アメリカ大陸の人類史をめぐる政治的対立
学問も人間の営みである以上、その政治性が問題となることは避けられませんが、もちろん、分野によりその程度はかなり異なります。歴史学は政治的議論と関わりやすい分野でしょうが、古人類学も例外ではありません。とくにアメリカ大陸に関しては、激しい政治的議論が続けられてきました。論点の一つは「最初のアメリカ人」です。世界最大の経済・軍事規模を誇り、情報発信力の高いアメリカ合衆国が存在することもあり、アメリカ大陸への人類最初の移住に関しては、報道が多いように思います。これが問題となったのは、「最初のアメリカ人」はアメリカ大陸先住民集団と類似していないとの見解が提示され、ヨーロッパ起源との説さえ主張されたからでした。「最初のアメリカ人」を「ヨーロッパ人」とするのは、ヨーロッパ系勢力によるアメリカ大陸での侵略行為の責任を軽減する意図があるのではないか、との疑念が提示されており、アメリカ大陸の先住民の中には警戒感があるようです。
ただ、「最初のアメリカ人」の起源地をヨーロッパとする見解にはしっかりとした根拠もありました。アメリカ大陸先住民集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)にはX2aが存在し、アジア東部にはユーラシア西部で見られるX2が基本的に存在しないからです。これは遺伝学的状況証拠ですが、形態学的にも、最初期のアメリカ大陸住民は後のアメリカ大陸先住民集団と類似していない、との見解が提示されていました。1996年7月にアメリカ合衆国ワシントン州で偶然発見された成人男性の「ケネウィック人(Kennewick Man)」に関しては、当初「白人」との形態学的類似性が指摘され、上述のようにヨーロッパ系によるアメリカ大陸での侵略行為の責任軽減を警戒している人々からの強烈な反発を招来しました。その後の形態学的研究では、ケネウィック人とアイヌやポリネシア人といった環太平洋集団との類似性が指摘されています。
この問題の解明の重要な鍵となったのが、シベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された少年遺骸です(関連記事)。この少年は遺伝的にはユーラシア西部集団と近縁で、アメリカ大陸先住民集団とは近縁であるものの、アジア東部集団とは近縁ではない領域も確認されています。マリタ遺跡の少年は、現代ではその遺伝的構成が失われてしまった古代ユーラシア北部集団に分類され、ヨーロッパ東部狩猟採集民集団を通じて、ヨーロッパ系現代人にも遺伝的影響を及ぼしています。古代ユーラシア北部集団がアメリカ大陸先住民集団とヨーロッパ系集団の共通祖先になっており、両者の類似性は1万年以上前のヨーロッパからアメリカ大陸への移住の根拠にはならない、というわけです。
ケネウィック人は、Y染色体DNAハプログループ(YHg)はアメリカ大陸先住民集団に多いQ-M3、常染色体もアメリカ大陸先住民集団の変異内に収まり、mtHgはX2aですから、遺伝的にはアメリカ大陸先住民集団と言って間違いないでしょう(関連記事)。9200~8340年前頃のケネウィック人のmtHgはX2aで、mtHg-X2の分岐と分布からも、アメリカ大陸先住民集団のmtHg-X2aはヨーロッパ起源ではなく、シベリアを東進してきた古代ユーラシア北部集団に由来すると考えるのが妥当でしょう。ケネウィック人の属する集団が現代のアメリカ大陸先住民集団の祖先なのか、それとも現代人にはほとんど遺伝子を伝えていないのか、まだ解明されていないと思いますが、ケネウィック人は「白人」でもアイヌの祖先系統でもなく、アメリカ大陸先住民と区分すべきでしょう。
アメリカ大陸の人類史をめぐる政治的議論のもう一方の論点は、先コロンブス期のアメリカ大陸における人為的開発の程度です。先コロンブス期アメリカ大陸には広大な「手つかず」の自然が広がっており、先住民は自然と「共生」していた、という見解は環境保護派がとくに好み、「政治的に正しい(ポリコレ)」ともされています。そのため、先コロンブス期にアメリカ大陸は大規模に開発されており、初期のアメリカ大陸住民が大型動物の大量絶滅をもたらした、という見解(関連記事)は開発派を利することになりかねないとして、環境保護派は概して批判的です(関連記事)。また、アメリカ大陸の初期人類が大型動物の大量絶滅に関わっていたという見解は、ヨーロッパ系勢力のアメリカ大陸での侵略行為を相対化するものではないか、との疑念もあるでしょう。しかし、自然と「共生」していたという先住民像は、先住民は素朴で単純な社会生活を送っていたことを前提としているという意味で、先住民の主体性を無視した軽蔑だと思います。環境保護のような良心的見解が本当に先住民に敬意を払ったものなのか、慎重に検証することも必要でしょう。
ただ、「最初のアメリカ人」の起源地をヨーロッパとする見解にはしっかりとした根拠もありました。アメリカ大陸先住民集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)にはX2aが存在し、アジア東部にはユーラシア西部で見られるX2が基本的に存在しないからです。これは遺伝学的状況証拠ですが、形態学的にも、最初期のアメリカ大陸住民は後のアメリカ大陸先住民集団と類似していない、との見解が提示されていました。1996年7月にアメリカ合衆国ワシントン州で偶然発見された成人男性の「ケネウィック人(Kennewick Man)」に関しては、当初「白人」との形態学的類似性が指摘され、上述のようにヨーロッパ系によるアメリカ大陸での侵略行為の責任軽減を警戒している人々からの強烈な反発を招来しました。その後の形態学的研究では、ケネウィック人とアイヌやポリネシア人といった環太平洋集団との類似性が指摘されています。
この問題の解明の重要な鍵となったのが、シベリア南部中央のマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された少年遺骸です(関連記事)。この少年は遺伝的にはユーラシア西部集団と近縁で、アメリカ大陸先住民集団とは近縁であるものの、アジア東部集団とは近縁ではない領域も確認されています。マリタ遺跡の少年は、現代ではその遺伝的構成が失われてしまった古代ユーラシア北部集団に分類され、ヨーロッパ東部狩猟採集民集団を通じて、ヨーロッパ系現代人にも遺伝的影響を及ぼしています。古代ユーラシア北部集団がアメリカ大陸先住民集団とヨーロッパ系集団の共通祖先になっており、両者の類似性は1万年以上前のヨーロッパからアメリカ大陸への移住の根拠にはならない、というわけです。
ケネウィック人は、Y染色体DNAハプログループ(YHg)はアメリカ大陸先住民集団に多いQ-M3、常染色体もアメリカ大陸先住民集団の変異内に収まり、mtHgはX2aですから、遺伝的にはアメリカ大陸先住民集団と言って間違いないでしょう(関連記事)。9200~8340年前頃のケネウィック人のmtHgはX2aで、mtHg-X2の分岐と分布からも、アメリカ大陸先住民集団のmtHg-X2aはヨーロッパ起源ではなく、シベリアを東進してきた古代ユーラシア北部集団に由来すると考えるのが妥当でしょう。ケネウィック人の属する集団が現代のアメリカ大陸先住民集団の祖先なのか、それとも現代人にはほとんど遺伝子を伝えていないのか、まだ解明されていないと思いますが、ケネウィック人は「白人」でもアイヌの祖先系統でもなく、アメリカ大陸先住民と区分すべきでしょう。
アメリカ大陸の人類史をめぐる政治的議論のもう一方の論点は、先コロンブス期のアメリカ大陸における人為的開発の程度です。先コロンブス期アメリカ大陸には広大な「手つかず」の自然が広がっており、先住民は自然と「共生」していた、という見解は環境保護派がとくに好み、「政治的に正しい(ポリコレ)」ともされています。そのため、先コロンブス期にアメリカ大陸は大規模に開発されており、初期のアメリカ大陸住民が大型動物の大量絶滅をもたらした、という見解(関連記事)は開発派を利することになりかねないとして、環境保護派は概して批判的です(関連記事)。また、アメリカ大陸の初期人類が大型動物の大量絶滅に関わっていたという見解は、ヨーロッパ系勢力のアメリカ大陸での侵略行為を相対化するものではないか、との疑念もあるでしょう。しかし、自然と「共生」していたという先住民像は、先住民は素朴で単純な社会生活を送っていたことを前提としているという意味で、先住民の主体性を無視した軽蔑だと思います。環境保護のような良心的見解が本当に先住民に敬意を払ったものなのか、慎重に検証することも必要でしょう。
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