バスク人の起源とインド・ヨーロッパ語族の拡散
当ブログではバスク人についてほとんど言及していませんが、その起源と関わる研究を取り上げたことがあります。バスク人は、インド・ヨーロッパ語族集団が支配的なヨーロッパにおいて、孤立言語であるバスク語を話しているため、その起源について関心が寄せられてきました。バスク語の孤立性から、バスク人は旧石器時代や中石器時代からイベリア半島で継続してきた集団で、比較的孤立していたのではないか、との見解が長い間有力でした。
古代DNA研究が進むと、ヨーロッパの他地域と同じく、バスク人は新石器時代になってアナトリア半島からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されました(関連記事)。もっとも、ヨーロッパの他の多くの地域と同様にイベリア半島北部においても、アナトリア半島起源の農耕民集団は、じょじょに更新世からの在来狩猟採集民集団と交雑していった、と推測されています。バスク人は遺伝的には、ヨーロッパにおいてきわだって特異的な存在ではないだろう、というわけです。
もっとも、現代ヨーロッパ人の起源については、アナトリア半島起源の農耕民集団と更新世からの在来の狩猟採集民集団との融合だけでは説明できません。現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に大きな影響を及ぼしているのは、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団です(関連記事)。ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、青銅器時代のヨーロッパにおけるポントス-カスピ海草原地帯起源の遊牧民集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。この遊牧民集団のヨーロッパへの拡散は、とくに父系において大きな影響力を有した、と推測されています(関連記事)。15世紀末以降のアメリカ大陸もそうですが、征服的側面の強い大規模な人類集団の移動は男性主体で、被征服地はとくに父系で強い影響を受ける傾向にあるのかもしれません。バスク人も、この遊牧民集団の遺伝的影響を強く受けています(関連記事)。
ヤムナヤ文化集団の大規模な拡散は、インド・ヨーロッパ語族の拡散との関連でも注目されています。インド・ヨーロッパ語族の起源について大別すると、アナトリア半島の初期農耕民説とロシア南西部草原地帯説があります。後者の仮説の発展版が、ヤムナヤ文化集団によるヨーロッパやアジア南西部・中央部・南部という広範な地域へのインド・ヨーロッパ語族の拡散説です。この見解は近年では有力になりつつあるように思います。しかし、アナトリア半島に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の前にインド・ヨーロッパ語族系言語が用いられており、アジア中央部および南部に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんどない、との見解も提示されています(関連記事)。
それでも、ヨーロッパに関しては、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族を広めた可能性は高そうです。しかし、ヨーロッパの他地域と同様にヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けたバスク人の言語はインド・ヨーロッパ語族ではありません。なぜこのような違いが生じたのか、現時点ではよく分かりません。バスク人は、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けた後は、遺伝的には比較的孤立していたと推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団はヨーロッパにおいて全地域集団の言語をインド・ヨーロッパ語族に転換させたわけではなく、当初は新石器時代以来の言語を保持し続けた集団もそれなりに存在したものの、他集団との交流により次第にインド・ヨーロッパ語族へと転換していった中、バスク人は比較的孤立していたので、新石器時代以来の言語を保持し続けたのかもしれません。そうだとすると、バスク人の言語が新石器時代にイベリア半島に拡散してきたアナトリア半島農耕民集団に由来するのか、それとも中石器時代以前の狩猟採集民集団に由来するのか、気になるところです。
古代DNA研究が進むと、ヨーロッパの他地域と同じく、バスク人は新石器時代になってアナトリア半島からイベリア半島に進出してきた初期農耕民の子孫ではないか、との見解が提示されました(関連記事)。もっとも、ヨーロッパの他の多くの地域と同様にイベリア半島北部においても、アナトリア半島起源の農耕民集団は、じょじょに更新世からの在来狩猟採集民集団と交雑していった、と推測されています。バスク人は遺伝的には、ヨーロッパにおいてきわだって特異的な存在ではないだろう、というわけです。
もっとも、現代ヨーロッパ人の起源については、アナトリア半島起源の農耕民集団と更新世からの在来の狩猟採集民集団との融合だけでは説明できません。現代ヨーロッパ人の遺伝的構成に大きな影響を及ぼしているのは、青銅器時代にポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からヨーロッパに拡散してきたヤムナヤ(Yamnaya)文化集団を代表とする遊牧民集団です(関連記事)。ウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などによる移動力・戦闘力の点での優位が、青銅器時代のヨーロッパにおけるポントス-カスピ海草原地帯起源の遊牧民集団の広範な拡散と大きな遺伝的影響をもたらした、と考えられます。この遊牧民集団のヨーロッパへの拡散は、とくに父系において大きな影響力を有した、と推測されています(関連記事)。15世紀末以降のアメリカ大陸もそうですが、征服的側面の強い大規模な人類集団の移動は男性主体で、被征服地はとくに父系で強い影響を受ける傾向にあるのかもしれません。バスク人も、この遊牧民集団の遺伝的影響を強く受けています(関連記事)。
ヤムナヤ文化集団の大規模な拡散は、インド・ヨーロッパ語族の拡散との関連でも注目されています。インド・ヨーロッパ語族の起源について大別すると、アナトリア半島の初期農耕民説とロシア南西部草原地帯説があります。後者の仮説の発展版が、ヤムナヤ文化集団によるヨーロッパやアジア南西部・中央部・南部という広範な地域へのインド・ヨーロッパ語族の拡散説です。この見解は近年では有力になりつつあるように思います。しかし、アナトリア半島に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響の前にインド・ヨーロッパ語族系言語が用いられており、アジア中央部および南部に関しては、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響はほとんどない、との見解も提示されています(関連記事)。
それでも、ヨーロッパに関しては、ヤムナヤ文化集団がインド・ヨーロッパ語族を広めた可能性は高そうです。しかし、ヨーロッパの他地域と同様にヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けたバスク人の言語はインド・ヨーロッパ語族ではありません。なぜこのような違いが生じたのか、現時点ではよく分かりません。バスク人は、ヤムナヤ文化集団の遺伝的影響を強く受けた後は、遺伝的には比較的孤立していたと推測されています(関連記事)。ヤムナヤ文化集団はヨーロッパにおいて全地域集団の言語をインド・ヨーロッパ語族に転換させたわけではなく、当初は新石器時代以来の言語を保持し続けた集団もそれなりに存在したものの、他集団との交流により次第にインド・ヨーロッパ語族へと転換していった中、バスク人は比較的孤立していたので、新石器時代以来の言語を保持し続けたのかもしれません。そうだとすると、バスク人の言語が新石器時代にイベリア半島に拡散してきたアナトリア半島農耕民集団に由来するのか、それとも中石器時代以前の狩猟採集民集団に由来するのか、気になるところです。
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