近年の人類進化に関する衝撃的な研究
当ブログを始めたのは2006年6月22日ですが、それ以降に当ブログで取り上げた人類進化に関する研究のうち、とくに衝撃的だと思ったものを短くまとめます。もちろん、衝撃的というのはあくまでも私の主観なので、重要な研究で取り上げていないものも少なくないでしょう。
●アウストラロピテクス・セディバ
南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)で発見された195万~178万年前頃の人類遺骸に関する研究は、2010年4月に公表されました(関連記事)。この人類遺骸にはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、アウストラロピテクス属の新種セディバ(Australopithecus sediba)と分類されました。報告者たちは、セディバが現代人も含むホモ属系統の祖先である可能性を指摘していますが、これまでに発見されているセディバは、その年代からして現代人の祖先である可能性は低いと思います。しかし、セディバ系統と現代人系統が300万~240万年前頃に最終共通祖先を有していた可能性は低くない、と私は考えています。
●ネアンデルタール人と現生人類との交雑
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノム解析の結果、じゅうらいは否定派が主流だったネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との交雑がほぼ通説として認められるようになりました。決定的な契機となったのは、2010年5月に公表された研究です(関連記事)。専門家や専門分野の近い研究者でも、2010年5月まではネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な人が多かったように記憶していますが、決定的な証拠が提示されていなかったので、仕方のないところだと思います。
●デニソワ人の発見
デニソワ人(Denisovan)は、ネアンデルタール人や現生人類と近縁な、種区分未定のホモ属です。デニソワ人が特異的なのは、他の人類系統の分類群とは異なり、形態学的にではなく遺伝学的に定義されていることです。そのため、既知のホモ属遺骸のなかに、デニソワ人と同じ分類群に位置づけられるものがある可能性は低くないと思います。デニソワ人については、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果が2010年3月に公表され(関連記事)、その後2010年12月に核DNAの解析結果が公表されました(関連記事)。現生人類およびネアンデルタール人との関係において、デニソワ人の進化系統樹における位置づけが、mtDNAと核DNAとでは異なるのですが、こうした問題も含めて、デニソワ人については一度まとめました(関連記事)。
●デニソワ人と未知の人類の交雑
デニソワ人は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐したと推定される、遺伝学的に未知の人類系統と交雑した、との見解が2013年12月に公表されました(関連記事)。もっとも、あくまでも遺伝的に未知の系統ということであり、既知の化石人骨のどれかと同系統である可能性は低くないだろう、と私は考えています。
●ホモ・ナレディの発見
南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)で発見された人類遺骸をホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と分類した研究は、2015年9月に公表されました(関連記事)。ナレディには祖先的特徴と派生的特徴とが混在しており、それぞれの特徴は他の人類系統にも見られるものの、その組み合わせが独特と評価されています。ナレディに関しては、当初アウストラロピテクス属とホモ属との間をつなぐ移行的な分類群である可能性も指摘されていましたが、2017年5月に公表された研究では年代が335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、むしろ最初期現生人類と共存していた可能性が高そうです。現生人類系統とナレディとに接触があったのか、あったとしてどのような関係だったのか、研究の進展が期待されます。
●43万年前頃のホモ属のDNA解析
スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)では、43万年前頃の少なくとも8個体分となる6700個以上のホモ属遺骸が発見されています。SH人類集団のDNA解析結果もすでに公表されており、現時点ではDNA解析に成功した最古の人類となります。まず、2013年12月にmtDNAの解析結果が(関連記事)、次に2016年3月に核DNAの解析結果が公表されました(関連記事)。これらの結果は、上述したデニソワ人の人類進化系統樹における位置づけとも関わってくるので、たいへん注目されます。
●フローレス島の70万年前頃の人類遺骸
インドネシア領フローレス島で発見された更新世の小柄な人類遺骸は、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されました。この有力な祖先候補となる70万年前頃の人類遺骸が同じくフローレス島で発見され、2016年6月に公表されました(関連記事)。ただ、フローレス島の更新世人類に関しては、津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、スラウェシ島から意図せず何度も漂着したのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。
●アフリカ北部の30万年以上前の現生人類的な化石
モロッコの現生人類的な化石の年代は30万年以上前になる、と主張した研究が2017年5月に公表され、大きな注目を集めました(関連記事)。こうした発見も踏まえて、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思われることも注目されます(関連記事)。
●194000~177000年前頃のレヴァントの現生人類遺骸
イスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)の現生人類遺骸を194000~177000年前頃と推定した研究が、2018年1月に公表されました(関連記事)。これは現時点ではアフリカ外最古の現生人類遺骸となります。ただ、この遺骸を現生人類と判断することに慎重な見解も提示されています。
●ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代
ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代を報告した研究が、2018年8月に公表されました(関連記事)。そもそも、過去に存在した人類のうち、近代以降に遺骸が発見されるのはごく一部で、それも更新世の人類遺骸ならばきょくたんに低い確率であることを考えると、奇跡的な発見と言えます。しかし、逆に考えると、異なる人類系統間の交雑はさほど珍しくなかった、とも言えそうです。
●ルソン島の新たなホモ属種
ルソン島で発見された67000~50000年以上前の人類遺骸を、ホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)と分類した研究が2019年4月に公表されました(関連記事)。ルゾネンシスの大臼歯はかなり小さく、身体サイズも小さいと予想されますが、すでにフローレス島で小柄なホモ属であるフロレシエンシスが発見されており、アジア南東部のホモ属が、後期更新世まで多様だったことを示唆しています。フローレス島とルソン島の事例からは、現生人類ではない人類による渡海は確実と言えそうですが、それが偶然の漂着だったのか、ある程度意図的なものだったのか、判断するのは難しいでしょう。
●アウストラロピテクス・セディバ
南アフリカ共和国のマラパ(Malapa)で発見された195万~178万年前頃の人類遺骸に関する研究は、2010年4月に公表されました(関連記事)。この人類遺骸にはアウストラロピテクス属的特徴とホモ属的特徴が混在しており、アウストラロピテクス属の新種セディバ(Australopithecus sediba)と分類されました。報告者たちは、セディバが現代人も含むホモ属系統の祖先である可能性を指摘していますが、これまでに発見されているセディバは、その年代からして現代人の祖先である可能性は低いと思います。しかし、セディバ系統と現代人系統が300万~240万年前頃に最終共通祖先を有していた可能性は低くない、と私は考えています。
●ネアンデルタール人と現生人類との交雑
ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)のゲノム解析の結果、じゅうらいは否定派が主流だったネアンデルタール人と現生人類(Homo sapiens)との交雑がほぼ通説として認められるようになりました。決定的な契機となったのは、2010年5月に公表された研究です(関連記事)。専門家や専門分野の近い研究者でも、2010年5月まではネアンデルタール人と現生人類との交雑に否定的な人が多かったように記憶していますが、決定的な証拠が提示されていなかったので、仕方のないところだと思います。
●デニソワ人の発見
デニソワ人(Denisovan)は、ネアンデルタール人や現生人類と近縁な、種区分未定のホモ属です。デニソワ人が特異的なのは、他の人類系統の分類群とは異なり、形態学的にではなく遺伝学的に定義されていることです。そのため、既知のホモ属遺骸のなかに、デニソワ人と同じ分類群に位置づけられるものがある可能性は低くないと思います。デニソワ人については、ミトコンドリアDNA(mtDNA)の解析結果が2010年3月に公表され(関連記事)、その後2010年12月に核DNAの解析結果が公表されました(関連記事)。現生人類およびネアンデルタール人との関係において、デニソワ人の進化系統樹における位置づけが、mtDNAと核DNAとでは異なるのですが、こうした問題も含めて、デニソワ人については一度まとめました(関連記事)。
●デニソワ人と未知の人類の交雑
デニソワ人は、デニソワ人・ネアンデルタール人・現生人類の共通祖先系統と400万~100万年前頃に分岐したと推定される、遺伝学的に未知の人類系統と交雑した、との見解が2013年12月に公表されました(関連記事)。もっとも、あくまでも遺伝的に未知の系統ということであり、既知の化石人骨のどれかと同系統である可能性は低くないだろう、と私は考えています。
●ホモ・ナレディの発見
南アフリカ共和国のライジングスター洞窟(Rising Star Cave)で発見された人類遺骸をホモ属の新種ナレディ(Homo naledi)と分類した研究は、2015年9月に公表されました(関連記事)。ナレディには祖先的特徴と派生的特徴とが混在しており、それぞれの特徴は他の人類系統にも見られるものの、その組み合わせが独特と評価されています。ナレディに関しては、当初アウストラロピテクス属とホモ属との間をつなぐ移行的な分類群である可能性も指摘されていましたが、2017年5月に公表された研究では年代が335000~236000年前頃と推定されており(関連記事)、むしろ最初期現生人類と共存していた可能性が高そうです。現生人類系統とナレディとに接触があったのか、あったとしてどのような関係だったのか、研究の進展が期待されます。
●43万年前頃のホモ属のDNA解析
スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)では、43万年前頃の少なくとも8個体分となる6700個以上のホモ属遺骸が発見されています。SH人類集団のDNA解析結果もすでに公表されており、現時点ではDNA解析に成功した最古の人類となります。まず、2013年12月にmtDNAの解析結果が(関連記事)、次に2016年3月に核DNAの解析結果が公表されました(関連記事)。これらの結果は、上述したデニソワ人の人類進化系統樹における位置づけとも関わってくるので、たいへん注目されます。
●フローレス島の70万年前頃の人類遺骸
インドネシア領フローレス島で発見された更新世の小柄な人類遺骸は、ホモ属の新種フロレシエンシス(Homo floresiensis)と分類されました。この有力な祖先候補となる70万年前頃の人類遺骸が同じくフローレス島で発見され、2016年6月に公表されました(関連記事)。ただ、フローレス島の更新世人類に関しては、津波や暴風雨などのさいに流木につかまり、スラウェシ島から意図せず何度も漂着したのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。
●アフリカ北部の30万年以上前の現生人類的な化石
モロッコの現生人類的な化石の年代は30万年以上前になる、と主張した研究が2017年5月に公表され、大きな注目を集めました(関連記事)。こうした発見も踏まえて、現生人類の起源に関して、アフリカ単一起源説を前提としつつも、現生人類の派生的な形態学的特徴がアフリカ各地で異なる年代・場所・集団に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により現生人類が形成された、との「アフリカ多地域進化説」が有力になりつつあるように思われることも注目されます(関連記事)。
●194000~177000年前頃のレヴァントの現生人類遺骸
イスラエルのカルメル山にあるミスリヤ洞窟(Misliya Cave)の現生人類遺骸を194000~177000年前頃と推定した研究が、2018年1月に公表されました(関連記事)。これは現時点ではアフリカ外最古の現生人類遺骸となります。ただ、この遺骸を現生人類と判断することに慎重な見解も提示されています。
●ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代
ネアンデルタール人とデニソワ人の交雑第一世代を報告した研究が、2018年8月に公表されました(関連記事)。そもそも、過去に存在した人類のうち、近代以降に遺骸が発見されるのはごく一部で、それも更新世の人類遺骸ならばきょくたんに低い確率であることを考えると、奇跡的な発見と言えます。しかし、逆に考えると、異なる人類系統間の交雑はさほど珍しくなかった、とも言えそうです。
●ルソン島の新たなホモ属種
ルソン島で発見された67000~50000年以上前の人類遺骸を、ホモ属の新種ルゾネンシス(Homo luzonensis)と分類した研究が2019年4月に公表されました(関連記事)。ルゾネンシスの大臼歯はかなり小さく、身体サイズも小さいと予想されますが、すでにフローレス島で小柄なホモ属であるフロレシエンシスが発見されており、アジア南東部のホモ属が、後期更新世まで多様だったことを示唆しています。フローレス島とルソン島の事例からは、現生人類ではない人類による渡海は確実と言えそうですが、それが偶然の漂着だったのか、ある程度意図的なものだったのか、判断するのは難しいでしょう。
この記事へのコメント