古代DNA研究の問題点
取り上げるのが遅れましたが、古代DNA研究の問題点を指摘したルイス=クラウス(Gideon Lewis-Kraus)氏の記事がニューヨークタイムズに掲載されました。NYT記事から導かれる古代DNA研究の論点は複数あり、深く重いものだけに、私の能力・見識ではとてもすべてを取り上げられませんし、また的確に論じることもできません。そのため、以前当ブログで言及しながら(関連記事)、放置していました。とりあえず今回は、このNYT記事で気になった点に言及し、反応を取り上げていくことにします。この記事は大きな反響を呼んだようで反応も多かったのですが、それらにすべて言及することは今の私にはとても無理なので、二つだけ取り上げることにします。
NYT記事は古代DNA研究の問題点を取り上げていますが、主要な標的は『交雑する人類』(関連記事)の著者であるライク(David Reich)氏です。NYT記事は、ライク氏が古代DNA研究において大きな功績を挙げてきた、と認めつつ、そこに潜む重要な問題点を指摘しています。まず、古代DNA研究がライク氏の研究室のような豊富な資金力を有する大規模な研究室による寡占状況にあるのではないか、ということです。古代DNA研究により全体像を描くには、事実上、小規模な研究室が大規模な研究室に標本を預けて解析を依頼するしかなく、そこに選択圧力も生じるのではないか、というわけです。
こうした特定の大規模研究室による古代DNA研究の寡占状況は、科学的倫理を崩壊させていくのではないか、とNYT記事は懸念しています。具体的にまず挙げられているのは、ライク氏のチームによるバヌアツの最初の人類集団に関する遺伝学的研究(関連記事)です。バヌアツの最初の人類集団は、現代集団の遺伝的構成とは異なり、パプア系の遺伝的影響がほとんど認められませんでした。この論文(Skoglund et al., 2016)は、当初査読者3人中2人が掲載に反対しました。DNA解析された標本数が3点と少なく、考古学的にも、その3点がバヌアツの最初の人類であるラピタ(Lapita)文化集団と位置づけられるのか、確証はない、というわけです。最終的に、査読者は1人増えて4人となったものの、3人が掲載に反対したにも関わらず、この論文は『ネイチャー』に掲載されました。
次に、バヌアツにおける初期の人類集団の遺伝的構成の変化に関する、ほぼ同じ時期にオンライン版で刊行された二つの研究(関連記事)が挙げられています。ライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)は、バヌアツの初期人類史における急激な集団置換を主張しました。NYT記事は、この他にもライク氏のチームは青銅器時代のヨーロッパにおける大規模な集団置換を指摘しており(関連記事)、ライク氏が単純な大規模集団置換を好む傾向にあるとして、その人種主義的性格を示唆します。一方、ライク氏とは別のチームの論文(Posth et al., 2018)は、バヌアツの初期人類史における漸進的な集団の遺伝的構成の変化を主張しました。
さらにNYT記事が問題としているのは、Posth et al., 2018は査読に何ヶ月も要してオンライン版で掲載されたのに、Lipson et al., 2018Aは投稿から査読を経てオンライン版で掲載されるまで1週間という異例の短さでした。NYT記事は、匿名の何人かの遺伝学者による、これは適切な経緯ではなく、科学的規範への深刻な違反だとの指摘を取り上げています。またNYT記事は、バヌアツの最初の人類集団には、パプア系の遺伝的影響も認められている、と指摘します。さらにNYT記事は、ライク氏のチームによるバヌアツの最初の人類集団に関する論文(Skoglund et al., 2016)の著者の一人で、生物考古学者であるフランス人女性のヴァレンティン(Frederique Valentin)氏は、同論文とほぼ同じ見解の論文を『ネイチャー』に投稿したのに、却下された、とも指摘しています。
このように、NYT記事は大規模な研究室による古代DNA研究の寡占状況が、科学界の倫理を歪めているのではないか、と示唆し、さらに、古代DNA研究が先住民の神話を否定する場合もあることを懸念しています。一般的に先住民は、現在の居住地にずっと存続してきた、という物語を好みます(特定の他地域からの移住を強調する先住民神話も少なからずありますが)。それ以上に問題とも言えるのが、標本採集です。今よりもずっと倫理的基準が厳しくなかった時代に採取された標本の使用許可権限は誰にあるのか、という問題は解決されていません。バヌアツに関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)の刊行後、バヌアツの「近隣」のニューカレドニアでは、主権侵害への懸念から遺伝的研究に関して3年の猶予期間が宣言されました。NYT記事はライク氏の研究姿勢を、植民地主義的と批判します。
このNYT記事にたいして、ライク氏は反論文を掲載しました。ライク氏は、NYT記事が提起した、標本利用の倫理的基準の厳格な適用や、大規模な研究室でのみ効果的に用いられている古代DNA解析技術を、どのようにしてより多くの研究者に利用可能なようにしていくのか、といった問題点があることを率直に認めています。その上でライク氏は、NYT記事は基本的な問題で誤解している、と指摘します。
まず、バヌアツの古代DNA研究に関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)が査読者4人中3人の反対にも関わらず『ネイチャー』に掲載された件です。ライク氏は、査読者の指摘を受け入れて訂正しての再投稿と編集部による掲載の判断は、科学界で認められた仕組みであり、健全さを示している、と指摘します。次にライク氏は、バヌアツの初期人類集団の遺伝的構成の変化に関するライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)の査読が迅速だったことについても、編集部の判断によりそうしたことはあり得るわけで、やはり科学界の健全さを示している、と主張します。
NYT記事は、ライク氏が単純な大規模集団置換を好む傾向にある、と示唆しますが、ライク氏は、青銅器時代のヨーロッパの人類集団における大規模な遺伝的構成の変化に関して、単純な置換ではなく複雑な混合を主張している、と指摘します。また、バヌアツの古代DNA研究に関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)は、バヌアツの最初の人類集団にはパプア系統がなかったことを「決定的に示している」とNYT記事が主張している件に関しても、バヌアツの最初の人類集団がパプア系を「ほとんど」有していない、と主張しているのであり、後のライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)でも、バヌアツの最初の人類集団がわずかにパプア系の遺伝的影響を受けていること(4人のうち最大でも3.9±3.5%)を示している、とライク氏は指摘します。
さらにライク氏は、少ない標本から不当に広範な主張をしている、とのNYT記事の批判にたいして、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在(関連記事)を証明した時のように、一般的な理論と矛盾する結果が得られた時は、少ない標本でも決定的な証拠となり得る、と反論しています。ライク氏は、自分の有するデータにより裏づけられることだけを主張するよう、注意を払っている、と述べています。またライク氏は、少ない標本数の研究では、その詳細を具体化するためにより多くの標本が必要だと強調しており、ライク氏の研究室の主な目的は、そのために必要な大規模なデータセットの生成だと指摘しています。
最後にライク氏は、NYT記事の執筆者であるルイス=クラウス氏の記者としての姿勢に疑問を呈しています。上述のような事実関係での誤りがあり、さらにはその動機が評価不可能な匿名の情報源におもに基づいている、というわけです。さらにライク氏が問題視しているのは、ライク氏に代表される古代DNA研究は「帝国主義時代の人種主義的概念と区別がつかない」というようなNYT記事の懸念について、ルイス=クラウス氏はライク氏への取材のさいにほとんど尋ねなかったことです。ライク氏は、2018年に刊行された著書『交雑する人類』において、人種差別主義者や植民地主義者の根拠は薄弱で、「純粋な」もしくは混合していない人類集団は散在しないと示している、と指摘します。単純化された理論の主張を避け、すべての利用可能な事実に注意を払い、微妙な結論に達することは科学者にとって必須で、それは科学について報道する記者も同様だろう、とライク氏はルイス=クラウス氏に苦言を呈しています。
この問題に関しては、ネット上で少なくない反応があったようですが、すべてを読むだけの気力・能力・見識は今の私にはないので、目についたブログ記事を1本取り上げます。その記事でも、ライク氏の古代DNA研究を植民地主義的・帝国主義的・人種差別主義的とするNYT記事が批判されています。また、ライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)が、同時期に刊行された類似した問題を扱った論文(Posth et al., 2018)よりも査読期間がずっと短かったことについても、スクープを防ぐために、競合する論文を同時期に掲載しようとして査読が急がれることは珍しくなく、科学界の機能不全や倫理水準の低下を示すものではない、と指摘されています。
ライク氏が率直に認めているように、古代DNA研究がNYT記事で指摘されているような問題をまだ少なからず抱えていることは否定できません。しかし、NYT記事は、ライク氏にたいして明らかに偏向した論調になっているように思います。古代DNA研究では(現代人のDNA研究でも同様ですが)、上述したように標本採集をめぐる倫理的問題があります。これは短期間にすべて解決できるような問題ではありませんが、たとえばアメリカ大陸では、研究者たちと先住民集団との信頼関係の構築により研究が進められており(関連記事)、ライク氏とともに古代DNA研究の大御所と言えるだろうウィラースレヴ(Eske Willerslev)氏は、この問題で大きく貢献しているようです。日本における古代DNA研究も同様の問題を抱えており、今後の重要な課題となっています。こうした問題を解決しつつ、古代DNA研究が進展していくことを期待しています。
参考文献:
Lipson M. et al.(2018A): Population Turnover in Remote Oceania Shortly after Initial Settlement. Current Biology, 28, 7, 1157–1165.e7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2018.02.051
Posth C. et al.(2018): Language continuity despite population replacement in Remote Oceania. Nature Ecology & Evolution, 2, 731–740.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0498-2
Skoglund P. et al.(2016): Genomic insights into the peopling of the Southwest Pacific. Nature, 538, 7626, 510–513.
https://doi.org/10.1038/nature19844
NYT記事は古代DNA研究の問題点を取り上げていますが、主要な標的は『交雑する人類』(関連記事)の著者であるライク(David Reich)氏です。NYT記事は、ライク氏が古代DNA研究において大きな功績を挙げてきた、と認めつつ、そこに潜む重要な問題点を指摘しています。まず、古代DNA研究がライク氏の研究室のような豊富な資金力を有する大規模な研究室による寡占状況にあるのではないか、ということです。古代DNA研究により全体像を描くには、事実上、小規模な研究室が大規模な研究室に標本を預けて解析を依頼するしかなく、そこに選択圧力も生じるのではないか、というわけです。
こうした特定の大規模研究室による古代DNA研究の寡占状況は、科学的倫理を崩壊させていくのではないか、とNYT記事は懸念しています。具体的にまず挙げられているのは、ライク氏のチームによるバヌアツの最初の人類集団に関する遺伝学的研究(関連記事)です。バヌアツの最初の人類集団は、現代集団の遺伝的構成とは異なり、パプア系の遺伝的影響がほとんど認められませんでした。この論文(Skoglund et al., 2016)は、当初査読者3人中2人が掲載に反対しました。DNA解析された標本数が3点と少なく、考古学的にも、その3点がバヌアツの最初の人類であるラピタ(Lapita)文化集団と位置づけられるのか、確証はない、というわけです。最終的に、査読者は1人増えて4人となったものの、3人が掲載に反対したにも関わらず、この論文は『ネイチャー』に掲載されました。
次に、バヌアツにおける初期の人類集団の遺伝的構成の変化に関する、ほぼ同じ時期にオンライン版で刊行された二つの研究(関連記事)が挙げられています。ライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)は、バヌアツの初期人類史における急激な集団置換を主張しました。NYT記事は、この他にもライク氏のチームは青銅器時代のヨーロッパにおける大規模な集団置換を指摘しており(関連記事)、ライク氏が単純な大規模集団置換を好む傾向にあるとして、その人種主義的性格を示唆します。一方、ライク氏とは別のチームの論文(Posth et al., 2018)は、バヌアツの初期人類史における漸進的な集団の遺伝的構成の変化を主張しました。
さらにNYT記事が問題としているのは、Posth et al., 2018は査読に何ヶ月も要してオンライン版で掲載されたのに、Lipson et al., 2018Aは投稿から査読を経てオンライン版で掲載されるまで1週間という異例の短さでした。NYT記事は、匿名の何人かの遺伝学者による、これは適切な経緯ではなく、科学的規範への深刻な違反だとの指摘を取り上げています。またNYT記事は、バヌアツの最初の人類集団には、パプア系の遺伝的影響も認められている、と指摘します。さらにNYT記事は、ライク氏のチームによるバヌアツの最初の人類集団に関する論文(Skoglund et al., 2016)の著者の一人で、生物考古学者であるフランス人女性のヴァレンティン(Frederique Valentin)氏は、同論文とほぼ同じ見解の論文を『ネイチャー』に投稿したのに、却下された、とも指摘しています。
このように、NYT記事は大規模な研究室による古代DNA研究の寡占状況が、科学界の倫理を歪めているのではないか、と示唆し、さらに、古代DNA研究が先住民の神話を否定する場合もあることを懸念しています。一般的に先住民は、現在の居住地にずっと存続してきた、という物語を好みます(特定の他地域からの移住を強調する先住民神話も少なからずありますが)。それ以上に問題とも言えるのが、標本採集です。今よりもずっと倫理的基準が厳しくなかった時代に採取された標本の使用許可権限は誰にあるのか、という問題は解決されていません。バヌアツに関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)の刊行後、バヌアツの「近隣」のニューカレドニアでは、主権侵害への懸念から遺伝的研究に関して3年の猶予期間が宣言されました。NYT記事はライク氏の研究姿勢を、植民地主義的と批判します。
このNYT記事にたいして、ライク氏は反論文を掲載しました。ライク氏は、NYT記事が提起した、標本利用の倫理的基準の厳格な適用や、大規模な研究室でのみ効果的に用いられている古代DNA解析技術を、どのようにしてより多くの研究者に利用可能なようにしていくのか、といった問題点があることを率直に認めています。その上でライク氏は、NYT記事は基本的な問題で誤解している、と指摘します。
まず、バヌアツの古代DNA研究に関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)が査読者4人中3人の反対にも関わらず『ネイチャー』に掲載された件です。ライク氏は、査読者の指摘を受け入れて訂正しての再投稿と編集部による掲載の判断は、科学界で認められた仕組みであり、健全さを示している、と指摘します。次にライク氏は、バヌアツの初期人類集団の遺伝的構成の変化に関するライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)の査読が迅速だったことについても、編集部の判断によりそうしたことはあり得るわけで、やはり科学界の健全さを示している、と主張します。
NYT記事は、ライク氏が単純な大規模集団置換を好む傾向にある、と示唆しますが、ライク氏は、青銅器時代のヨーロッパの人類集団における大規模な遺伝的構成の変化に関して、単純な置換ではなく複雑な混合を主張している、と指摘します。また、バヌアツの古代DNA研究に関するライク氏のチームの最初の論文(Skoglund et al., 2016)は、バヌアツの最初の人類集団にはパプア系統がなかったことを「決定的に示している」とNYT記事が主張している件に関しても、バヌアツの最初の人類集団がパプア系を「ほとんど」有していない、と主張しているのであり、後のライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)でも、バヌアツの最初の人類集団がわずかにパプア系の遺伝的影響を受けていること(4人のうち最大でも3.9±3.5%)を示している、とライク氏は指摘します。
さらにライク氏は、少ない標本から不当に広範な主張をしている、とのNYT記事の批判にたいして、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の存在(関連記事)を証明した時のように、一般的な理論と矛盾する結果が得られた時は、少ない標本でも決定的な証拠となり得る、と反論しています。ライク氏は、自分の有するデータにより裏づけられることだけを主張するよう、注意を払っている、と述べています。またライク氏は、少ない標本数の研究では、その詳細を具体化するためにより多くの標本が必要だと強調しており、ライク氏の研究室の主な目的は、そのために必要な大規模なデータセットの生成だと指摘しています。
最後にライク氏は、NYT記事の執筆者であるルイス=クラウス氏の記者としての姿勢に疑問を呈しています。上述のような事実関係での誤りがあり、さらにはその動機が評価不可能な匿名の情報源におもに基づいている、というわけです。さらにライク氏が問題視しているのは、ライク氏に代表される古代DNA研究は「帝国主義時代の人種主義的概念と区別がつかない」というようなNYT記事の懸念について、ルイス=クラウス氏はライク氏への取材のさいにほとんど尋ねなかったことです。ライク氏は、2018年に刊行された著書『交雑する人類』において、人種差別主義者や植民地主義者の根拠は薄弱で、「純粋な」もしくは混合していない人類集団は散在しないと示している、と指摘します。単純化された理論の主張を避け、すべての利用可能な事実に注意を払い、微妙な結論に達することは科学者にとって必須で、それは科学について報道する記者も同様だろう、とライク氏はルイス=クラウス氏に苦言を呈しています。
この問題に関しては、ネット上で少なくない反応があったようですが、すべてを読むだけの気力・能力・見識は今の私にはないので、目についたブログ記事を1本取り上げます。その記事でも、ライク氏の古代DNA研究を植民地主義的・帝国主義的・人種差別主義的とするNYT記事が批判されています。また、ライク氏のチームの論文(Lipson et al., 2018A)が、同時期に刊行された類似した問題を扱った論文(Posth et al., 2018)よりも査読期間がずっと短かったことについても、スクープを防ぐために、競合する論文を同時期に掲載しようとして査読が急がれることは珍しくなく、科学界の機能不全や倫理水準の低下を示すものではない、と指摘されています。
ライク氏が率直に認めているように、古代DNA研究がNYT記事で指摘されているような問題をまだ少なからず抱えていることは否定できません。しかし、NYT記事は、ライク氏にたいして明らかに偏向した論調になっているように思います。古代DNA研究では(現代人のDNA研究でも同様ですが)、上述したように標本採集をめぐる倫理的問題があります。これは短期間にすべて解決できるような問題ではありませんが、たとえばアメリカ大陸では、研究者たちと先住民集団との信頼関係の構築により研究が進められており(関連記事)、ライク氏とともに古代DNA研究の大御所と言えるだろうウィラースレヴ(Eske Willerslev)氏は、この問題で大きく貢献しているようです。日本における古代DNA研究も同様の問題を抱えており、今後の重要な課題となっています。こうした問題を解決しつつ、古代DNA研究が進展していくことを期待しています。
参考文献:
Lipson M. et al.(2018A): Population Turnover in Remote Oceania Shortly after Initial Settlement. Current Biology, 28, 7, 1157–1165.e7.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2018.02.051
Posth C. et al.(2018): Language continuity despite population replacement in Remote Oceania. Nature Ecology & Evolution, 2, 731–740.
https://doi.org/10.1038/s41559-018-0498-2
Skoglund P. et al.(2016): Genomic insights into the peopling of the Southwest Pacific. Nature, 538, 7626, 510–513.
https://doi.org/10.1038/nature19844
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