片山一道「地球上から消えた人々」
本論考は、赤澤威編『ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る』(朝日新聞社)に所収されています(第2章)。同書の刊行は2005年2月で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類(Homo sapiens)との違いを強調する傾向が強く、現生人類アフリカ単一起源説でも完全置換説(現生人類とネアンデルタール人など他系統の人類との交雑はなかった、とする見解)への支持がとくに高い時期だったように思います。そうした時期を反映して、同書も認知能力などの点でネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向にあり、ネアンデルタール人と現生人類との交雑の可能性を指摘しつつ、全体的には否定的な論調となっています。
そんな中で、同書の論考として異色なのが片山一道「地球上から消えた人々」です。本論考はまず、ネアンデルタール人と現生人類との形態学的違いは大きいとされているものの、現代人の中にも北極圏やオセアニアには現生人類の標準偏差から外れるほどの人々がいる、と指摘します。ネアンデルタール人も寒冷地に適応してボトルネック(瓶首効果)などの影響によって、現生人類とは異なる形態を発達させたのであり、ネアンデルタール人と現生人類との違いは、種が異なっていたからではなく、生活圏の異質さとボトルネックなどの偶然性を反映しているのではないか、というのが本論考の見解です。
ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向に懐疑的な本論考は、ネアンデルタール人の絶滅に関しても、当時(2004年前後)の主流的見解に疑問を呈します。当時、アフリカから拡散してきた現生人類によりネアンデルタール人は絶滅し、両者の間に交雑はなかった、との見解が主流でした。本論考は、同書の他の論考の著者の多くも「その匂いをまき散らしています」と批判的に言及しています。本論考はネアンデルタール人の絶滅について、ネアンデルタール人の人口規模は小さく、生活条件の悪化などにより衰退して絶滅したか、人口規模のより大きな現生人類と混血し、併呑される形で消滅した、と推測しています。ネアンデルタール人の絶滅に関しては諸説ありますが(関連記事)、今になってみると、本論考の見解はおおむね妥当だったのではないか、と思います。
ただ、手元にないのでどの本だったか忘れましたが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が提示された1997年より少し前に刊行された辞典的な本か教科書的な本で、ネアンデルタール人と現生人類の形態的違いは大きいものの、遺伝子を比較すればあまり変わらないのではないか、と片山氏は述べており、これは明確に間違いだったと言えるでしょう。片山氏は山極寿一との対談「直立歩行と言語をつなぐもの」にて、現生人類多地域進化説派であることを明言しており、近年では多地域進化説復権の傾向は確かにあるものの、それは部分的なものであるとも思います(関連記事)。
ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向に懐疑的な本論考は、洞窟壁画についても、「はでな傑作はともかく、つつましい洞窟絵画などはネアンデルタールの発明によるのではないか」と推測しています。現生人類の起源に関して、2003~2004年頃に完全置換説から交雑説に転向した私は、心情的には同書のなかでも本論考にとくに共感しました。しかし、さすがに洞窟壁画をネアンデルタール人が描いたと考えるのには無理があるかな、と思っていました。しかし、2005年に同書を読んだ後も本論考の見解がずっと頭に残り、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いていたと明らかになれば痛快だな、と妄想していました。
それだけに、イベリア半島南部の南部のネルハ洞窟(Nerja cave)の壁画がネアンデルタール人の所産かもしれない、と2012年2月に報道された時には大いに興奮したものです(関連記事)。残念ながらその後、ネルハ洞窟の壁画は現生人類の所産である可能性がきわめて高いと明らかになりましたが(関連記事)、2018年2月に、イベリア半島の複数の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人である可能性が高い、との研究が公表されました(関連記事)。正直なところ、2005年の時点でネアンデルタール人が洞窟壁画を描いた、との見解を提示した本論考について、同書の他の論考の執筆者はかなり批判的だったでしょうし、そうなれば面白いな、と思っていた私でさえ、かなり厳しいだろうな、と冷ややかでした。しかし今になってみると、本論考の見解は洞窟壁画に関しても妥当だったわけで、やはり碩学の見解は専門からやや離れた分野でも侮れないな、と改めて思ったものです。
参考文献:
片山一道、山極寿一(1998)「直立歩行と言語をつなぐもの」『大航海』22号(新書館)
片山一道(2005)「地球上から消えた人々」赤澤威編『ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る』(朝日新聞社)P57-87
そんな中で、同書の論考として異色なのが片山一道「地球上から消えた人々」です。本論考はまず、ネアンデルタール人と現生人類との形態学的違いは大きいとされているものの、現代人の中にも北極圏やオセアニアには現生人類の標準偏差から外れるほどの人々がいる、と指摘します。ネアンデルタール人も寒冷地に適応してボトルネック(瓶首効果)などの影響によって、現生人類とは異なる形態を発達させたのであり、ネアンデルタール人と現生人類との違いは、種が異なっていたからではなく、生活圏の異質さとボトルネックなどの偶然性を反映しているのではないか、というのが本論考の見解です。
ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向に懐疑的な本論考は、ネアンデルタール人の絶滅に関しても、当時(2004年前後)の主流的見解に疑問を呈します。当時、アフリカから拡散してきた現生人類によりネアンデルタール人は絶滅し、両者の間に交雑はなかった、との見解が主流でした。本論考は、同書の他の論考の著者の多くも「その匂いをまき散らしています」と批判的に言及しています。本論考はネアンデルタール人の絶滅について、ネアンデルタール人の人口規模は小さく、生活条件の悪化などにより衰退して絶滅したか、人口規模のより大きな現生人類と混血し、併呑される形で消滅した、と推測しています。ネアンデルタール人の絶滅に関しては諸説ありますが(関連記事)、今になってみると、本論考の見解はおおむね妥当だったのではないか、と思います。
ただ、手元にないのでどの本だったか忘れましたが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果が提示された1997年より少し前に刊行された辞典的な本か教科書的な本で、ネアンデルタール人と現生人類の形態的違いは大きいものの、遺伝子を比較すればあまり変わらないのではないか、と片山氏は述べており、これは明確に間違いだったと言えるでしょう。片山氏は山極寿一との対談「直立歩行と言語をつなぐもの」にて、現生人類多地域進化説派であることを明言しており、近年では多地域進化説復権の傾向は確かにあるものの、それは部分的なものであるとも思います(関連記事)。
ネアンデルタール人と現生人類との違いを強調する傾向に懐疑的な本論考は、洞窟壁画についても、「はでな傑作はともかく、つつましい洞窟絵画などはネアンデルタールの発明によるのではないか」と推測しています。現生人類の起源に関して、2003~2004年頃に完全置換説から交雑説に転向した私は、心情的には同書のなかでも本論考にとくに共感しました。しかし、さすがに洞窟壁画をネアンデルタール人が描いたと考えるのには無理があるかな、と思っていました。しかし、2005年に同書を読んだ後も本論考の見解がずっと頭に残り、ネアンデルタール人が洞窟壁画を描いていたと明らかになれば痛快だな、と妄想していました。
それだけに、イベリア半島南部の南部のネルハ洞窟(Nerja cave)の壁画がネアンデルタール人の所産かもしれない、と2012年2月に報道された時には大いに興奮したものです(関連記事)。残念ながらその後、ネルハ洞窟の壁画は現生人類の所産である可能性がきわめて高いと明らかになりましたが(関連記事)、2018年2月に、イベリア半島の複数の洞窟壁画を描いたのはネアンデルタール人である可能性が高い、との研究が公表されました(関連記事)。正直なところ、2005年の時点でネアンデルタール人が洞窟壁画を描いた、との見解を提示した本論考について、同書の他の論考の執筆者はかなり批判的だったでしょうし、そうなれば面白いな、と思っていた私でさえ、かなり厳しいだろうな、と冷ややかでした。しかし今になってみると、本論考の見解は洞窟壁画に関しても妥当だったわけで、やはり碩学の見解は専門からやや離れた分野でも侮れないな、と改めて思ったものです。
参考文献:
片山一道、山極寿一(1998)「直立歩行と言語をつなぐもの」『大航海』22号(新書館)
片山一道(2005)「地球上から消えた人々」赤澤威編『ネアンデルタール人の正体 彼らの「悩み」に迫る』(朝日新聞社)P57-87
この記事へのコメント