ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析
ポーランド南部の後期新石器時代集団墓地の被葬者のDNA解析に関する研究(Schroeder et al., 2019)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ポーランド南部のコシツェ(Koszyce)村の集団墓地で2011年に発掘調査が行なわれました。この集団墓地は球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(GA)と関連しており、殺害された成人と子供の計15人が丁寧に埋葬されていました。16点の放射性炭素年代測定から、この虐殺事件は紀元前2880~紀元前2776年と推定されました。
埋葬された15人の内訳は、男性が8人、女性が7人です。男性のうち成人が3人、10代が2人、10歳未満の子供が3人で、女性のうち成人が5人、10代が2人です。最高齢は50~60歳の女性で、最年少は1.5~2歳の男児です。この15人のゲノムが解析され、網羅率は1.1~3.9倍です。コシツェなどGA集団は、遺伝的には旧石器時代~中石器時代以来のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアナトリア半島起源の新石器時代農耕民集団(ANF)の混合により形成され、WHGよりANFの方が影響は強くなっています。これはヨーロッパの他地域の新石器時代農耕民集団と同様です。ゲノム解析から表現型も推測されており、この15人はほとんど、褐色の目、黒もしくはダークブロンドの髪と、中間的から濃い肌の色を有していました。
この15人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aやK1a1b1eなど6タイプに分類されましたが、8人の男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)は全員I2a1b1a2b1に分類されました。ホモ接合性から、この15人では近親交配の痕跡はない、と推測されています。この15人では、近親度からおもに4つの核家族が確認されました。母親が子供を抱き、きょうだいが隣同士になっているなど、親族関係に応じた埋葬になっていることから、この15人をよく知る者が埋葬した、と考えられます。この件に関して興味深いのは、母親と息子の組み合わせが4組存在するのにたいして、父親と息子の組み合わせは1組しか存在しないことで、被葬者の父親たちがこの15人を埋葬した可能性を本論文は提示しています。
YHgの分析から、コシツェ遺跡のGA集団は父系的社会を形成していた、と考えられます。後期新石器時代~初期青銅器時代のドイツのバイエルン州南部では父系的社会の存在が確認されており(関連記事)、当時ヨーロッパ中央部では父系的社会が一般的だったのかもしれません。ただ、コシツェ遺跡の男女間で、ストロンチウム同位体比の明確な違いは確認されませんでした。しかし、mtHgの多様性とYHgの単一性から、コシツェのGA集団は父系的だった、と本論文は指摘します。GA集団はおもにウシの牧畜に依存していたようです。この生業形態の遊動性は、分裂と融合の流動的な社会を形成したと考えられます。コシツェ遺跡の15人のストロンチウム同位体比からも、比較的高い遊動性が示唆されています。コシツェ遺跡のGA集団は父系的で大規模な拡大家族を形成していた、と推測されています。
コシツェ遺跡の15人には全員、負傷の痕跡が見られ、最も一般的なのは頭蓋の骨折です。これは、頭部への強打が死因だったことを示唆します。上肢の骨折がないことから、この15人は戦死したのではなく、捕らえられて処刑された、と推測されます。これは、ヨーロッパ先史時代の特定段階における広範で高頻度の暴力パターンに当てはまり、新石器時代には、人口圧力から資源や土地をめぐる競争が激化したのではないか、と推測されます(関連記事)。新石器時代における集団間の紛争は、共同体全体を標的とするか、男性に特化しているかのどちらかに分類されるようで、後者の場合、成人女性や子供は捕虜の対象です。コシツェ遺跡の場合は、儀式的暴力や家族内殺人の可能性も排除できませんが、共同体全体が標的とされていただろう、と本論文は推測します。成人男性が少ないことから、彼らは襲撃時に集落から離れた場所にいたか、逃亡した、と本論文は推測しています。あるいは、コシツェ遺跡の成人男性が狩猟や他集落の襲撃に出かけた隙を狙われたのかもしれません。
紀元前2880~紀元前2776年頃に起きたコシツェ遺跡の虐殺の原因の特定は将来も不可能でしょうが、縄目文土器(Corded Ware)文化が急速にヨーロッパ中央部に拡大してきた時期と合致していることに、本論文は注目しています。早期縄目文土器文化集団も含むポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の遺伝的影響をGA集団が受けていないことから、コシツェ遺跡のGA集団は縄目文土器文化集団と敵対的関係にあり、その紛争の中で虐殺事件が起きたのかもしれません。本論文は、遺伝学・形態学・考古学(同位体分析)を統合した興味深い結果を提示しており、同様の研究はヨーロッパを中心に盛んになりつつあるように思いますが、日本列島も含めてユーラシア東部圏でも同様の研究が進展するよう、期待しています。
参考文献:
Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116
埋葬された15人の内訳は、男性が8人、女性が7人です。男性のうち成人が3人、10代が2人、10歳未満の子供が3人で、女性のうち成人が5人、10代が2人です。最高齢は50~60歳の女性で、最年少は1.5~2歳の男児です。この15人のゲノムが解析され、網羅率は1.1~3.9倍です。コシツェなどGA集団は、遺伝的には旧石器時代~中石器時代以来のヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)とアナトリア半島起源の新石器時代農耕民集団(ANF)の混合により形成され、WHGよりANFの方が影響は強くなっています。これはヨーロッパの他地域の新石器時代農耕民集団と同様です。ゲノム解析から表現型も推測されており、この15人はほとんど、褐色の目、黒もしくはダークブロンドの髪と、中間的から濃い肌の色を有していました。
この15人のミトコンドリアDNA(mtDNA)とY染色体DNAも解析されました。mtDNAハプログループ(mtHg)はHV0aやK1a1b1eなど6タイプに分類されましたが、8人の男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)は全員I2a1b1a2b1に分類されました。ホモ接合性から、この15人では近親交配の痕跡はない、と推測されています。この15人では、近親度からおもに4つの核家族が確認されました。母親が子供を抱き、きょうだいが隣同士になっているなど、親族関係に応じた埋葬になっていることから、この15人をよく知る者が埋葬した、と考えられます。この件に関して興味深いのは、母親と息子の組み合わせが4組存在するのにたいして、父親と息子の組み合わせは1組しか存在しないことで、被葬者の父親たちがこの15人を埋葬した可能性を本論文は提示しています。
YHgの分析から、コシツェ遺跡のGA集団は父系的社会を形成していた、と考えられます。後期新石器時代~初期青銅器時代のドイツのバイエルン州南部では父系的社会の存在が確認されており(関連記事)、当時ヨーロッパ中央部では父系的社会が一般的だったのかもしれません。ただ、コシツェ遺跡の男女間で、ストロンチウム同位体比の明確な違いは確認されませんでした。しかし、mtHgの多様性とYHgの単一性から、コシツェのGA集団は父系的だった、と本論文は指摘します。GA集団はおもにウシの牧畜に依存していたようです。この生業形態の遊動性は、分裂と融合の流動的な社会を形成したと考えられます。コシツェ遺跡の15人のストロンチウム同位体比からも、比較的高い遊動性が示唆されています。コシツェ遺跡のGA集団は父系的で大規模な拡大家族を形成していた、と推測されています。
コシツェ遺跡の15人には全員、負傷の痕跡が見られ、最も一般的なのは頭蓋の骨折です。これは、頭部への強打が死因だったことを示唆します。上肢の骨折がないことから、この15人は戦死したのではなく、捕らえられて処刑された、と推測されます。これは、ヨーロッパ先史時代の特定段階における広範で高頻度の暴力パターンに当てはまり、新石器時代には、人口圧力から資源や土地をめぐる競争が激化したのではないか、と推測されます(関連記事)。新石器時代における集団間の紛争は、共同体全体を標的とするか、男性に特化しているかのどちらかに分類されるようで、後者の場合、成人女性や子供は捕虜の対象です。コシツェ遺跡の場合は、儀式的暴力や家族内殺人の可能性も排除できませんが、共同体全体が標的とされていただろう、と本論文は推測します。成人男性が少ないことから、彼らは襲撃時に集落から離れた場所にいたか、逃亡した、と本論文は推測しています。あるいは、コシツェ遺跡の成人男性が狩猟や他集落の襲撃に出かけた隙を狙われたのかもしれません。
紀元前2880~紀元前2776年頃に起きたコシツェ遺跡の虐殺の原因の特定は将来も不可能でしょうが、縄目文土器(Corded Ware)文化が急速にヨーロッパ中央部に拡大してきた時期と合致していることに、本論文は注目しています。早期縄目文土器文化集団も含むポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)起源の集団の遺伝的影響をGA集団が受けていないことから、コシツェ遺跡のGA集団は縄目文土器文化集団と敵対的関係にあり、その紛争の中で虐殺事件が起きたのかもしれません。本論文は、遺伝学・形態学・考古学(同位体分析)を統合した興味深い結果を提示しており、同様の研究はヨーロッパを中心に盛んになりつつあるように思いますが、日本列島も含めてユーラシア東部圏でも同様の研究が進展するよう、期待しています。
参考文献:
Schroeder H. et al.(2019): Unraveling ancestry, kinship, and violence in a Late Neolithic mass grave. PNAS, 116, 22, 10705–10710.
https://doi.org/10.1073/pnas.1820210116
この記事へのコメント