ユーラシア内陸部の人類集団の形成史
ユーラシア内陸部の人類集団の形成史に関する研究(Jeong et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。現代人の各地域集団間の遺伝的構成はおおむね地理的距離と相関していますが、ヒマラヤ山脈やコーカサス山脈のような地理的障壁による例外もあります。また、社会的障壁による例外もあり、レバノンでは宗教の違いと対応した集団間の遺伝的相違が見られます。過去には、ヨーロッパ中央部の早期新石器時代において、農耕民は遺伝的に均質で、在来の狩猟採集民との間の遺伝子流動は限定的でしたが、時間の経過にともない、農耕民と狩猟採集民との遺伝的混合が進んでいきました。
本論文は、ユーラシア内陸部の人類集団の遺伝的構成の違いと、その形成史を検証しています。人類集団が移動して文化の伝播したユーラシア内陸部は広大で、中央部の草原地帯や北部の亜寒帯森林地帯(タイガ)や北極圏周辺の凍土帯(ツンドラ)というように、生態系は多様です。人類集団もまた、遺伝的・文化的・言語的に多様です。ユーラシア内陸部の在来集団は、草原地帯では遊牧、北極圏周辺ではおもにトナカイの牧畜・狩猟といったように、環境に適応した生存戦略を採用しています。本論文は、アルメニア・ジョージア(グルジア)・カザフスタン・モルドヴァ・モンゴリア・ロシア・タジキスタン・ウクライナ・ウズベキスタンからの、自己申告に基づく60の民族集団の763人の新たなゲノム規模データを生成するとともに、すでにゲノム規模データが得られていたカザフスタンの銅器時代のボタイ(Botai)文化集団の2人のゲノムを再分析し、既知の古代および現代の人類集団のゲノムデータと比較しました。
古代DNA研究により、時間の経過にともない、ユーラシア内陸部の住民の遺伝的構成は変化してきた、と示されています。たとえば、古代ユーラシア北部集団(ANE)と呼ばれる、シベリア南部のマリタ(Mal’ta)遺跡やアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の個体は、旧石器時代~中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民と深く関連しており、現代でも、アメリカ大陸先住民・シベリア人・ヨーロッパ人・アジア南部人にかなりの影響を残しています。しかし、現代において、ANEの遺伝的構成そのもの集団は存在しません。
本論文は、新規および既知のゲノム規模データの比較の結果、ユーラシア内陸部集団は遺伝的に大きく3クライン(勾配)に構造化されており、遺伝子・地理・言語間の著しい相関がある、と示します。地理的には、北方から南方へと続く、タイガおよびツンドラ地帯、森林・草原地帯、草原・灌木地帯です。言語では、ウラル語族、北部テュルク語族、南部テュルク語族です。ただ本論文は、この区別には例外も中間的パターンもある、と注意を喚起しています。たとえば、ヴォルガ地域のテュルク語族集団とウラル語族集団は遺伝的によく類似しており、違いとしては、ウラル語族集団にはより東方のガナサン(Nganasan)集団のようなウラル語族集団とのさらなる類似性も見られる、ということです。また本論文は標本収集の不均一性を認めており、人口低密度地域の標本収集が今後の課題になる、とも指摘しています。
ANEに関しては、現代人で遺伝的類似性が高いのはシベリア中央部北方のガナサン集団と指摘されており、ガナサン集団は比較的孤立していたのではないか、と推測されています。ガナサン集団よりも南方に位置するシベリア中央部のセリクプ(Selkups)集団やケット(Kets)集団も、ANEとの遺伝的類似性が指摘されています。草原・灌木地帯の集団に関しては、それよりも北方の森林・草原地帯の集団との遺伝的違いとして、アジア西部・南部集団系統との強い類似性が挙げられています。2200~1100年前頃の天山(Tian Shan)地域の集団にも同様の遺伝的類似性が見られる一方で、2500年前頃のカザフスタンのサカ(Saka)文化集団にはその類似性が見られないことから、アジア西部・南部関連系統の北方への流入は、天山地域では紀元前千年紀前半に、さらに北方のカザフスタンにはその少し後に起きたのではないか、と本論文は推測しています。
ゲノムが再分析されたカザフスタンのボタイ文化集団の2人は、一方が男性(紀元前3632~紀元前3100年頃)でもう一方が女性(紀元前3517~紀元前3367年頃)です。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、男性がK1b2で女性がZ1です。男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)はR1b1a1で、現在のカザフスタンでもよく見られます。しかし、ゲノム解析では、ボタイ文化集団は現代のカザフスタン集団と強い類似性を示すわけではありません。現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期~後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています(関連記事)。これは、青銅器時代以降のユーラシア東西からのカザフスタン地域への人類集団の移動を反映しているのでしょう。
このようにユーラシア内陸部の人類集団においては、多様な遺伝的構成と複雑で大規模な移動が窺えます。ただ本論文は、ユーラシア内陸部において、制約なく人類集団の移動が行なわれたのではなく、コーカサス山脈が遺伝子流動の大きな障壁となった時期もあることを指摘しています。さらに本論文は、テュルク語族集団やモンゴル語族集団の西方への拡大のような紀元後の移住が、より古い混合を上書きして見えにくくしている可能性を指摘しています。ユーラシア内陸部の人類集団の移動の様相をさらに詳細に解明するには古代DNA研究の進展が欠かせず、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Jeong C. et al.(2019): The genetic history of admixture across inner Eurasia. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 966–976.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0878-2
本論文は、ユーラシア内陸部の人類集団の遺伝的構成の違いと、その形成史を検証しています。人類集団が移動して文化の伝播したユーラシア内陸部は広大で、中央部の草原地帯や北部の亜寒帯森林地帯(タイガ)や北極圏周辺の凍土帯(ツンドラ)というように、生態系は多様です。人類集団もまた、遺伝的・文化的・言語的に多様です。ユーラシア内陸部の在来集団は、草原地帯では遊牧、北極圏周辺ではおもにトナカイの牧畜・狩猟といったように、環境に適応した生存戦略を採用しています。本論文は、アルメニア・ジョージア(グルジア)・カザフスタン・モルドヴァ・モンゴリア・ロシア・タジキスタン・ウクライナ・ウズベキスタンからの、自己申告に基づく60の民族集団の763人の新たなゲノム規模データを生成するとともに、すでにゲノム規模データが得られていたカザフスタンの銅器時代のボタイ(Botai)文化集団の2人のゲノムを再分析し、既知の古代および現代の人類集団のゲノムデータと比較しました。
古代DNA研究により、時間の経過にともない、ユーラシア内陸部の住民の遺伝的構成は変化してきた、と示されています。たとえば、古代ユーラシア北部集団(ANE)と呼ばれる、シベリア南部のマリタ(Mal’ta)遺跡やアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の個体は、旧石器時代~中石器時代のヨーロッパの狩猟採集民と深く関連しており、現代でも、アメリカ大陸先住民・シベリア人・ヨーロッパ人・アジア南部人にかなりの影響を残しています。しかし、現代において、ANEの遺伝的構成そのもの集団は存在しません。
本論文は、新規および既知のゲノム規模データの比較の結果、ユーラシア内陸部集団は遺伝的に大きく3クライン(勾配)に構造化されており、遺伝子・地理・言語間の著しい相関がある、と示します。地理的には、北方から南方へと続く、タイガおよびツンドラ地帯、森林・草原地帯、草原・灌木地帯です。言語では、ウラル語族、北部テュルク語族、南部テュルク語族です。ただ本論文は、この区別には例外も中間的パターンもある、と注意を喚起しています。たとえば、ヴォルガ地域のテュルク語族集団とウラル語族集団は遺伝的によく類似しており、違いとしては、ウラル語族集団にはより東方のガナサン(Nganasan)集団のようなウラル語族集団とのさらなる類似性も見られる、ということです。また本論文は標本収集の不均一性を認めており、人口低密度地域の標本収集が今後の課題になる、とも指摘しています。
ANEに関しては、現代人で遺伝的類似性が高いのはシベリア中央部北方のガナサン集団と指摘されており、ガナサン集団は比較的孤立していたのではないか、と推測されています。ガナサン集団よりも南方に位置するシベリア中央部のセリクプ(Selkups)集団やケット(Kets)集団も、ANEとの遺伝的類似性が指摘されています。草原・灌木地帯の集団に関しては、それよりも北方の森林・草原地帯の集団との遺伝的違いとして、アジア西部・南部集団系統との強い類似性が挙げられています。2200~1100年前頃の天山(Tian Shan)地域の集団にも同様の遺伝的類似性が見られる一方で、2500年前頃のカザフスタンのサカ(Saka)文化集団にはその類似性が見られないことから、アジア西部・南部関連系統の北方への流入は、天山地域では紀元前千年紀前半に、さらに北方のカザフスタンにはその少し後に起きたのではないか、と本論文は推測しています。
ゲノムが再分析されたカザフスタンのボタイ文化集団の2人は、一方が男性(紀元前3632~紀元前3100年頃)でもう一方が女性(紀元前3517~紀元前3367年頃)です。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、男性がK1b2で女性がZ1です。男性のY染色体DNAハプログループ(YHg)はR1b1a1で、現在のカザフスタンでもよく見られます。しかし、ゲノム解析では、ボタイ文化集団は現代のカザフスタン集団と強い類似性を示すわけではありません。現代におけるボタイ文化集団の遺伝的影響は小さく、中期~後期青銅器時代に他集団に駆逐され、置換されたと推測されています(関連記事)。これは、青銅器時代以降のユーラシア東西からのカザフスタン地域への人類集団の移動を反映しているのでしょう。
このようにユーラシア内陸部の人類集団においては、多様な遺伝的構成と複雑で大規模な移動が窺えます。ただ本論文は、ユーラシア内陸部において、制約なく人類集団の移動が行なわれたのではなく、コーカサス山脈が遺伝子流動の大きな障壁となった時期もあることを指摘しています。さらに本論文は、テュルク語族集団やモンゴル語族集団の西方への拡大のような紀元後の移住が、より古い混合を上書きして見えにくくしている可能性を指摘しています。ユーラシア内陸部の人類集団の移動の様相をさらに詳細に解明するには古代DNA研究の進展が欠かせず、今後の研究の進展が期待されます。
参考文献:
Jeong C. et al.(2019): The genetic history of admixture across inner Eurasia. Nature Ecology & Evolution, 3, 6, 966–976.
https://doi.org/10.1038/s41559-019-0878-2
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