人類の分布範囲の変遷
中新世前期に大繁栄した類人猿(ヒト上科)は、中新世中期以降の森林縮小により衰退していきます。そうしたなかで、ヒト・チンパンジー・ゴリラの共通祖先は地上での活動を増やし適応していくことで生き延び、地上では樹上よりも発酵の進んでいる果物を見つける可能性が高いので、エタノール代謝能力を高めるような変異が生存に有利に働き、集団に定着していったのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。中新世中期以降に衰退していった類人猿の中で、人類系統は例外的に繁栄し、とくに現生人類(Homo sapiens)は、生息域と個体数の観点では大繁栄したと言えるでしょう。
人類の分布は、初期には起源地のアフリカに留まっていました。長い間、人類の出アフリカは異論の余地のほぼないホモ属によって初めて達成された、と考えられていました。この異論の余地のほぼないホモ属とはエレクトス(Homo erectus)ですが、アフリカの最初期の異論の余地のほぼないホモ属を、エルガスター(Homo ergaster)と区分する見解もあります。ここでは、エルガスターという種区分を採用せず、エレクトスで統一します。つまり、ホモ属的特徴とアウストラロピテクス属的特徴が混在している、ハビリス(Homo habilis)のようなホモ属に分類すべきか議論のある分類群(関連記事)はアフリカに留まった可能性が高い、というわけです。
この仮説は、まずジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された人類集団(関連記事)により揺らいでいきます。このドマニシ集団にはホモ属とアウストラロピテクス属の特徴が混在しており、エレクトスでもハビリスでもないホモ属の新種ジョルジクス(Homo georgicus)と分類する見解もあります。異論の余地のほぼないホモ属にも出アフリカは可能だったのではないか、というわけです。さらに、中国北部において212万年前頃の石器が発見されたことで(関連記事)、祖先的(アウストラロピテクス属的)特徴を有するホモ属が220万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散し、ユーラシア東部まで到達していた可能性も想定できるようになりました。ただ、この中国北部の212万年前頃の人類集団がどの系統なのか、人類遺骸は共伴していないため不明で、あるいはエレクトスの起源が220万年前頃までさかのぼり、エレクトスがユーラシア東部まで拡散した可能性もあるとは思います。
ともかく、212万年前頃までに人類集団がユーラシア東部まで拡散していた可能性は高そうです。200万年前頃前後にユーラシアに拡散した集団がその後も拡散先で継続したのか、あるいは絶滅してアフリカから新たにホモ属が拡散してきたのかは不明ですが、ともかく、現生人類の拡散以前にも、人類はアフリカだけではなくユーラシアに広く分布していました。しかし、この分布範囲には現生人類と比較して限界があった、と長く考えられてきました。それは、北極圏やアメリカ大陸やオセアニアです。これらは、極限環境への拡散や渡海を必要とします。砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境への拡散や渡海は現生人類にのみ可能で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)にしてもエレクトスにしても、ホモ属が進化してきたアフリカの森林と草原の混在した環境と類似した地域に拡散した、というわけです(関連記事)。
しかし、こうした見解は大きく揺らぎつつあります。まず、現生人類ではないホモ属による渡海例としては、インドネシア領フローレス島(関連記事)とルソン島(関連記事)で知られています。現生人類ではないホモ属遺骸は、フローレス島では70万年前頃、ルソン島では67000~50000年以上前のものが、人類の痕跡は、フローレス島では100万年以上前、ルソン島では70万年以上前のものが確認されています。ただ、渡海が航海を意味するとは限らず、津波や暴風雨などによる漂着も想定されます。ネアンデルタール人に関しては、地中海航海の可能性が指摘されています(関連記事)。極限環境にしても、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がチベット高原東部で確認されました(関連記事)。現生人類ではないホモ属が極限環境の少なくとも一部に拡散していた可能性は高い、というわけです。
ただ、アメリカ大陸とオセアニアに関しては、現生人類ではないホモ属が拡散した確実な証拠は得られていません。オセアニアへの拡散にはかなりの距離の渡海が必要となり、アメリカ大陸への拡散にも、渡海もしくは寒冷期における寒冷地への拡散が必要となります。そのため、アメリカ大陸とオセアニアに拡散したのは現生人類のみである可能性が高そうです。ただ、アメリカ大陸に関しては13万年前頃の人類の痕跡が主張されています(関連記事)。この見解が正しいとすると、現生人類である可能性も否定できないものの、現生人類ではないホモ属の可能性が高そうです。とはいえ、あまりにも異例の発見だけに、さすがにこの見解への賛同は少ないようで、今後この見解が正しいと認められる可能性はかなり低そうです(関連記事)。
オセアニアに関しては、オーストラリア大陸における12万年前頃の人類の痕跡が主張されており、遺伝学からはデニソワ人が3万年前頃までニューギニア島(もしくは、更新世寒冷期にオーストラリアと陸続きになっていたサフルランド)に存在していた、との見解が提示されていることは、注目されます(関連記事)。現生人類が10万年以上前にオーストラリア大陸というかサフルランドまで拡散した可能性も考えられないわけではありませんが、デニソワ人がサフルランドにまで拡散した可能性もある、というわけです。ただ、オーストラリア大陸の12万年前頃の人類の痕跡という主張はまだ広く認められているわけではありませんし、サフルランドにおけるデニソワ人の痕跡も確認されていません。けっきょく、アメリカ大陸にもオセアニアにも、現生人類ではないホモ属が拡散した可能性はかなり低いのではないか、と思います。極限環境のなかでは、北極圏や砂漠や熱帯雨林に現生人類ではないホモ属が拡散した可能性も低いと思います。もっとも、今後どのような発見があるのか予想は難しく、私もさほど自信はありませんが。
人類の分布は、初期には起源地のアフリカに留まっていました。長い間、人類の出アフリカは異論の余地のほぼないホモ属によって初めて達成された、と考えられていました。この異論の余地のほぼないホモ属とはエレクトス(Homo erectus)ですが、アフリカの最初期の異論の余地のほぼないホモ属を、エルガスター(Homo ergaster)と区分する見解もあります。ここでは、エルガスターという種区分を採用せず、エレクトスで統一します。つまり、ホモ属的特徴とアウストラロピテクス属的特徴が混在している、ハビリス(Homo habilis)のようなホモ属に分類すべきか議論のある分類群(関連記事)はアフリカに留まった可能性が高い、というわけです。
この仮説は、まずジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された人類集団(関連記事)により揺らいでいきます。このドマニシ集団にはホモ属とアウストラロピテクス属の特徴が混在しており、エレクトスでもハビリスでもないホモ属の新種ジョルジクス(Homo georgicus)と分類する見解もあります。異論の余地のほぼないホモ属にも出アフリカは可能だったのではないか、というわけです。さらに、中国北部において212万年前頃の石器が発見されたことで(関連記事)、祖先的(アウストラロピテクス属的)特徴を有するホモ属が220万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散し、ユーラシア東部まで到達していた可能性も想定できるようになりました。ただ、この中国北部の212万年前頃の人類集団がどの系統なのか、人類遺骸は共伴していないため不明で、あるいはエレクトスの起源が220万年前頃までさかのぼり、エレクトスがユーラシア東部まで拡散した可能性もあるとは思います。
ともかく、212万年前頃までに人類集団がユーラシア東部まで拡散していた可能性は高そうです。200万年前頃前後にユーラシアに拡散した集団がその後も拡散先で継続したのか、あるいは絶滅してアフリカから新たにホモ属が拡散してきたのかは不明ですが、ともかく、現生人類の拡散以前にも、人類はアフリカだけではなくユーラシアに広く分布していました。しかし、この分布範囲には現生人類と比較して限界があった、と長く考えられてきました。それは、北極圏やアメリカ大陸やオセアニアです。これらは、極限環境への拡散や渡海を必要とします。砂漠・熱帯雨林・高地・北極圏といった極限環境への拡散や渡海は現生人類にのみ可能で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)にしてもエレクトスにしても、ホモ属が進化してきたアフリカの森林と草原の混在した環境と類似した地域に拡散した、というわけです(関連記事)。
しかし、こうした見解は大きく揺らぎつつあります。まず、現生人類ではないホモ属による渡海例としては、インドネシア領フローレス島(関連記事)とルソン島(関連記事)で知られています。現生人類ではないホモ属遺骸は、フローレス島では70万年前頃、ルソン島では67000~50000年以上前のものが、人類の痕跡は、フローレス島では100万年以上前、ルソン島では70万年以上前のものが確認されています。ただ、渡海が航海を意味するとは限らず、津波や暴風雨などによる漂着も想定されます。ネアンデルタール人に関しては、地中海航海の可能性が指摘されています(関連記事)。極限環境にしても、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)がチベット高原東部で確認されました(関連記事)。現生人類ではないホモ属が極限環境の少なくとも一部に拡散していた可能性は高い、というわけです。
ただ、アメリカ大陸とオセアニアに関しては、現生人類ではないホモ属が拡散した確実な証拠は得られていません。オセアニアへの拡散にはかなりの距離の渡海が必要となり、アメリカ大陸への拡散にも、渡海もしくは寒冷期における寒冷地への拡散が必要となります。そのため、アメリカ大陸とオセアニアに拡散したのは現生人類のみである可能性が高そうです。ただ、アメリカ大陸に関しては13万年前頃の人類の痕跡が主張されています(関連記事)。この見解が正しいとすると、現生人類である可能性も否定できないものの、現生人類ではないホモ属の可能性が高そうです。とはいえ、あまりにも異例の発見だけに、さすがにこの見解への賛同は少ないようで、今後この見解が正しいと認められる可能性はかなり低そうです(関連記事)。
オセアニアに関しては、オーストラリア大陸における12万年前頃の人類の痕跡が主張されており、遺伝学からはデニソワ人が3万年前頃までニューギニア島(もしくは、更新世寒冷期にオーストラリアと陸続きになっていたサフルランド)に存在していた、との見解が提示されていることは、注目されます(関連記事)。現生人類が10万年以上前にオーストラリア大陸というかサフルランドまで拡散した可能性も考えられないわけではありませんが、デニソワ人がサフルランドにまで拡散した可能性もある、というわけです。ただ、オーストラリア大陸の12万年前頃の人類の痕跡という主張はまだ広く認められているわけではありませんし、サフルランドにおけるデニソワ人の痕跡も確認されていません。けっきょく、アメリカ大陸にもオセアニアにも、現生人類ではないホモ属が拡散した可能性はかなり低いのではないか、と思います。極限環境のなかでは、北極圏や砂漠や熱帯雨林に現生人類ではないホモ属が拡散した可能性も低いと思います。もっとも、今後どのような発見があるのか予想は難しく、私もさほど自信はありませんが。
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