十字軍兵士のDNA解析
十字軍兵士のDNA解析結果を報告した研究(Haber et al., 2019A)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ユーラシアにおけるモンゴルの拡大やヨーロッパ系のアメリカ大陸征服といった人類集団の大規模な移動は、被征服地の人類集団の遺伝的構成を大きく変えました。11世紀末~13世紀後半にかけての十字軍でも、何十万人ものヨーロッパ人が地中海東岸に押し寄せて戦いました。以前、現代レバノン人におけるヨーロッパ系のY染色体DNAハプログループ(YHg)が発見され、十字軍起源の可能性が指摘されました。その後、ゲノム解析により、現代レバノン人の遺伝的系統はほとんど、レバノンの青銅器時代集団と、外来のユーラシア草原地帯集団との紀元前1750~紀元前170年頃の混合に由来する、と明らかになりました。つまり、現代のレバノン人の常染色体は十字軍の影響をほとんど受けていない、と推測されます。本論文は、この見解が妥当なのか、十字軍兵士のDNA解析により検証します。
本論文が検証対象とした十字軍兵士は、レバノン南部のシドン(Sidon)遺跡です。この墓地には少なくとも25人が埋葬されており、イタリアで発行された十字軍の硬貨が共伴することなどから、十字軍兵士の埋葬地と推測されています。本論文は、そのうち9人のDNA解析に成功しました。また、レバノンのローマ帝国時代のコーネット・エド・デイル(Qornet ed-Deir)遺跡の5人(237~632年)のDNAも解析されました。十字軍の兵士9人は全員男性でした。そのうち4人は現代およびローマ時代のレバノン人と近縁だったので、近東系と分類されました。3人はヨーロッパ系と分類されましたが、そのうち2人はスペイン人と近縁で、バスク人・フランス人・イタリア北部人とも近く、もう1人はサルデーニャ人と近縁でした。
十字軍の兵士にヨーロッパ系と近東系が混在していたことについて本論文は、ヨーロッパ系の十字軍と近東系のムスリムが戦った後で同じ墓地に葬られたか、十字軍が近東系集団を軍に組み込んだ可能性を提示しています。史料では、十字軍と戦ったのはおもにシリア・イラク・エジプト・トルコ・ベドウィン出身のイスラム教徒で、また地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に加わった、とされています。現代レバノン人のキリスト教徒は遺伝的に墓で発見された近東系と最近縁の集団なので、地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に参加したとする史料が裏づけられた、と本論文は指摘します。十字軍兵士の出自は多様だったようです。また本論文は、3人のヨーロッパ系と4人の近東系以外の2人は、ヨーロッパ系と近東系の混合と推測しています。
Y染色体DNAハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も分析されました。ヨーロッパ系3人と近東系4人はそれぞれ、出自から予想されるYHgとmtHgに分類されました。ヨーロッパ系のYHg はR1b で、mtHgはH2・H5・U5です。一方、近東系のYHgはE・T・J・Qで、mtHgはJ1もしくはHVです。混合系の2人は、YHgではヨーロッパ系に典型的なR1bで、mtHgは現代のヨーロッパ系と近東系に見られるHV0とT2です。本論文は混合系2人について、ヨーロッパ系の父親と近東系の母親の間の子供と推測していますが、両親自身が混合系だった可能性も指摘しています。
本論文のデータは、十字軍時代にレバノンでヨーロッパ系と地元の近東系との間で混合が起きたことを示唆します。そこで本論文は、十字軍の前後にレバノンで起きた遺伝的構成の変化と、現代にどれだけの影響が残っているのか、検証しました。レバノンでは青銅器時代以後、ユーラシアの狩猟採集民および草原地帯集団系統の遺伝的影響の増加が見られます。これは、レヴァントにおけるユーラシア系統は十字軍およびローマ時代に先行する、と示唆します。次に、ローマ時代と中世の間に顕著な遺伝的構成の変化はなかった、と明らかになりました。本論文は、中世レバノン人と現代レバノン人との間に顕著な遺伝的構成の違いもなく、現代レバノン人への十字軍の遺伝的影響は検出困難なほど低い、と推測しています。
本論文がDNAを解析したのは一部の十字軍兵士にすぎないでしょうが、十字軍の時代にヨーロッパ系と近東系の混合が一定以上起きたことを示唆します。ローマ時代と現代のレバノン人のDNA解析だけでは、十字軍の時代のヨーロッパ系と近東系の混合を見落としてしまう可能性があり、それは他地域・他の時代においても同様でしょう。それを検出し、さらには史料を裏づけたという意味で、本論文は古代DNA研究の威力を改めて示した、と言えるでしょう。今後の研究計画として、青銅器時代から鉄器時代への移行期の近東における遺伝的構成の変化の検証が挙げられています。イスラエルでは、後期銅器時代~青銅器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の大きな変化が指摘されており(関連記事)、レバノンに関しても研究の進展が期待されます。
参考文献:
Haber M. et al.(2019A): A Transient Pulse of Genetic Admixture from the Crusaders in the Near East Identified from Ancient Genome Sequences. The American Journal of Human Genetics, 104, 5, 977–984.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2019.03.015
本論文が検証対象とした十字軍兵士は、レバノン南部のシドン(Sidon)遺跡です。この墓地には少なくとも25人が埋葬されており、イタリアで発行された十字軍の硬貨が共伴することなどから、十字軍兵士の埋葬地と推測されています。本論文は、そのうち9人のDNA解析に成功しました。また、レバノンのローマ帝国時代のコーネット・エド・デイル(Qornet ed-Deir)遺跡の5人(237~632年)のDNAも解析されました。十字軍の兵士9人は全員男性でした。そのうち4人は現代およびローマ時代のレバノン人と近縁だったので、近東系と分類されました。3人はヨーロッパ系と分類されましたが、そのうち2人はスペイン人と近縁で、バスク人・フランス人・イタリア北部人とも近く、もう1人はサルデーニャ人と近縁でした。
十字軍の兵士にヨーロッパ系と近東系が混在していたことについて本論文は、ヨーロッパ系の十字軍と近東系のムスリムが戦った後で同じ墓地に葬られたか、十字軍が近東系集団を軍に組み込んだ可能性を提示しています。史料では、十字軍と戦ったのはおもにシリア・イラク・エジプト・トルコ・ベドウィン出身のイスラム教徒で、また地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に加わった、とされています。現代レバノン人のキリスト教徒は遺伝的に墓で発見された近東系と最近縁の集団なので、地中海東岸のキリスト教徒が十字軍に参加したとする史料が裏づけられた、と本論文は指摘します。十字軍兵士の出自は多様だったようです。また本論文は、3人のヨーロッパ系と4人の近東系以外の2人は、ヨーロッパ系と近東系の混合と推測しています。
Y染色体DNAハプログループ(YHg)とミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)も分析されました。ヨーロッパ系3人と近東系4人はそれぞれ、出自から予想されるYHgとmtHgに分類されました。ヨーロッパ系のYHg はR1b で、mtHgはH2・H5・U5です。一方、近東系のYHgはE・T・J・Qで、mtHgはJ1もしくはHVです。混合系の2人は、YHgではヨーロッパ系に典型的なR1bで、mtHgは現代のヨーロッパ系と近東系に見られるHV0とT2です。本論文は混合系2人について、ヨーロッパ系の父親と近東系の母親の間の子供と推測していますが、両親自身が混合系だった可能性も指摘しています。
本論文のデータは、十字軍時代にレバノンでヨーロッパ系と地元の近東系との間で混合が起きたことを示唆します。そこで本論文は、十字軍の前後にレバノンで起きた遺伝的構成の変化と、現代にどれだけの影響が残っているのか、検証しました。レバノンでは青銅器時代以後、ユーラシアの狩猟採集民および草原地帯集団系統の遺伝的影響の増加が見られます。これは、レヴァントにおけるユーラシア系統は十字軍およびローマ時代に先行する、と示唆します。次に、ローマ時代と中世の間に顕著な遺伝的構成の変化はなかった、と明らかになりました。本論文は、中世レバノン人と現代レバノン人との間に顕著な遺伝的構成の違いもなく、現代レバノン人への十字軍の遺伝的影響は検出困難なほど低い、と推測しています。
本論文がDNAを解析したのは一部の十字軍兵士にすぎないでしょうが、十字軍の時代にヨーロッパ系と近東系の混合が一定以上起きたことを示唆します。ローマ時代と現代のレバノン人のDNA解析だけでは、十字軍の時代のヨーロッパ系と近東系の混合を見落としてしまう可能性があり、それは他地域・他の時代においても同様でしょう。それを検出し、さらには史料を裏づけたという意味で、本論文は古代DNA研究の威力を改めて示した、と言えるでしょう。今後の研究計画として、青銅器時代から鉄器時代への移行期の近東における遺伝的構成の変化の検証が挙げられています。イスラエルでは、後期銅器時代~青銅器時代にかけての人類集団の遺伝的構成の大きな変化が指摘されており(関連記事)、レバノンに関しても研究の進展が期待されます。
参考文献:
Haber M. et al.(2019A): A Transient Pulse of Genetic Admixture from the Crusaders in the Near East Identified from Ancient Genome Sequences. The American Journal of Human Genetics, 104, 5, 977–984.
https://doi.org/10.1016/j.ajhg.2019.03.015
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