ヨーロッパの新石器時代巨石文化集団の構造
ヨーロッパの新石器時代巨石文化集団の構造に関する研究(Sánchez-Quinto et al., 2019)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ヨーロッパの農耕の起源はアナトリア半島にあります。紀元前7000頃以降、アナトリア半島の農耕民集団がヨーロッパへと拡散していき、紀元前4000年頃までには、ブリテン諸島やスカンジナビア半島を含むヨーロッパの北西部に到達しました。ヨーロッパ西部においては、早期新石器時代に巨石文化が広範に見られます。これらの巨石文化は、まずフランスで紀元前4500年頃に、ブリテン諸島では紀元前3700年頃に、スカンジナビア半島では紀元前3600年頃に出現します。フランス北西部起源の巨石文化はヨーロッパ北部だけではなく地中海にも拡大し、海路で拡散していった、と推測されています(関連記事)。
これらの巨石文化の出現は農耕共同体の発展と関連していましたが、その詳細な起源と社会構造の大半は不明です。巨石文化は、羨道墓などの共通性から、世界観や社会構造が共有されているのではないか、と推測されています。それが窺えるのは巨石墓ですが、集団埋葬は明らかであるものの、共同体のどの構成員が墓に埋葬されているのか、これまで評価は困難でした。多くの墓ではヒト遺骸の保存状態が悪く、二次埋葬が行なわれている場合もあるからです。このように巨石墓に誰が埋葬されているのか、評価は困難なのですが、いくつかの墓では成人男女や子供が確認されており、家族の埋葬を示唆しています。
本論文は、ヨーロッパ北西部のアイルランド島とオークニー諸島とゴットランド島の5ヶ所の巨石墓の被葬者24人と、スコットランドとチェコ共和国の非巨石墓の被葬者3人のDNAを解析しました。巨石墓の被葬者としては、アイルランド島では、プリムローズ・グランジェ(Primrose Grange)から11人(最古の個体は紀元前3790~紀元前3660年、最新の個体は紀元前3500~紀元前3360年)とキャロウモア(Carrowmore)から1人(紀元前3640~紀元前3380年)、オークニー諸島ではミッドホーウェ(Midhowe)から2人(紀元前3630~紀元前3370年と紀元前3360~3100年)とライロ(Lairo)から1人(紀元前3360~紀元前3100年)、スウェーデンのゴットランド島のアンサーヴ(Ansarve)から9人(最古の個体は紀元前3500~紀元前3130年、最新の個体は紀元前2810~紀元前2580年)、計24人のDNAが解析されました。非巨石墓の被葬者としては、スコットランドのバリントア(Balintore)から1人(紀元前3370~紀元前3310年)、チェコのコリン(Kolin)から2人(紀元前4910~紀元前4740年と紀元前4650~紀元前4460年)のDNAも解析されました。これらが、既知の古代および現代ヨーロッパ人のDNAデータと比較されました。
ヨーロッパ北西部(ブリテン諸島とスカンジナビア半島)の巨石墓被葬者は、他の同時代の農耕民集団と遺伝的に類似しており、その遺伝的構成は、大半のアナトリア半島農耕民集団と一部の中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民です。新石器時代の巨石文化のブリテン諸島集団とスカンジナビア半島集団は遺伝的にともに、ヨーロッパ中央部農耕民集団よりイベリア半島の農耕民集団の方と類似しています。これは、考古学的記録により示唆されてきたように、農耕民集団の大西洋沿岸移住経路説と整合的です。ブリテン島の新石器時代農耕民集団は、中石器時代のブリテン島の狩猟採集民の遺伝的影響を受けていない、との見解も最近では提示されています(関連記事)。これは、本論文とDNA解析をした標本が異なるための偏りというよりは、ブリテン島に到来した最初期農耕民集団はすでにヨーロッパの狩猟採集民と混合していた、と考えるのがよさそうです。
巨石墓被葬者のDNA解析では、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はK・H・HV・V・U5b・T・Jとなり、I、もっと特定すればその亜系統であるI2aのみのY染色体DNAハプログループ(YHg)よりも多様です。このパターンは、巨石墓被葬者だけではなく、紀元前4千年紀の他の農耕民集団でも見られます。巨石墓被葬者のYHgの年代(本論文の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です)からは、プリムローズ(I2a2a1a1a系統)とアンサーヴ(I2a1b1a1)では父系の連続性が観察されます。YHg-I2系統はヨーロッパの中石器時代狩猟採集民では一般的で、ヨーロッパでは、在来の狩猟採集民集団男性とアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されます。新石器時代ヨーロッパ農耕民集団において、しばしばX染色体上よりも常染色体上の方で狩猟採集民由来のゲノム領域の比率が高いことからも、在来の狩猟採集民男性に偏ったアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されますが、X染色体上と常染色体上の狩猟採集民系の比率は地域・年代により異なっているので、在来の狩猟採集民と外来の農耕民集団との交雑の様相はある程度多様だった、と推測されます。
本論文では、親族関係は第1級(親子もしくは全きょうだい)と第2級(半きょうだい・祖父母と孫・叔父もしくは叔母と甥もしくは姪)に区分されています。巨石墓被葬者では合計6組(第1級が2組、第2級が4組)の親族関係が推定され、たとえばプリムローズ2とプリムローズ17は第1級でおそらくは父親と娘、プリムローズ17と18は第2級の親族関係にある、と推定されました。ただ、YHgは低網羅率のため、きょうだい関係と推測されても、祖父と孫もしくは叔父と姪の関係の可能性を排除できない、と指摘されています。
アイルランド島のプリムローズの巨石墓では、被葬者11人中9人が男性でした。ただ、ゴットランド島のアンサーヴ遺跡では被葬者9人中4人が女性だったように、プリムローズ遺跡ほど性比が偏っているわけではありません。全体的には、巨石墓被葬者は確かに男性に偏っていますが、それは非巨石墓被葬者と類似した性比です。また、推定される親族関係において、女性が含まれる場合もあることから、巨石墓の埋葬において男性の方が多いものの、女性も親族として排除されていたわけではない、と本論文は指摘します。
プリムローズ7とキャロウモア4はともに男性で、親子の可能性が高そうです。両遺跡は2kmほど離れており、世代を超えた父系構造社会が地理的に拡大した可能性を本論文は指摘します。ヨーロッパ巨石文化集団における父系社会的構造は、新石器時代に父系親族集団間の競争によりY染色体のボトルネック(瓶首効果)が生じた、と想定する見解(関連記事)と整合的かもしれません。ただ本論文は、プリムローズとキャロウモアの新石器時代の父系的社会が、新石器時代のヨーロッパ全域に当てはまるのかについては、さらなる研究が必要と指摘しています。
参考文献:
Sánchez-Quinto F. et al.(2019): Megalithic tombs in western and northern Neolithic Europe were linked to a kindred society. PNAS, 116, 19, 9469–9474.
https://doi.org/10.1073/pnas.1818037116
これらの巨石文化の出現は農耕共同体の発展と関連していましたが、その詳細な起源と社会構造の大半は不明です。巨石文化は、羨道墓などの共通性から、世界観や社会構造が共有されているのではないか、と推測されています。それが窺えるのは巨石墓ですが、集団埋葬は明らかであるものの、共同体のどの構成員が墓に埋葬されているのか、これまで評価は困難でした。多くの墓ではヒト遺骸の保存状態が悪く、二次埋葬が行なわれている場合もあるからです。このように巨石墓に誰が埋葬されているのか、評価は困難なのですが、いくつかの墓では成人男女や子供が確認されており、家族の埋葬を示唆しています。
本論文は、ヨーロッパ北西部のアイルランド島とオークニー諸島とゴットランド島の5ヶ所の巨石墓の被葬者24人と、スコットランドとチェコ共和国の非巨石墓の被葬者3人のDNAを解析しました。巨石墓の被葬者としては、アイルランド島では、プリムローズ・グランジェ(Primrose Grange)から11人(最古の個体は紀元前3790~紀元前3660年、最新の個体は紀元前3500~紀元前3360年)とキャロウモア(Carrowmore)から1人(紀元前3640~紀元前3380年)、オークニー諸島ではミッドホーウェ(Midhowe)から2人(紀元前3630~紀元前3370年と紀元前3360~3100年)とライロ(Lairo)から1人(紀元前3360~紀元前3100年)、スウェーデンのゴットランド島のアンサーヴ(Ansarve)から9人(最古の個体は紀元前3500~紀元前3130年、最新の個体は紀元前2810~紀元前2580年)、計24人のDNAが解析されました。非巨石墓の被葬者としては、スコットランドのバリントア(Balintore)から1人(紀元前3370~紀元前3310年)、チェコのコリン(Kolin)から2人(紀元前4910~紀元前4740年と紀元前4650~紀元前4460年)のDNAも解析されました。これらが、既知の古代および現代ヨーロッパ人のDNAデータと比較されました。
ヨーロッパ北西部(ブリテン諸島とスカンジナビア半島)の巨石墓被葬者は、他の同時代の農耕民集団と遺伝的に類似しており、その遺伝的構成は、大半のアナトリア半島農耕民集団と一部の中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民です。新石器時代の巨石文化のブリテン諸島集団とスカンジナビア半島集団は遺伝的にともに、ヨーロッパ中央部農耕民集団よりイベリア半島の農耕民集団の方と類似しています。これは、考古学的記録により示唆されてきたように、農耕民集団の大西洋沿岸移住経路説と整合的です。ブリテン島の新石器時代農耕民集団は、中石器時代のブリテン島の狩猟採集民の遺伝的影響を受けていない、との見解も最近では提示されています(関連記事)。これは、本論文とDNA解析をした標本が異なるための偏りというよりは、ブリテン島に到来した最初期農耕民集団はすでにヨーロッパの狩猟採集民と混合していた、と考えるのがよさそうです。
巨石墓被葬者のDNA解析では、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はK・H・HV・V・U5b・T・Jとなり、I、もっと特定すればその亜系統であるI2aのみのY染色体DNAハプログループ(YHg)よりも多様です。このパターンは、巨石墓被葬者だけではなく、紀元前4千年紀の他の農耕民集団でも見られます。巨石墓被葬者のYHgの年代(本論文の年代はすべて、放射性炭素年代測定法による較正年代です)からは、プリムローズ(I2a2a1a1a系統)とアンサーヴ(I2a1b1a1)では父系の連続性が観察されます。YHg-I2系統はヨーロッパの中石器時代狩猟採集民では一般的で、ヨーロッパでは、在来の狩猟採集民集団男性とアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されます。新石器時代ヨーロッパ農耕民集団において、しばしばX染色体上よりも常染色体上の方で狩猟採集民由来のゲノム領域の比率が高いことからも、在来の狩猟採集民男性に偏ったアナトリア半島起源の農耕民との交雑が想定されますが、X染色体上と常染色体上の狩猟採集民系の比率は地域・年代により異なっているので、在来の狩猟採集民と外来の農耕民集団との交雑の様相はある程度多様だった、と推測されます。
本論文では、親族関係は第1級(親子もしくは全きょうだい)と第2級(半きょうだい・祖父母と孫・叔父もしくは叔母と甥もしくは姪)に区分されています。巨石墓被葬者では合計6組(第1級が2組、第2級が4組)の親族関係が推定され、たとえばプリムローズ2とプリムローズ17は第1級でおそらくは父親と娘、プリムローズ17と18は第2級の親族関係にある、と推定されました。ただ、YHgは低網羅率のため、きょうだい関係と推測されても、祖父と孫もしくは叔父と姪の関係の可能性を排除できない、と指摘されています。
アイルランド島のプリムローズの巨石墓では、被葬者11人中9人が男性でした。ただ、ゴットランド島のアンサーヴ遺跡では被葬者9人中4人が女性だったように、プリムローズ遺跡ほど性比が偏っているわけではありません。全体的には、巨石墓被葬者は確かに男性に偏っていますが、それは非巨石墓被葬者と類似した性比です。また、推定される親族関係において、女性が含まれる場合もあることから、巨石墓の埋葬において男性の方が多いものの、女性も親族として排除されていたわけではない、と本論文は指摘します。
プリムローズ7とキャロウモア4はともに男性で、親子の可能性が高そうです。両遺跡は2kmほど離れており、世代を超えた父系構造社会が地理的に拡大した可能性を本論文は指摘します。ヨーロッパ巨石文化集団における父系社会的構造は、新石器時代に父系親族集団間の競争によりY染色体のボトルネック(瓶首効果)が生じた、と想定する見解(関連記事)と整合的かもしれません。ただ本論文は、プリムローズとキャロウモアの新石器時代の父系的社会が、新石器時代のヨーロッパ全域に当てはまるのかについては、さらなる研究が必要と指摘しています。
参考文献:
Sánchez-Quinto F. et al.(2019): Megalithic tombs in western and northern Neolithic Europe were linked to a kindred society. PNAS, 116, 19, 9469–9474.
https://doi.org/10.1073/pnas.1818037116
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