初期現生人類のユーラシア東部への拡散経路
初期現生人類(Homo sapiens)のユーラシア東部への拡散経路に関する研究(Li et al., 2019A)が報道されました。アジア東部では、10万年前頃までさかのぼるとされる現生人類遺骸が、湖南省(関連記事)や広西壮族(チワン族)自治区(関連記事)といった中国南部で発見されています。ただ、これら初期現生人類遺骸については、前者(関連記事)も後者(関連記事)も、その年代には疑問が呈されています。アジア中央部・シベリアのアルタイ地域・中国北部では、10万年前頃の現生人類の存在は確認されていません。一方、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が、16万年前頃にチベット高原東部に存在していた、と確認されています(関連記事)。
上記の10万年前頃の中国南部の現生人類は、かりに年代と分類が妥当だとしても、現代人の直接的な祖先系統もしくはその近縁な系統ではなさそうです。現代人と近縁な系統と確認されているアジア東部で最古の個体は、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)で発見されており、年代は4万年前頃です(関連記事)。もっともこの系統は、現代のユーラシア西部系よりは東部系に近縁であるものの、現代のユーラシア東部系とは早期に分岐した、と推測されています。またモンゴルでは、34000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。
アフリカ起源の現生人類のユーラシア東部への拡散経路としては、おもにヒマラヤ山脈の南方が重視されてきました。近年ではその中でも、インド洋沿岸を東進したとする仮説が注目されているように思います(関連記事)。「縄文人」に関する最近の研究でも、アジア東部で最初の現生人類は南方経路を東進してきた可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。しかし、後期更新世にシベリアに出現する細石刃技術を有した現生人類集団は、北方経路でユーラシアを東進してきたのではないか、と推測されています。これは、現代ではその遺伝的構成が失われてしまったものの、ヨーロッパとシベリア東部の人類集団、さらにはアメリカ大陸先住民集団にも遺伝的影響を残した、シベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された24000年前頃の少年(関連記事)に代表される、古代ユーラシア北部集団です。古代ユーラシア北部集団は、その前にシベリアに広範に拡散していた、ユーラシア西部系と近縁な古代シベリア北部集団から派生した、と推測されます(関連記事)。
このユーラシア北方経路に関しては、アルタイ山脈よりも北のシベリア経路が重視されてきました。それは、アルタイ山脈・天山山脈・ゴビ砂漠・タクラマカン砂漠は一貫して移動の大きな障壁だった、と考えられていたからです。地理情報システム(GIS)モデルに古気候記録と地理的特徴と考古学的データを組み合わせ、シベリア経路以外の経路もあった可能性が高い、と主張します。寒冷な時期には、シベリア経路による東進の可能性が高いものの温暖で湿潤な時期には、アルタイ山脈以南の経路が取られた可能性は高い、というわけです。本論文は、過去の環境の推定から、現代は氷河や砂漠といった移動困難な地域も、かつては氷河や砂漠が縮小し、移動がより容易になった、と指摘します。そもそも、現生人類は砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境に本格的に拡散していったわけで(関連記事)、気候変化により移動がより容易になれば、現代の環境では移動困難と思われる経路を取ったとしても不思議ではないでしょう。
本論文は、ユーラシア北部における現生人類の主要な拡散経路として、(I)アルタイ山脈のすぐ南を通り、東進して祁連山脈の北方を通るアルタイ経路、(II)天山山脈の北方とアルタイ山脈の南方に位置する天山経路、(III)天山山脈の南方を通るタリム経路、(IV)アルタイ山脈の北方となるシベリア南部を通る経路、の4経路を挙げています。IVはじゅうらいの有力説で採用されている経路で、本論文が主張するI~IIIはIVほど考古学的証拠が充実しているわけではなく、その証明は今後の課題となりますが、本論文の見解は妥当性の高いものだと思います。以下に、I~IVの経路が示されている本論文の図2を掲載します。
本論文は、初期現生人類のユーラシア東部への拡散と関連しそうな考古学的痕跡を3区分しています。それは、典型的なルヴァロワ(Levallois)技術を有する中部旧石器時代、ルヴァロワ技術とプリズム技術の組み合わせを有する上部旧石器時代初頭、より体系化された剥片技術とわずかな再加工を有する早期上部旧石器時代です。このうち、上部旧石器時代初頭と早期上部旧石器時代の人工物に関しては、現生人類が担い手である可能性は高そうです。しかし、中部旧石器時代の人工物に関しては、とくに5万年以上前の場合は、他系統の人類の可能性が高いと言えるでしょう。
じっさい、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とデニソワ人はアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で確認されており(関連記事)、上述のようにデニソワ人はチベット高原東部でも確認されています(関連記事)。本論文は、シベリア以南のアジア中央部~東部にかけての経路は、現生人類の拡散だけではなく、他系統の人類との相互作用の観点からも注目される、と指摘しています。ユーラシア東部の更新世人類進化史は、ユーラシア西部と比較すると遅れていると言えるでしょうが、それだけに今後の発展の余地があるとも言えるわけで、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Li F, Vanwezer N, Boivin N, Gao X, Ott F, Petraglia M, et al. (2019A) Heading north: Late Pleistocene environments and human dispersals in central and eastern Asia. PLoS ONE 14(5): e0216433.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216433
上記の10万年前頃の中国南部の現生人類は、かりに年代と分類が妥当だとしても、現代人の直接的な祖先系統もしくはその近縁な系統ではなさそうです。現代人と近縁な系統と確認されているアジア東部で最古の個体は、北京の南西56kmにある田园洞窟(Tianyuan Cave)で発見されており、年代は4万年前頃です(関連記事)。もっともこの系統は、現代のユーラシア西部系よりは東部系に近縁であるものの、現代のユーラシア東部系とは早期に分岐した、と推測されています。またモンゴルでは、34000年前頃の現生人類遺骸が発見されています(関連記事)。
アフリカ起源の現生人類のユーラシア東部への拡散経路としては、おもにヒマラヤ山脈の南方が重視されてきました。近年ではその中でも、インド洋沿岸を東進したとする仮説が注目されているように思います(関連記事)。「縄文人」に関する最近の研究でも、アジア東部で最初の現生人類は南方経路を東進してきた可能性が高い、と指摘されています(関連記事)。しかし、後期更新世にシベリアに出現する細石刃技術を有した現生人類集団は、北方経路でユーラシアを東進してきたのではないか、と推測されています。これは、現代ではその遺伝的構成が失われてしまったものの、ヨーロッパとシベリア東部の人類集団、さらにはアメリカ大陸先住民集団にも遺伝的影響を残した、シベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された24000年前頃の少年(関連記事)に代表される、古代ユーラシア北部集団です。古代ユーラシア北部集団は、その前にシベリアに広範に拡散していた、ユーラシア西部系と近縁な古代シベリア北部集団から派生した、と推測されます(関連記事)。
このユーラシア北方経路に関しては、アルタイ山脈よりも北のシベリア経路が重視されてきました。それは、アルタイ山脈・天山山脈・ゴビ砂漠・タクラマカン砂漠は一貫して移動の大きな障壁だった、と考えられていたからです。地理情報システム(GIS)モデルに古気候記録と地理的特徴と考古学的データを組み合わせ、シベリア経路以外の経路もあった可能性が高い、と主張します。寒冷な時期には、シベリア経路による東進の可能性が高いものの温暖で湿潤な時期には、アルタイ山脈以南の経路が取られた可能性は高い、というわけです。本論文は、過去の環境の推定から、現代は氷河や砂漠といった移動困難な地域も、かつては氷河や砂漠が縮小し、移動がより容易になった、と指摘します。そもそも、現生人類は砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境に本格的に拡散していったわけで(関連記事)、気候変化により移動がより容易になれば、現代の環境では移動困難と思われる経路を取ったとしても不思議ではないでしょう。
本論文は、ユーラシア北部における現生人類の主要な拡散経路として、(I)アルタイ山脈のすぐ南を通り、東進して祁連山脈の北方を通るアルタイ経路、(II)天山山脈の北方とアルタイ山脈の南方に位置する天山経路、(III)天山山脈の南方を通るタリム経路、(IV)アルタイ山脈の北方となるシベリア南部を通る経路、の4経路を挙げています。IVはじゅうらいの有力説で採用されている経路で、本論文が主張するI~IIIはIVほど考古学的証拠が充実しているわけではなく、その証明は今後の課題となりますが、本論文の見解は妥当性の高いものだと思います。以下に、I~IVの経路が示されている本論文の図2を掲載します。
本論文は、初期現生人類のユーラシア東部への拡散と関連しそうな考古学的痕跡を3区分しています。それは、典型的なルヴァロワ(Levallois)技術を有する中部旧石器時代、ルヴァロワ技術とプリズム技術の組み合わせを有する上部旧石器時代初頭、より体系化された剥片技術とわずかな再加工を有する早期上部旧石器時代です。このうち、上部旧石器時代初頭と早期上部旧石器時代の人工物に関しては、現生人類が担い手である可能性は高そうです。しかし、中部旧石器時代の人工物に関しては、とくに5万年以上前の場合は、他系統の人類の可能性が高いと言えるでしょう。
じっさい、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とデニソワ人はアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で確認されており(関連記事)、上述のようにデニソワ人はチベット高原東部でも確認されています(関連記事)。本論文は、シベリア以南のアジア中央部~東部にかけての経路は、現生人類の拡散だけではなく、他系統の人類との相互作用の観点からも注目される、と指摘しています。ユーラシア東部の更新世人類進化史は、ユーラシア西部と比較すると遅れていると言えるでしょうが、それだけに今後の発展の余地があるとも言えるわけで、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Li F, Vanwezer N, Boivin N, Gao X, Ott F, Petraglia M, et al. (2019A) Heading north: Late Pleistocene environments and human dispersals in central and eastern Asia. PLoS ONE 14(5): e0216433.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0216433
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