神武天皇のY染色体
皇位継承にさいして男系維持派がY染色体を根拠とすることについては、すでに11年半近く前(2007年11月)に当ブログで述べましたが(関連記事)、今でも男系維持派がY染色体を根拠とすることもあり、一部?の界隈ではすっかり定着したようです。この問題について当時も今も思うのは、皇位継承のような物語性の強い社会的合意事項に安易に自然科学の概念を持ち込むべきではない、ということです。重要なのは、少なくとも6世紀半ば以降、皇位(大王位)が男系で継承されてきた、という社会的合意(前近代において、その社会の範囲は広くなかったでしょうが)であり、それは自然科学の概念とは馴染まない、と思います。
男系継承においてY染色体を根拠にしてしまうと、生物学的確実性が要求されるわけで、どこかで「間違い」が起きた場合、それ以降の天皇の正統性が損なわれることになります。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。
この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。
現実の「間違い」としては、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例があります(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179~180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。なお直仁親王は、正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。
持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし上述したように、皇位の父系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは明らかで、そのさいに重要なのは、あくまでも皇位継承者が「初代天皇」と男系でつながっているという社会的認知であり、Y染色体を持ち出す必要はまったくないばかりか、有害でしかありません。何よりも、Y染色体を根拠とすれば過去の女性天皇の正統性が損なわれるわけで、父系で「初代天皇」とつながっている、という社会的合意があれば充分でしょう。
少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6~7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。
藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきだと思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。また、藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することは無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。
もちろん、古代に限らず、日本において母方も財産やそれに基づく政治的地位に大きく貢献していますが、それは現生人類(Homo sapiens)において普遍的な、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来するのだと思います。こうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点は重要だと思います(関連記事)。その意味で、古代日本社会を双系的と解釈する見解には一定以上の妥当性があると思います。しかし、少なくとも皇族(王族)や有力氏族は6世紀半ば以降に父系的構造を形成して維持しており、母方も重要だからと言って母系的とは言えないでしょう。支配層の母系継承かもしれない事例としては、9世紀~12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。
そもそも、人類は父系的な社会から現在のような多様な社会構造を築いた、と私は考えています(関連記事)。人類社会において父系的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、「唯物史観」での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られます。それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。人類におけるこうした社会構造の柔軟性をもたらしたのは、上述したように、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来すると思います。少なくとも現生人類にはこの特徴が顕著に発達していますが、それはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にもある程度以上共通している可能性もあるとは思います。
最後に話を皇位継承に戻すと、現在の規定において皇位継承が危機に瀕していることは、この問題に関心のある人が等しく認めているでしょう。それでも解決策の検討が具体的に進展しないのは、悠仁親王の存在が大きいと思います。しかし、現行の規定でも数十年後の皇位継承を可能とするには、もはや悠仁親王が男子を儲けるしかなく、それに期待すると言ってしまうような政治家はあまりにも無責任で(関連記事)、政治家失格と言うべきでしょう。これも、政治家をはじめとして有力者には50代後半以上が多く、悠仁親王の結婚と子供が本格的に問題になる頃にはすでに死んでいるか、現役ではないからだと思います。これは解決困難な問題の先送りに他ならず、多くの解決困難な問題を抱える現代日本社会の弱点ですが、現代日本社会でとくに深刻というわけではなく、人類社会に普遍的な事象だと思います。とくに皇位継承問題は、政治家にとって票になりにくい上に、どのような解決策でも影響力があり声の大きな複数の著名人に批判されることになるので、政治家が先送りにしたいという心情はよく理解できます。
正直なところ、1980年代に小学校高学年だった頃から近年までずっと天皇制廃止論者だった私としては、このまま男系維持派に大きな声を挙げ続けてもらい、天皇制が自然に消滅してほしい、とさえ考えたくなりますが、近年では天皇制廃止論にやや否定的になったので、天皇制の自然消滅を強く願っているわけではありません。なお、小学校高学年から天皇制廃止論者だった私は、当然のごとく改憲を支持しており、日本国憲法第9条も改正して軍隊の保有を明記すべきだ、とずっと考えてきました。これは今でも変わりませんが、少数派の改憲論だという自覚は小学生の頃からあったので、ネットでの匿名での発言以外では、誰かに打ち明けたことはありません。
現状では、皇位継承の長期的な安定性を確保するには、男系維持の立場からの旧宮家の男性の皇族への復帰か、まだ若い女性皇族がいるうちに女系継承も認めるかのどちらかしかないと思います。皇位継承が長期にわたって男系を大前提としてきたことは間違いありませんが、誕生時には皇族ではなかった男性が即位した事例(醍醐天皇)もあるとはいえ、父系では600年以上さかのぼらないと天皇にたどりつかない人物が、即位はもちろん皇族に復帰することもあまりにも異例の事態で、正直なところ、国民の理解が得られるのか、はなはだ疑問です。少なくとも現時点では、女系継承の方が国民の圧倒的に多くの支持を得られそうです。しかしこれも、愛子内親王への国民の期待によるところが大きく、旧宮家の男性で、人格・知性・体力・容貌に優れた人物がいれば、旧宮家の皇族復帰が国民の圧倒的支持を得られるようになるのではないか、と思います。
私は、男系による皇位継承は長期にわたって大前提ではあったものの、天皇(大王)の本質としては、時代の変化に柔軟に対応して存続してきたことの方が重要だと思うので、日本が今後属すべき社会の価値観という観点からも、若い女性皇族がまだ複数いるうちに女系継承を認めるべきだと思います。ただ、政府、とくに現在の安倍晋三内閣がそう決断するのは、支持基盤の問題もあって難しいでしょうから、このまま女性皇族が結婚により次々と皇族を離れていき、悠仁親王に息子が期待できないような状況になってやっと、皇室典範の改正により旧宮家の男性の皇族復帰が検討されるようになるのではないか、と予想しています。まあそれでも、天皇制廃止よりはましなのかな、と最近では考えています。
男系継承においてY染色体を根拠にしてしまうと、生物学的確実性が要求されるわけで、どこかで「間違い」が起きた場合、それ以降の天皇の正統性が損なわれることになります。もちろん、現実には宮中においてそうした「間違い」が生じる危険性はかなり低いとは思います。ただ、皇位(大王位)の男系継承が6世紀半ば以降としても、すでに1400年以上経過しているわけで、どこかで1回「間違い」が起きた可能性は無視できるほど低いものではないと思います。
この問題でよく言及されるのは『源氏物語』でしょうが、これはあくまでも創作であり、じっさいに「間違い」が起きた根拠にはできませんし、そうした「間違い」が起きる危険性はかなり低かったのかもしれません。ただ、皇后に仕えて後宮の事情に精通していただろう紫式部が『源氏物語』でわざわざ「間違い」を取り入れたのは、ある程度以上の現実性があったからではないか、とも考えられます。もっとも、『源氏物語』での「間違い」の結果でも、「初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない天皇が即位したわけではありませんが。具体的な「間違い」ではありませんが、状況証拠的な事例としては、江戸時代初期の猪熊事件があります。
現実の「間違い」としては、崇光天皇の皇太子に立てられた直仁親王が、公式には花園院の息子とされていたのに、実は光厳院の息子だった、という事例があります(佐伯智広『皇位継承の中世史 血統をめぐる政治と内乱』P179~180)。直仁親王が崇光天皇の皇太子に立てられたのは光厳院の意向で、花園院の甥の光厳院が親王時代に世話になった叔父に報いた、という美談として当時は受け取られたかもしれませんが、裏にはそうした事情があったわけです。なお、光厳院は院政を継続するために、直仁親王を皇太子に立てるさいに養子としています。もちろん、直仁親王が光厳院の実子だったのか否か、DNA鑑定がされたはずもなく断定できるわけではありませんが、少なくとも光厳院は直仁親王が実子だと確信していました。もっとも、直仁親王の事例にしても、『源氏物語』と同じく、初代天皇」と生物学的に父系でつながっていない男性が天皇に即位する予定だったわけではありませんが。なお直仁親王は、正平一統により皇太子を廃され即位できず、その子孫が即位することもありませんでした。
持統天皇以降には火葬された天皇も多く、また飛鳥時代以前には天皇(大王)の陵墓も確実ではない場合がほとんどで、そもそも天皇陵とされている古墳の調査には制約が大きいので、天皇(大王)だったかもしれない人物のDNA解析は実質的に不可能です。また、仮にほぼ天皇と間違いない遺骸のDNA解析が技術的には可能だとしても、じっさいに解析して現代の皇族と比較するようなことを宮内庁、さらには政府が許可するとも思えません。その意味で、Y染色体を根拠とする男系維持派も、その多くは、実質的にDNA解析は不可能だと考えて、無責任にY染色体を根拠としているのでしょう。しかし上述したように、皇位の父系継承の根拠としてY染色体を持ち出せば、生物学的確実性が要求されるわけで、女系容認派や天皇制廃止派に付け入る隙を与えるだけの愚行だと思います。少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは明らかで、そのさいに重要なのは、あくまでも皇位継承者が「初代天皇」と男系でつながっているという社会的認知であり、Y染色体を持ち出す必要はまったくないばかりか、有害でしかありません。何よりも、Y染色体を根拠とすれば過去の女性天皇の正統性が損なわれるわけで、父系で「初代天皇」とつながっている、という社会的合意があれば充分でしょう。
少なくとも6世紀以降の皇位継承が男系を大前提としていたことは、例外がないことからも明らかです。称徳→光仁・称光→後花園・後桃園→光格といった事例のように、前天皇とは血縁関係の遠い人物が即位したことは歴史上何度かありますが、いずれにしても男系で皇統につながっています。また、皇后の在り様からも、8世紀初頭においてすでに、皇位継承が男系に限定されていた、と窺えます。皇后の条件は令においてとくに規定されていませんが(これは、天皇について令で規定されていないことと通じると思います)、妃の条件が内親王であることと、藤原氏出身の光明子を皇后に立てるさいの聖武天皇の勅の歯切れがきわめて悪いことから、皇后には皇族(内親王)が想定されていた、と考えるのが妥当でしょう。これは、6~7世紀には皇后(大后)の即位が珍しくなかったからだと思います。その意味で、光明子が皇后に立てられたのは画期であり、これ以降、皇后が即位することはなくなります。皇族でなくとも皇后に立てられるという先例ができた以上、皇后を即位させるという選択肢がなくなったのでしょう。
藤原氏が皇后を次々と輩出し、天皇の外戚となることで権力を掌握したことも、男系での皇位継承を大前提とする体制に順応したと解釈すべきだと思います。藤原氏はあくまでも、娘を天皇もしくは皇位継承の有力者の「正妃」とすることで権力を掌握しようとしたのであって、自身が即位しようという具体的な動きは確認されていません。また、藤原氏出身の女性を母とする天皇は奈良時代以降多いのですが、これを母系的観点から解釈することは無理筋だと思います。藤原氏自身も父系的な氏族であり、藤原氏の娘は基本的に母系ではなく父系により高貴な出自を保証されているからです。
もちろん、古代に限らず、日本において母方も財産やそれに基づく政治的地位に大きく貢献していますが、それは現生人類(Homo sapiens)において普遍的な、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来するのだと思います。こうした特徴が人類社会を重層的に組織化した、との観点は重要だと思います(関連記事)。その意味で、古代日本社会を双系的と解釈する見解には一定以上の妥当性があると思います。しかし、少なくとも皇族(王族)や有力氏族は6世紀半ば以降に父系的構造を形成して維持しており、母方も重要だからと言って母系的とは言えないでしょう。支配層の母系継承かもしれない事例としては、9世紀~12世紀の北アメリカ大陸のプエブロボニート(Pueblo Bonito)遺跡が挙げられていますが(関連記事)、それは古代日本の皇族・有力氏族の地位・財産継承とは大きく異なります。
そもそも、人類は父系的な社会から現在のような多様な社会構造を築いた、と私は考えています(関連記事)。人類社会において父系的な継承が多いのは、それが長く基準だったからで、「唯物史観」での想定とはまったく異なり、農耕開始以降に初めて出現したわけではない、というわけです。現代および記録上の人類社会では、父系的とは言えないような社会構造も見られます。それはアフリカから世界中への拡散を可能とした現生人類の柔軟性に起因し、「未開社会」に父系的ではなさそうな事例があることは、人類の「原始社会」が母系的だったことの証拠にはならない、と私は考えています。そもそも、「未開社会」も「文明社会」と同じ時間を過ごしてきたのであり、過去の社会構造を維持しているとは限らない、という視点を忘れるべきではないでしょう。人類におけるこうした社会構造の柔軟性をもたらしたのは、上述したように、所属集団を変えても元の集団への帰属意識を持ち続ける、という特徴に由来すると思います。少なくとも現生人類にはこの特徴が顕著に発達していますが、それはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)など他系統の人類にもある程度以上共通している可能性もあるとは思います。
最後に話を皇位継承に戻すと、現在の規定において皇位継承が危機に瀕していることは、この問題に関心のある人が等しく認めているでしょう。それでも解決策の検討が具体的に進展しないのは、悠仁親王の存在が大きいと思います。しかし、現行の規定でも数十年後の皇位継承を可能とするには、もはや悠仁親王が男子を儲けるしかなく、それに期待すると言ってしまうような政治家はあまりにも無責任で(関連記事)、政治家失格と言うべきでしょう。これも、政治家をはじめとして有力者には50代後半以上が多く、悠仁親王の結婚と子供が本格的に問題になる頃にはすでに死んでいるか、現役ではないからだと思います。これは解決困難な問題の先送りに他ならず、多くの解決困難な問題を抱える現代日本社会の弱点ですが、現代日本社会でとくに深刻というわけではなく、人類社会に普遍的な事象だと思います。とくに皇位継承問題は、政治家にとって票になりにくい上に、どのような解決策でも影響力があり声の大きな複数の著名人に批判されることになるので、政治家が先送りにしたいという心情はよく理解できます。
正直なところ、1980年代に小学校高学年だった頃から近年までずっと天皇制廃止論者だった私としては、このまま男系維持派に大きな声を挙げ続けてもらい、天皇制が自然に消滅してほしい、とさえ考えたくなりますが、近年では天皇制廃止論にやや否定的になったので、天皇制の自然消滅を強く願っているわけではありません。なお、小学校高学年から天皇制廃止論者だった私は、当然のごとく改憲を支持しており、日本国憲法第9条も改正して軍隊の保有を明記すべきだ、とずっと考えてきました。これは今でも変わりませんが、少数派の改憲論だという自覚は小学生の頃からあったので、ネットでの匿名での発言以外では、誰かに打ち明けたことはありません。
現状では、皇位継承の長期的な安定性を確保するには、男系維持の立場からの旧宮家の男性の皇族への復帰か、まだ若い女性皇族がいるうちに女系継承も認めるかのどちらかしかないと思います。皇位継承が長期にわたって男系を大前提としてきたことは間違いありませんが、誕生時には皇族ではなかった男性が即位した事例(醍醐天皇)もあるとはいえ、父系では600年以上さかのぼらないと天皇にたどりつかない人物が、即位はもちろん皇族に復帰することもあまりにも異例の事態で、正直なところ、国民の理解が得られるのか、はなはだ疑問です。少なくとも現時点では、女系継承の方が国民の圧倒的に多くの支持を得られそうです。しかしこれも、愛子内親王への国民の期待によるところが大きく、旧宮家の男性で、人格・知性・体力・容貌に優れた人物がいれば、旧宮家の皇族復帰が国民の圧倒的支持を得られるようになるのではないか、と思います。
私は、男系による皇位継承は長期にわたって大前提ではあったものの、天皇(大王)の本質としては、時代の変化に柔軟に対応して存続してきたことの方が重要だと思うので、日本が今後属すべき社会の価値観という観点からも、若い女性皇族がまだ複数いるうちに女系継承を認めるべきだと思います。ただ、政府、とくに現在の安倍晋三内閣がそう決断するのは、支持基盤の問題もあって難しいでしょうから、このまま女性皇族が結婚により次々と皇族を離れていき、悠仁親王に息子が期待できないような状況になってやっと、皇室典範の改正により旧宮家の男性の皇族復帰が検討されるようになるのではないか、と予想しています。まあそれでも、天皇制廃止よりはましなのかな、と最近では考えています。
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