ネアンデルタール人と現生人類の共通祖先集団のユーラシアでの進化
『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』では、ホモ属の分岐がユーラシアで起きた、と主張されています(関連記事)。ホモ属としてエレクトス(Homo erectus)が最初にアフリカからユーラシアへと拡散し、ユーラシアでネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のデニソワ人(Denisovan)などに分岐していき、アフリカに「戻った」一部の系統から現生人類が派生した、というわけです。これは、現生人類系統がアフリカでずっと進化したと仮定する有力説よりも、ホモ属の大規模な移住回数をより少なく想定できることが根拠の一つとなっています。
同書は、有力説に従うと、ホモ属の大規模な移住が4回必要になる、と指摘します。その4回とはいずれもアフリカからユーラシアへの移動で、180万年以上前のエレクトス、その後の「超旧人類」、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先、現生人類です。「超旧人類」とは、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先系統と140万~90万年前頃に分岐し、デニソワ人と交雑した、と推測されている遺伝学的に未知のホモ属です(関連記事)。一方、エレクトスによるホモ属最初の出アフリカの後、ユーラシアでホモ属が分岐していった、とする同書の見解では、ホモ属の大規模な移住は、180万年以上前のエレクトスの出アフリカ、エレクトスの子孫系統の一部のユーラシアからアフリカへの「帰還」、現生人類の出アフリカの3回と想定されるので、有力説より節約的というわけです。
しかし、こうしたアフリカとユーラシアの間のホモ属の移動は珍しくなく、現代人には遺伝的影響を残していない人類系統によるアフリカからユーラシアへの拡散も少なからずあった、と考えると、ホモ属の大規模な移住の回数をより少なく想定できるからといって、同書の見解が説得的であるとは言えないように思います。このように考えるのは、現代人の祖先ではなさそうな人類系統の出アフリカが珍しくなかったことを示唆する証拠が提示されているからです。たとえば、中国北部では212万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。これは現時点ではほぼ完全に孤立した証拠で、どの人類系統の製作なのか、不明です。エレクトスかもしれませんが、現時点では可能性は低いと考えるべきでしょう。240万~140万年前頃にアフリカにいた、ハビリス(Homo habilis)のようなエレクトス以前のホモ属や、ホモ属よりも前(一部はホモ属と共存)の人類であるアウストラロピテクス属が、この212万年前頃の石器を製作した可能性も提示されています。
こうした可能性は、他の証拠からも支持され得ます。ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された人類遺骸には、アウストラロピテクス属的な祖先的特徴とホモ属的な派生的特徴とが混在しており、脳もホモ属としては小さく、推定脳容量は546~780㎤です(関連記事)。また、アジア南東部の島嶼部で発見された人類遺骸の中には、ホモ属に分類されているものの、その祖先的特徴から、アウストラロピテクス属的特徴の強い系統の子孫と推測されているものもあります。一方は、インドネシア領フローレス島で発見されたホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)で(関連記事)、もう一方は、ルソン島で発見されたホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)です(関連記事)。私は、フロレシエンシスもルゾネンシスもエレクトスから派生し、祖先的とされる特徴は島嶼化による小型化に起因するのではないか、と考えていますが、中国北部の212万年前頃の石器の事例からも、エレクトスよりも前のアウストラロピテクス属的特徴を強く保持する人類系統が、220万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した可能性は高いと思います。
そうすると、ホモ属も含めて人類の大規模な出アフリカはきょくたんに珍しいことではなく、大規模な移住回数をより少なく想定できることは、仮説の確たる根拠にはなり得ない、と思います。もちろん、アフリカからユーラシアへと拡散した人類がアフリカに「戻る」こともあったでしょうし、そうした系統の中から現生人類が派生した可能性もあるとは思います。また、スペイン北部で発見された96万~80万年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)に、現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られることも『交雑する人類』は根拠として挙げており、同書のホモ属進化に関する見解に一定以上の説得性があることは確かでしょう。しかし今後、現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られる100万年前頃のホモ属化石が、アフリカで発見される可能性はかなり高いのではないか、と私は予想しています。
同書は、有力説に従うと、ホモ属の大規模な移住が4回必要になる、と指摘します。その4回とはいずれもアフリカからユーラシアへの移動で、180万年以上前のエレクトス、その後の「超旧人類」、ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先、現生人類です。「超旧人類」とは、現生人類・ネアンデルタール人・デニソワ人の共通祖先系統と140万~90万年前頃に分岐し、デニソワ人と交雑した、と推測されている遺伝学的に未知のホモ属です(関連記事)。一方、エレクトスによるホモ属最初の出アフリカの後、ユーラシアでホモ属が分岐していった、とする同書の見解では、ホモ属の大規模な移住は、180万年以上前のエレクトスの出アフリカ、エレクトスの子孫系統の一部のユーラシアからアフリカへの「帰還」、現生人類の出アフリカの3回と想定されるので、有力説より節約的というわけです。
しかし、こうしたアフリカとユーラシアの間のホモ属の移動は珍しくなく、現代人には遺伝的影響を残していない人類系統によるアフリカからユーラシアへの拡散も少なからずあった、と考えると、ホモ属の大規模な移住の回数をより少なく想定できるからといって、同書の見解が説得的であるとは言えないように思います。このように考えるのは、現代人の祖先ではなさそうな人類系統の出アフリカが珍しくなかったことを示唆する証拠が提示されているからです。たとえば、中国北部では212万年前頃の石器が発見されています(関連記事)。これは現時点ではほぼ完全に孤立した証拠で、どの人類系統の製作なのか、不明です。エレクトスかもしれませんが、現時点では可能性は低いと考えるべきでしょう。240万~140万年前頃にアフリカにいた、ハビリス(Homo habilis)のようなエレクトス以前のホモ属や、ホモ属よりも前(一部はホモ属と共存)の人類であるアウストラロピテクス属が、この212万年前頃の石器を製作した可能性も提示されています。
こうした可能性は、他の証拠からも支持され得ます。ジョージア(グルジア)のドマニシ(Dmanisi)遺跡で発見された人類遺骸には、アウストラロピテクス属的な祖先的特徴とホモ属的な派生的特徴とが混在しており、脳もホモ属としては小さく、推定脳容量は546~780㎤です(関連記事)。また、アジア南東部の島嶼部で発見された人類遺骸の中には、ホモ属に分類されているものの、その祖先的特徴から、アウストラロピテクス属的特徴の強い系統の子孫と推測されているものもあります。一方は、インドネシア領フローレス島で発見されたホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)で(関連記事)、もう一方は、ルソン島で発見されたホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)です(関連記事)。私は、フロレシエンシスもルゾネンシスもエレクトスから派生し、祖先的とされる特徴は島嶼化による小型化に起因するのではないか、と考えていますが、中国北部の212万年前頃の石器の事例からも、エレクトスよりも前のアウストラロピテクス属的特徴を強く保持する人類系統が、220万年以上前にアフリカからユーラシアへと拡散した可能性は高いと思います。
そうすると、ホモ属も含めて人類の大規模な出アフリカはきょくたんに珍しいことではなく、大規模な移住回数をより少なく想定できることは、仮説の確たる根拠にはなり得ない、と思います。もちろん、アフリカからユーラシアへと拡散した人類がアフリカに「戻る」こともあったでしょうし、そうした系統の中から現生人類が派生した可能性もあるとは思います。また、スペイン北部で発見された96万~80万年前頃のホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)に、現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られることも『交雑する人類』は根拠として挙げており、同書のホモ属進化に関する見解に一定以上の説得性があることは確かでしょう。しかし今後、現生人類とネアンデルタール人双方の特徴が見られる100万年前頃のホモ属化石が、アフリカで発見される可能性はかなり高いのではないか、と私は予想しています。
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