イベリア半島南部の最初期現生人類をめぐる議論

 今年(2019年)1月に、イベリア半島南部における43400~40000年前頃の現生人類(Homo sapiens)拡散の可能性を報告した論文(Cortés-Sánchez et al., 2019A)が公表されました(関連記事)。この論文(以下、C論文)は、イベリア半島南部にも、ヨーロッパ西部の他地域とさほど変わらない年代に現生人類が拡散してきた可能性を提示したことから、注目されました。その根拠となったのは、イベリア半島南部に位置するスペインのマラガ(Málaga)県のバホンディージョ洞窟(Bajondillo Cave)遺跡の中部旧石器時代後期~上部旧石器時代の年代です。以下、この記事の年代は基本的に、放射性炭素年代測定法による較正年代です。

 C論文は、バホンディージョ洞窟では第19層~第14層(新しいほど上層となります)までが中部旧石器時代となり、まず間違いなくネアンデルタール人が担い手のムステリアン(Mousterian)インダストリーが46000年前頃まで続き、第13層では石刃や小石刃が出現するようになり、第12層は典型的な上部旧石器、第11層は発展オーリナシアン(Evolved Aurignacian)、第10層はグラヴェティアン(Gravettian)インダストリーになる、との見解を提示しています。C論文は第13層石器群について、数が少ないこと(100個未満)や骨器が共伴しないといった問題を指摘しつつも、プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)もしくは早期オーリナシアン(Early Aurignacian)と分類しています。第13層の年代は43400~40000年前頃です。

 この見解がなぜ重要かというと、今ではヨーロッパにおいてネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)はおおむね4万年前頃までに絶滅したと考えられているものの(関連記事)、イベリア半島南部への現生人類の拡散は、エブロ川を境とする生態系の違いによりヨーロッパ西部の他地域よりも遅れ(エブロ川境界仮説)、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)が4万年前以降も生存していた、との見解(ネアンデルタール人後期絶滅説)が根強いからです(関連記事)。ヨーロッパにおいては、ムステリアンはネアンデルタール人のみ、オーリナシアンは現生人類のみが担い手だった、との見解が通説となっています。C論文が妥当だとすると、イベリア半島北部に42868~41686年前頃に出現したオーリナシアンは、ほとんど変わらない年代でイベリア半島南部にも拡散していたことになります。


 このC論文の見解にたいして、2本の批判論文とC論文の著者たちによる反論が掲載されました。まずは、おもに石器技術に関するC論文への批判論文(de la Peña., 2019)です(以下、P論文)。P論文はまず、バホンディージョ洞窟第13層石器群は以前には多くの文献で、特徴的なムステリアン剥片と上部旧石器要素の両方を有する曖昧な技術と説明されており、C論文も第13層石器群がプロトオーリナシアンもしくは早期オーリナシアンと明確に区分できるだけの充分な証拠がないことを認めている、と指摘します。

 そこでP論文は、第13層石器群の説明と定義が問題になり、プロトオーリナシアンもしくは早期オーリナシアン以外で説明することも可能だ、と指摘します。P論文がまず問題とするのは、第13層石器群には明確に石刃と関連しているものの、オーリナシアン石器群と異なる技術的特徴も有するのならば、まだ識別・定義されていない上部旧石器時代のインダストリーとしての定義も可能ではないか、ということです。P論文は、イベリア半島南部の早期上部旧石器時代においては、ヨーロッパの他地域とは異なり、よく発展した剥片戦略が見られる、と指摘します。次にP論文が挙げているのは、第13層がムステリアン集団による石刃技術の採用を反映している可能性です。P論文は、この二つの可能性のどちらが妥当なのか、判断は困難だと指摘しています。

 さらにP論文が明代としているのは、層序学的混乱です。第13層には明らかな上部旧石器時代インダストリーである発展オーリナシアンの第11層との接触が見られ、土壌が下方に移動していく仮定も報告されているのに、C論文はこの重要な堆積物形成過程を無視している、とP論文は指摘します。C論文は第13層石器群をオーリナシアンとよく関連づけられておらず、現生人類がイベリア半島南部へ43400~40000年前頃というヨーロッパ西部の他地域とさほど変わらない年代に拡散した、とする根拠は弱いと結論づけています。


 次に、同じくC論文への批判論文(Anderson et al., 2019)です(以下、A論文)。A論文は、バホンディージョ洞窟の土壌の移動が第11層~第13層で識別されており、第14層~第11層は層序的混合の疑いのために以前は年代測定計画から除外されていた、と指摘します。さらにA論文が問題とするのは、第13層は遺跡の中央部の限られた部分にしか存在せず、その下のムステリアン層およびその上の発展オーリナシアン層の両方と接触している、ということです。それにも関わらず、C論文は説明なしに混合のないオーリナシアンとしての第13層石器群という解釈を提示している、とA論文は指摘します。

 A論文は、石器技術的にも第13層の石器群がオーリナシアンと分類できるのか、疑問視します。以前の文献では、第13層の石器群の分類が、「中部旧石器/上部旧石器」、「中部旧石器?」、ムステリアンとオーリナシアンもしくは上部旧石器要素のおそらくは混合というように、曖昧というわけです。またA論文は、第13層石器群には石刃要素があるものの、剥片要素も強く見られることも問題としています。またA論文は、第13層石器群の掻器が発展オーリナシアンの第11層の掻器とは異なり、石刃よりもむしろ剥片から製作されている、と指摘します。第13層の掻器は中部~上部旧石器時代の再加工剥片と類似しており、オーリナシアンと関連させる理由はない、というわけです。

 またA論文は、ムステリアンの第14層と比較して第13層では石刃が増加するものの、それだけではオーリナシアンへと分類する根拠にはならず、第13層石器群が年代的に中部旧石器時代のムステリアンと明らかな上部旧石器時代の発展オーリナシアンの間に位置することも、第13層石器群がオーリナシアンである根拠にはならない、と指摘します。オーリナシアンをどのように区分するのか、議論が続いているものの、いずれにしても、ある石器群をオーリナシアンと分類するには、広義のオーリナシアンと共通する特別な技術的特徴を示す必要がある、とA論文は指摘します。現時点で第13層石器群をオーリナシアンと分類し、現生人類のイベリア半島南部への4万年以上前の拡散と関連づけるのは時期尚早だ、というのがA論文の結論です。


 これら2本の批判にたいして、C論文の著者たちの一部による反論(Cortés-Sánchez et al., 2019B)が掲載されています(以下、C反論)。C反論は全体として、批判論文2本がバホンディージョ洞窟の層序と石器分類に関する研究の進展をしっかりと抑えていない、と強調しています。これらの問題はC論文では補足情報としてまとめられているものの、参考文献はスペイン語なので、見落とされているところが少なからずあるのかもしれません。また年代に関しても、2016年のイベリア半島地中海沿岸部の放射性炭素年代測定計画において、バホンディージョ洞窟遺跡の標本が計画の分析基準を満たしておらず、年代が採用されなかったことから、古い年代観が根強く残り、誤解を招来しているのではないか、とC反論は指摘します。バホンディージョ洞窟に関する研究の進展が周知されない状況にあったのではないか、というわけです。

 まず第13層石器群の分類について、決してムステリアンではなく、一貫して上部旧石器として識別されている、とC反論は主張します。またC反論は、オーリナシアンおよびその下位区分の定義は一貫しているわけではない、と指摘します。P論文は第13層石器群がまだ識別されていない上部旧石器時代インダストリーである可能性を示唆していますが、C論文は、明確に上部旧石器である第13層石器群を「最も適切な」分類としてオーリナシアンと解釈している、とC反論は指摘します。

 バホンディージョ洞窟の層序撹乱の可能性について、C反論は否定する根拠を2点挙げています。一つは、第13層石器群には撹乱を示唆するような転移の証拠は見られない、というものです。次に、第13層石器群の発見場所の燃焼構造の基づく分析です。植物オパールと放射性炭素年代測定から、中部旧石器時代水準の炉床とは燃焼要素および温度の両方とは明らかに対照的なパターンが示される、とC反論は指摘します。こうした知見から、第13層石器群の年代を上部旧石器時代と判断するのは妥当だろう、というわけです。

 C反論は、バホンディージョ洞窟に関する研究の進展が広く知られておらず、古い年代観と組み合わせて推測に推測を重ねた結果、第13層石器群が後代の嵌入であることを示唆するような批判がなされたのだ、と指摘します。C論文にたいする批判は、誤解の積み重ねだろう、というわけです。C反論は、C論文の提示した新たな年代観は、ヨーロッパ西部において、ネアンデルタール人の絶滅は4万年以上前、現生人類の拡散も遅くとも4万数千年前までさかのぼるとする、近年の知見と整合的だと指摘します。


 以上、C論文にたいする批判論文2本と反論をざっと見てきました。バホンディージョ洞窟第13層の攪乱を懸念する批判論文2本にたいして、C反論は的確に対応できているのではないか、と思います。やはり問題となるのは、第13層石器群の分類で、「広義のオーリナシアン」とするのが適切なのか、門外漢の私には的確な判断ができませんが、今後の研究の進展が期待されます。これは、ヨーロッパだけではなく、アジア南西部も含めての大規模な研究となるので、すぐに結論の出る問題ではなさそうですが。

 ヨーロッパ西部の他地域とほぼ変わらない43400~40000年前頃に、イベリア半島南部に現生人類が拡散してきた、との見解については、現時点では保留しておくのが無難かな、と思います。それは、第13層石器群を「明確に」オーリナシアンと分類できないからでもありますが、何よりも、ヨーロッパの中部旧石器時代~上部旧石器時代移行期の遺跡では人類遺骸が少ないため(それでも他地域よりはずいぶんと恵まれているのでしょうが)、この時期の各インダストリーの担い手の人類系統を多くの場合でまだ確定できないからです。担い手について議論が続いていますが、現生人類の影響を受けているかもしれないとはいえ、シャテルペロニアン(Châtelperronian)の担い手がネアンデルタール人だった可能性は低くないでしょうから(関連記事)、ネアンデルタール人がイベリア半島南部の上部旧石器的なインダストリーの担い手であった可能性も想定しておくべきだと思います。


参考文献:
Anderson L, Reynolds N, and Teyssandier N.(2019): No reliable evidence for a very early Aurignacian in Southern Iberia. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 713.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0885-3

Cortés-Sánchez M. et al.(2019A): An early Aurignacian arrival in southwestern Europe. Nature Ecology & Evolution, 3, 2, 207–212.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0753-6

Cortés-Sánchez M. et al.(2019B): Reply to ‘Dating on its own cannot resolve hominin occupation patterns’ and ‘No reliable evidence for a very early Aurignacian in Southern Iberia’. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 714–715.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0887-1

de la Peña P.(2019): Dating on its own cannot resolve hominin occupation patterns. Nature Ecology & Evolution, 3, 5, 712.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0886-2

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