨーロッパとの差が縮まってほしい、と希望しています。
参考文献:
Fernandes DM et al.(2018): A genomic Neolithic time transect of hunter-farmer admixture in central Poland. Scientific Reports, 8, 14879.
https://doi.org/10.1038/s41598-018-33067-w
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