「縄文人」のゲノム解析(追記有)
「縄文人」のゲノム解析について報道されました。「縄文人のすべての遺伝情報を初めて解読できた」とのことですので、「縄文人」としては初めて高品質なゲノム配列が決定された、ということでしょうか。この「縄文人」は北海道の礼文島の船泊遺跡で発掘された3800年前頃の女性です。表現型では、皮膚の色は濃く、髪は細く巻き毛で、瞳は茶色で酒に強く、耳垢は湿っていることなどが明らかになったそうです。また、北極圏の住民に多く見られる、脂肪分の多い食べ物を代謝するのに有利に働く遺伝子の変異も見つかり、狩りや漁を中心とした生活の様子が裏づけられた、とのことです。
この船泊遺跡の「縄文人」女性から、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度と推定されています。また、「縄文人」の祖先は、38000~18000年前頃に、ユーラシア大陸の住民から分岐したと推定されているそうです。「縄文人」は遺伝的には、台湾先住民・韓国人・極東ロシアのウルチ人など、アジア東部沿岸の南北に広範な人々と近いことが明らかになった、とのことです。これらの情報はおおむね、篠田謙一氏の昨年(2018年)の解説記事(関連記事)や今年3月に刊行された著書(関連記事)で明らかにされていたので、とくに意外な感はありません。
ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度との推定に関しては、まだ確定的とは言えないでしょう。篠田氏の今年3月に刊行された著書では、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のミトコンドリアDNAハプログループの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測されています。今後、「縄文人」やユーラシア東部の古代DNA研究が進めば、「縄文人」がどのように形成されたのか、また現代日本列島にどの程度の遺伝的影響を残し、地域差はどれくらいあるのか、といったことがより詳細に解明されるのではないか、と期待されます。
追記(2019年5月14日)
国立科学博物館からのプレスリリースが公表されました。船泊遺跡の「縄文人」のゲノム解析に関する論文は今月(2019年5月)下旬に公表予定とのことです。
この船泊遺跡の「縄文人」女性から、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度と推定されています。また、「縄文人」の祖先は、38000~18000年前頃に、ユーラシア大陸の住民から分岐したと推定されているそうです。「縄文人」は遺伝的には、台湾先住民・韓国人・極東ロシアのウルチ人など、アジア東部沿岸の南北に広範な人々と近いことが明らかになった、とのことです。これらの情報はおおむね、篠田謙一氏の昨年(2018年)の解説記事(関連記事)や今年3月に刊行された著書(関連記事)で明らかにされていたので、とくに意外な感はありません。
ただ、現代日本人のゲノムに占める「縄文人」由来の領域は10%程度との推定に関しては、まだ確定的とは言えないでしょう。篠田氏の今年3月に刊行された著書では、現代日本人には東日本よりも西日本の「縄文人」の方がより多くの遺伝的影響を残していると推定されることと、縄文時代と現代のミトコンドリアDNAハプログループの比較から、現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は20%程度になりそうだ、と推測されています。今後、「縄文人」やユーラシア東部の古代DNA研究が進めば、「縄文人」がどのように形成されたのか、また現代日本列島にどの程度の遺伝的影響を残し、地域差はどれくらいあるのか、といったことがより詳細に解明されるのではないか、と期待されます。
追記(2019年5月14日)
国立科学博物館からのプレスリリースが公表されました。船泊遺跡の「縄文人」のゲノム解析に関する論文は今月(2019年5月)下旬に公表予定とのことです。
この記事へのコメント
この全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8~2千年前の東南アジア人など80を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施したところ,この縄文人女性と現在のラオスに約8千年前にいた狩猟採集民の古人骨のゲノムがよく似ていることが分かったそうです。この論文は同月6日に国際学術誌「Science」に掲載されたとのことです。
この研究では、縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられたとされています。
雑記帳では当時、この件についての記事を書かれましたか?(私は見つけられなかったのですが)
https://sicambre.at.webry.info/201807/article_11.html
縄文人といっても、三貫地、伊川津そして今回の船泊と、時代と地域によってかなり差があるという印象を持っていますが、おっしゃる通り、今後の研究を待ちたいですね。