『卑弥呼』第18話「舞台設定」
『ビッグコミックオリジナル』2019年6月20日号掲載分の感想です。前回は、毒蛇に咬まれたヤノハの弟のチカラオを助けるため、銅鏡2枚を用いた儀式を義母が行なっていた、とヤノハが思い出したところで終了しました。今回は、その時のことをヤノハが回想する場面から始まります。義母に「日の鏡」を持ってくるよう指示されたヤノハですが、その重さに思わず落としてしまいます。義母は不安になるヤノハを、そう簡単には割れないから大丈夫だ、と安心させます。ヤノハとともに「日の鏡」から反射された日光を浴びた義母は、天照様の力をいただいたから我々は守られる、とヤノハに伝えます。誰から守られるのか、とヤノハに尋ねられた義母は、根の国(黄泉の国)の須佐之男(スサノオ)様からだ、と答えます。今よりチカラオを根の国から呼び戻そう、と言った義母は、ヤノハに「地の鏡」を木陰に置くよう、指示します。義母はヤノハに、顔を鏡に安易に映さないよう、注意します。義母によると、鏡は「屈む」に通じ、昔は、根の国から顕われた恐ろしい大蛇を屈んで拝むための神具だったそうです。義母はチカラオの姿を「地の鏡」に映し、鏡は根の国への出入り口で、そこに映っている(死にかけている、ということなのでしょう)チカラオは根の国にいるチカラオの映身(ウツシミ)で、魂そのものだ、とヤノハに説明します。義母は、鏡を使ってあの世に行ったチカラオの魂を救い出そう、とヤノハに言います。ヤノハは、この儀式で自分が学んだのは、青銅の鏡は重く壊れないということだけだった、と回想します。
山社(ヤマト)の楼観で過去の儀式を思い起こしていたヤノハに、日見子であることを証明するための儀式の準備が整った、とイクメが声をかけます。イクメはヤノハに弟のミマアキを紹介し、ヤノハには何か思うところがあったようです。自分の弟のチカラオを想起したのか、あるいはミマアキが美男子だからでしょうか。ミマアキが黥をしていない理由をヤノハに尋ねられたイクメは、日見子もしくは日見彦の世話をする役だからだ、と答えます。もしよければ、ミマアキに日見子たるヤノハの給仕や毒見や身辺警護をさせたい、とのイクメの申し出に、ヤノハは快諾します。イクメはヤノハに、きちんとした服に着替えるよう、促します。ヤノハの全裸姿を見たミマアキは目をそらします。ヤノハは自分の美しさを自覚しており、わざとミマアキに自分の全裸姿を見せつけたのでしょう。正装に着替えたヤノハを見て、イクメは神々しいお姿だ、と言い、ミマアキは見惚れた感じで美しい、と言います。
儀式を行なう部屋に着いたヤノハは、イクメとミマアキにしばらく一人にさせてほしい、と言います。山社には鏡がどれくらいあるのか、とヤノハに問われたイクメは、大小合わせて10枚ほどだ、と答えます。ヤノハはイクメに、神託の後、最も大きな鏡と手に持てる鏡を2枚運んでくるよう、イクメに指示します。用意された儀式を行なう部屋に入ったヤノハ、中の様子を調べ始めます。護摩はヌルデで、匂いからケシの実の樹液を粉にしたものだとヤノハ気づきました。ヤノハの義母もこれをよく使っており、参拝者に幻覚や幻聴を起こさせるのだな、とヤノハ悟ります。部屋の縄を見たヤノハは、縄は根の国の蛇を表す、と義母が言っていたことを思い出します。天照大神の鎮座する社が意外と小さいことに気づいたヤノハは、好都合な舞台設定を思いつきます。
一方、鞠智(ククチ)の里では、鞠智彦(ククチヒコ)が輿に乗って出かけるところでした。鞠智彦はタケル王と同じく暈と那の戦場の最前線に向かうのか、庶民らしき2人が噂していたところ、ヤノハの指示を受けたアカメが、以夫須岐(イフスキ)に向かった、と話しかけます。以夫須岐とは現在の指宿のことでしょうか。南に何の用で行くのか、と2人に尋ねられたアカメは、イサオ王に会いに行ったのだ、と答えます。2人は、イサオ王とは暈で最強の王で、タケル王の父だ、と話します。何か問題が起きて伺いを立てるのだろうが、それは聖地である山社のことかもしれない、とアカメは2人に話します。山社のミマト将軍が独立を宣言したとの噂が広がっているので、鞠智彦はその相談のためイサオ王に謁見しようとしているのではないか、とアカメは2人に言います。さらにアカメは2人に、事実なのか自分も知らないが、ミマト将軍は新たな日見子を擁立した、と伝えます。アカメはこうして、暈で噂を広めているのでしょう。
山社では、イクメが山社の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと、副長のウズメに、日見子様のお目通りがかなった、と報告していました。しかし、ヤノハが偽者の日見子と確信しているイスズは、お目通りとは偉そうに、と言って冷やかです。イクメはイスズとウズメに、日見子たるヤノハが天照大神の秘儀を見せるので、日の出前に楼観に来てもらいたい、と伝えます。生と死の秘儀を見れば、イスズとウズメの身にも危険が及ぶかもしれない、とイクメは忠告しますが、覚悟のうえだ、とイスズは気丈な様子を見せます。イスズとウズメがイクメとともに楼観に着くと、その下ではミマアキがヤノハの指示で火を燃やしていました。楼観に登ったイスズとウズメが、薄暗い中で様子のよく見えないヤノハに名乗ったところ、わずかな戸の隙間から入ってきた日光が鏡に反射したのか、ヤノハの背後が眩しいくらい明るく照らされます。ヤノハがイスズとウズメに、自分が日見子である、と名乗るところで今回は終了です。
ヤノハはこれまで、生へのひじょうに強い執着心と、そのためには手段を選ばない非情さと、優れた身体能力および知恵により、危機を脱してきました。暈の主要人物に日見子と認められず、絶体絶命の危機にある今も、ヤノハは自分の能力と知識を総動員して生き延びようとしており、このヤノハの強い個性が本作の主題にも魅力にもなっているように思います。今回、ヤノハがミマアキを魅了したような場面も描かれましたが、ヤノハは自分の性的魅力が高いことを自覚しており、その利用に躊躇しないことはこれまでも描かれてきたので、一貫していると思います。ミマアキはヤノハにすっかり魅了されてしまったようで、今後は姉のイクメとともにヤノハの忠実な臣下となりそうです。『三国志』から推測すると、ミマアキは卑弥呼(日見子)の部屋に出入りして給仕の世話をしていたというただ一人の男性で、チカラオが政治を補佐した「男弟」でしょうか。ヤノハは、弟のチカラオが死んだと考えていますが、チカラオの死体は確認されていないので、今後登場する可能性が高い、と予想しています。ヤノハがどのような細工でイスズとウズメに自分を日見子と認めさせるのか、楽しみです。
ヤノハの直接的な話以外で注目されるのは、鞠智彦が謁見しようとしているイサオ王です。イサオ王は権威のある重要人物で、タケル王に位を譲った暈の前代の王ではないか、と前回は予想したのですが、今回、タケル王の父と明らかになりました。タケル王は、夜に胡座をかき、天に明日のお暈(ヒガサ)さまの来訪を願い、天下の泰平を祈る役割の日見彦、鞠智彦は、日中はタケル王に代わって戦や政を決める役割で、二人がいての暈の国だ、と第7話にて説明されています。しかし今回、イサオ王は暈で最も強大な王だと説明されています。鞠智彦のいる鞠智は現在の熊本県菊池市、タケル王のいる暈(クマ)の国の「首都」である鹿屋(カノヤ)は現在の鹿児島県鹿屋市、イサオ王のいる以夫須岐は現在の鹿児島県指宿市と推測されますから、暈は現在の熊本県から鹿児島県を領域としているようです。さらに、筑後川で那と対峙しているということは、福岡県の一部、旧国名では筑後の一部も領域でしょうか。おそらく作中設定では、暈は九州の諸国では最大の領域を有していると思われます。そのため、日見彦たるタケル王が対外的には暈の最高位であるものの、実質的には分割統治体制で、タケル王と鞠智彦とイサオ王以外にも王的な人物がおり、その中で、タケル王の父ということもあり、イサオ王が最も強大と考えられているのかもしれません。イサオ王はいかなる人物なのか、暈の王位はどう継承されるのか、暈の統治体制はどうなっているのか、といったヤノハの運命と今後にも関わってきそうな問題は次回以降明かされていきそうです。今回も楽しめましたが、ネットでは検索しても反応が少ない感じなのは残念です。邪馬台国に興味のない人にも楽しめそうな作品だと思うのですが。現時点ではまだ後漢が存在していますが、今後、魏や呉も関わってきそうなので、現代日本社会に多そうな『三国志』愛好者も引き込めるとよいのですが。
山社(ヤマト)の楼観で過去の儀式を思い起こしていたヤノハに、日見子であることを証明するための儀式の準備が整った、とイクメが声をかけます。イクメはヤノハに弟のミマアキを紹介し、ヤノハには何か思うところがあったようです。自分の弟のチカラオを想起したのか、あるいはミマアキが美男子だからでしょうか。ミマアキが黥をしていない理由をヤノハに尋ねられたイクメは、日見子もしくは日見彦の世話をする役だからだ、と答えます。もしよければ、ミマアキに日見子たるヤノハの給仕や毒見や身辺警護をさせたい、とのイクメの申し出に、ヤノハは快諾します。イクメはヤノハに、きちんとした服に着替えるよう、促します。ヤノハの全裸姿を見たミマアキは目をそらします。ヤノハは自分の美しさを自覚しており、わざとミマアキに自分の全裸姿を見せつけたのでしょう。正装に着替えたヤノハを見て、イクメは神々しいお姿だ、と言い、ミマアキは見惚れた感じで美しい、と言います。
儀式を行なう部屋に着いたヤノハは、イクメとミマアキにしばらく一人にさせてほしい、と言います。山社には鏡がどれくらいあるのか、とヤノハに問われたイクメは、大小合わせて10枚ほどだ、と答えます。ヤノハはイクメに、神託の後、最も大きな鏡と手に持てる鏡を2枚運んでくるよう、イクメに指示します。用意された儀式を行なう部屋に入ったヤノハ、中の様子を調べ始めます。護摩はヌルデで、匂いからケシの実の樹液を粉にしたものだとヤノハ気づきました。ヤノハの義母もこれをよく使っており、参拝者に幻覚や幻聴を起こさせるのだな、とヤノハ悟ります。部屋の縄を見たヤノハは、縄は根の国の蛇を表す、と義母が言っていたことを思い出します。天照大神の鎮座する社が意外と小さいことに気づいたヤノハは、好都合な舞台設定を思いつきます。
一方、鞠智(ククチ)の里では、鞠智彦(ククチヒコ)が輿に乗って出かけるところでした。鞠智彦はタケル王と同じく暈と那の戦場の最前線に向かうのか、庶民らしき2人が噂していたところ、ヤノハの指示を受けたアカメが、以夫須岐(イフスキ)に向かった、と話しかけます。以夫須岐とは現在の指宿のことでしょうか。南に何の用で行くのか、と2人に尋ねられたアカメは、イサオ王に会いに行ったのだ、と答えます。2人は、イサオ王とは暈で最強の王で、タケル王の父だ、と話します。何か問題が起きて伺いを立てるのだろうが、それは聖地である山社のことかもしれない、とアカメは2人に話します。山社のミマト将軍が独立を宣言したとの噂が広がっているので、鞠智彦はその相談のためイサオ王に謁見しようとしているのではないか、とアカメは2人に言います。さらにアカメは2人に、事実なのか自分も知らないが、ミマト将軍は新たな日見子を擁立した、と伝えます。アカメはこうして、暈で噂を広めているのでしょう。
山社では、イクメが山社の祈祷女(イノリメ)の長であるイスズと、副長のウズメに、日見子様のお目通りがかなった、と報告していました。しかし、ヤノハが偽者の日見子と確信しているイスズは、お目通りとは偉そうに、と言って冷やかです。イクメはイスズとウズメに、日見子たるヤノハが天照大神の秘儀を見せるので、日の出前に楼観に来てもらいたい、と伝えます。生と死の秘儀を見れば、イスズとウズメの身にも危険が及ぶかもしれない、とイクメは忠告しますが、覚悟のうえだ、とイスズは気丈な様子を見せます。イスズとウズメがイクメとともに楼観に着くと、その下ではミマアキがヤノハの指示で火を燃やしていました。楼観に登ったイスズとウズメが、薄暗い中で様子のよく見えないヤノハに名乗ったところ、わずかな戸の隙間から入ってきた日光が鏡に反射したのか、ヤノハの背後が眩しいくらい明るく照らされます。ヤノハがイスズとウズメに、自分が日見子である、と名乗るところで今回は終了です。
ヤノハはこれまで、生へのひじょうに強い執着心と、そのためには手段を選ばない非情さと、優れた身体能力および知恵により、危機を脱してきました。暈の主要人物に日見子と認められず、絶体絶命の危機にある今も、ヤノハは自分の能力と知識を総動員して生き延びようとしており、このヤノハの強い個性が本作の主題にも魅力にもなっているように思います。今回、ヤノハがミマアキを魅了したような場面も描かれましたが、ヤノハは自分の性的魅力が高いことを自覚しており、その利用に躊躇しないことはこれまでも描かれてきたので、一貫していると思います。ミマアキはヤノハにすっかり魅了されてしまったようで、今後は姉のイクメとともにヤノハの忠実な臣下となりそうです。『三国志』から推測すると、ミマアキは卑弥呼(日見子)の部屋に出入りして給仕の世話をしていたというただ一人の男性で、チカラオが政治を補佐した「男弟」でしょうか。ヤノハは、弟のチカラオが死んだと考えていますが、チカラオの死体は確認されていないので、今後登場する可能性が高い、と予想しています。ヤノハがどのような細工でイスズとウズメに自分を日見子と認めさせるのか、楽しみです。
ヤノハの直接的な話以外で注目されるのは、鞠智彦が謁見しようとしているイサオ王です。イサオ王は権威のある重要人物で、タケル王に位を譲った暈の前代の王ではないか、と前回は予想したのですが、今回、タケル王の父と明らかになりました。タケル王は、夜に胡座をかき、天に明日のお暈(ヒガサ)さまの来訪を願い、天下の泰平を祈る役割の日見彦、鞠智彦は、日中はタケル王に代わって戦や政を決める役割で、二人がいての暈の国だ、と第7話にて説明されています。しかし今回、イサオ王は暈で最も強大な王だと説明されています。鞠智彦のいる鞠智は現在の熊本県菊池市、タケル王のいる暈(クマ)の国の「首都」である鹿屋(カノヤ)は現在の鹿児島県鹿屋市、イサオ王のいる以夫須岐は現在の鹿児島県指宿市と推測されますから、暈は現在の熊本県から鹿児島県を領域としているようです。さらに、筑後川で那と対峙しているということは、福岡県の一部、旧国名では筑後の一部も領域でしょうか。おそらく作中設定では、暈は九州の諸国では最大の領域を有していると思われます。そのため、日見彦たるタケル王が対外的には暈の最高位であるものの、実質的には分割統治体制で、タケル王と鞠智彦とイサオ王以外にも王的な人物がおり、その中で、タケル王の父ということもあり、イサオ王が最も強大と考えられているのかもしれません。イサオ王はいかなる人物なのか、暈の王位はどう継承されるのか、暈の統治体制はどうなっているのか、といったヤノハの運命と今後にも関わってきそうな問題は次回以降明かされていきそうです。今回も楽しめましたが、ネットでは検索しても反応が少ない感じなのは残念です。邪馬台国に興味のない人にも楽しめそうな作品だと思うのですが。現時点ではまだ後漢が存在していますが、今後、魏や呉も関わってきそうなので、現代日本社会に多そうな『三国志』愛好者も引き込めるとよいのですが。
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